第5話 2匹の来訪者

 公園……『パーク』が闇に包まれると、息吹く者たちは昼間と全くの異質となる。


 巣を持った小さな生き物達は外の闇を恐れて内の闇へ篭り、巣を持たぬ大きな生き物達は闇に紛れ獲物を探す。一部の花達も太陽の当たらないその時を、顔を塞いで光を待つ。


 そして…虫たちの一番の天敵とも言える『ニンゲン』が最も現れなくなるのもこの間だ。


 もし、現れたところで虫たちは闇に隠れ『ニンゲン』の目にはとまらないだろう。


 正にその時を狙ってか、アスファルト作りの中央エリアを、北西の山エリアから南東の花畑エリアへ横断しようとする1匹のクロヤマアリが居た。息を切らしてはいたが、身を隠す植物や石の無いこのエリアでは止まってしまうと外敵に襲われてしまう危険が有る。ただひたすら目的の場所を定め走り続ける。


 闇を駆ける小さな蟻は『ハナ』だ。本来クロヤマアリが1匹で行動することは少ない。しかも夜間に行動していること自体珍しい事だが、特別な理由が有るのかも知れない。駆け抜けるハナは一見すると黙々と走っている様だが、よく見ると口をパクパクと動かしている。どうやら小さな声で言葉を発している様だ。


「怖い怖い怖い怖い!! 暗くてよく見えないし! オイラだけじゃ心細いし! こっそり出て来たから見つかったら怒られるし!」


 ブツブツ言うハナの左側から突然、カランカランカランカラ……と音がする。ハナが何だろうと左を見ると、円柱型の大きな物体が風に煽られ横向きなって勢いよく転がってくる……空き缶だ。


 慌てて逃げ出すハナだが、驚きのあまり腰が引けてちゃんと走れていない。涙をダラダラ流し叫び声も声になっていない。混乱するハナだが、ふと横に逃げれば助かる事に気付き、とっさに横へ跳躍する。が、恐怖のあまり体が考えた事に着いて来ず真上にピョーンと跳んでしまう。


 その時、ハナの脳裏に過去の出来事が走馬灯の様に駆け巡った…。


 当然、避けられなかったハナは下敷きに…はならず空き缶は軌道を変えハナを避ける様に転がって行く。恐怖からヘタりこんで泣きわめくハナだが、少しして…ずっとそうしていては危険である事に気付き立ち上がる。


「オイラ知ってるんス。これは『ニンゲン』がたまに置いていく罠だって事」


 ブツブツ言いながら再び目的地へと駆けて行った。


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


 ハナが難を逃れ花畑エリアに入ったその頃……。


 チョコファミリーは皆眠りについていた。女王と世話係のモグは女王部屋で、怪我をしているヤンとケマは育児室で、そして残る蟻達は大広間で眠っていた。


 蟻達は夜間眠くなる訳では無いが、見通しの悪い夜間は外が危険である為、巣内に身を潜め無駄なエネルギーの消費を押さえる為に眠るのだ。


 そしてそんな中、アスだけが考え事をして寝付けないでいた。こんなにもハンターになりたい自分の思いと、そうさせてくれない現実との差にネガティブになってしまうアス。もしかしたら一匹だけ眼が青いから気持ち悪がってイジワルしてるんじゃないかとか、実は自分は拾われた子で活躍させたく無いんじゃないかとか考えていた。色々と考えをめぐらせていると、突然触角の先がムズムズしてきた。


「な……何だろう、この感じ……誰かが呼んでる様な……」


 アスが辺りをキョロキョロすると、同じく感じ取ったであろうアロンの触角がピンと立ち巣の入口を指していた。


「あれ? 昼間もアロンの触角そうなってた様な……?」


 アロンは起き上がると、アスが起きている事に気付かず、外への通路へ向かって行った。アスはアロンが部屋から出て行ったのを見届けると、部屋で眠る皆を起こさない様ゆっくり立ち上がり、アロンの後を追う。


「こんな時間に何だろ?」


 好奇心に駆られるアスだが少し嫌な予感もした。アロンに気付かれまいと何度か立ち止まりつつ外への通路を登って行くと、通路の先から話し声が聞こえて来る。


「…がアスには合わ…られん」


 突然聞こえて来た声はアロンのもので有った。


 アスは明らかに聞こえた自分の名前に何事かと覗くと、アロンが巣の入口を塞ぐ様に立ち、外に居る誰かと会話をしている。


「駄目だ、今のアスは俺達のファミリーだ、引き渡す訳にはいかない」


 アスの鼓動が早くなる……。


 もしかしたら、さっきまで考えていた事が…、アスの脳裏に一つの可能性が現れた。一目、アロンの話し相手を見ようとするが巣の中に入って来ない為、見る事も声を聞く事も出来ない。おそらく巣に入った途端、巣の中にファミリー以外の匂いが混じり皆が起きて来る可能性が有るからだろう。


