第26話 なにやってんだ

「ごめん、ほんとに……」


 りんごに向かって、また謝った。望まれていなくても、今の俺にはそれ以外出来なかった。そんな俺にりんごは「ううん」と首を横に振った。


「ちょっと、嬉しかったから」


「……え」

 そんなことを言われるとは思っていなかったから驚いた。


「旭くん、王子様みたいだった」


「……」


 途端に恥ずかしくなって目を伏せた。俺らしくない、あの行動がりんごをズキュンとさせているのがどうにも悔しい。そしてそれがひよりの指示の結果だという事実がもっと悔しい。


「……遙真に失礼だろ、それじゃあ」


 苦し紛れにそう言うと、りんごは「そうだね」と苦く笑った。


「あたし、来ない方がよかったのかな」


 窓を眺めるその瞳は、また潤んでいた。また苦しんでるのか。ひとりで抱えているのか。


「来ない、なんて出来なかっただろ」


 あの時のりんごは、誰にも止められなかった。俺がどれだけ手を尽くしても、りんごは止まらなかった。


「おかしいな。来たらなんとかなると思ってたのにな。……余計に苦しくなっちゃった」


 辛そうな笑顔に、俺まで苦しくなった。りんご。苦しんでほしくない。俺は、どうしたらりんごを救ってやれるんだ。


「りんご……」


「旭くん」


 りんごはまっすぐ俺を見ていた。その目から、雫が零れ落ちた。


「なんでこんなに辛いのかな」


 りんごは……優しすぎる。俺と遙真、どっちも傷つけない方法なんて、ないのに。


 俺は、りんごが好きだ。涙なんて見たくない。あの破壊力抜群の笑顔を、もっと見せてほしい。苦しまないで、笑顔でいてほしい。


 それがたとえ、俺の傍に居てくれなくなることだとしても。



「……俺たち、別れよう」



 それ以外、掛ける言葉を見つけられなかった。苦しむりんごを救う方法を、俺はそれ以外見つけられなかった。


 運命……そんな言葉で片付けていいのかわからないけど、りんごと俺はもうこれ以上、今のままじゃいられない、そう思った。


 りんごは濡れた瞳でこちらを見上げて、ふるふると首を横に振った。


「好きなのに、なんで別れなきゃいけないの?」


「それしか……ないよ」


「なくない! なんか、ほかに、……あるよきっと」


 りんごはそう言うけど……。苦しむりんごを、俺はもう見ていられなかった。遙真と付き合えなんて言うつもりはないけど、それでも俺さえ身を引けば、俺が耐えればそれで済むんじゃないか。全部丸くおさまるんじゃないか。そう思った。


「……ごめん。そうさせて。正直俺ももう、……耐えられないから、こんなの」


「え……」


「もっと平和に恋がしたい。りんごだって俺を気にしないで済めば苦しまなくて済む。その方が、俺も……幸せだよ」


「うそだよ……そんなの」


 そう。これは嘘だ。でもそう言うしかない。バカな俺には、それしか出来ない。


「ごめん」


 こっちまで目が潤んできて、慌てて逸らせてそのまま部屋を出た。階段を降りて天ぷら屋を通って外に出ると、少し進んだところで立ち止まってしゃがみ込んで項垂れた。真夏の太陽がじりじりと頭や首に照りつける。


 なにやってんだ、俺は。


 これで、本当によかったのか? りんごは、こんな結果で本当に救われたのか?


 俺は、なんのためにこんな所まで来たんだ?


 本当は、りんごとどうなりたかったんだ──ププーッ!


 顔を上げずともそのクラクションを鳴らした相手が誰なのか見当がついた。


 急いで手の甲で頬と鼻の下を拭ってから見上げると、呆れ返った冷酷な視線で「乗れ」と合図をされた。車相手じゃ抵抗する余地はない。


 自首する犯人さながら大人しく後部座席に乗り込んでドアを閉める。すると、ひよりは俺にではなく桃音さんに話しかけていた。


「……どうする? このバカ」

「んー、どうしましょかねぇ」


「埋める? それとも沈める?」

「クマやイノシシのエサにするいう手もありますよ、こん土地なら」

「うっはは、それいいかも」


 好き放題言ってから少し黙ると、勢いよく振り向いてこちらを睨んだ。


「りんごちゃん呼んで来いよ、今、すぐ、ここに!」


 口調が悪すぎた。


 俺が渋ると運転席から降りて俺のそばの後部ドアを勢いよく開け、俺の腕を掴んで無理やり引きずり降ろして地面に投げ捨てた。おいおい、どこのヤクザドラマだ。っていうかすぐ降ろすんならなんで一度乗せたんだよ。いやそれよりも気になることがひとつ。


「なんで状況知ってんだ?」


 尻もちをついた体勢で、仁王立ちする最恐な姉を見上げながらかろうじてそう訊ねると、「ん」と小さな画面を見せられた。


【通話中 00:36:45】


「……は?」


 慌ててこちらの画面を確認するけどこちらは黒いままだった。どういうことだ。


「バーカ。桃音ちゃんのを借りたのよ」


「え!? は!?」


 また慌ててあちこち探すと反対側のポケットから【通話中】のそれが出てきた。まさか、いつの間に!?


「ほんと最低クソだね、あんた。あれでりんごちゃんを救えたとでも思ってんの? 最低クソだろ。最低クソすぎ。最低クソでしょ。クソ野郎」


 『最低クソ』のなに活用か知らないが不快だ。


「それ以外……ないだろ、方法なんて」


「なら私は、私はどうなるんよ?」


 ひよりの陰から顔を出すのは桃音さんだった。


「りんごちゃんと遙真が幸せでも、私は? 私はあんたと心中? なんで?」


 そう言われても……困る。


「好き同士なんでしょ? あんたとりんごちゃん。ならなんで別れるんよ!? 意味わからん!」


「けどりんごは俺といると……」

「うっさいっ! とにかくここに呼んで来いっつってんでしょ!? 早くしないとほんとに縛ってクマのいる森に棄てるよ!?」


 ひよりの目線の先にはコンビニのような小さな個人商店があった。俺を縛り上げるロープくらい売っているかと思案しているらしい。


 ビビったわけではないが桃音さんの冷えた視線に耐えられなくなったのもあって俺は渋々天ぷら屋に引き返した。くそ、なんでこうなる。


「もっと走れ!」「うるせ」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る