第11話 終業式

 ◇



「春間、なんかあったっしょ?」


 俺の前の席に勝手に座って顔を覗き込んでくるウザ助。中学からの部活仲間の佐渡 幸助ゆきすけ


「なんも」


 顔も上げずに答えたがどうやら信じて貰えないらしい。


「嘘つけ。ばればれ、丸わかり。昨日の遅刻といい絶対おかしい。だいたいほらこれ、髪ボッサボサ。いつものカッコイイ春間クンはどうした。鏡も見て来なかったのかよ」


「うるさい」


楠木くすのきとなんかあったんだろ」


「……」


 これくらいは誰でも予想できることだし動揺することじゃない。だけど次の言葉はそうもいかなかった。


「ひひ、浮気確定?」


「……しらねーよ」


 苛ついて席を立つ。浮気といえばそうなのか。いやでもそれとは少し違う。


 りんごの本心は……どこにあるんだろう。昨日そこを確認しなかったことに今更気がついた。


「おしどり夫婦もついに破局か」


 なおも嬉しそうにニヤニヤしながらトイレにまで付いてくるウザ助を無視しながら用をたす。


「どう? 一緒に一年女子引っ掛けに行く?」


「……空気読めよ」


 無駄に陽気に親指を突き立てるバカに低く吐き捨ててまた廊下を歩く。


「で、浮気相手は? まさか部内?」


 懲りないゲス野郎に舌打ちをした。


「この話はもう終わり」


 こえーこえー、と言いつつそれでもニヤニヤしやがる不快な奴。言い合う間に教室に戻って来た。


「あれ……」


 あと一分ほどで始業のチャイムが鳴るというのにその席にその姿がなかった。ワンテンポ遅れて佐渡もそれに気づいたらしい。


「ん、おいおい、楠木いないじゃん。さすがにショック過ぎたんじゃね? ひー、おまえどんな振り方したんだよ」


 反論はせずにかかとで相手のつま先を潰す勢いで踏んで反撃をしておいた。佐渡は痛みに悶えている。


 それにしても、りんご。


 そういう行動は、正直、らしくない。



 ◇



 乗り慣れていない電車にそわそわ。方向は合ってる? 切符は足りてる? 


 渦巻く不安は車内の送風を浴びてごまかす。少し落ち着くと、制服のままで電車に乗ってしまったことに気がついた。まずいかな、どこかで着替えた方がいい?


 考えを巡らせる間に新幹線の駅に着いていた。最寄り駅から約20分で新幹線に乗れるなんて、便利なところに住んでるんだな、私たちって。


 改札を出る前にトイレに寄って持って来ていた普段着に着替えた。制服のスカート、カバンに押し込んだらシワになっちゃうかな、と心配したけどどうせ明日からは夏休み。あとでクリーニングに出しちゃえばいいや、と詰め込んだ。


 改札を出てから目についた小さな売店でペットボトルのお茶を一本買って新幹線乗り場へ向かった。駅って広いな。階段やエスカレーター、登ったり降りたり。それにしてもどうして一度下らせてからまた登らせるんだろう。プラマイで平坦にならないのかな、なにか理由があるの? 理由があるのならそれをどこかに書いておけばみんな納得するのに。


 みんな……じゃなくて私だけ?


 駅の中を歩く人たちはどの人も同じ顔、同じ速度で歩いているような気がした。無表情の早足。階段がどうとか、気にしているのは本当に私だけかも知れない。


 なんにも考えずに、ただ目的地へ足を向ける。喜びもなければ期待もない。もちろん夢なんてどこにもない。


 なんだか勝手におっかなくなって私も早足で進んだ。早く抜けよう、こんなところ。


 乗車券を無事に手に入れて乗り込んだ新幹線の車内は、駅とはまた雰囲気が違って人は疎らでゆったりとした空気だった。


 少しほっとして、窓際の座席に腰を下ろして外を眺めた。


 駅のホームに小さく人が見える。せかせか、無表情の早足で歩く人たち。人間って、変な生き物。みんな一体なにに縛られて生きているんだろう。


 もっと自由に生きればいいのに。


 発車した新幹線は、都会のビルの中を進んでいった。さっきの無表情の人たちは、ここに着くために急いでいたのかな。毎日毎日、同じことの繰り返し。なんのために、誰のために?


 ぼうっと考えるうちに、揺れのリズムで眠りに誘われていた──。


 小腹が空いて、目が覚めた。時刻は午前十時すぎ。目的の駅はまだまだ先だった。あーあ、学校サボっちゃったな、どうせ今日は終業式くらいだったけど。


 旭くん……お弁当、誰と食べるのかな。



 ◇



 メッセージ画面を開いて、文字を打ちかけ

削除してまた閉じる。今日何度目かのその行為。バカみたいに繰り返している自分に気がついて画面を黒くした。


 終業式。午前で学校は終わり部活開始までの時間、昼休憩だ。いつもはりんごと二人で食べていた。だけど今日は──


「おや。おひとり様ですか? よろしければワタクシたちとご一緒しませんか?」


 ニヤニヤしながら声を掛けてきたのはやはり佐渡、と、むさ苦しい部活仲間数名のグループ。


「しねーわ」


「意地張んなよ、独り身」

「おかえり! 勇者よ」

「いい夢見たな」

「勇者よ、俺がこの薬草で傷を癒してやろう!」「ぶは! レタスかよ!」「クレソンは」「おお、アイテムっぽい」「たは、バカだろ!」



 ええと。まずなんで俺が『勇者』なのかというと、まあ言うまでもなく〈あの人気者の〉楠木 りんごに告った、しかも成功した、という事実が魔王討伐に匹敵する功績と評価されてのことだ。アホだな。まったく。


 もしかしたら連絡が来るかも……なんてどこかで淡く期待していた俺はまだまだ甘ったれだ。部活が終わって日が暮れてから確認しても望む相手からの受信は一通もなかった。


 明日からは夏休み。学校が休みとなれば部活を辞めたりんごと会うことは叶わない。


 こっちから、会いに行くことを除けば。


 だけどそんなことは容易にはできない。昨日俺は、はっきりと言った。「二番手の恋愛はしたくない」と。それはつまり、『別れ話』と取られてもおかしくはない。


 だとしたら、俺たちはもう──


 その時ポケットの中の画面が振動して思考は急停止した。りんご。ひとつも疑うことなく俺は慌ててそれを取り出す。開いた画面に映る文字は、予想とは大きく違う内容だった。



【りんごたちのキャンプ

 旭くんも一緒?

 迷惑かけると思うけど

 よろしくね。   りんごの母より】



 夕闇の中光る画面を見つめて、俺は数秒固まった。そして頭が白くなった。


 なんだ、これは。

 りんごは、家にいないのか?


 とりあえず【大丈夫です】とだけ返信をした。内心は全然大丈夫なんかじゃない。今日何度目かのりんごに通じる画面を開いて今度こそ文字を打つ。


【今どこ?】


 真夏だというのに文字を打つ指は冷えて少し震えた。心臓は速く脈を打ち耳の奥でジンジンと響く。


 りんご。

 りんご。


 昨日のスーパーでの出来事を思い出して、少し悔いていた。


 なんでもっとちゃんとりんごの話を聞いてやれなかったのか。なんであんなに冷たく突き放してしまったのか。


 あいつは俺を心配して部活やバイトに行くなと言ってくれたのに。


 俺と別れたくないと言ってくれたのに。


 気づいたら発信ボタンに触れていた。コール音が鳴る。一回、二回、三回……


 四回目でそれは途切れた。

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