第45話 ピース(最終回)

アパートの玄関を出て、薄暗い路地を歩く。

近所のおばさんが軽く会釈えしゃくしてきたので、「こんにちは」と挨拶する。

こういう時に素直に声を出せるようになったのは、コンビニでバイトしたお蔭だろう。

おばさんが笑顔になった。

通行量の多い広い通りに出て、左に進む。

最初の大きな交差点を右に曲がり、次の交差点で信号が青に変わるのを待つ。

ゴミゴミした街中で、交差点は少しだけ空が広く、見上げれば青く晴れ渡っていた。


信号が青に変わる。

道路の向こうには勤務先であるコンビニがあり、花壇の花がパッと目を引く。

最近、暖かくなってきたので花を植え替えた。

今まで咲いてくれていた花は、一年草は枯れるまで店の裏で面倒を見て種子を採取し、多年草は小さなポットに植え替え、「ご自由にお持ち帰りください」という形で店頭に並べた。


道路を渡り終え、店の駐車場を斜めに横切る。

真っ直ぐ進めば入り口の自動ドアで、斜めに進んだ先には犬小屋がある。

敷地の隅っこの方だが、ペロは千切れんばかりに尻尾を振っている。

犬小屋には「ペロ」のネームプレート、ペロの首には写真付きの名札がぶら下がっており、「店長補佐」という肩書きも記されている。

普段は少し誇らしげに胸を張り、お座りの姿勢でお客さんの出入りを見ているが、俺の姿に気付くと、あられもないような喜び方で迎えてくれる。


ペロの頭を撫でながら空を見上げる。

眩しい青さと、少し汗ばむ陽気だ。

店長としての仕事が本格的になると、俺は深夜シフトから抜け、昼前から夜にかけて入ることが多くなった。

本部の人間との打ち合わせや、お客さんの数、高校生バイトが多い夕方から夜のことなどを考えると、店長がいるべき時間帯は変えざるを得なかった。


ペロの散歩を済ませて店に戻ると、待ち構えていたように四人の若者が寄ってきた。

誰かがうちの店のことをSNSにアップしたらしく、ちょっと変わったコンビニとして小さな話題になった。

実際、ネットに出回った数枚の写真は、花壇に咲く花もペロも綺麗に撮れていて、特にペロの人懐ひとなつっこそうな表情がよく出ていたと思う。

駐車場に他府県ナンバーの車を見ることも増えた。

その若者達はペロに会いに来たようで、店の前で記念撮影なんかをして帰っていった。

お陰さまで、売り上げは順調に伸びている。


レジのサポートをしつつ、ポスターやポップなどの掲示物のチェック、新規商品の売り場作り、通常業務に組み込まれていない換気扇の掃除や花壇の手入れ、意外と多い事務作業をしているうちに夕方になる。

