第2話 ハルマくん

 りんごと出会ったのは中三の二学期のことだった。季節外れの転校生。中三の二学期なんて、もう部活も引退して中学生活も終わりが見えている頃だけど、明るく美人の彼女は男女問わず生徒教師問わずあっという間に人気となってすぐに学校に馴染んだ。


 そんなある意味で雲の上の存在、高嶺の花とも言える彼女と奇跡的によく話す仲になれたのは高校に入ってから。入った部活が同じサッカー部でついでにクラスも同じ。部活に関する事務的会話から始まったわけだが、相手の明るい性格も手伝って打ち解けるのにそう時間は要しなかった。


 話すようになったはじめからからりんごは俺のことを苗字である『春間はるま』ではなく名前の『あさひ』の方で呼んだ。


 もともと苗字が名前のような『ハルマ』という俺のことをわざわざ名前で呼ぼうという奴は部活の仲間にもクラスの友達にもほとんどおらず、りんごのその存在はしばしば周りからも「彼女?」「付き合ってんだろ?」などと勘違いされていた。


 あまりに茶化されるのでうんざりした俺はある時りんごに直接こう訊ねたことがあった。


「なあ、楠木くすのきってなんで俺のこと名前で呼ぶんだよ?」


 するとりんごは少し驚いた表情を見せた後、ふんわりと笑ってこう言った。


「『ハルマくん』はダメだよ、『アサヒくん』じゃないと」


 まったく意味がわからなかった。だけど単純でバカな俺は、どういうわけかそれですっかりりんごに落ちていた。


 りんごが落ちたんじゃなくて、りんごに落ちたんだ。なんだそれ、ニュートンもびっくりだよ、本当に。






 ◇◇◇


 りんごちゃんえ

 げんきですか?

 がっこうわはじまりましたか?

 ぼくわAぐみになりました

 りんごちゃんわなにぐみですか

 またおしえてね!


 ◇◇◇



 テスト勉強中に部屋の掃除をしていたら懐かしい手紙が出てきた。いい加減捨てないとダメかな。そう思いながら、結局は出来ないんだ。


 そっともとの古びたおまんじゅうの箱にしまって勉強机の引き出しに押し込む。


 はあ。なんだか模様替えもしたくなってきた。ああ、この壁飾りのジグソーパズルも見飽きたしそろそろ新しいのに変えたいな。


 去年旭くんと協力して完成させたジグソーパズルは当時ハマっていたユルい雰囲気のキャラクターたちが実写のお花畑の中でのびのびと遊び回っている絵。パステル調でこの部屋の雰囲気とはマッチしてるんだけどね。


 そうだなぁ。どうせなら次はもう一回り大きいのに挑戦してみるのもいいかも。でもあんまり大きいと完成できないか。ま、そしたらまた旭くんに頑張ってもらえばいいか。


 ……ん、あれ。なんかもっとしなきゃいけないことがあったような。なんだったかな。まあいいか。じゃあ『ジグソーパズル 人気』とかで検索してみようかな。今度のデートで見に行こうっと。


 画面を見ようとしたその時ちょうどメッセージを一通受信した。


「お。旭くんだ」

 すごーい。以心伝心? ふふ。



【明日の数学の範囲、ワーク何ページまでだっけ?】



 ん。


 スーガクノハンイ……。


 あ、あああしたてすとか。画面を見つめて固まった。




「それでわざわざ来たのかよ、こんな雨の中」


 梅雨空の下お気に入りの赤地水玉の派手傘を片手に旭くんの家まで走ったわけだった。この呆れた目で見下ろされるのは出会ってからたぶん千回は超えてるんじゃないかな、と思う。数えておけばよかった。


「だって赤点やだもん、部活のみんなにもバカがバレるし」


「世間体より学力の心配をしろ」


 言いながら「ここ違う」と私の回答を見て指摘してくる嫌なヤツ。


「わざとだよ」

「なんでだよ」


 ひと睨みして消しゴムでゴシゴシと消してから隣の正解だらけのワークの答えを盗み見る。当然すぐにばれるけど。


「カンニング禁止」

「あーケチ!」


「りんごが来ると俺は勉強がはかどらなくなるんだけど」


 シャーペンをいじりながら横目でこちらを見る旭くんはそこそこ秀才でテスト勉強なんか実際しなくてもいいのを私は知っている。


「やらしーい。襲わないでよねー?」


 大袈裟に身を守る体勢を見せてみた。


「……見くびるな。それでりんごが赤点取ったら俺のせいにされるんでしょ?」


「とうぜん」


「ごめんだね」


 言うとそっぽを向いて自分の数学のワークに集中し始めてしまった。ちぇ、つまんないヤツ。


「ねえじゃあ80点以上だったらなんかご褒美ください」


「ええー? ……90だな」


「ええー!? 無理だよそんなの、二十年に一回あるかないかだよ」


「何年高校行くつもり」


「小学校の時はいつも百点満点だったのになあ」


 消しゴムを厚紙ケースから出してまた入れながら思いを馳せる。上手く入らなくてケースの端が少し破れた。あーあ。


「ねえ旭くんは給食なにが好きだった?」


「はあ?」


 小学校の話と言えばこれっきゃないでしょ。


「私はサバの味噌煮!」


「えっ、意外と渋い」


「そうかなあ、すーっごく美味しかったんだよ、骨まで柔らかくてね、味噌ダレが甘ぁい感じの白味噌で、なんかもうこう、とろーっとしてて……絶品!」


 たぶんね、圧力鍋とかでギューウンって調理してんだよ。圧力鍋とか使ったことも見たこともないけど。いやでもあの柔らかさは絶対そう。


「んん……うまそうではあるけどね」


「で、旭くんは?」


「俺は定番の揚げパンかな」

「おっ、わかる! ていうか想像通り! 美味しいよねぇ、ああ食べたくなっちゃったぁ、サバの味噌煮!」

「今の流れなら揚げパンじゃないのかよ」

「んふふー、はいはい、揚げパンも食べたいねっ」


 結局この後旭くんにしごかれてなんとかギリギリで赤点は免れました。よかったです。感謝してます。本当に。




「ぐ……68点、っぷ」


「うごああ! 何見てんの!? プライベート! 親しき仲にもなんとやら!」


 慌てて返されたばかりの答案用紙を隠して拳を飛ばしたけど容易く受け流された。くそう、私が男だったら絶対鉄拳をお見舞いするのに。骨折必至だぞ旭コノヤロー。


「なあ、土曜の部活終わったらさ、どっか行かね? テストも終わったし久々に」


「え! じゃあ買い物! 買い物付き合って!」




 ◇◇◇


 ────

 そんなわけで、

 私の高校生活も順調です。

 そちらはどうですか?

 彼女と仲良くし


 ◇◇◇



 そこまで書いて便箋をぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に投げた。残念ながらふちに当たって弾かれた。


「はあ……」


 仕方なく立ち上がってそれを拾うとゴミ箱に向けていた手を止めた。


 丸めたそれをカサカサと開いて、眺める。


 いつからかレターセットは色もデザインもシンプルなものを選ぶようになっていた。昔は相手のことなんて考えずにお花柄やかわいいキャラクターのピンク色のものを使っていたけど、ある時そのハートだらけの便箋に違和感を覚えたんだ。


 あれは、いつのことだったかなあ。




 ◇◇◇


 はるくんへ♡

 げんきだよ。はるくんもげんきですか?

 わたしは1ねん3くみになりました。

 しょうがっこうはたのしいですか?

 はるくんのらんどせるは

 なにいろですか?


 ◇◇◇




「りーんーごー、手紙、来てるよー」


「あっ……はあーい!」


 階段を降りるとお母さんが一通の白い封筒を私に向かって振っていた。


遙真はるまくんからだよ。久しぶりだねえ」


「えっ、かしてっ!」


 奪うように受け取ると、バタバタと階段を駆け上がって部屋に戻り急いで開封した。




 ◇◇◇


 りんごちゃんへ。

 ────

 ────





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