第5章

第40話 死のドライブ(帰路)


「ええ!? 今からぁ? そんないきなり」


 驚愕するのは天ぷら屋の奥さん。そりゃそうだ、時刻は午後七時。常識的に考えれば無理はせずにもう一泊して朝から出発するのが望ましい。


「なんでまた」


「ちょっと事情がありまして」


 事情、それはほかでもない、『ひよりのわがまま』それに尽きる。まったく本当に困った姉だ。



『あのね旭、もうやる事ないよね? 急だけどさ今から帰りたいの! 明日友達と約束してたのすっかり忘れてて。お願い。今から出れば朝には着くでしょ?』


 電話が鳴ったのは部屋でりんごと二人、ちょうど焼きそばを食べ終わったところだった。


「は? ひとりで帰れよ」


『はあ!? あんたなに、私を殺す気? ひとりで高速とかまじ無理だから! やったことないし! だいたい、こんなことになったのは全部あんたのせいでしょ!? 最後まで責任取れよっ!』


「別の日にすりゃいいだろ、その約束を」

『明日オープンのお店行く約束だからむり』


 理不尽、とはこういうことを言うのか。というかあの死の長時間ドライブにりんごを同乗させるのはとても嫌なんだが。



 反論が通じる相手ではないので俺とりんごは残念ながら現在ひよりの運転による死の長時間ドライブの最中さなかというわけだ。


「なーんかいいとこだったねぇ。すんごい田舎だからさ、どんなもんかと思ったけど、みんな優しいし、料理も美味しかったし、なんか懐かしい感じでさー」


「おい今の信号赤だったぞ」

「えっ……気にしなーい気にしない、ほっそい道だったしほかに誰もいなかったじゃん。もー、細かいんだよね。ほんと旭は」


 道が細くて誰もいなくても赤信号は止まるものだと幼稚園児でも知っているはずだが。


「でもりんごちゃんほんとよかったねー。っていうか超ファインプレーだったよね、私びっくりしたもん」


「え、へへ。旭くんのお陰です」

「ええ? 俺?」

 心当たりはないけど。


「信じてくれたから。あたしらしくやればいいって、言ってくれたから」


 ちょっと、照れた。……と、車がぐあん、と大きく揺れた。「な、なんだよっ!」


「あちゃあ、ごめん、高速乗るとこ通り過ぎちゃったみたい」


 本当かよ、今のタイミング……。


「……ごめんりんご。俺やっぱ助手席乗るわ」


 後部座席じゃ指示が遅れる。指示の遅れはすなわち、死を意味する。


「なにさ、照れてんの?」とアホなからかいをしてくるこいつの首をいつか絞めたい。


「すごかったのはひよりさんですよ。うまくいったのはほとんどひよりさんのお陰だもん」


 騙されるなりんご。今回はたまたまだ。


「まあさ、みんなよりは多少、経験豊富だからね。私は」


 否定しないのかよ、と思いつつまあたしかに今回はいろいろ良かった点があったことは認めよう。だからといって今後こいつに対する見方や態度は一切変えないけどな。


 それからは桃音さんの家、梅田家での出来事をひよりがりんごにあれこれ話しだして俺は経路案内と事故防止に徹した。こんなに助手らしい助手席乗車人員はいないと思う。自分で言うけど。


 ひよりの話は聞き流すつもりだったけど、隣でうるさく喋り続けるので嫌でも耳に入ってきた。


 なんでも桃音さんだけでなく梅田家の家族にまで取り入って本当にお兄さんを紹介してもらう運びとなったらしい。本当に恐ろしい女だ。知らぬ間に巻き込まれたお兄さんに酷く同情するよ。きっぱり振ってくれる人だといいんだけど。


 しばらくすると車内は静かになっていた。そっと後部座席を振り返ってみると、りんごがすやすやと寝息を立てていた。


 時刻はまもなく午前零時。旅の疲れも溜まっていたんだろう。その愛らしい寝顔に思わず微笑むと「げ。なに笑ってんのキモ」と隣から不快な声がして慌てた。


「笑ってねーわ」


「はあーあん、私も眠くなってきた」


 りんごを守るためにもここは命を最優先にしよう。サービスエリアで仮眠しよう、という俺の提案に「ええー」と意味不明に反論するひよりを「バカか!?」と説得して少しの間だけでも休息をとることにした。


 シートベルトを外してシートを少しリクライニングして窓の方を向く。なにが悲しくていい歳の姉と隣同士で眠らなきゃならないんだ。


「選んでもらえてよかったね、旭」


「……なにが」


 言葉の意味がわからないわけじゃない。でもすんなり認めるのも嫌だった。ひよりはそんな天邪鬼な俺を気にせず続ける。


「大事にしなよ。一生かけて」


「……うるさい、話しかけんな」


 冷たく返すと「ふふん」と笑って「いいなぁー」と独り言を呟いた。


 会話はそれっきり途切れた──。




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