俺は時計を見た。

十七時四十分。

当店の看板娘が出勤してくる頃だ。


「おっはよー、田中っちー」

当店は二枚看板である。

まずは詩音が登場。

事務所にいる俺に元気な声で挨拶するのはいいのだが……。

「おい詩音、もう少し声を小さくしてくれ」

「どして? 挨拶は大きな声で元気よくって、ばっちゃが言ってたし?」

「いや、他の従業員に聞かれると、あまり印象が良くないというか……」

詩音が働き出して一ヵ月、今更な気もするし、他の誰も気にしてないようではあるが。

「俺を店長と呼べ、と?」

「まあ、いちおう建前として」

「てーんちょ」

「いや、それ違う」

「てんちょおー」

風俗店の店長になった気分だ。

……まだ田中っちの方がマシかも知れない。

「おはよう、ハルヒラ」

「……」

もう一人の看板娘が来た。

詩音にした注意が一瞬で無意味になる。

「田中っちよりハルヒラの方が意味深な関係っぽくない?」

うん、俺もそう思う。

「亜希、他の人がいるときは店長と呼んでくれないか」

「何それ? 二人きりのときだけハルヒラって呼べばいいの?」

「いや、そういう意味では……」

詩音がニヤニヤ笑っている。

この個性の強い二枚看板を、俺が使いこなすというのは無理があるのだ。


高校三年生になった詩音は、卒業後は専門学校に行く予定らしく、受験勉強の心配は無いと言う。

元気で愛想のいい店員で、お客さんの年齢層を問わず人気がある。

高校一年生になった亜希は、物覚えが良くコツコツと作業するタイプだが、無愛想なのは相変わらずだ。

でも何故か、特定の層の客に受けがいい。

この二人が揃ってシフトに入るのは週に二回だが、どういうわけか客数が増える。

お客さんが店員のシフトをいちいち憶えてるとは思えないのだが、例えば金曜に可愛い店員がいたら、また金曜に行ってみよう、とか考えたりするのだろうか。


午後八時頃になって、葉菜が店にやってきた。

仕事帰りに直接来たみたいでスーツ姿だ。

葉菜はレジには立たないものの、ちょくちょく店に顔を出しては事務作業を手伝ってくれる。

休日には昼間に来ることもあるので、ほぼ全時間帯の従業員が葉菜のことを知っている。

つまりまあ、店長である俺の婚約者として周知されているわけだ。


夜の十時前。

そろそろ夕方勤務と深夜勤務の交替時間だ。

「……はよざいまー」

穂積がやる気無さそうな顔で出勤。

「あ、ほじゅみ、実は明日の深夜の穴がどうしても埋まらなくて」

「嫌っすよ。明日も出たら四日連続になるじゃないっすか」

「そんなこと言わずに、ほじゅみ~」

「つーか、いい加減そのほじゅみって言うのやめてくださいよ!」

どうやら俺の親しみを込めた愛称は気に入らないらしい。

「え? ほじゅみ君て、ほじゅみ君じゃなかったの?」

葉菜は葉菜でトンチンカンなことを言う。

以前、穂積のことを話したこともあるのに、よほど関心が無かったのだろう。

「そんなワケ無いでしょうが! いったいどんな漢字を書くと思ってたんすか!」

「たもつ、ことぶき、うつくしい?」

なるほど、それで保寿美か!

「なんか縁起良さそうでいいんじゃないか?」

「いいとかの問題じゃなくて、俺は穂積です!」

「なーんだ、穂積かぁ」

葉菜はあからさまに落胆した口調で言う。

「いや、何で残念そうに言われなきゃ……」

「はっはっは、穂積って苗字はつまんないってさ」

「たかが田中である田中さんに言われたくないっすわ!」

「でも保寿美に比べたらつまらないわよ」

「森崎さんだってもうすぐ田中になるんすよ? 人のこと言ってる場合じゃないっしょ」

「えへ、えへへ、ありがと」

「いや、褒めてないっすけど!?」

「今度、時給上げとくね」

「嬉しいっすけど、そこはかとなくイライラさせられるのは何故なんだ……」

「人としての優しさが欠落してるとか?」

「そこまで!? 普通、カルシウムが足りないとか言うところでしょ!」

「まあまあ、時給も上がることだし、とにかく明日も穂積ってことで」

「……」

不服そうな穂積に、葉菜が手を合わせる。

「はあ……判りましたよ」

溜息をきながらも、葉菜にそうされると穂積は断れない。

何だかんだで、この二人も上手くやれている。


「しゅんぺー」

深夜に来ることが減った有希は、亜希の退勤時間に合わせて顔を出すことが増えた。

「お、今日はどうした?」

「しゅんぺーに、まだ制服姿を見せてなかったからー」

中学の制服を着た有希が、俺の前で何やらセクシーなポーズをとる。

……出るとこ出てないのに、コイツはどこか男心をそそるものを持っていて将来が怖い。

「かーわいー」

葉菜が有希をハグする。

俺はさすがに、もう気安く有希に触れるわけにはいかない。

「きゃー、可愛いー!」

詩音も後ろから有希を抱き締める。

亜希が交ざりたそうな顔をしているが、それは俺も同じなのだろう。

「あ、そうだ春平」

「ん?」

「仕事帰りに一眼レフを買ってきたの」

「おい、簡単に言うなよ。これから何かと金がいるっていうのに」

「でも、結婚式の写真、ちゃんとしたカメラで撮っておきたかったし……」

そう言われると、俺としては黙らざるを得ない。

「ね、試し撮りっていうか、みんなで記念撮影しようか?」

ちょうどお客さんが途切れて、店内には関係者しかいない。

「あれ、田中さん、今夜の俺の相方は?」

「ああ、西村さんなら三十分ほど遅刻するって」

「またっすか?」

「まあまあ、それまで俺も残るから、穂積もこっちに来て写真に入れ」

「え? いいんすか?」

何を遠慮しておるのだコイツは。

俺は穂積を引っ張って、みんなの輪の中に入れる。

コンビニの制服を着た、俺と穂積と詩音と亜希。

スーツ姿の葉菜と、中学の制服を着た有希。

……何の集団だ?

