相心流棒術の思い出。(十六)終わり

 思い返せば、寛政元年頃の『書上』の記載では『相心流』は棒術だけでした。

『貫心流』の師範である山本源兵衛が併修していたことが記されていたのですが、この時点ではまだ棒術だけだったのでしょう。

 

 この『相心流』が明治十五年の「井上恰」の発給した目録免状では剣と棒術の流派と記されて、『新陰流』の上泉伊勢守が創始していたことになっていました。

 そして絵馬武道額には、薙刀やら鎖鎌、長柄鎌なども貼り付けてありました。また『市場町史』には柔術もしていたことが書かれています。


『鴨島町史』を読むと、「剣道、棒術、薙刀、鎖術等について柳生流の奥義を極め」た「井上恰」は『相心柳生流』とも記載されています。


『徳島の剣道』を読むと、『新影相心流』『一天宗心流』というような、関連がありそうな流派名が散見できたりもしました。それらの流派を修めていた「仁木島昇平」という人物は『一天藤本流』という柔術も併修していたました。


『柳生神影流』『一天藤本流』『相心流』の伝書には、阿波で『柳生新陰流』を広めた「木村郷右衛門」の名前が見えました。


 ……色々と書きましたが、これらから解ることは、『相心流』という(恐らくは)本来棒術だけだった流派は、もしくは、『相心流』に限らずこの地域の武術は、いつの頃からかごちゃごちゃと混ざりこんでしまうようになった――ということです。


 そのように考えた背景には、例えば『神道夢想流杖術』のような有名な杖術の流派に、同じく捕縛術とはいえ、『一角流十手』などが併修されたりというような事例を知っていたからです。むしろ長い歴史がある流派では、別の流派と併修されたり、他流の技が入り込むというのは当たり前のことと考えてもよいでしょう。

 今回私がこのコラムで取り上げた『相心流』のような事例は、全国的には珍しくなかったに違いありません。

 にしても、ごちゃまぜになっているだろうということは、資料を掘り返せば掘り返すほど傍証となるかもしれない言葉が次々でてきます。

 ついログを読むと、森本義男という人物を見つけていました。戦前に彼は帝国尚武会に入り、野口清から『神道六合流』を学んだという武術家で、郷土である土成町で『貫心流』の剣術と『柳生一天流』の柔術を学んだとwikiに記事があったりしましたが、土成町は『柳生流』が伝わった「原士」の多くいた市場町の隣にある町で、『一天藤本流』の道場があったことなどが郷土史に見えます。

 伝書類は未確認なので確定はできませんが、この『柳生一天流』は『相心流』のように『柳生流』と『一天藤本流』を折衷して生まれたもの――あるいは、市場町では、もしくは、この地域では、いろんな流派が交流の挙げ句に、ほとんど似たような技術内容になっていた可能性すらあります。

 これも別の地域で、そのような話を聞きます。

 もっといえば、現代の武道である剣道、柔道も、幕末以降の他流試合が盛んに行われる中で技術が均質化したものがその原型の一つです。

 そのような交流からの混交、やがての統合は全国的な現象だったのですから、吉野川中流域で同じことがおきたとしていても、やはり不思議ではないでしょう。




(不完全だけど)まとめ。




『相心流』の絵馬武道額との出会いは、まだ私は二十代――になっていたかどうかも怪しい頃だったと思います。

 それから三十年ほど経ち、私は2023年で四十九歳となりました。

 いつかこの『相心流』を中心とした吉野川中流域に起きていただろう現象を記録に残したおこうと、ずっと思っていました。

 しかし生来の無精もあってなかなか踏み切れず、三十年経ち、そして体の健康もすっかり損ねてしまいました。

 明日明後日に……ということはないでしょうけど、五十を前にして少し思うところあって、このようにまとめて見ました。

 ただ、本稿には意図して書かなかった資料、まだ書いてない事実、推論が幾つもあります。

 例えばここに書かなかったことですが、『柳生流鉄扇』、養正館合気道の望月稔師が学ばれたらしい『玉心流』などについても、触れておいてもよかったかもしれません。

 本稿はいつかKindle版で出そうと考えているものの、あくまで下書き程度として書きましたから、全体的にとりともないものになっているかと思います。

 それでも世間ではあまり知られてない地方古武道事情の、その一旦が知れるのではないかと思います。

 

 作中でも書きましたが、地方の古武道についてはほとんどの人が記録を残していませんし、まとまった論考もほぼ皆無というのが実情です。

 本稿は多くが『徳島の剣道』の「徳島剣道史」の記事と、『国会図書館デジタル』で読めるようになった古い郷土資料などに拠っています。


 それらを専門の研究者が丁寧に拾い上げ、組み合わせれば、ここに書かれているようなことには数日とかけずに思い至ると思いますし、推論の甘さも指摘されのではないかと思います。


 それでも。


 第一歩、私が見つけ出してこういう形でも指摘しなければ、このまま埋もれてしまい、誰も気づかれないままになって、風化してしまったのではないか――そのように思います。


 本稿が社会的に、学術的に、何らかの寄与をするものではないというのは承知しています。


 それでも。


 見つけ出し、記す人間がいた方がいいし、そのような一人になれたことを、私はほんのちょっとだけ、誇らしく思います。


 この稿を読んだ誰かが、また私のように地元に残る古武道の痕跡を拾い上げ、記録に残していただけることを願いつつ……本稿を一旦終わらせます。


 読んでいただき、ありがとうございました。





 

 

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