第4話 弱肉強食の世界

 今日のチョコファミリーは朝から慌ただしい。初めて仕事を教える事になったゴマとケマ。まだまだ身体も小さく、仕事が出来るか不安にさせる6匹の新米蟻たち。チョコファミリーの働き蟻を支えるジジ……老蟻アロン。今も若き蟻達に色々と教えている。幼い子供達の初仕事を心配そうに見つめる女王蟻のチョコ。ソワソワと落ち着かない。


 そして外は今、強い日差しに乾いた強い風が吹く、皐月晴れの季節になっていた。公園の虫達は3~4月に大半が冬眠から覚め、餌を巡って弱肉強食の世界が繰り広げられている。そんな中、いまだ冬眠から覚めず眠り続ける虫も少なく無い。


 林エリア。とある虫が目を覚ますと、付近の虫達が一様にざわついた。二年前にこの公園を納めたカブトムシ「クッキー」の息子「モンブラン」だ。だがモンブランの体はまだサナギ。成体になるには後一年の月日が必要になる。アスと関わるのはまだまだ先の話だ。


 そして花畑エリア。チョコファミリーから最も近い場所にある蟻の巣、時を同じく目を覚まし、過去の復讐を狙うファミリーがいた……。


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 タンポポの葉がそよそよと風に揺られ、葉の下に隠れていた蟻の巣があらわになった。巣の穴から5匹の蟻がぞろぞろ出てくると、そのうちの幼い3匹の蟻は初めての太陽の光と、心地よい風に身体をプルプルと震わせていた。


「外って明るいんだなー」


気持ち良さそうに身体を伸ばすオテモ。


「ホントだね何だかドキドキしてきた」

「なーに言ってんだよ、さっきまで怖がって外に出たくないとか言ってたのは何処の誰だよ」


 シシャモの言葉にヤンが反論していると、楽しそうな3匹にゴマがクスクスと笑った。すると突然、ケマの触角はピンと立ち身構えた。


「じゃれている場合じゃない、何か来るぞ!」


 オテモ達はケマが目を向けた先を見るが、いくつかの花が風になびくだけで何も見当たらない。そして、突然ケマを中心に大きな影が出来ると、ケマはとっさに横へ跳んだ。


 ケマのいた場所に突然何かが降って来ると、辺りに砂煙が立ち込めた。よく見ると、ケマの10倍もの大きさをした緑色の生物がそこに現れた。跳躍に必要なバネのような筋肉質な足に背中には大きな羽。オテモ達は初めて見るその巨大な生物に、ただア然としていた。


「何してるの!! 散って!」


 ゴマが叫ぶと、オテモとヤンは今やるべきことを瞬時に悟り動きだした。ゴマは状況を把握しようと周りを見た。現れた生物はバッタ……おそらく自分達を捕食しに襲ってきたのだろう。キョロキョロと自分達を探している。


「バッタ相手にこの数じゃ無理ね、うまく皆を逃がさないと」


 ゴマは次にケマを見た。避けたあと体制を立て直している。彼女なら自分で何とかするだろう。オテモとヤンはうまく散った。シシャモは……恐怖で動けないみたい。ゴマはまず、シシャモに駆け寄り体を口でくわえると、巣の中へ放り投げた。

次は……。


「いてっいてっいてっ!!」


 ゴマが声のする方を見ると、ケマがバッタの頭の上に乗り噛み付いていて、捕食者のバッタの方が悲鳴を上げていた。


「くそっ止めろっ! おとなしく俺に食われろ!!」


 バッタはもがきながら文句を言っているが、上に居るケマは何故か嬉しそう。


「離すものか、バッタは私の大好物だ」

「フトシみたい……」


 ケマの言葉にゴマは呆れていた。


「ていっ」


 掛け声と共にタンポポの葉の先端から一匹の蟻がバッタの頭に向かって跳躍する。


 ヒュー……ポトッ!


 未発達の脚にそんな力は無く、オテモは真下に落下してしまった。


「いてて……そんなにカッコよくはいかないか」


 落下したオテモがバッタの視界に入ると、それに気付いたゴマは焦りの色を見せた。


「オテモ、何で逃げないの!?」

「馬鹿な奴だな俺に食われに来たのか?」


 バッタの標的がオテモになった事に気付いたケマは、噛み付いたまま素早く身体を反転させてバッタの目の上に身体を載せると、すうっと息を吸い込み……。


 ブシャァッ!!


