第3話 絶える星

 下のほうから機械的な音が聞こえる。少年は声を低く落とし「行くぞ」と短く囁いた。それでも星が瞬くのを、少女はじっと見つめている。

 ずんずん大きくなる。

 ぐんぐん近づいてくる。

「何やってんだ、早く」

「…降ってくる」

「いいから、早く…!」

 彼女はなけなしの力を全て込め、その袖を離さない。

「…!」

 不意に足音は鳴りやんだ。腕が空を叩く音、暗く澱んだ呼吸音。

「ち…」

 えらく大仰な人員が寄越されたものだ。この幼い灯を、莫大な光に換えるために。

 そうまでして、光が欲しいか。

 ザラついたドブ色の思惑がにじり寄ってくるのを察知して、彼は氷が砕けるくらいに、強く強く彼女を抱き締める。

「星飼一。貴様にも接収命令が出た。そいつと共に、燃えて光れ」

 そして光が迸る、金属質の、産声が。

「真千っ…!」




 ひとつが降れば、我も我もと皆が降る。

 青いと言われたその星を、一心不乱にただ目指す。




 一望は、絶え絶えの炎を通わせた。そこに広がるものを、閉じゆく瞳にしかと映した。

「何、これ…」

 なぜだろうか。囲まれてみるとその光たちは、全身に纏わり付いて剥がれない。思い描いたような心地よさなどどこにも無く、耳障りな音がそこかしこ。

 出所を探ればどれも、蜷局を巻いた利己欲だった。

 綺麗なのは、上っ面の振りだと知った。その下にあったのは、簡単に様々を略取してきたせせら笑いと、奪われた幾つもの命の嘆き声。これが千景の言っていた、他の命を燃やした輝き。星ではない何かの、真実の姿。

「気持ち悪い…」

 ようやく彼の声の、ドロリとしていた意味を理解した。だけど喜びに一笑を呷ることはもうできない。

「…」

 感じたことのない吐き気の中で、一望が垣間見たのは、口を血で汚した一人の少女。

 じっと自分を見つめている。その瑠璃色に吸い込まれていく。その中に瞬くものは、今、何を燃やして、そして何を燃やそうとしているのか。




 逃れられない。




「…真千…」

 星に願いを掛けるだなんて、やっぱり馬鹿げた世迷言だ。

 一瞬前、一は、光の失せた彼の世界に唯一の光明を見つけたのだった。真闇をつんざくのを確かに見たのだった。だから願った。彼女がなりたいと言った星に、彼女の命を乞うた。

 だが、それがもたらしたものは、どうだ。

「…ッ」

 はかない希望の光をも打ち砕く、酷い戯れ。

 うねりうごめく輝きと、生が流れ出ていく中で、彼は鉄の味を刷り込んだ。光という光を、呪った。

 守りたい。生きて欲しい。それがそんなに、過ぎた願いだったのか。

「真千…っ」

 どうして光は全てを奪う。

「…俺は、」

 どうして光は命を燃やす。

「…お前にだけは…」




 そしてとうとう、千景も有らん限りの炎を纏う。

 それが他者を省みないことだと、解っていた。




 混ざり合う紅に塗れた手と手。重ねれば、焼けるように冷たくて、融けるくらいに熱かった。

「そんな顔しないでよ」

 真千はふふ、と笑おうとした。そうすれば、彼には綺麗な笑顔に見えると、頑なに信じていた。

 片瞳に映る彼の、涙がその真っ赤な頬に落ちる。それを彼女が知ることはなかった。ぶつ切りになった感覚は、もうほとんど生きてはいない。それでも真千は研ぎ澄ました。

 近くで、遠くで、何かが、聞こえる。

「…一つじゃなかった」

 一千から一を引いた数だけ、音がする。真千には歓喜の足音に聞こえた。祝福の息吹を与えてくれる、彼らが千の天使に思えた。

「『見て』、」

 彼女の上擦った声に導かれ、空へと、一は虚ろな瞳を向けた。瞬間、見開いた。動かないはずの瞳孔が、縮こまっていた心臓が、切なく激しく揺さぶられる。全てを失ったはずのそこへ、幾つも幾つも降ってきたから。

 初めてそこを、綺麗と思った。声なんて、それどころか息すらも。

「…」

 光がやってくる。永遠の夜を引っ掻いて、漆黒を千切って、欲深い空を塗り潰していく。

 その星々の軌跡は、命は、極彩色。

「…これで私たち、星になれる」




 たとえ全てを滅ぼしても、君の隣に。




 ネオンは砕け、地表は捲れる。淀みは全て耕されていく。でもきっと、還る土も海も残らない。

 千個目の星は、今にも此所に降り立つから。命を振り撒く、一番大きな千景星。一つ目の、小さな彼をもう見つけている。折り重なる二人をめがけて、あと何秒かで訪れる。


 星の中に星があると、邪気無くわらう彼の好奇。

 他の命の上に生きることを、嫌悪していた彼の選択。

 ひとつの希望を見つめ続けた少年の嘆き。

 星になりたいと言った少女の歓喜。


 その願いが、もたらしたものは。


 燃えていく、星も人も、命が全て燃えていく。

 彼らの見せた、千の色は絶景で、絶望で、この地球上のどれよりも燦然と、明るく美しく輝いた。

 二人は笑って瞼を閉じた。

 絶世の光に包まれた。

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ワンバイサウザンド 美木 いち佳 @mikill

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