 そしてアスは衝撃的な言葉を聞いた。


「お前の子、アスの事はよく分かっているつもりだ」

「えっ?」


 一つの可能性は確信へと変わり、幼いアスに衝撃的な事実が突き付けられる。

驚きのあまり体が震える。もし…今ここで出ていけば自分の本当の親に会えるかもしれない、そう思ったがアスの足は動かなかった…。


 アスの脳裏に兄弟という名の仲間達、大好きな女王の顔が頭に浮かぶ……アスの足は動かないのでは無く動かさないのだ。不自由な環境に変化を望んでいた自分が変化を恐れている……その矛盾の訳が分からずアスの瞳が潤む。


「約束通り、アスを危険な目にはあわせない……」


 アロンの会話は続いているが、その言葉はアスには届いていない。アスはフラつきながらゆっくりと通路を引き返して行った。アスは元々寝ていた場所に戻ると倒れ込み、さっきまでの出来事を忘れたい一心で眠りにつこうとする。…が、鼓動は強く脈打ち、重ねて頭の中をゴチャゴチャと考えが巡ってしまい全く眠る事が出来ない。


 そうこうしている内にアロンは部屋に戻り眠りについた。アスがようやく眠りにつけたのは朝日が顔を覗かせる頃で有った。


「……ス……アス!」


 アスが眠りについてから夢を見る暇もなく、フトシに揺さ振られ起こされた。


「う……うぅーん」


 目の回りを真っ赤に腫らし目が中々開かない。その上寝不足の所をフトシに揺さ振られて頭がクラクラする。


「朝だよアス! …うわ、目が真っ赤だよ!! なになにイメチェン?」


 幼蟻の癖に野太い声のフトシ、それでいて1番最後に生まれたのに1番大きい…いや太いだけかもしれない。


「早く仕事始めないとアロンに怒られるんじゃない?」


 そう言うとフトシはゴマ・オテモ・シシャモの待つ出入口の通路へ向かう。


「あぁそうか、フトシも今日からハンターなんだっけ」


 アスは虚(むな)しそうに言うと、昨日の事をぼんやりと思い出した。自分はこのファミリーの一員なのかな…、もし皆に知られた時此処に居ていいのかな? とまた少し考えこんでてしまった。


 少しして、ゆっくりしている場合じゃ無い事に気付き、仕事を始める為アロンを捜す。アスが最初に訪れたのは育児室。部屋の端で療養中のヤンが眠り、その横ではケマがピョンピョンと跳びはねていた。


「ケ……ケマさん何やってんですか」


 呆気にとられながらも聞くと、ケマは跳びはねるのを止めアスの方を向いた。


「療養とはいえ、じっとしているのは趣味じゃ無い。体を鍛えている」

「そうなんですか偉(えら)いですね」


 アスが答えるとケマは無表情のまま、さも当然の様に言う。


「偉くなど無い。自分の身を守る為でも有り、強くなれば仲間も危険な目に合う事は無い」


 ケマの言葉に驚くアス。無表情だしもっと自己中心的な怖い蟻だと思っていたけれど、仲間の為に努力を重ねていたのだ。アスは重傷のヤンを横目でチラリと見て、僕にも仲間を救う事が出来るのかな…と考えていた。


「アスも一緒にやるか?」


 ケマの突然の誘いがちょっと嬉しかったが、少し考えて答えた。


「いえ、僕はスイーパーなんで強くなる必要無いんです」


 アスは俯(うつむ)いて言うと、そのまま部屋から出て行った。


「アス……お前は現状が不満なんだな。心配しなくてもお前が望む望まないに関わらず、危険と変化はいくらでもやってくる……」


 誰にも聞こえていないのは分かっていたが言葉にするケマ。その様子は何処か影が有った。アスが次に訪れたのは育児部屋から最も近い卵部屋。部屋の隅では、モグが卵を抱えて何かをしていた。アスが近付くとモグは振り返り笑顔を見せた。