 ケマの胸から何かが噴射されると、バッタの目にいくつもの泡が発生して大きな雄叫びをあげて暴れ始めた。


「い……いてぇ!! 何しやがる!」


 ケマは大きく暴れるバッタに必死でしがみつくが、勢いよく振り落とされてしまう。


「くそっ! 覚えとけよ、次は食べてやるからな!」


 バッタは真っ赤になった目を押さえながら叫ぶと、ピョンと跳んで何処かヘ行てしまった。


 ゴマは倒れているケマに慌てて近寄り、声をかけた。


「ケマ、大丈夫!?」

「だ……大丈夫だ……問題ない……」


 強がってはいるが、明らかに大丈夫では無い。そして倒れているケマの元にオテモが近寄る。


「カッコイイー!! あの技どうやってやるんですか!?」


 オテモが目を輝かせて聞くとゴマがそれに答えた。


「あれは蟻酸(ギサン)って言うのよ」


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「ギサン?」

「そうだ蟻酸だ、土の中ではカビや細菌が繁殖しやすい、蟻酸をかける事で消毒するんだ」


そこはチョコファミリーの育児室。アロンが3匹の幼蟻に仕事についての説明をしていたところだ。アロンの言葉にアス・モグが頷くと、フトシはさも関係無さそうに言う。


「スイーパーって大変だね。そんな事も覚えなきゃならないんだ?」

「スイーパーだけじゃ無い。全員に覚えてもらう事になる。蟻酸は強力な武器にもなるから、外で外敵と戦うハンターや巣を守るガードには必要だろう?」

「じゃあ何故、全員が居るときに教えなかったのさ?」

「蟻酸を大量に放出すると体力を大幅に消耗してしまう。幼い身体で行うと命に関わるんだ。だから仕事をこなしながら少しずつ覚えてくれれば良い」


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花と花の間を素早い動きで避け走り抜ける幼い蟻。


「ハァッハァッ! 此処まで逃げれば大丈夫だろ……」


 息を切らせるヤンは、ちょっとした恐怖の為かドキドキしていた。だが、それよりも初めて思いっきり走った事が気持ち良さそうだ。


「つか適当に走って来ちゃったけど帰れるかな?」

「オーイ、そこの蟻。ちょっとこっちに来てくれー!」


 突然、後ろから大きな声がすると、何事かと振り返る。するとそこにはヤンより少し大きめの蟻が2匹、にこやかに前足を振っていた。


「ん? なんだお前ら、やんのか?」


 まだ外敵について詳しく教えられていないヤンだが、元々のひねくれた性格から敵対心を出す。が、この対応は概ね正しい。外界において自分のファミリー以外はほぼ敵であり、仲のよくなる事は稀である。この場に居合わせたのがヤン以外の幼い蟻5匹なら油断していただろう。


「ちっ! ガキだから油断させてこいつで仕留められると思ったのによ」


 そう言うと、1匹の蟻のお尻から鋭い針が生えて来ると、怒りの顔へ変わっていく。この種はハリアリと呼ばれ、お尻に毒針を持ち、攻撃性が高い。クロナガアリと大きさはほぼ同じだが、ヤンはまだまだ子供。明らかに分が悪い。


「何なんだよお前ら! 何か文句有るんか」

 

