第36話 ほんまはやったことない
旭くんも、ひよりさんも、間違ってない。
旭くんの言う通り、会わないでいた方がお互い傷つかずに済むのかもしれない。その方が、ひょっとしたらいいのかもしれない。
だけどもし会わずにこのまま帰ったら、ひよりさんの言う通り私たちの心の中にはお互いの存在が苦い味のままで中途半端に残ってしまうんだ。たとえこの先手紙が途絶えても、たとえこれまでの手紙を燃やしたとしても。
ファーストキスの記憶だって……きっとずっと残ってしまう。綺麗な記憶としてじゃなく、こびり付いたみたいに。
だから、逃げちゃダメなんだ。
私は、遙真くんと、ちゃんと向き合わなきゃいけない。
石段の隅に小さく座って約束の時間を待った。夕刻でも太陽はまだ眩しく、桃音ちゃんに借りた日傘の黒色のレースと控えめな花模様が透けて綺麗だった。
時間は午後五時十分を回ったところ。約束の時間を十分ほど過ぎている。遙真くんの姿はまだない。来てくれるのか、もしかしてこのまま来なかったら、ひよりさんはどうするつもりなんだろう。
こじんまりとした小さな神社の石段は五段くらいのもので、登ったところの石色の鳥居をくぐるとそれなりに広い境内になっている。田舎らしい、歴史ある雰囲気の神社。いつもはないだろう丸いちょうちんが空に浮かぶように連ねてぶら下げられて、幻想的な朱い光を放っている。屋台は四つか五つくらい。思っていたよりもすごく小規模のお祭りだった。だけどそれなりに賑わいはあって、主に年配の人たちが、ではあるけどあちこちに集まってそれぞれ楽しげに話に花を咲かせている。
「りんごちゃん……?」
「……わっ」
反射的に勢いよく立ち上がった。相手はそんな私の反応に驚いて少しのけ反ってから苦笑いをした。
「遅くなってごめん」
「は、遙真くん……。や、全然待ってないよ」
慌ててそう言って改めてその姿を見る。呼び出しておいてなんだけど松葉杖をつく痛々しいその姿には申し訳なさを感じずにはいられなかった。
「こっちこそ呼び出してごめん、足、悪いのに……。あ、ここ、座る?」
咄嗟に石段を勧めた。遙真くんは苦笑いをして「いや、立ったままで大丈夫」と言う。
「座ったり立ったりすんの、大変やから」
「あ、そ、そか。そうだよね」
たしかにそうだ。私はアホだ。
「……で、俺、振られるんやんな?」
「えっ……」
思わぬ発言だった。その顔を見ると、それは妙なほどにすっきりとしていて、こちらの考えをなにもかも悟られているような気持ちになった。
「……今日、来るかどうか、むっちゃ悩んだ。遅れたんも足のせいやなくて、なかなか決心できんくて。は、情っさけない。ごめん。だってあの手紙さ、……どう読んでも振るとしか思えん書き方やったから」
言って自嘲気味に弱く、ははと笑う。その表情は悲しげで、私はまた心が苦しくなる。
「でも、逃げたらやっぱあかんな、と思てね。……ちゃんと謝らんと、と思って」
「……謝る?」
遙真くんが、私に? それは……どういう意味で?
「前
「でも」「手紙はもうやめよ」
遙真くんは松葉杖をついて私から身体ごと目線を外すと、境内を見上げながら言った。
「旭に、悪いし」
いつの間にか境内には演歌のようなBGMが流れ出して、さっきよりもいくらか賑わいが増していた。
「混乱させてほんまごめん、りんごちゃん。久々に会えて、勢い余って……ちうか、よう考えもせんと言うたんや」
遙真くんは私から視線を逸らせたままで言葉を続けた。
「ごめん。……それじゃ」
それは、一生の別れの言葉のように聴こえた。
「待ってよ」
一生懸命に伸ばした私の手は遙真くんの手首に届く。よかった。届いた。
一瞬、見つめ合った。
「あのね……五時半になったら旭くんが来るの。それまでちょっと、付き合ってよ」
「え……?」
今、このままで遙真くんとの関係をおしまいにしたらダメだ。無理やり忘れようとしてもダメ。なにより『私』は、そんなこと望んでない。したくない。
「ね、そこ。スーパーボールすくい」
「ええ?」
にっこり笑って手首を掴む手を離して、改めてその手を取った。鳥居をくぐった先にスーパーボールすくいの屋台が見える。
戸惑う遙真くんに構わず足の悪い彼を手伝って二人で石段を登って、ゆっくりと屋台の前まで進む。
「見てて。得意なんだよ、あたし」
まだ戸惑った様子の遙真くんに、ふふ、と笑い掛けて、お店のおじさんに百円玉を手渡した。
涼しげな音を立てて流れる色とりどりのスーパーボール。派手色、地味色、ラメがキラキラ。子どもの頃は宝石みたいにも見えていたなあ。
旭くんが後から迎えに来る、というのはもちろん出任せ。旭くんだけじゃなくて、ひよりさんも、桃音ちゃんも、みんなでそこの草かげに潜んでる。まるで漫画みたいに。
予定していなかった私のこの行動にひよりさんも桃音ちゃんも肝を冷やしているかもしれない。だけど大丈夫。たぶん、旭くんがなだめてくれているはずだから。
旭くんにだけ、はじめにこっそり言っておいたの。
『びっくりすることしちゃうかもしれないけど、信じてあたしに任せて。絶対上手くやるから』
でもどうしようもなくなったら、その時は助けてね。そう付け足すと、「バカが」と頭をポンとされた。
私らしく、それでいい。それがいちばんいい。そう旭くんが答えてくれたから。
「あの……りんごちゃん」
「……うーん、おっかしいな。もっかいやっていい?」
「え……と」
さすがにこの小さい一球が百円というのは高額過ぎると思う。
「……あの、ほんまに得意なん?」
「ほんまはやったことない」
「えっ……」
「ふ……あははは」
方言を真似てから明るく笑ってみせたら、少し遅れて遙真くんもぎこちなく笑ってくれた。
「よかった。初めて見たかも。遙真くんの笑顔」
思ったことが口をついて出ていた。相手は笑顔を固めて止まってしまった。でもいいの。これでいい。
余るサイズの袋に一粒だけ入れてもらったメロンソーダみたいな色のラメ入りスーパーボール。「オマケつけよか?」という店主のご厚意を「いいですっ」と意地を張って断って受け取った。
そんな大切な一球を片手に持ちながら私はまっすぐ遙真くんを見つめた。隣の屋台から焼きそばのソースが焦げるいい匂いが漂う。それをたっぷり吸い込んで、私は口を開いた。
「遙真くん。あたしは、旭くんのことが好き。だから遙真くんとは友達でいたいです」
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