第33話 愛しい寝言と心配事

 ──『なに言われても、されても』


 一体、明日なにが待っているんだろう。まさか遙真くんとそんなことになるはずはない。ないはずだ。うう。しかもそれって桃音ちゃんの目の前でそんなことになるかもしれないってこと? そんなのあっていいわけないよ、絶対に。


 天ぷら屋に帰って、晩ごはんをいただいて、お風呂に入ってから部屋で布団を敷いた。旭くんと今日の楽しかったことについて話をいくつかしたものの、片隅ではずっと明日のことを考えていて、そのせいで布団の中ではもうすっかり脳みそが煮えくり返って、案の定なかなか寝付けなかった。


「旭くん……」


 天ぷら屋で一日働いていたらしい旭くんはヘトヘトのようでもう眠ってしまったようだった。暗い部屋で枕を並べる彼に小さく声を掛けてみたけど案の定「んん……」という寝言のような返事しかなかった。


 寝返りをうってその寝顔をじっと見つめた。規則的な寝息が聞こえる。閉じられた瞼、やっぱりまつ毛が長いんだよね。ふふ、眉毛は整えてるのかな。髭はまだ生えない歳? 何歳くらいから生えるものなのかな。今度聞いてみようかな。また呆れた反応をされるかな。あはは。そうそう、旭くんはお肌もツルツルなんだよねえ。部活で日焼けもしてるし、化粧水とかしてないみたいなのに、なんでこんなに綺麗なんだろう。え、ホントにしてないよね? 化粧水。まさか、それは怒られそうだから聞くのはよそう。半開きの口。柔らかそうな唇……。ごくり。昨日の夜はこの唇で……ぐは、なにを考えてるんだ私、バ、バカ者!


 勝手に恥ずかしくなって自分の左頬を左の手で包んだ。っつ……。その時だった。


「……りんご」


「ひ!?」


 びっくり仰天! 心臓がひっくり返ったかと思った。だ、だって今、寝てたよね!?


「お、起きてたの?」


 慌てて訊ねるとともに自分がおかしな事を口走らなかったか急いで記憶を呼び起こす。だ、大丈夫、たぶん大丈夫。


 ひとしきりバタバタとしてから再び旭くんの方を向くと、……あれ。


 やっぱり寝ている。答えはなく先程と同様の寝息が聞こえていた。


 今の、寝言……?


「……旭くーん?」

 小さく声を掛けてみた。


 返事はない。やっぱり寝ている。寝言で呼ばれるなんて、初めての経験だった。なんか……かわいいな。嬉しいな。少し笑って私も目を閉じた。すると、隣の彼ががばり、と寝返りをうって私を包んだ。


 ええっ、や、あのそのっ……。

 やっぱ、起きてるの?


 耳に彼の吐息がかかって、心臓が激しく跳ねた。わ、わ、わ。


「あ、旭くん……?」


 返事はない。ただ、彼の体温に包まれたまま動けないで、ドキドキしつつもどこか安心して、気がついたらそのまま眠っていた。





 ぞわぞわ、と全身が寒気立って目が覚めた。非常に不快だったが目の前にりんごの笑顔があって不快感はいくらかなくなった。……いや。


「……なにしてんの」


「ふふ。まつ毛触られるとね、人間って起きるんだって」


 いや、もっと普通に起こせばいいだろうが。


「おはよ。あのね旭くん、そのぉ……動けなくて」


「え」


 りんごの言葉を受けて自分の体勢をよくよく見てみると、俺の腕や足ががっちりとりんごの華奢な体を捕まえて自由を奪っていた。え……え!?


「わ、うわ、ごめんっ」


 慌てて解放する。え、俺なにした!? 全く記憶にないのがとても恐ろしい。


「ふふ。キュンキュンしちゃった」


「え!? は!?」


 ちょっと頬を赤くするりんごにますますわけがわからず、恐らく寝ている間になにかしたらしいことを想像して激しく憤った。


 というか記憶にないのが本当に悔しい。


「ね、着替えてさ、朝の散歩にでも行こうよ。気持ちいいよ、きっと!」


 金色の朝日に照らされる笑顔のりんごは、息を飲むほど美しかった。


「……ジジイとババアみたいだな」


 照れ隠しにそう言うと、「えー、そう? 旅行といえば朝の散歩じゃん?」と笑顔のままで軽やかに返して立ち上がる。


「今日は昨日の分まで、いっぱいデートしようね」


 準備してくるね。と部屋を出ていった。ああ、りんごがいる。いつものりんごが、俺の隣にいる。


 心の中のどこかにあったらしい、彼女を手放したくない気持ちがどんどん大きくなっていくのを感じて、自分でも少し驚いた。





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