 虚勢(きょせい)を張るヤンに対し、ハリアリはお尻を頭の上に反(のけぞ)らせると毒針を向けて攻撃体制に入った。


「文句有るに決まってんだろ! お前、クロナガのファミリーだろ? 去年散々苦い思いをさせられたんだ。仕返しして何が悪い!」

「はぁ!? 生まれる前の事なんて知るかよ! ……ん? まてよ、確かピンチの時は何とかってジジイが言ってなかったか?」


【危険になったらヘルプフェロモンを出せばファミリーが駆け付ける】


「そうだヘルプを出せば……って、フェロモンの出し方なんて知らねぇよ! ジジイ……肝心な所を教えろよ!」


「何をブツブツ言ってやがんだ、観念しな」


ヤンが考えていた間にハリアリの一匹が後ろに回り込み、前後を挟まれる形になってしまった。


「くそっ!!」


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「ん?」


言ったのはアロン。触角がピンと立ち、その先端は明らかに部屋の入口の方を指していた。


「どうしたのアロン?」


怖い顔をしているアロンにモグが聞く。


「……いや何でもない、それより仕事の内容は分かったな、始めてくれ」

「はい!」


 元気に答える三匹の幼蟻達、アロンはニコリと笑うと部屋から出て行った。アス・モグ・フトシはそれぞれ動き出す。


 アスに与えられた仕事は巣の中の掃除。モグは女王の身の回りの世話。フトシは巣の中心、大広間で見張りだ。


 大広間は巣の入り口や各部屋への通路も有る為、見張りをするには最適なのだ。

フトシが大広間に着くと、入り口付近で誰かが寝ている。何事かとフトシが見ると、そこには目を回して倒れているシシャモがいた。


「こんな所で何サボってんのさ?」


フトシは言いながら顔をペシペシ叩いた。


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 掃除の仕事を与えられたアスは育児室にいた。生まれてから殆どの時間をこの部屋で暮らしているので見慣れた空間だ。


「……はぁ」


 小さくため息をつくと、育児室に落ちている食べカスを集め始める。巣の中のゴミは全て大広間の隅に捨てる事になっている。集めたゴミを運びながらアスはふと思う、集められたゴミはずっと貯まっていて汚い上にかなり臭い。


「捨てに行くべきだよな、うん」


 外に出る口実を思いついたとたん足取りが軽くなる。アスが大広間に着くとフトシがシシャモの顔を叩いている。気になって二匹に近寄り声をかけた。


「フトシ何してんの?」

「あっ! アス良いところに、シシャモの奴、仕事サボって寝てるんだよ」


 と言うとシシャモの顔をまたペシペシ叩く。


「うっ、うぅーん」


 顔を強張らせながらも目は少しづつ開いていく。


「あれ? 僕どうしたんだろ?」


 シシャモがキョロキョロと辺りを見回していると、巣の出入口の方から声がする。


「ごめんなさい、私が巣穴に放り投げたの」


 その場に居た3匹が出入口の方を見るとケマを抱えたゴマとオテモが入って来た。


「ごめんねシシャモ。助けるにはそうするしか無かったの。顔をこんなに腫らしちゃって」


 そう言うとゴマはシシャモの頬に触れる。心配そうに見つめる瞳にシシャモは顔を赤くして思う、女王に似ていると。元々、体のサイズは女王より遥かに小さいゴマだが雰囲気がそっくりなのだ。


「た……確かに顔はヒリヒリするんですけど、だ……大丈夫です」


 顔がヒリヒリするのはフトシが叩いたからなのだが、当人は何事も無かったかの様に目を逸らした。シシャモは思った。ゴマが助けてくれなかったら、自分は食べられていたかも知れない……。またあんな怪物が現れたら、怖いけど次は命を掛けて戦おうと。


