第3話 『って』ってなに?



「ん……いい匂い。お風呂入ってきたでしょ」


「シャワー浴びてきただけ。汗まみれだったから。……ちょ、あんま嗅ぐなよ、恥ずかしい」


「えっへへー、だっていい匂いなんだもん。くんくんくん」

「やーめーろー」


 午前中で部活が終わる土曜日はたまにこうして午後にデートをしていた。内容はだいたい近くのショッピングモールに行ってりんごの買い物に付き合いながらぶらぶら歩くだけというもの。


 服のような高額なものはさすがに無理だけど、軽食くらいなら俺が支払った。そのくらいは格好つけたい年頃。バイトはしていない。月五千円の小遣いでなんとかやりくりしている。


「ジグソーパズルがほしいんだよね」


 りんごのパスはいつも唐突だ。


「はあ? なんでまた」

「理由なんかないよ。欲しいもんは欲しい」

「欲望のままだな」


 呆れながらもちゃんと売り場を調べて連れて行ってやる俺もなかなか甘い。買える値段かどうかは置いておくとして。


「旭くんも一緒に作るんだよ。絶対参加だからね」

「はあ? なんでだよ」


「なんでって、前も手伝ってくれたじゃん」


「前はりんごの部屋中それで散らかってて見かねてつい……っていうかあの時のパズルはどうしたんだよ」


「え? あるよ? 壁に飾ってる」

「じゃあ新しいのなんていらないだろ」


「えっ、旭くんって子どもはひとりでいいとか言う派?」


「……はあ?」


 この彼女と会話をするのはなかなかに大変なことだ。


「旭くんとまた二人で作りたいんだよ」


 そこでこのセリフは反則だろ、一体なにを作るっていうんだよ。パズル、パズルだよな? 無自覚なのがまた恐ろしいところだ。


「小さいやつね」


「ええー、前より大きいのがやりたーい」


「実力を把握しろ!」


 結局そんな大物は気軽に手を出せる値段じゃないのもあって小さいパズルでなんとか納得してもらった。はあ。


 それでも凄く嬉しそうにふにゃふにゃと表情を緩めながら買ったジグソーパズルの入った袋を振るりんごを見ていると、悔しいがこちらまで幸福を感じずにはいられない。


 ちゃんと付き合ってやるよ、どうせひとりじゃ全然完成できないんだから。


「あたしね、部活辞めようと思うんだよね」


「へー。……え!?」


 不意を突かれた。そう。りんごという奴は唐突にこういうことを言ってくるんだ。


「ちょ……待って、そこ座ろう」


 慌てて通路の隅にあったベンチに寄った。当の本人は「ええ? 歩きながらでもいいのに」と言うがそんなわけにはいかない。思考が追いつくとともに心臓が速く脈を打った。手が冷えてゆく。


「や、辞めるって、なんで?」


「なんでって……なんとなくねえ」


 りんごは俺と目を合わせずに行き交う人をぼうっと眺めていた。その口が言う『なんとなく』という理由には真実がないように感じた。そうだろ、という俺の押付けかもしれないけど。


「……なんか、悩んでんの?」


 同じでたまるか、と思うがつい先日もこうして「部活辞めたい」という同学年の部員の話を聞いていた。その時も俺は相手にこの質問をしたんだ。その時相手は「そんなんじゃねーわ」と素っ気なく会話を切ってその場を去った。そして翌日、俺と顔を合わせる前に相手の退部届は提出されてしまった。


 あの時俺がもっとしつこく話を聞いていればあいつの未来は違ったのだろうか。俺がもっと頼もしい存在だったなら、あいつは俺に悩みを聞かせてくれたのだろうか。


 それとも俺には、どの道あいつを引き止めることなんか出来なかったのかも……。


「聞いてまーすかー!?」


「う……え?」


 聞いていたはずがない!


「旭くんこそなんかあったの? なんか暗ーいよ? 『沼の底』って感じ」


「……どんな感じだよ」

 せめて『どん底』とか……いや俺はどん底なんかじゃない。


「うん。とにかく部活は今月でおしまいにするよ。それで晴れてあたしはー、可愛いシュークリーム屋さんの店員さんってわけ!」


「シュ……はあ!?」


 恐ろしいほどに状況が掴めない。詳細を求めようとすると呆れた眼差しで見上げられた。自分で言うのもなんだがこれはなかなか珍しい図だ。


「やっぱ聞いてなかったね」


「う……ご、ごめんって」


「はあん? 『って』ってなに?」


「ええっ?」


「『ごめん』」


「す……すみませんでした」


 時々こういう最恐キャラになるのもまたりんごという人間の特徴……。いや、普段おとぼけキャラのりんごから急に「はあん?」などと言われたらどんな男でも目を丸くして固まると思う。


「べつにいいけどね。じゃあクレープ買って!」


「う……さっきアイス食ったばっかじゃ」「え?」

「さっき」「え?」

「……わかったよ、けど今日はそれで終わりね、半分こだぞ」


「やったあ!」


 怒りが静まったのがわかってほっと胸を撫で下ろした。まったく、無邪気で、お転婆で、自由奔放。けどそんなりんごが俺はやっぱり好きだった。


 美味うまい食い物や面白いゲームがあればそれだけで俺たち二人は幸せで、ずっとそのまま一緒にいられる、そう思っていた。それで充分、俺は幸せだったんだ。



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