第35話 姉弟喧嘩
「引っぱたけ!?」
「……ううと、厳密には違くて、その、『そんくらいの気持ちで』っていうか」
三日目の朝めしとなる絶品のおにぎりをかじりながら天ぷら屋にて俺たちは話をしていた。今日のはえびの天むす。「残りもんの具材で悪いけど」と奥さんは言ったがこんな贅沢な残り物聞いたことがない。
冷めても美味い艶やかな白米にふっくらと包まれた小さめのえび天。衣は少し塩気が効いていて巻かれた海苔の風味と絶妙に合う。これは朝めしでも十個はいける。
「うわうま」
「だね、これは商品化すべき」
「ほんと、それ」
「だよね。あとで奥さんに言ーおうっと」
ああ、しまった。この絶品おにぎりでいつも話題が盛大に逸れる。そのくらいの美味さなんだ。……気を取り直して話題を戻す。
「……じゃなくて、……無茶だろ、りんごが『引っぱたく』なんてそんなの」
ひよりならまだしもりんごにそんなこと出来るとは思えない。わかんねーのか、そのくらい。
「でもひよりさんの言ってることは全部正しいよ。ひよりさんの言う通りにすればきっとみんな幸せになれると思うもん……」
「すっかり洗脳されてんだな」
味噌汁をすすりながら呆れて答えた。りんごは「そ、そんなことないよ」と言いながらも俺と目を合わせようとしない。
「……会いたくないの? ……遙真と」
「……」
直球で訊ねてみたがりんごは答えなかった。それはつまり、そうだけど、それは出来ない、ということか。
「遙真を傷つけたくないんだな」
「……あたし、……欲張りかな?」
それは前に俺がりんごに言った言葉だった。俺と遙真、どっちも好きで、どっちも手放せない、そんなりんごにぶつけた言葉だった。そうか、刺さっていたんだ。あの日からずっとりんごの心に。だけど今はあの時とは違う。りんごはちゃんと俺を見てくれているし、俺もそれをちゃんとわかった。その上でのりんごのこの優しさは『欲張り』とはもう違う。りんごは『友達』として、ただ遙真の幸せを願っているだけだから。
「欲張りなんかじゃないよ」
潤んだ瞳が、やっとこちらを見てくれた。
「りんごのそういう所が、俺は好きだ」
少しキョトンとしてから、「ふ」と笑って涙を零した。
「なぁに? ほんとにラブラブになったんだね」
「ごちそーさまですぅ」
キスでも出来そうな雰囲気だったのにそれをノックもなしにぶち壊してズカズカと部屋に入ってきたのはやはりコイツらか。
「ちっ、また盗み聞きかよ」
それよりひよりには言いたいことがあった。
「おまえさ、あんま無茶苦茶なこと言うなよな」
「はあ? なんのこと?」
女王には残念ながら心当たりがないらしい。まあそうだろうな。
「だから」「旭くん」
言いかけたところでりんごに服の裾を掴まれた。
「大丈夫だから」
「けど……」
「お願い。ちゃんと決着つけないと、ね」
なんなら俺はこのままりんごを連れて東京へ帰ってもいいと思っていた。桃音さんを見捨てるのか、とか騒がれそうだけど、実際そこまで世話をしてやる義理がないのも事実だ。
遙真とりんごの手紙がこれを機に途切れてしまっても、それも仕方ないことなんじゃないのか。その方が桃音さんだって復縁するにしても都合はいいはずだ。
りんごとの祭りの待ち合わせの時間に、りんごじゃなくて桃音さんが姿を現す。それでも筋書きは成立するんじゃないのか?
「そもそも遙真は、本当に来んのか? 今日の祭に」
「来るよ。絶対来る」
「会うのはりんごじゃないとダメなの?」
「はあ? 一昨日言ったじゃんバカ」
姉弟でバチリと睨み合った。俺はりんごを守りたい。ひよりはたぶん、桃音さんを遙真とくっつけることしか考えていない。それでりんごが傷つくなんて、絶対考えてないはずだ。
「あんったね、自分がりんごちゃん手に入れたからってそりゃないでしょ」
ため息混じりにまたギラリと趣味悪く光る爪の指をさされて言われた言葉は心外極まりなかった。
「こうなったら桃音さんと遙真だって俺とりんごがいない方が戻りやすいだろうが!」
間違ってはないはずだ。りんごが無駄に傷つく必要はないはずだ。
「甘いね」
「はあ?」
ピシャリ、と場が静まる。外の蝉の声だけが窓越しにシュワシュワと聴こえた。
「遙真とりんごちゃんの、本人同士がちゃんと話さない限り、遙真の中からも、りんごちゃんの中からも、その存在は消えないの。手紙が途切れても、どれどけ過去になっても、あんたと結婚しても、ずっと遙真とりんごちゃんはお互いの中に居続けるのっ!」
「……」
「だから会って話さなきゃダメなの。ちゃんと関係を見直さないとダメなの! 今ここで逃げたら絶対にりんごちゃんのためにはなんないよ!? わかる!? 一時的には守れても、結果的には苦しめるのっ! だから絶対逃げちゃダメ!」
「逃げてなんかねーわ!」「逃げてるよ、あんたはいつも!」
見つめ合った、というか、睨み合った。ひよりの言うこともわからなくはない。けど危険をおかしてまでそれを通す必要は本当にあるのか? 『身を引く』という選択も時には大事なはずだ。常に攻め手のひよりにはわからないのかもしれないけど。
「逃げていいのは、本当にどうしようもない時だけ。命に関わる時だけ。それだけの覚悟が出来る時だけ!」
「覚悟なら」「出来てない!」
なんなんだよ、何の話かもよくわからなくなってきた。今なら俺はりんごを幸せに出来る。守るために、逃げる道を選ぶのは間違いか?
「りんごちゃんを守りたいなら、もっとちゃんとりんごちゃんの未来まで考えてあげなさいよ! 今のあんたは、遙真と話すりんごちゃんを見たくないだけでしょ!?」
「そんなんじゃねーよ」
見たくない……。反論したが実際はその通りではあった。悔しいけど……。ああ、勝手だな。最初はそれを見るためにここに来たっていうのに。
「けどそれじゃあんたたちの問題はいつまで経っても解決しないから。りんごちゃんの苦しみは、ずっと胸から消えないから」
りんごの、苦しみ……。
言い返せなくなってりんごを見ると、りんごはひよりからその視線をゆっくりと床へ落とした。
そして小さく呟いた。
「あたし、遙真くんと、ちゃんと話すね」
そしてその視線を桃音さんの方へと向けた。
「大丈夫。絶対大丈夫だから」
◇
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