「あれ? ヤンは?」


 アスの言葉にフトシも疑問に思うと、ゴマが答えた。


「敵から逃げてそれっきりなの。すぐに探しに行かなきゃ。さっきのバッタに襲われたら大変だもの」

「それだけじゃ無い。この時期は近くのハリアリのファミリーも目覚める頃だ。あいつらは獰猛な種だから気をつけろ」


 体の痛みに表情を歪ませながら言うケマの言葉に、アスは外の世界の危険を知る。弱肉強食を知るにはまだ幼いが、昆虫に生まれたからには避けては通れない世界だ。


「オテモ、シシャモついてきて」

「こ……今度は僕も戦うから!」


 ゴマの言葉に震えながら答えたシシャモに、ゴマはクスリと笑って答えた。


「無理しないで。危険そうならみんなで逃げれば良いんだから」


 巣から出たゴマ達はまず、巣の辺りを手分けして探すが、ヤンは見当たらない。

どうやら近場には居ないみたいだ……。ゴマはケマの言っていた事が気になり、オテモ、シシャモを連れてハリアリの巣の方へ向かった。


「ハリアリって、そんなに危ない奴らなの?」


 シシャモが不安そうに聞くとゴマはコクリと頷き言う。


「そうね。奴らはお尻に毒針を持っていて、刺されたら全身に毒が回って死んでしまうかもしれないわ」


 喋りながら次第にゴマは怒りとも悲しみとも言えそうな表情を浮かべ、言葉を続ける。


「去年、あいつらに仲間を沢山殺されたの。いつか決着をつけるわ!」


 ゴマの気迫にオテモは唾液を飲み込む。シシャモは明らかに怖がっている。と、オテモは進行方向の右側、少し離れた場所に蟻を見つける。


「いた! あれヤンかも!」


 ゴマも言われて気付き、向かうと……。そこにはハリアリの死体が2体転がっていた。生暖かい風にユラユラと触角をなびかせ、地に伏すハリアリ。もう一方の死体は触角は無く頭ごと溶けてただれている。仇の死体では有るが、無惨な姿に可哀相と感じてしまうゴマ。ふとヤンがやったのではと考えたが、死体に残された歯型は明らかにヤンの口のサイズより大きい。そして始めて見る死体に身体を震わせるシシャモだが、かろうじて口が開いた。


「こ……これ、ヤンがやったのかな……」

「ヤンにこんな事出来る訳無いだろ。きっと他の虫に襲われたんじゃないか?」


 オテモが否定の言葉を返すと、頭上から声がしてくる。


「ぷっはー、うめぇなー!」


 三匹が見上げると、すぐ側に有るタンポポの茎に赤い虫が張り付いていた。

丸くて真っ赤な背中に七つの黒い玉模様。ゴマより少し大きいその虫は、何かを食べている様だ。


「そこのテントウムシさーん、聞きたい事が有るんですけどー」


 ゴマが下から大きな声で聞くと、テントウムシはちょっと怒った様な表情をして答えた。


「何だいオメエら! さてはオイラの大好物のアブラムシを横取りしようってんだなー! それにだ! オィラァただのテントウムシじゃねぇ!! ナナホシテントウのビン様だ! 分かったら邪魔するなぃ!」


 と言うとビンは背中を向けて自慢の七ツ星をフリフリと見せびらかす。

ビンの濃いキャラにア然とする三匹だが、ゴマは顔をブルブルと降ると、構わず話し始めた。


「ビンさん食事中にすいません。この子達と同じ位の大きさのクロナガアリを見ませんでしたか?」


 ゴマの質問にビンは目を大きく見開くと食べていたアブラムシを投げ捨て、タンポポの茎から降りてくる。


 ビンが3匹の前に立つと、食べカスを飛ばしながら話し始めた。


「おう! 見たよ見たよ! ちっこいアリンコがよ、ここでくたばってるハリアリ達に襲われててよ!」

「それでヤンはどうなったの!?」


不安そうに聞くオテモにビンは話しを続ける。


「あのアリンコ、ヤンってぇのか? 襲われてイヤーンなんてな、でよでよ何度か噛みつかれてヤバいって時によ! 1匹の蟻が助けに来たのよ! オィラァ、ビックラしたね。突然現れたかと思ぃやぁ、あっちゅーまに2匹のハリアリを殺しちまったんだからよ。あの強さは鬼かと思ったよ。あれだけ強けりゃー石を集め…」


 しゃべり出したら止まらないビンに困る3匹だが、ここでの出来事は概(おおむ)ね分かった。そしてまだ話し続けるビンにオテモが聞く。


「あ……あのすいません。その後ヤンはどうなったんですか?」

「イヤーンなアリンコな! その鬼みたいに強い蟻に連れてかれちまったよ! 多分あれぁクロヤマアリだな! しかもクロヤマにしちゃでっけーし強えーから兵隊蟻かもしれねーな、それとも山エリアで幅きかせてる黒山盗賊団かもしれねーし…………」

「ありがとうビンさん。よーく判ったわ。オテモ、シシャモ、一旦巣に戻って考えましょう。いつまでもハリアリのナワバリに居るのは危険だわ」

オテモとシシャモはコクリと頷く。

「よう、ねーちゃん。次来るときゃー、食い物持ってこいよー」


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


 一方その頃、チョコファミリーでは……。


 今は使われていない育児室の隅で療養の為に眠るケマ。痛みも忘れて「私のバッタ! 食べたい」と嬉しそうに寝言を言っていた。


 大広間の出入口では大きなイビキをかいて昼寝をするフトシ。そしてゴミを口にくわえ、寝ているフトシを横目に外へと向かうアス。


 アスが外への通路を歩いていると、目の前に見た事の無い光が差し込む。体中がじんわりと暖かく気持ち良くて、外に出たい衝動を抑え切れず、捨てるはずのゴミを放り投げ、勢いよく外へと走る。


 すると……、外の光を遮る様に蟻の影が現れ、ぶつかる寸前の所で立ち止まる。

そこに現れたのはヤンを抱えたアロンだった。ヤンを見ると痛々しい傷口から緑の血がドロドロと出ている。


「どうしたのヤン!?」


 アスは大きな声で聞くが、ヤンは微かに出せる声でうめき声をあげるだけだった。アロンは慌てつつもアスに答えた。


「すぐそこに倒れていた。傷痕からすると外敵に襲われたみたいだ。アス、運ぶのを手伝ってくれ」

「わ……分かった!」


 傷だらけのヤンは、アロンとアスによってすぐに育児室へ運ばれる。すぐ横でケマがやけに笑顔で眠っているが放置する。同じく昼寝をしていたフトシは何事かと目覚め、ヤンの様子を心配そうに見た。そして痛々しくうめき声をあげるヤンを見て、悲しそうに俯(うつむ)いたアス。


「アロン、ヤンは大丈夫かな?」

「分からん。ここまでのダメージを受けていては、この幼い体で耐えられるかどうか」


 何も出来ない苛立ちとヤンをこんな目に合わせた敵が分からないもどかしさ……アスの瞳に涙が浮かぶ。


「な……なに泣いてんだよ……気持ち……わりぃ……」


 微かな声で絞り出す様に言うヤン。虚勢である事は分かってはいたが、その場に居る三匹を安心させるには十分なもので有った。


「ヤン!!」


 まだまだ大丈夫だとは言えない事は分かっているが、ヤンの見せた余裕に喜びを隠せず名前を叫ぶアス。


「わ…悪りぃ。少し…休ませてくれ。治ったら……ハンター復帰……す、するからよ……」

「分かった、ゆっくり休めよ。治ったらたっぷり働いてもらうがな」


 アロンの答えに安心したのかヤンは少し笑ってみせ、静かに目を閉じた。

少しして、ゴマ・オテモ・シシャモの3匹が帰って来ると、育児室で眠るヤンの症状を見て一様にショックを受けている。そしてゴマはふと疑問に思う。


「アロン、ヤンはこの傷でどうやって帰って来たの?」


 ゴマの質問に対し、アロンはヤンを見たまま振り向かずに答える。


「巣のすぐ近くに倒れていた。俺が見つけて運んで来たんだ」

「そう……でもおかしいわね……」


 ゴマは疑問を口にするが、とりあえずは自分達が外で聞いた情報をアロン達に伝えた。ヤンがハリアリに襲われていた事。何処かのクロヤマアリによって助けられた事。その後その蟻によってヤンが連れてかれた事を。


「それって要するに、助けたクロヤマアリがヤンを巣まで運んでくれたって事じゃないの?」


 オテモが結論を出そうとするが、ゴマは顔色を変えず応える。


「そうね……でも傷だらけのヤンをわざわざ運んでくれた方が巣の外に放置するかしら……。それと、ハリアリの奴等きっと過去の復讐を企んでるに違いないわ」


 シシャモは「復讐」という言葉に体を震わせる。そしてアロンはハァとため息をついて。


「ハリアリとは巣が近いが為に餌場を巡って争ってきたからな。……そろそろ決着を付けたがっているのかもな」


 アロンの言葉に目を伏せたままシシャモが応える。


「ハ…ハリアリが冬眠する頃に餌集めした方が安全じゃ無いかな…?」


 アロンはシシャモの言葉に静かに答える。


「そうだな。それが出来れば安全で良いが、この巣に残された餌は少ない……。長い冬を越す為に去年集めた餌はほとんど尽きた。餌が無くては女王も子供を産めずハリアリに対抗する術も無くなる……。そして我等は滅ぶだろうな」