ていうか、誰がシャッターを押すんだ?

「やっぱ俺がシャッター押した方がいいんじゃないっすか?」

「ほづみんも入った方がいいっしょ」

よく気の付く詩音は、いつの間にか店長補佐を胸に抱いていた。

「いや、詩音ちゃん、そのほづみんていうのヤメテ」

「キモ……」

「いや、亜希ちゃん、こんな俺でも割と傷付くから」

詩音はともかく、亜希と穂積が上手くいくか心配だったが、杞憂きゆうだったようで軽口を叩ける関係になってくれた。

……たぶん。

自動ドアが開く。

レジカウンターの前に集まる店員、その他二名を見てお客さんが固まる。

「え、何かやってるんですか?」

良かった、常連で気のいいカップルのお客さんだ。

「いや、記念撮影的な……」

何と答えればいいのか難しい状況ではあるが。

「よかったらシャッター押しましょうか?」

え? こんなことお客さんに頼んでいいのだろうか?

ニコニコしてる彼氏さんと、葉菜からカメラを受け取る彼女さん。

って、即行で葉菜はカメラの使い方を説明してるし!

「判りました。では、お任せください!」

いいお客さんだなぁ……。

「じゃあ撮りますよ、笑ってくださ──」

……ん?

カメラを構えたまま彼女さんが固まる。

「どうかしました?」

「いえ、笑ってくださいって言うまでもなく、皆さんとてもいい笑顔だったのでビックリしちゃいました」

そう言って笑うあなたも、めっちゃいい笑顔です。

「では、もう一度いきます!」

俺の隣に葉菜。

後ろにはペロを抱いた詩音と亜希。

反対隣には有希がいて、穂積は少し離れて立っている。

確かにみんないい笑顔を──え?

……葉菜?

俺は自分の目を疑った。

あの葉菜が、カメラに向かってピースをしていた。

人差し指と小指を立てたそれは、少しぎこちなく、けれど可愛らしい。

今まで葉菜が、人前でそんな無邪気な姿を見せてくれたことは無かった。

ああ……。

俺の心の中に、言葉にならない声があふれる。

ああ、ああ……。


「撮りまーす」

明るい声と、シャッター音。


みんなが笑っている写真の中で、俺だけが泣きそうに顔を歪ませて写っている。

我ながら情けない顔だ。


でも──


それを見て、またみんなの笑顔がこぼれるのだ。





 あとがき


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ハートとコメント、星とレビュー、感謝に堪えません。

執筆中、とにかく忙しくて、仕事は休日出勤が常態化。

意識的にしたわけではありませんが、いま思えば書き足りない部分が多々あります。

詩音とは、仮カノの時に一度や二度はデートさせたかったし、亜希の家庭環境にはもう少し踏み込みたかったと後悔しております。


どこかでも書きましたが、葉菜と有希は実在するモデルがいます。

作中と違って有希は兄がいました。

ただ、何故か私に懐いてくれたのは事実で、劇に誘われたことも、私がそれに行かなかったのも事実です。

残念なことに、その子が遠い親戚に預けられてしまったのは作中と違うところです。

兄の方とは今でも顔を合わすことがあって、クソガキだったのが大人になり、「お疲れ様です」、なんて挨拶をしてくるようになりました。

どこか嬉しくて、そして擽ったいような感覚です。


葉菜に相当する人物は、出会った時は大学生で、作中で描写したように、違和感なく、それでいてさりげなく指を隠していました。

私は中二病を発病し、彼女を守るのだ、なんて熱を上げましたが、彼女は既に自分というものを確立した立派な女性で、私の出る幕は無かったのでした。

彼女のために何かしたい、というその時の想いを、私は春平に託したかったのかも知れません。


力不足で書き足りない部分はあるものの、今後の彼らの未来が明るいものであり、更にそれを読む人に祝ってもらえるように書いたつもりです。

楽しんでもらえたなら、こんなに嬉しいことはありません。

応援してくださった方、祝ってくださった方、最後までありがとうございました。


                                    杜社

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しがない深夜のコンビニ店員だけど、J-SCKDに懐かれている 杜社 @yasirohiroki

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