第18話 恩返しを考えし

 ◇



 カーテンの隙間から漏れる眩しい朝日に照らされて目が覚めた。時刻は朝の六時前。いつもより早い時間だけどよく眠れたらしくすっきりとした目覚めだった。


 布団を畳んで着替えをしてからトイレと洗面所を借りて身支度を済ませた。階段下のお店はしんとしていてまだ誰もいないらしい。代わりに洗面所の隣の台所に奥さんの後ろ姿が見えた。


「おはようございまーす……」


 廊下から遠慮めに声を掛けると「ああ、早いねえ、おはよう」と笑顔を向けてくれた。


「朝ごはん、おにぎりとお味噌だけやけど。あとで部屋まで届けるから、待っててね」


「えっ……いいんですか?」


 さすがに夜のあんなバイトだけでいろいろとやって貰いすぎな気がしていた。すると奥さんはそんな私の気持ちを察したようににっこりと笑った。


「……ふふ。りんごちゃんも大人なったら、周りの人に優しくしんさい。恩返しならそれで、私らは満足やし」


「えっ……はい」


 『その人』に恩返しをすることしか知らなかった私に、その答えは驚きだった。『受けた恩を別の誰かに』それでいい。それでもいいんだ。


 『巡る恩返し』か。おお、なんか素敵かも。あとでメモしておこうっと。


 部屋に戻ると、旭くんからメッセージを受信していた。



【もうすぐ着くから】



 ……えっ?

 え、え、え!?


 頭の中が白くなる。つ……着く!? 『出る』じゃなくて、着く!? どういうことだ!? 慌てて時刻を確認するけど時計は六時十七分を示していた。


【どうやって来たの? どこに?】


 慌てて返信を打ち込んだ。送信。すると程なくして電話が鳴った。


「も、もしもしっ!」



 ◇



「着いたはいいけど……あんた、ここからどうすんの? バスの始発、まだまだみたいだけど」


 駅前のバス停の前で腕を組んで時刻表を見つめる場違いな派手な服装の女。身内と思われたくなくて一歩距離をとる。


「……ていうかどっち方面? 行先二箇所あるっぽいけど」


 訊ねられてしぶしぶその距離を縮めた。『天原天神前』行きと、『美音原中学校前』行きとがあるようだ。


「ぅぎあっ! やだやだやだっ! ヤモリっ! や、トカゲ!? むりむりむりむりだってばっ!」


 俺がバスの行先を眺めていた隣でそんな声がしたかと思えばギラギラにアートされた長い爪が俺の両腕にがっちりとくい込んだ。


てえわっ、力強すぎ! つーかなんだよ、トカゲくらいでっ!」


 いい歳して軽々しく抱きつくな! 人に見られなかったのは幸いだが二度とごめんだ。


 ああもう。とにかく早く着きたい。そして早くこの姉から解放されたい。でないと俺はいよいよストレスで死ぬ。


 行先の字面じづらを見た瞬間、なんとなく記憶に残っていた、りんごの部屋で見た例の封筒の送り元の住所の記憶と重なっていた。


「……行くぞ、ひより。『美音原中学校』でナビセットしてみて」


「は? なにその頼み方」


「……」


 こんな姉を持つ俺はつくづく不幸だ。


「オネガイシマス……」


 俺は、一体なんのためにこんなに必死になっているんだろう。まったく。



「あ。なんか学校ぽいの見えたよ、あれじゃない?」


「ん。たぶんそう。よし、じゃ降ろして」


「高級アイスバラエティパック」


「……え?」


「あとバラで期間限定の味も二種類ね」

「なんでだよ」


「は? うそ? まさか感謝、してないの?」

「……してる、けど」


 けど、まず最初に一万払ってるし散々お礼も言ったはずだが。その上道は間違えるわ何度も事故りかけるわ、それからプライベートな話まで洗いざらい吐かされ、挙句の果てには興味ない韓国アイドルグループの噂話までしつこく聞かされてこっちは一睡もできなかったというのに、か?


「ほんとはブランドバッグと新色のリップがほしいんだけ「わかった、アイス買う!」


「ふふん。交渉成立、ね」


「どう育ってそうなったんだ」

 絶対同じ親じゃない。


「じゃあ」とため息混じりに言いながらドアを開けると「旭」と呼び止められた。まだなんか言うのかよ。ろくな死に方しねーぞ。


「自分で決めなよ」


「! ……」


 なにも答えずにドアを閉めた。運転手はこちらにキモいウインクを飛ばすとやがてゆっくりと車を動かした。


 はあ、やっと解放された。とりあえず体内を浄化したくて深呼吸をひとつ。


 ……さて。


 まずはバス停があるという例の中学校らしい建物を目指して歩きながら、電話をかけることにした。すぐ近くのどこかにいると思われる、りんごに。


 画面を開くと、ちょうど向こうからのメッセージを受信したところだった。


 今なら通じる。


 返信は打たずにすぐに『発信』のボタンに触れた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る