第20話 本命だよ

「や、すみません、そんなつもりじゃなかったのに」


 テーブル席に出されたおにぎりとお味噌汁を前に恐縮しながら旭くんは奥さんにそう言った。


「まあええんよ、りんごちゃんだけに出すのもなんやおかしいし」


 言いながら奥さんはくく、と笑った。「ほれで、どちらさん?」


 そりゃそうだ。事実を話すと奥さんは「へえ、ほんに!」ととても驚いた反応を見せた。なんだか昨日から驚かせっぱなしな気がする。ごめんなさい、本当に。


「ふふん。りんごちゃんも大概すごいけど、彼氏さんも相当やわね。夜通しかけてなんとかしてこんな田舎とこまで駆けつけて来るやなんて」


 若いってほんにええね。と呟く言葉にはまったく嫌味がない。奥さんは眩しそうににっこりと笑っていた。


「ほんならおばちゃんは退散するわね、二人でよう作戦練りない」


 ふふ、と口元を押さえて階段を登っていった。丸く小さい背中に二人で「ありがとうございます」と頭を下げると「ええんよ」という素敵な返事が聞こえた。ああ、私も将来あんな奥さんになりたいな。



 というわけで、営業前の店内にて作戦会議を始めよう。……と、その前に。


「え、それで、旭くんどうやってここまで来たの?」謎を解いておきたかった。


「ああ、……えっと──」


 聞かせてもらった話はまた私を盛大に驚かせた。


「え、お姉ちゃん!? え、旭くん、お姉ちゃんいるの!?」


 初耳だった。え、なんで初耳なんだ!?


「……ああ、まあね」


 旭くんはなぜか言いづらそうにして頭を掻く。


「そんな仲良くもないし、つーかあんま、関わりたくない、つーかね」


 どういうわけか触れられたくないらしい。きょうだいのいない私にはその理由はよくわからない。


「迷惑かけちゃったんだねぇ、あたしからもまた改めてお礼させてね」

「いや! 絶対いらない! つーか会わせたくない……」


 言ってから苦い顔をして「まあこの話はいいよ」と弱く言うのでなんだかこれ以上しつこく話を続けるのも申し訳なく思えて追求するのはやめにした。旭くんがそこまで拒絶するなんて、いったいどんなお姉さんなんだろう。いつかは、会いたいけどなあ……。


「で、どこにいるかはわかってんの?」


 旭くんは切り替えるのに咳払いをひとつしておにぎりを手に取りながらそう訊ねた。


「うん。昨日ここの奥さんが教えてくれたの。これがその地図」


 メモ紙を出して見せた。ここからたぶん十分もかからない、と言っていた。


「直接、家行くの?」


 私もそれはちょっとドキドキするな、とは思っていた。だけど「それしかないもん」理由はそれに尽きる。


 旭くんは少しだけ考えたようだけど結局は「まあね」と私に同意した。そして手に持っていたおにぎりをかじると、「うわ美味うま」と思わずという様子で言う。「え、どれどれ」と私も倣ってかじってみた。


「んーーーっ!」


 ほどよい塩味、濃ゆい海苔の風味。一口目から具の鮭がふっくらと美しい薄だいだい色で艶やかに顔を出して次の一口をそそる。鮭と白米と海苔、三つの味がこんなに、と思うほどに合う。まさにトリプルパンチだよ。なにこれ……。ベタだけど冗談ぬきで「日本にっぽんに生まれてよかったああ!」と叫びたいくらいに美味しい。とにかくもう美味しい。当たり前だけどコンビニのそれとは比較になるはずがなかった。


