第2話 隣同士の

「あっ、ねぇ!星が光った」

 真っ白な薄衣にくるまれた少女は声を輝かせた。眼下の華やかな夜景には目もくれず、星などほとんど見えない此所で、ずっと真上を見つめている。

「…よく見えるなお前。こんなきったない空に」

 少年はつまらなさそうに、手すりに背を預けて休んでいた。どれ試しにと、顎をぐいっと上げたのだが、そのせいでキャスケットがずり下がって目を塞ぐ。

「カズミ星がね、キラッキラッ、キラーって」

 彼女が跳ねる横で、彼は思いっきり息を吹き上げた。けれどもちろん帽子はびくともしない。

「ああっ!隣のチカゲ星も!今、キラッて!」

 何度も彼女は、すぐ傍の彼の袖を引いて促す。それが弱々しいながらも力強くて、少年はとうとうポケットに収めていた手を取り出した。

「…どれ?」

 淡く息をつきながら、彼は摘まんだ鍔ごとだらんと腕を垂れ下げた。髪をざらり、巻き上げていく風が、ガスを抱き込んで重かった。

「ほら、あれだよ!仲良く隣同士で、光ってるでしょ?」

「でしょ?って言われても、見えねぇよ、なんも」

「…そうだよね」

 次に彼女の吸い込んだ息は酷くザリザリしていて、狭く細い道を通るのに難儀した。なんとか咳き込むまいと、掴んでいた手すりをぐっと握ろうとしたけれど、力がまるで入らない。脂汗が、白い指に錆び色を伝染した。

「…」

 その震えに彼が気付いた頃、彼女の舌先の涙はとっくに冷えていた。弾かれたように体を起こし、背中をそうっとさすってやる。この、擦り切れそうな布の感触が大嫌いで、そこが温かいことにほっとする。たゆむ袖に苛つきながら彼は、こんなことはもうたくさんだと、唇を埋めた。

「…言えよちゃんと…頼むから…」

「…ん…」

 ふたりをあおる、けたたましいネオン。今、この光線の氾濫が、どれだけの命で成り立っているか。彼女は顔を背けた。そんなこと、考えたくもなかった。

 光の数だけ、贄はあるから。

「…っごほ…っ」

 口元を押さえて体を折る。どれだけ悼み、言葉を馳せても、みるみる増殖する閃光はもうそれを解さない。ヂリヂリと叫ぶのみで、彼女は堪らず目を細める。

 気遣う彼の瞳は開かれたまま。

「ごめんね…」

 その瑠璃色は光によごされ濁っていた。指の裏で睫毛を払う彼女は、それを見つめて、より強く拭った。

「…本当はね、そんな気がしただけなの。そうだったらいいなぁって」

「…星が光ったら、何がどういいんだよ」

 ハープの調べのような声が戻ったことに、一方では胸を撫で下ろしながらも、彼はそう吐き捨てた。正直、星なんてどうでもよかった。彼の求める光とはそんな風に、目に見えるか見えないかを争うようなものではなかったから。

「違うよぉ。隣同士でってところ」

「…」

 彼女は今一度、黙る彼の袖を取る。そこから鮮烈な赤が拡がった。

 互いに手は繋げなかった。

 彼女は錆び臭い滑りを隠したかった。

 彼は氷の指先を隠したかった。

「…」

「…」

「…星になりたい」

「馬鹿なこと言うなよ」

「光にされてしまうよりは、いいでしょ?」

「…」

「星だったらきっと、気が遠くなるくらいずっと、ずーっと、一緒にいられる」

「…そんなに長い間、何すればいいんだよ」

「こうしてお話してようよ。あの星たちだって、そうしてる」

「…そんな気がするだけだろ」

 ふふ、と彼女は笑った。




 憎々しげに浮かんだ千景のその答えが、一望にはとっても可笑しくて、

「あっはは」

 今にも転げ落ちてしまいそうだった。

「他の命だったらいけないの?」

 いけないに決まっていると言いかけて、千景は寸前で口を噤む。きっとまたわらいながら「どうして?」と訊ねてくる、それを捩じ伏せる言葉を、彼には見つけられなかった。

 ただの嫌悪かもしれないから。他の命を食いながら、その上を我が物顔で踏みつけて、煌々と爆ぜては下劣に飾る、そんなモノを生んだ心理が、そんなことをしてでも生きようとする目的が、解せなくて。

「……」

 押し黙る千景の胸の内など、一望には微塵も分からなかった。

「…僕はあそこへ降りて見てみたい」

 ただ純粋なその火の、有り余る目映さ。千景をくらりと悩ませる。

 なぜ彼はそれを求めるのか。憧れや興味がそうさせるのか。それは、他者を敬うことよりも、隣人を愛することよりも、優れたものだと言えるのか。

 問うたところで仕方がないのも承知の上だ。幼さゆえに酷さを残した彼の目には、知らないことが多過ぎて、だからこそ満たすことに飢えている。

「だめだよ。そんなことをしたら…」

 きっとそれだけのことなのだろう。だから、他の命を奪うからと言っても、君の炎が消えるからと言っても、

「…」

 それこそ誰かが悲嘆に暮れるからなんて言ったって、彼を止められはしないだろうことを、千景は即座に悟ってしまう。

 その火が、ぐらんぐらんと滅茶苦茶に暴れる。縁が赤にも白にも黄色にもなる。今にも爆発するのではないかというくらいの烈しさで、そうなれば屑となってしまうのに。一望はこんな彼を見たのは初めてだった。もっと見たいと、うずうずした。

「そうしたら、どうして他の命を燃やすのか、分かるかもしれないね」

 チカチカ、と彼はわらった。

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