5:屋敷の秘密

 夏岡は、盆明けに五日間の夏季休暇を取ることになった。これまできちんと休めないことが多かったので、この時だけは琴浦出張所にいて良かったと思った。その後で湯原も休暇を取得するという。

「所長もごゆっくりしてください」

 湯原は手を振った。

「私は琴浦病院に入院するんだ」

 夏岡が病名を訊くのをためらっていると、湯原はささやいた。

「癌や心臓病じゃないから安心してくれ。前立腺の病気だ。格好悪いから福間さんや他の人に言わないでくれよ」

 夏岡の休暇が終わって最初の出勤日に引継ぎを済ませると、そのまま湯原は病院に直行した。それからまもなく琴浦町で最も古い呉服店主の訃報が入ってきた。ハープ信販と昔からの付き合いがあるため、夏岡が葬儀に参列することになった。

 葬儀は翌日の正午から、いまどき珍しく自宅で執り行うとのことだ。その場所を福間に訊くと、古い商店街の奥の方だという。

「指定された駐車場が遠すぎますね。カブで行った方がいいですよ」

 礼服でカブに乗るのは抵抗があったし、車の入れない路地裏で、もしかしたら新しい店が見つかるかもしれない。夏岡は徒歩で行こうと決めた。

 福間は済まなさそうに言う。

「明日は家の用事があるので、午後から帰らせてもらうことになっているんですが、いいですかね」

「問題ないですよ。電話は、僕の社用携帯に転送できるようにしておいてくださいね」

「ありがとうございます。では香典は今日中に用意しておきますね」


 その日は四時前に創業者の屋敷に向かった。慣れてくると水撒きも苦にならなくなっていた。誰かに見られている感覚は多少はあるが、監視カメラだと思うと気にならなくなった。

「あれ、おかしいな」

 門扉は解錠されていた。誰かが中にいるのだろうか。夏岡は胸騒ぎを覚え、おそるおそる庭に入った。すると突然、屋敷の玄関の引き戸が音もなく開き、黒い着物に白い帯を締めた高齢の男が姿を見せ、棒立ちになった夏岡の方に近寄ってくる。

 その男は夏岡より背が高く、痩せてはいるが肩幅は広く頑丈そうな身体つきだった。髪は短く刈り上げられ、頬骨は高く眼窩は深く、唇はへの字の形になるほど固く結ばれている。

 夏岡は恐怖を覚えていた。社内報で見たことのある創業者にそっくりだったからだ。やはり彼は生きていたのか。

 男は夏岡の前で立ち止まると、低い誰何の声を発した。

「どなたですか」

 その迫力に夏岡は、おのずと直立不動になった。

「ハープ信販琴浦営業所の夏岡修司と申します。庭に水をやりに参りました」

 男は、わずかに相好を崩した。

「私は沓上宗像くつがみむなかたといいます。あなたの会社の顧問をしておる」

 その名を夏岡は知っていた。創業者の長男でハープ信販の取締役だったが、狷介な性格で他人に頭を下げるのを好まないため、後継者となることを辞退した。しかし今でもハープ信販の大株主で、経営に多大な影響力を及ぼしているらしい。これまで家に人の気配を感じたのは、彼が中にいたからだろうか。

 しかし立ち入ったことは口にできず、夏岡は深々とお辞儀した後、長いホースを手に取り散水を始めた。沓上は家の中に戻ったが、夏岡が作業を終えると再び庭に現れ、夏岡に保冷袋を差し出した。

「中に冷えたビールが入っているから、帰ってお飲みなさい」

 会話ができる好機だと夏岡は思った。

「こちらには、よくお見えになるのですか」

「先月は来ていない。今月に入って二度めだ。難しい決断をしないといけない時、私はここで親父と相談するんだよ」

 沓上は平然と言ったが、夏岡の表情は凍りついた。それを目にした沓上は穏やかな口調になった。

「びっくりしたかな。親父は本当は、ここを離れたくなかったんだよ。親父は亡くなったが、その意志はこの屋敷と一体になって在るんだよ」

 沓上はそれだけ言うと、踵を返した。夏岡は、心にも身体にも震えが走るのを感じていた。


 

 


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