「う、う、ぅ美味しすぎるおいひふぎぅ……! あ、あはひくんも鮭だったハケあっは?」


「いや、昆布。……つーか、食いながら喋るな」


「ね、ね、昆布おにぎりちょっとちょうだい! 昆布も好き!」


「えっ、やだよ」

「ええっ、なんでさ」


 構わず相手のおにぎりを奪いにかかった。


「ちょ、やめろってば、おい……あのさ!」


 すると旭くんは私の手首を掴んで強めにそんな声を出した。思いもしない彼の反応に驚いて私はぴたりとその動きを止める。


「……いつも通り過ぎでしょ、さっきから」


「えっ……」


 掴んでいた私の手首からゆっくりとその手を離す。それはまるで触れてはいけないものにうっかり触ってしまったとでも言うように。


 言葉の意味が、わかるようで、わかりたくない。一昨日のことを、私は思い出したくない。


「……まあ、気まずいより、いいけど」


 今自分から気まずくしたんじゃん、と心の中で悪い私が顔を出しかけるのを慌てて押さえつける。


「やっぱ、反対? 遙真くんに会うの」

 この期に及んで言う意味があるかはわからないけど。


「……」


 俺が今更とやかく言えることじゃない、とでも思ってるの? 言える立場じゃない、とでも。


「まだ別れてないよ、あたしたち」


 私の居場所がわかると、本当にすぐに飛んできてくれた。それは、そういう意味じゃないの?


「別れてないよね?」


 珍しく強気で念を押す私の目を旭くんはちらりと見た。男の子なのに羨ましいくらいの長いまつ毛。綺麗な瞳。


「追いかけて来てくれて、嬉しかった」


「……」


「ね。だから昆布も食べさせてくださいっ」


 私は、これ以外のあなたへの上手い接し方を知らない。だからこういう態度しか出来ないんだよ。冗談を言える状況じゃないのはわかってる。でもこう言えば、旭くんはきっと笑ってくれる、好きでいてくれるって信じてる。本当は、必死だった。


「……ふ、……ほんとに、バカかよ」


 深刻な表情を崩して小さく笑うと、旭くんは観念した、と言うように自分の手元の昆布おにぎりをこちらに差し出してくれた。ああ、よかった。本当はすごく不安だった。泣きそうなくらいに。


「ん! おいひっ、やっぱ、おいひ!」と騒ぐ私に「おい」と掌を出す。


「へ?」

「『へ』じゃねーわ、鮭のおにぎり、交換だろ普通!」


「あ、ああ、……ひひ、ごめんにしゃい」


 ぺこりと頭を下げながらそれを手渡す。ああ、そうだよ、そう。これがいつもの私たちだよ。そうでしょ? 旭くん。


「『彼氏だよ』って、紹介していいよね?」


 おにぎり同様絶品のお味噌汁を平らげたところで確認も込めて、訊ねてみた。


「……俺、行ってもいいのかな」


「ええ?」


 それは思いもしない発言だった。


「ヘコんでんだろ? その相手。なんか……その、追い討ちかけるみたいっつーか」


「お、追い討ちだなんてそんな。そんなつもりないしそれに! あたしは遙真くんを応援したいだけだもん」


「そうかもだけど……どうやって?」


「だからその……元カノさん、桃音さんとの、復縁を」

「だからそれ、相手は望んでんの?」


「それはわかんない……」「なら余計なお世話って可能性もあるんじゃねーの」


 的確な意見に私の意志は小さく萎んでゆく。だけどそれじゃあ他にやれる事なんてなんにもないじゃんか。


「でもその桃音さんって人ね、手紙のこと、知ってるみたいで。それであたしが来たからいよいよ遙真くんのこと、とられると思ったみたいで」


「……まあ普通そう思うだろ」


 たしかにまさか彼氏の幼馴染である文通相手が別れた自分たちを復縁させるためにわざわざ来るなんてどれだけポジティブでも考えつくはずはないよね。


「でもそれはつまり桃音さんはまだ遙真くんのこと、好きってことでしょ? それなら二人はまだ冷めきってるってわけじゃないよ。桃音さんのあたしへの誤解を解いてもらうためにも、やっぱ旭くんには居てもらわないと!」


「……まあ、ね」


 旭くんは呟くようにそう言ったものの、まだどこか腑に落ちない様子だった。


「二番手なんかじゃないから」


 だから私は


「本命だよ。旭くんが」


 ちゃんと伝えようと思ったんだ。


 冷房で冷えたその手をそっと握ると、「行こう」と立ち上がった。手を繋いだまま二人で、蝉の声が重なる、濃い夏空の下へと飛び出した。




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