「あらアス。おはよー」

「モグは此処で何をしているの?」


 アスの問いにモグはそこに有る二つの卵を見せてながら答えた。


「蟻酸(ギサン)で卵の回りを消毒していたのよ」

「蟻酸!?」


 モグの言葉に驚くアスは、何だか最近驚(おどろ)いてばっかりだなと小さく苦笑(くしょう)する。


「あー大丈夫だよ。少量なら卵には影響無いから。そうやってカビとか菌から守ってるのよ」

「いや僕が言いたいのは、そういう事じゃなくて、モグ蟻酸出せるの?」

「え? うん、昨日女王様に教えて貰ったんだ。まだちょびっとしか出せないんだけどね」

「良いなぁ! 僕にも教えてよ!」


 モグに出来るなら自分にも出来るんじゃ無いかと興味津々なアス。


「教えるのは良いんだけど、私よりアロンに教わった方が良いんじゃ無い?」


 アロンの名前を聞いたアスは「忘れてた!」と叫ぶと慌てて部屋を出た。アスが走って行くのをモグはクスクスと笑って見届けた。アスが食糧庫に着くと、コソコソと部屋を覗く。するとアロンが餌の整理をしていた。声をかけようとするアスだが動を止めた。怒られるのでは無いかという不安も有るが、出生について本当の事を知っているアロンに複雑な心境を抱く。ふと、アロン以外にも知っている者が居るのではと考えていると。


「アス起きたのか」


 アスが居た事に気付いて近寄るアロン。


「寝起きで悪いが、仕事を始めてくれ」

「アロン、起きるの遅くなった事怒らないの?」


 アロンの目を青い眼でじっと見つめて言うと、アロンは笑顔で答えた。


「昨日の初仕事で疲れたんだろ。それにヤンの事が気になって中々寝付けなかったんじゃ無いか? 分かってて起こさなかった」


 アロンの言葉に涙が出そうになるアス。不安だらけの心に優しい言葉が刺(さ)さる。自分は泣き虫なのかもとか考えてしまった。


「だが、毎回寝坊してる様じゃ駄目だぞ」


 ファミリーの皆と話していると、いつの間にか不安も薄れてゆくアス。徐々に元気になってゆくと今度は自分の母の事が気になって来た。だがそれは一先ずおいて、アスはとある要望をアロンに投げかけた。


「アロン。皆の寝る大広間にゴミが溜まってると臭いし汚いと思うんだけど、捨てた方が良くないかな?」

「……そうだな。俺も気になっていた所だ。早速女王と検討してみよう」

これで外に出られるかなと思うとアスの表情が緩む。

「アスはその間、巣の掃除をしててくれ」

「あ、はい」


 アロンが部屋を出て女王の部屋へ向かうとアスは掃除を始めた。

小一時間ほどして、アスが大広間の掃除をしていると出入口からオテモが興奮して入ってくる。


「女王様ぁぁぁー! 俺やったよー!」


 驚いてとっさに身構えるアス。走って入って来たオテモを見ると、黄色く丸い物を背負う様にして前二本の足で抱えていた。


「アス凄いだろ! 俺の初めての獲物はこれだ!」


 そういうとオテモは体を揺らして黄色い物をプルプルと震わせた。その度に甘い香りが辺りに広がった。


「わぁ花の蜜だね、美味しそうな香りがする」


 アスは触覚をパタパタと前後に降ってオテモの収穫を喜んだ。すると突然、甘い香りのする室内に明らかな外部の臭いが混じり始めた。アスとオテモはとっさに触覚の先端で臭いの元を探ると、巣の入口から立ち込めている事に気付く。


―――侵入者だ。


 大広間の空気が張り詰め、オテモは入口の方を見たまま口を開く。


「アス、ハリアリだったら最悪だな」

「う……うん」


 2匹の声は少し震えていた。始めての実戦になるかもしれない状況に立たされ、アスはたまらず半歩下がった。少しづつ濃くなっていく匂い。侵入者が近付いて来るのを触覚でヒシヒシと感じた。


 そして、2匹の見つめる先から一匹の蟻が勢いよく登場すると。


「やいやいやい、そこの蟻ども! その背負ってる黄色い石をオイラに渡しやがれ!!」


 高圧的(こうあつてき)な態度を取る見慣れぬ蟻、しかしアス達はその姿を見て緊張が解(ほぐ)れた。体のサイズはアス達より一回りほど小さく、クリンとした大きな瞳が幼さを伺わせた。叫んだ声もキーが高く、何処か可愛らしい。


 初めて見るファミリー以外の生物に興味津々なアス。よく見るとその蟻はアス達と違い体が茶色く余計に興味をそそる。突然、その小さな蟻は駆け出しオテモとの間合いを縮めると。


