第6話 ちくり、痛い
本当のことを話さないと、きっと旭くんは納得しない。
だけど本当のことを話したら……私たちは、きっと今のままではいられない。そんなの嫌だ。今のままでいたい。壊したくない、手放したくない。
私は……強欲なのかな。
性悪なのかな。
魔性なのかな。
これって、浮気なのかな……?
「声も出さずに泣けるんだね」
「……えっ! ……あ、あれえ」
気づかなかったや、なんでかなあ、とかなんとか言いながら慌ててティッシュに手を伸ばす。するとその手を掴まれてぎゅう、と抱き寄せられた。「あ……と」
旭くんに、包まれた。力いっぱい、抱きしめられた。
「あ、旭くん……、苦しいよ、い、痛いってば」
「なんか……怖くて」
「ええ……?」
「りんごが俺の知らない人に思えて」
耳元で聴こえたそれは、これまで聞いたことのない、弱い声だった。旭くん……どうしたの?
「秘密とかは、あってもいいよ。人間だし。……でも『隠し事』は、嫌だよ。俺は」
どきん。
そう言うと旭くんはゆっくりその腕をほどいて私の顔をじっと見つめた。私は恥ずかしくなって、それから少し、後ろめたくて、視線を逸らせる。かあっと頬が熱くなった。
旭くんはそんな私の涙で濡れた頬ををそっと指で撫でて優しく訊ねた。
「なんで泣いてたの」
もう……逃げられない、ごまかせない。
でも、だけど、……。
「……ともだち」
私は旭くんからゆっくり離れてベッドの隅に小さく腰掛けた。旭くんも私の横に腰を下ろす。
「友達?」
そしてそう聞き返した。だからこくりと頷いた。頷きながら、必死で考えていた。彼にどう伝えようかを。
「幼稚園からの、文通友達がいて」
旭くんは驚いた顔をして「えっ、どういうこと?」とまた聞き返す。
「あたしね、転校生だったでしょ? この家が建ったから、中三が最後だったけど、それまでは結構あちこち転々としてて。それでいちばん最初に引越した時から、ずっと文通してる友達がいるんだよね」
「文通……なんでまた」
たしかに。便利な世の中になった今、わざわざ高い切手を買って手紙交換なんてやる意味はないような気もする。だけど幼き日から、字を学び始めたあの頃からずっとそれを続けてきた私たちには「このやりとりを違う形で」という選択はなかなかする気になれなかった。だから私たちはお互いの住所以外の連絡先を知らない。今どき、この歳になっても。
「その子が、ケガして手術、したらしくてね」
「えっ……」
「恋人とも、別れたばっかりみたいで、なんていうか、すごく落ち込んでるみたいで」
「それ……どこなの?」
その土地に住んでいた頃の記憶はほとんどない。なんとなくの曖昧な記憶と、うちにある僅かな写真と手紙の文面からのイメージ、あとは想像。
記憶も遠いその場所は、現実の距離もとても遠い。電車やバスを乗り継いでここからは約六時間ほどかかるらしい。
往復するのならたぶん数万円はかかる。どうやらかなりの田舎らしい。
「……なるほどね、りんごはそこに行くためにお金が貯めたかったの」
こくりと頷く。
ちくりと痛む。
「ケガ、そんなに悪そうなの?」
「……わかんない。けど部活はもうできないって。なんにもなくなった、って」
「けどさ、行ってもケガが治るわけじゃないし、それに幼稚園以来……」
会ってないんでしょ? と言う言葉を彼が飲み込んだのがわかった。私が、また泣いてしまっていたからだ。
「……わかったから、もう泣くなよ」
そう言ってまた抱き寄せてくれた。今度は、優しく。
ちくり、痛い。
いがいが、ちくちく。私の心の中で、真っ黒いウニみたいな形の悪いものが暴れている。
嘘はついてない。
だけど
本当を言ってない。
それが苦しくて、泣いているんだ。
私は、ずるくて、最低だ。
旭くんを見送ってから部屋に戻ると、ベッドにうつ伏せになって枕に顔をうずめた。
息を止めて、そのままでいる。苦しくなって、苦しくなりたくて、だけどああ、耐えられなくて「ぷは」と顔を横にずらした。
はあ、はあ、と荒く息をしながら、また涙がこぼれた。その雫は鼻の上、顔を横切ってやがて枕に吸い込まれた。いくつも、いくつも。
いつかは、ばれる。そして終わる。どちらかが終わる。
そうでなければならない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます