4:創業家の墓掃除

 その日は夜になっても夏岡の意識は、創業家の屋敷で味わった、誰かに見られている感覚に何となく囚われたままだった。けれども晩酌をし、スマホで妻と話し子供の顔を見ると、それが馬鹿馬鹿しく思えてきた。実は家の中に監視カメラがあり、庭を撮影していただけではないか。その気配を神経が過剰に感じ取り、脳が思い切り歪んだ解釈をしていたのだろう。

 翌日、湯原と夏岡は業務の分担について話し合った。夏岡は、主に新規加盟店の開拓をさせてほしいと申し出た。湯原は快く了承してくれた。

「私も前任者も町内をくまなく回っているが、知らない内に開店した店もあろうから可能性はゼロじゃないよ」

 湯原は、その日は町外れのガソリンスタンドにクレジットカードの募集に行くという。週に一件の申し込みがあればいいほうだと笑った。一台しかない社用車を湯原に譲り、夏岡は社用のカブで出発した。

 新しい店は何軒かあったが、すべて全国チェーン店か廉価品を扱う店ばかりだった。一応は顔を覗かせたものの冷淡に扱われ、夏岡は自分の甘さを思い知らされた。

 夏岡は気分転換に、湯原のいるガソリンスタンドに立ち寄ってみることにした。風通しの悪い場所で、背中に社名が染め抜かれたオレンジ色のポロシャツを着て彼は立っていた。

「夏岡君、どうした。撤退か」

 夏岡は頭をかいた。

「一時休戦です。所長も大変でしょう」

「慣れたものだよ。若いころは、こんなことばかりしてたからね」

 そこから自然と湯原の身の上話になった。十年ほど前は本社経営企画室の副室長をしていたと聞いて、夏岡は驚いた。そこはエリートが集まる職場だったからだ。今の彼の境遇からは信じられないことだった。

 湯原は語った。

「経営会議で琴浦出張所の廃止を強く主張したのが、運の尽きだった。創業家をないがしろにするつもりかと今の人事部長に怒鳴られたよ。あの部長は口先だけだろうが、忠誠心がモットーだからね。それからどさ回りが始まった。退職することも考えたが、それなりの給料でおっさんを雇ってくれる会社は、そうそうないよ。その内に病気をするようになってね。転職は諦めた」

 琴浦出張所に着任してからも、屋敷での作業中にぎっくり腰になったと笑った。

「だから夏岡君が来てくれて心強い。しかし当社も意地が悪いよなあ。出張所の廃止をもくろんだ人間に所長をさせるんだから」

 夏岡は気の利いた返答ができなかった。

「それはそれは」

 湯原は空を見上げた。飛行機雲を見ているようだ。

「でも定年まで二年を切ったから、最後まで走り抜けそうだ。君も腐らないようにしろよ」

 うなずいた夏岡の肩を、湯原はぽんと叩いた。

「来週の水曜日は、いよいよ墓掃除に行こう。創業家の方々がお盆には墓参りに来られる。その前にきれいにしておかないとね」


 琴浦出張所に着任して最初の土日に、夏岡は宝塚の自宅に帰った。妻の真知子は仕事のかたわら子育てと家事をこなすのに、早くも疲れているようだ。

「ねえ、早く戻れるようにして」

「それは無理だよ。少なくとも半年はかかる。退職すれば別だけど」

「早まったことだけはしないでね」

「わかってるよ」

 いつも夫婦でそんな会話をしているなと思いつつ、夏岡は湯原とともに創業者の屋敷から続く細い道を上った。墓所は丘の頂上に近い林の中にあった。学校の教室くらいの広さは優にあるだろう。草はほとんど生えていないが、折れた枝と落ち葉がうず高く積みあがっている。それを掃き集め、ポリ袋に入れて持ち帰るのだ。

 夏岡はうめいた。

「これは、けっこう大変ですね」

 湯原も呆然としていた。

「先月末の豪雨のせいだが、予想以上だな」

 それでもやぶ蚊を追い払いながら黙々と作業を進め、墓石をスポンジで拭く工程に入った。湯原はかなり疲れているようで時折、手を止めている。

「所長、お休みください。後は僕がやりますから」

 そうは言ったものの、夏岡はこれを毎月一回するのかとうんざりしていた。湯原は夏岡の勧めには、すぐには応じようとしなかった。

「創業者の墓だけは、私がするよ」

 その墓は他のものよりひときわ大きかった。湯原は、その墓石を磨き上げることにこだわりを持っているようだ。夏岡は理由を訊ねた。

「会社にとって神様みたいな方だからね。きちんとしておくと、いいことがあるような気がするじゃないか」

「何かお願い事をされているんですか」

「若い人が、理不尽な仕打ちを受けることのない会社にしてくださいと祈ってる」

 湯原は自分の苦い経験から、心底そう思っているのだろう。けれども願い空しく、夏岡は理由がわからないまま琴浦出張所への異動という仕打ちを受けている。それを言おうとしたが、湯原への揶揄になると気づき、慌てて口を閉じた。




 


 




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