「いいから! その石を渡せ!」


 と言ってオテモの持つ花の蜜へと飛び掛かった。


「わ! 馬鹿! ちが……」


 オテモが言い終わるより早くその小さな蟻が蜜を掴んだ。


 すると…パッシャーン! という破裂音(はれつおん)と共に花の蜜はオテモの体に降り注ぎ、体全体にベトベトと纏わり付いた。少量の液体は表面張力(ひょうめんちょうりょく)により丸くまとまって滴(しずく)となる。そのため蟻に持ち上げる事が出来るのだが、力を加える事で広がってしまったのだ。


 アスと名も知れぬ小さな蟻は、オテモの可哀相な姿にただただ呆気(あっけ)に取られた。しばしの静観(せいかん)の後、オテモの叫び声で沈黙(ちんもく)は破(やぶ)られた。


「このぉ!」


 と叫ぶとオテモは仕返しと言わんばかりに体当たりをくりだした。しかし小さな蟻はヒラリと避け小さく後ろに跳びはねた。


「あれれ? あの石じゃ無かったかー」


 と残念そうに言う蟻に、オテモは怒りの口調で反論した。


「お前! 何処のファミリーだ!? 石って何だ!?」


 すると小さな蟻は自信満々に答えた。


「蟻界の期待の新星マサキとはオイラの事だぁ! お前達みたいなヘナチョコ蟻に石の事教えてやるもんか」


 マサキの言葉に、さっきまでとは違う意味で震え出すオテモ。


「馬鹿にして! アス、外敵退治だ」


 と言うとオテモはマサキに飛び掛かる、そしてアスも「う……うん」と頷(うなず)くとオテモに少し遅れ駆け出した。


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


 外敵の侵入に気付いたのはオテモとアスだけでは無い。各部屋に居る蟻達も少し遅れて外部の匂いに気付き、仕事の手を止め匂いの元へと走る。細い通路を駆け登るモグは息を切らしていた。本来この位の距離に息を切らす事は無いが、初めての外敵の侵入による緊張と不安にる影響だ。もちろん、この巣では過去何度か外敵の侵入は有ったのだが、モグはそれを知らない。


 もう少しで大広間に着く所でモグは立ち止まった。狭い通路を塞ぐ様にケマとアロンが部屋を覗いていたのだ。


「アロン、ケマさん、どうしたの?」


 モグの質問にケマが振り返るとニヤニヤしながら答えた。


「お前も見てみろ。面白い見世物がやってるぞ」


 言われるがままに、アロンとケマの体の隙間からモグが身を乗り出すと、アスとオテモが見知らぬ蟻と戦っていた。


「た、大変じゃ無いですか! 二匹にもしもの事が有ったらどうするんですか!? 早く助けないと!」


 慌てるモグにケマはニヤニヤしたまま答えた。


「もしもの事? ただの子供の喧嘩だろ」

「確かに。だがあの小さな蟻なかなかセンスが有るぞ」

「ア……アロンも感心してないで止めてよ」


 落ち着いている二匹に慌てるモグ、ケマはニヤニヤしている顔を頑張って抑えると答えた。


「実戦を経験して成長してゆく弟達を何故止められる?」


 その言葉にモグは諦め、アスとオテモの戦いを黙って見つめた。

するとまたケマはニヤニヤしながら戦いを見た。


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


「アス、挟み打ちにするぞ!」


 広い部屋にオテモの声が響くと、マサキの左右に二匹の蟻が回り込む。


 危機的状況なハズのマサキに笑みがもれた。目的の物が無い以上、この場所に居る理由は既に無いのだが、この戦いによって得られる物が有るような気がしていた。左右から二匹の蟻が迫ると、ギリギリまで引き付けてから後ろに跳びはね、オテモとアスの同士討ちを狙った。


 ――が、オテモは寸(すん)での所で止まりマサキの方へ跳ねた。


 流石にこのオテモの反応には驚愕(きょうがく)するマサキ、だが直ぐさま切り替えし、それ以上の反応で動いた。


 体を起こし、飛び掛かるオテモに胸を向け、そして――。


 プシャァッ!


