第34話 魂のふるさと?

 朝とはいえ外はすでに真夏の陽射しだった。だけど木々や土はまだ熱されておらず、空気はどこか夜の水気を残している。そこに朝っぱらから元気な蝉の声と夜更かしの草むらの虫たちの声が混ざり合う。


「暑ーい!」


 言いつつどこか嬉しそうなりんごとあてもなくその辺りをぶらぶらと歩いた。


 そういえば読めなかった『美音原』という地名、『みとはら』と読むのだそうだ。俺たちが再会したバス停のある『美音原みとはら中学校』はやはり数年前に廃校になったのだと天ぷら屋の奥さんから昨日教えてもらった。


 この辺りにはその廃校のほかには小学校がひとつと、幼稚園がひとつあるらしい。りんごが通った幼稚園も、たぶんそこだろう。


「ね、行ってみようか」


 道すがら幼稚園の話になると、りんごは俺の反応を試すようにそう言って笑った。


「……憶えてんの? その頃のこと」

「ぜーんぜん。でも行けば思い出すかも」


 ここで反対するのも器が小さい気がして、というかどうせ他に行くあてもないので素直に幼稚園を目指すことにした。りんごは陽射しのせいで見づらい画面をなんとか目を凝らして見つめて地図を確認すると、「あっちかな」とどこか適当に指をさす。


「ほんとかよ。迷ったら死ぬぞ、たぶん」


 天ぷら屋を出た時よりも気温は確実に上がってきている。コンビニはおろか、自販機すらない、ついでに人の気配もない完全な田舎の細道。迷えば冗談抜きで命に関わる。


「大丈夫だよーう」

 どこから湧くのか知らないが自信満々で先を進むりんごに続く。その姿に俺はなぜか、遠い雰囲気を感じた。『ふるさと』、それはここがりんごの魂のふるさとだから……?


「りんごって、この土地で生まれたの?」


 そうだとしても、べつにどうってわけじゃないけどさ。


「うーん。生まれは関東だよ、たぶん」

「え……そうなの?」


 その答えは意外だった。


「へへ、なに『安心した』みたいな顔してんの? 旭くん」


 たしなめられて「してねーわ」と反論したが実際図星だった。


 生まれなんてどこだっていいのに。なにを小さいことを気にしてるんだ、俺は。


 りんごと遙真の生まれた土地が、同じだろうが違おうが、関係ないのに。


 それでもりんごがやはりこの土地に馴染んで見えるのは、例え数年でもここに住んだ過去があるからなのは確かだ。もしかしたらりんごのあの天真爛漫な性格の原点を作ったのは、このだだっ広く緑の溢れる、温かな人たちにばかりのこの土地なのかもしれない。


 そうこう考えるうちに幼稚園らしい建物が見えていた。「ほら着いた!」と得意げに喜んで駆け出す子どものような彼女を「おい!」と慌てて追う。


 だけど俺が追いついた先にいたりんごは黒く小さい鉄門の前でしょんぼりとしていた。


「がーん。残念、開いてないや」


「まあ夏休みだしね」


 少し考えればわかったことだったが園はしんとしていて人の気配はなかった。職員室には誰かいるかもしれないが、裏口らしいここには呼び鈴すらもついておらずきっちりと施錠がされていた。正門はたぶんここの反対側。園の外からではぐるりと回らないとたどり着けない。


「……帰る?」

「うーん。……もうちょっと」

「ええ?」


「なんかさ、気持ちいいとこだから」


 にっこりと微笑むりんごの顔や肩には木漏れ日が揺れていた。たしかにここは周りより一際大きな木がいくつかあってほの暗く、小さな森のような不思議な雰囲気を感じる。


「憶えてはないけど、なんか懐かしい」


 りんごは木々を見上げて呟くようにそう言った。姿は見えないがそこにいるらしい蝉たちが元気に声を重ねている。


「ねえ今度、旭くんの通った幼稚園も見に行こうよ」


「ええ? ……俺だって憶えてないよ」


 そう答えてりんごの顔を見ると、その目は木々を見つめているようで、そうではないように感じた。


 その見つめるものが過去なのか、未来なのか、俺にはわからなかった。だけど木漏れ日の中で木々を見上げるその横顔は、さわさわと揺れる深い緑色をバックに、とても美しかった。


 俺の知らないりんごが、どんどん見えてくる。そんな不思議な感覚が今朝からずっとしていた。それはやはり、この土地の力なんだろうな。そう自分を納得させていた。


「お腹空いちゃった」


 横顔に見とれていた俺の方にいきなり向くと、いつも通りの顔で茶目っ気たっぷりにそう言って笑う。その刹那、俺はその違和感を見逃さなかった。


「帰ろ。天ぷら屋の奥さん、朝ごはん用意してくれてるって言ってたから」


 言いながらまた俺の先を歩くりんごを呼び止めた。「……りんご」


 りんごは少し驚いたような顔をしてからまた微笑んだ。「どうしたの?」


 なんだろう。土地の力……本当にそれだけ? ちがうだろ。


 気分転換の散歩に出掛けたり、突然過去に浸ろうとしたり。思い返せばりんごの様子は今朝からなにか変だった。いつものりんごと比べて、なにかがおかしい。それはカラ元気、というか、誤魔化している、というか。その理由はこの土地がりんごの魂のふるさとだからなんかじゃない。


 見つめ合って、止まっていた。


 来た時よりも蝉の声がうるさくなった気がする。


「……昨日ひよりに、なんか言われた?」


「え」


 違和感の原因として考えられることはひとつだった。


「なんか無茶なこと、言われた?」


「そんなこと……」


 言いつつりんごは口ごもってその視線をゆらりと泳がせながら地面に落とした。この様子、明らかだ。ひよりをかばっている。


「そうなんだな」

「ち、ちがうよ」

「じゃあ」


 じゃあなんで、泣いてるんだよ。


 近づいてそっと抱きしめると、りんごは一瞬我慢してから、せきを切ったように俺の胸で子どものように泣きじゃくった。




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