 アロンはワザと脅すつもりで言っている訳ではない。今の現状を幼いアリ達に伝えているのだ。そして言葉を続けた。


「本来なら……、お前達にハンターを任せるのはまだまだ早い……。しかし、ハンター2匹だけで女王様と働きアリ9匹の餌を集めていては餌はすぐに底を付いてしまうのだ」


 オテモはうんうんと頷いきながら応えた。


「まかせて下さい! 怪我したヤンやケマさんの分まで僕が頑張りますから!!」

「ふふっ、頼もしいわね」


 部屋の入口から聞こえた心地よい声にオテモが振り向くと、そこには女王とモグが居た。


「女王様!!」


 オテモとシシャモの声が重なると、全員がモグの抱えているものに注目する。

そこには1ミリにも満たないとても小さな卵が2つ有った。アロンは女王に駆け寄り。


「お産まれになったのですね、おめでとうございます」


と言うと、オテモ・シシャモ・アス・フトシの4匹は始めて目の当たりにする卵に、瞳を輝かせる。ふと、女王がヤンに目をやると、途端に表情を曇らせ、誰にも聞こえない小さな声で呟いた。


「子供達の怪我や死って何度も目の当たりにしてきたけど……、慣れないものね……」


 そして直ぐに顔を上げ、真剣な表情を作ると口を開く。


「モグ、悪いけど卵を卵部屋に運んで貰える?」

「は、はい女王様」 


 モグが部屋を出ると、アス達も卵を追うように部屋から出ようとする。


「あなた達は少しの間、この部屋で待ってて貰える?」


 女王に呼び止められた4匹が部屋へ戻ると、入れ違う様にアロンと女王が部屋から出ていった。


「な……なぁアス、卵って明日にでも羽化するのかな」


 オテモは産まれてくる蟻を早く見たいのだろう。ソワソワと落ち着かない。そしてアスは思い出して言う。


「アロンから聞いたんだけど、卵が産まれてから羽化するまでには40回位夜を超さなきゃいけないみたいだよ」


「40回位て事は、一ヶ月ちょっとか……、楽しみだなー」


 楽しそうなオテモにフトシが思い出して言う。


「オテモは6匹の中で1番最初に産まれたんだから卵見たでしょー?」

「え? そんな小さい頃の事は覚えて無いよ」

「羽化する所見てみたいよね」


 とシシャモが言うと、フトシが茶化す様に答えた。


「シシャモが頑張って餌をとって来ないと、新しく産まれてくる子は育たないね」


 ニヤリと笑うフトシに苦笑するシシャモ。会話を聞いているゴマはクスクスと笑っている。 女王を待っている間中、5匹は卵の話題で盛り上がっていた。


 …少しして、アロンと女王が育児室に戻る。そして女王がアス達の前に立つと。


「アロンから事の成り行きは聞きました。ヤンが怪我の間はハンターの代行を選出します」


女王の言葉を聞いた途端、アスの目は見開き触角が立つ。


「女王様! ヤンの代わりは僕がやります!」


 アスが嬉しそうに言うと女王は申し訳無さそうに答えた。


「ごめんなさいアス、ハンター代行はフトシにやってもらうわ」

「そ……そんなぁ……」


 さっきまでピンと立っていた触角は、床につきそうなほどダラリと下がり、アスはうなだれる。アロンがアスの横に来て背中をポンと叩く。


「お前にはお前の仕事が有る。あまり他を羨(うらや)むな」


 淡い期待を裏切られ落胆するアス。そしてフトシは突然の任命も驚くそぶりを見せず「なんとかなるか」と適当に考えている。そして…、外の世界は既に空が茜色に染まり、昼間のみ活動をする虫達は外敵から隠れる様に巣へと帰ってゆく。


 チョコファミリーの幼い蟻達の初仕事は、トラブルによって始まり、新しい命の誕生によって終わる…。

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