 オテモはこの技を知っていた。喰らったら致命傷を避けられぬ事も。だが空中でもがいた所で避ける事は出来ず、マサキの蟻酸をモロに受けてしまった。


「オテモ!」


 アスの悲痛な叫びが響く。先程の攻撃をマサキに避けられ、体制を立て直した所だ。そして、オテモの体はマサキの横に落ちゴロゴロと転がっていった。


 余りのショックに怒り任せに駆けるアス、そしてマサキも標的を変えアスに向かって駆けだした。


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


「まずいな……あの蟻、想像以上に強い。ケマ行ってやってくれ」


 アロンがケマを見ながら言うと、ケマは戦いを見つめたままに答えた。


「アロンが行けば良いんじゃ無いか?」


 その顔には、さっきまでのニヤついた表情は無かった。


「俺は戦いが苦手だから無理だ」

「ちっ、嘘つきジジイが」


 何時までも、助けに行かない二匹に苛立つモグ。そして。


「もういいです! 私が助けに行きます!」

そう言って飛び出そうとするモグだが、それよりも早くケマが飛び出した。


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


 ガキィッ! 鈍い音が部屋に響くと同時に、アスとマサキ、牙と牙が衝突する。体格で勝るアスは体ごと徐々に押してゆくが、マサキは今だ余裕の表情だ。力で敵わぬ事を悟ったマサキは、牙を中心に体を90度反転させ、受け流す。


「わわわ!」


 勢い余って前方へ倒れ込んでしまったアス。そしてマサキはアスの上へ飛び乗り馬乗りの状態になると、力任せに背中へ牙を立てた。


「っ!!」


 アスの背中に一瞬痛みが走るが、直ぐに牙を引いたマサキ。ケマの接近に気付き備えたのだ。


(オイラ結構強いじゃん)


 実は外敵との戦いが始めてで有ったマサキは、その余裕の勝利に自分の力を過信し始めていた。


 目の前に新たに現れた三匹目の蟻もすんなり倒す予定で有ったが、井の中の蛙、上には上が居るという事を同時に知る事になる。


 正面から突っ込んで来るケマをサラリと避け様とするマサキ。だがケマはマサキの上を最小限の動きで小さくそして素早く飛び越えると、マサキの首元を牙で掴(つか)みアスから引き離す様に持ち上げた。勢いをそのままにゴミの溜まっている方へ力任せに放り投げる。何が起こったのか分からないまま部屋の隅に有ったゴミの山へ体を突っ込んだマサキ。


「ケマさん、すごーい!」


 歓喜(かんき)の声をあげたモグ。目を見開いたままキョトンとするアスは状況が飲み込めていない。そして倒れているオテモに駆け寄るモグとアロン。すると……。


「いてて……擦りむいちゃったよ」


 オテモはそう言いながら起き上がった。回りの蟻達は一同に驚きを隠せない。オテモ自身もそうだ。


 確かに受けたはずの蟻酸だがオテモは平気そうな顔をしていた。


「そうか」


 突然、閃(ひらめ)いた様に言ったケマは言葉を続けた。


「オテモ、お前何故だか知らんが花の蜜を全身に被(かぶ)っただろ? そのお陰で蟻酸から守られた様だな。まぁ最も、あの小さな蟻にたいした威力の蟻酸が出せるとも思えないが…」


 なるほどと頷(うなず)くオテモ、そしてアスもモグも安堵(あんど)からか触覚をふにゃりと下げた。そして、先程吹き飛ばされたマサキだが、ゴミ捨て場から勢いよく飛び出すとケマに向かって突っ込んでいった。


「オイラはこんな所で負ける訳にはいかないんだ! お前なんかに負けてたまるか!」


 叫ぶマサキを見てケマは「フン」と小さく笑った。勢い虚(むな)しく、マサキの突進を軽々避けたケマは再び首元に噛みつき押さえ付けた。ジタバタと暴れるマサキだが、ケマの牙から全く抜けられそうに無い。


「お前、クシケアリのファミリーだろ?」


 冷静に言い放つケマの言葉に驚きを隠せず、マサキは体がビクリと動く。


「フ……ファミリーの皆は関係無い! 殺すなら殺せ!」


 その様子を顔を強張らせ、ただ黙って見つめる幼い蟻達。弱肉強食のこの世界において敗者には死が待っている。それは当然の理(ことわり)だ。


「言われなくても殺すが…お前、歳はいくつだ?」

「さ…桜の花が満開の季節に産まれたって聞いた…」


(大体一ヶ月位か、アスやオテモより少し上だな)


