相心流棒術の思い出。(十五)

『徳島の剣道』23号(注1)には、『絵馬武道額』という話が掲載されており、徳島、香川に現存する絵馬武道額の写真と内容が記されています。


 その中の一つには、吉野川市鴨島町……『相心流』の「井上恰」の地元ですが、彼とは違う、「仁木島昇平」という人が掲げたものがあり、流派名は『新影相心流』『一天藤本流』『一天宗心流』となっていました。

「仁木島昇平」がこの三つを併修して、指導していたということでしょうか。

 この絵馬武道額はまだ実見したことはないですが、寸法は横二百七十センチ縦百四十七センチとあり、私が以前に見た『相心流』のそれより百センチほど横に短いですが、十分に大きいもののように思えます、

 門人の数は四七七人。

『相心流』は五七十人だそうですから、そちらに劣るとはいっても、地方ではなかなかの規模の流派だったようです。

 

 しかしこれらの流派の内容は、ここで書かれているだけでは解りません。


 そんなに遠くない場所にあるのだから、いってみればいいのですが、今の私はそんなに機動力がないので、今の段階ではとりあえず資料からわかることだけでしか論じられません。


 で、この資料から論じられることは――


『新影相心流』と『一天宗心流』という、新しい流派名がでてきました。

 さすがに何度も繰り返せば解ります。

 というか先例がすでにあります。

「井上恰」の流派が『相心柳生流』と呼ばれていた(注2)ように、『新影相心流』も『相心流』だったのでしょう。

 もしかしたら、近所ですし「井上恰」の門下から独立した一派なのかもしれません。

 それでは『一天宗心流』とはなんなんでしょうか?

『一天藤本流』の影響があるだろうことは、流儀名から推測できますが、伝書などの内容を見てみないことには何がなんだかわかりません。

 ただこの流派、「イッテンソウシンリュウ」と読むのだとしたら、『一天藤本流』と『相心流』を折衷したようにも思えます。

 

 資料がないので、ほぼほぼ推論しかできませんが……


『木村郷右衛門』の名前があった『一天藤本流』の伝書というのは、「井上恰」の『相心流』と同様に、二つの流派を合わせて作られたことを示すものだったのでは……?


 ありえることのように思えます。


 恐らくは、『相心流』の絵馬武道額に示されるように、多くの流派を習合させていたのでしょう。


 もしかしたら、幕末から明治にかけての、この地方の流派をいっしょくくたにしたものだったのでは……?


 私はそう推測したのです。




(つづく)






注1

『徳島の剣道』23号 『絵馬武道額』

https://tokuken.sub.jp/tokuken231.pdf

 同書には『相心流』の絵馬武道額が2つあること、東かがわ市にも徳島の門人が奉納したものがあることなど書かれている。


注2

 相心流棒術の思い出。(六)

https://kakuyomu.jp/works/1177354054907730269/episodes/16817330668221710475

『鴨島町誌』に記載がある。

 

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