第44話 夢

固唾かたずを呑んで二人が俺を見ている。

俺は照れ臭さを誤魔化すように、通話を終えたスマホの画面を見続けていた。

「ねえ、どうして泣いたの?」

たまりかねて葉菜が口を開く。

電話の間、葉菜は不安そうに表情を曇らせたり、嬉しそうに目尻を下げたり、有希とハイタッチしたりしていた。

電話を切った今、また少し心細げな顔をさせてしまった。

「……自分でもよく判らないけど、おじさんの話を聞いていたら、俺の全部が葉菜の大切なものなのかなって。そう思ったら、なんか涙が出てきた」

「今さら?」

葉菜は呆れて、でもホッとしたのか微笑みながら言う。

「俺の指は、あのときの言葉は、離れていてもずっと葉菜に寄り添っていたって」

あれから何年、経っているのか。

「あら、あのとき私は、あなたの愚息ぐそく所望しょもうしたのよ?」

あのときがいつであるのかを、葉菜は瞬時に理解する。

あんな昔のことであっても、それは葉菜にとって大切な瞬間で、今も心に留めているからなのだと判る。

「葉菜がそんなことを言った意味も、ついさっき気付いた」

「……別に、他意はないわよ?」

「俺が指をあげられないことを葉菜は知ってたから」

「知ってたら何よ?」

「指よりもおちんちんが欲しいと言えば、俺は自分が助けられないことを自覚しないまま拒否できる。そして、冗談みたいに話は流れる」

「あれって小二のときでしょう? そこまで気が回るわけないじゃない」

「じゃあ、純粋に愚息が欲しかったって言うのか?」

「そうよ」

「ええっ!?」

俺の感動はどうしたら?

「だって、指が移植できないのは判ってたんだから、他に私が持ってないものといったら、その股間にぶら下がってるものくらいしか無いじゃない」

「いや、葉菜さん?」

もっとも、それが移植できるとも思って無かったけど」

そんな気遣い、あくまで私はしていないと言いたいみたいだが、どこか嬉しそうに目をうるませている。

ああ、結局、強がったり偉ぶったりしながら、昔からずっと葉菜はこうなんだ。

我儘わがままだったり、自分勝手なようであっても、その行動原理は俺を中心にしているんだ。

……なんだ、俺と同じじゃないか。

「まあ、春平のその指も、その愚息も、今は私のものになったことだし」

葉菜が手を伸ばしてきて、俺の指に触れる。

いや、握る。

いや、いじり倒す。

「えへへー」

買ってもらったオモチャを手にした子供みたいになる。

「久し振りに、その、それも……」

視線が股間に移動する。

今度は性の悦びを知る大人の目に変わる。

もしかして、弄り倒されるのだろうか。

「さあ、貪欲な俗物のテーゼを」

「俺がかよ!」

「あら、私が俗物だって言うの?」

「いや、お前はどっちかと言うと……魅了してくるサキュバス?」

「えへへー」

サキュバスと言われて嬉しいものなのか?

「ねえねえ、お二人さん」

あ──。

有希の存在を忘れていた。

「病にした、いたいけな少女を忘れるなんてひどくなぁい?」

「いや、座ってミカン食ってるだろ」

元気そうなのは嬉しいが、ちょっと気まずい。

「二人のほとばしる愛からパワーを貰ったのー」

「やかましいわ!」

「あいた!」

照れ臭いので頭を叩く。

「ちょっと、他の女子に触れるのは禁止よ」

「相手が小学生でも!?」

「それでもダーメ!」

「しゅんぺーにお姫様だっこされたことあるのー」

お前は俺達を祝ってくれるのか争わせたいのかどっちだ?

「その時のことを、結婚式のスピーチで語ってあげるー」

いや、結婚式でそんなことを語られたら、花嫁は機嫌を損ね……ってテレテレかい!

「有希ちゃん、結婚式に来てくれるんだ?」

「行くー。お姉ちゃんも詩音ちゃんも一緒にー」

「えへへー。じゃあね、今度、招待状送るねー」

おい、気が早いぞ。

「私、結婚式って行ったことないから楽しみー」

いや、あれは当人以外は退屈なものだと思うけどなぁ。

でも、そうか。

結婚するとなると、コイツらは呼ばなきゃな。

穂積も、呼びたいな。

あれ? なんでこんなことを考えてるんだろう?

葉菜との結婚を想像したことは何度かある。

結婚式も、考えはした。

でもそれは、何となく義務的なもので、結婚式を挙げたいなんて望んでいたわけじゃない。

頭に描くのは、せいぜい身内だけの出席するささやかなものだった。

それで幸せだと思っていたし、どちらかと言えば、花嫁のためにしてやることだと思っていた。

けれど今、頭に思い浮かべた結婚式には、詩音も、亜希も、有希もいた。

何故かつまらなそうな顔をしている穂積もいた。

規模の大きな結婚式を挙げる人には、取るに足らない人数かも知れない。

それでも、祝ってくれる人が増えるというのは、こんなにも嬉しいことだったんだ。


特に取り柄も無い。

情熱を傾けるほど、何かに打ち込むことも無い。

これといって将来の夢や希望も思い付かないし、ただ何となく、平凡に。

要は、面白味の無い人間だと思っていた。

でも、どうやら俺にも夢はあったらしい。

あまりに当たり前で、あまりに近くにあって気付かなかった。

いや、近くではなく、昔から俺の中で眠っていた。

葉菜には幸せになってほしいと、子供の頃から思っていた。

それは望みだ。

でもそうじゃない。

俺は葉菜に幸せになってほしいのではなく、この手で幸せにしたかったのだ。

それが、俺の夢だったんだ。

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