 ケマはマサキを押さえ付けていた牙をそっと引くと。


「もう良い、行け」


 と言った。何故解放されたのか分からないマサキはケマの目を見つめる。


「お前にも情(じょう)ってもんが有ったんだな」


 と、からかうアロンに「うるさい」と小さな声で呟(つぶや)いたケマ。ふと、ケマの事を見つめたまま動かないマサキに。


「ん? もう帰って良いんだぞ」


 とケマが言うと、マサキが答えた。


「オ……オマエに頼みが有る」


 その声にさっきまでの勢いは無く、何処か弱々しい。


「何だ? 言ってみろ」

「ハリアリの事は知ってるだろ?」


 ケマは無言で頷くと、『ハリアリ』という単語にアス達は顔を見合わせた。そしてマサキは言葉を続ける。


「オイラは此処から割と近くに有るクシケアリのファミリーだ。オマエ達クロナガアリに比べて体の小さいオイラ達は近くに住むハリアリにいつも標的にされていた。家族を殺され、餌を奪われ、虐(しいた)げられてきた」


 話しているマサキの体は小さく震えていた。それでも言葉を止める事無く話しを続けた。


「オイラが産まれるより少し前、兄貴のうちの一匹がとある『石』の事を知ったんだ……」


 マサキが話していると言葉を遮(さえぎ)る様にケマが口を開いた。


「『石』についての話しはするな、こいつらにはまだ早い」


 と言って幼い蟻達に視線を送った。アスが『石』という言葉を初めて聞いた瞬間だった。


「オイラは産まれてすぐ兄貴や姉貴に無理矢理戦い方を教え込まれたんだ。『ハリアリに対抗する為』『石を集める為』ってさ、でもオイラ一匹で対抗出来るわけ無いし、それでオマエに手伝って欲しいんだ」


 マサキの瞳は真っ直ぐにケマを見つめた。幼いながらも背負っているものの重さがその場に居る全員に伝わった。


 マサキの悲痛な訴えにオテモが口を開いた。


「この生意気な奴の手助けをするのは嫌だけどさ、ハリアリに苦い思いをしてるのはうちらも一緒だし利害は一致してるんだよな」


 するとマサキはオテモの方を向くと。


「うるさい。弱い奴は黙ってろ。甘い匂いしやがって!」


 するとオテモの顔が徐々に赤くなっていき、モグは笑いを必死でこらえた。


「フ…フォローしてやったのに! 第一甘い匂いなのは、お前のせいだろ!」


 足をバタバタと暴れるオテモをよそにケマは無表情でマサキに言う。


「残念だが、助けになれん。お前ごときの力じゃハリアリに勝てる訳が無いし足手まといだ。私達は私達でハリアリを倒す。馴れ合うつもりは無い」


 ケマの言葉に悔(くや)しそうに牙を噛み締めるマサキ。少し瞳が潤(うる)んでいる。そこへケマが追い打ちをかける様に言った。


「それと気安くオマエと言うな」


 マサキの顔はみるみる赤くなりオテモ以上に真っ赤になると、巣の出入口へ無言で走った。アスとモグはケマの言葉を酷(ひど)いと感じた。


 外への通路の手前で止まると、マサキは振り返った。


「誰がお前らなんかと手を組んでやるもんか! ハリアリはオイラがもっとうんと強くなって倒してやる!」


 と言い捨て、巣から出て行った。


「ケマ、お前も俺と一緒で不器用な奴だな?」


 マサキが出て行った後、アロンが変な事を言った。


「うるさい。事実を言ったまでだ」


 と言うとケマは育児室への通路へと消えて行った。


「不器用って……どういう事?」


 幼い蟻達の疑問をアスが聞くと、アロンは小さく笑いながら答えた。


「ケマはあのマサキとかいう蟻の戦いのセンスを認めていたんだろう。確かに協力して貰えば戦力にはなる。しかし、まだまだ成長途中の幼い体では命を落とす危険が高い。それを勿体(もったい)ないと感じて、あんな方法で止めたんだな」


 アロンの言葉にアスはケマを誤解してしまった自分を恥じた。そして申し訳無いと感じていた。


 ふとアロンは何かを思い出した様にオテモの方を見てこんな事を言った。


「そういえば体中の蜜は俺に舐め取ってもらうのと、外で土や葉っぱで拭くのと、どっちがいい?」


 聞いた途端、オテモの触角は後ろにピンと立ち、お腹から強い匂いを吹き出すと即座に外へと走り出して行った。


「な……何この匂い!」


 と言うアス、そしてアロンはオテモの出て行った方を見ながら言う。


「何もヘルプフェロモンを出さなくても……」


オテモが初めてヘルプフェロモンを出した瞬間である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る