四話

 穆哨と風天巧が二人並んで姿を現すと、任木蘭たちは一様に目を丸くし、また怪訝そうに首をかしげた。風天巧が扇子を開いて気取った笑みを浮かべる横で、穆哨はさっと視線を逸らして両腕を組んだ。

 とはいえ目の前の光景に違和感を覚えたのは任木蘭たちだけではない。孔麗鱗とともに蠱洞居にいるとばかり思っていた楊夏珪がいることに穆哨はひどく驚いた。白衣の見慣れない女剣客と楊夏珪に対峙しているのは欧陽梁と柳洛水だ。村長に言って借りたのだろう、四人は集会所の卓に向かい合って座り、黙々と互いの出方を伺っているように見える。

 一体どういう風の吹き回しなのか穆哨にはさっぱり分からなかった。風天巧は穆哨の困惑を見て取ったのか、

「ああ、すっかり忘れていた」

 と苦笑いをしてみせる。それから風天巧は、人界に来てからのことを手短に語った。

 そして案の定、楊夏珪が孔麗鱗を裏切ったことが穆哨にとって一番の衝撃だった。

「そんな……よろしかったのですか?」

 穆哨が眉根にしわを寄せると、楊夏珪は力強く頷いた。

「構わない。私はあの女に人手を供するためにお前を拾ったわけではないのだからな」

 穆哨は無言のまま目をしばたいていたが、やがて深々と頭を下げて礼を述べた。風天巧はそんな二人を見て、口元に微笑を浮かべずにはいられなかった——元々気性が近いのかもしれないが、それにしても親子かと見紛うほどに似通った師弟だ。別々に見ると分からないが、今目の前にいる彼を見ていると、この師にしてこの弟子ありと言いたくなるような気分がした。彼女のおかげで今の穆哨があるのだと思うと、起こった悲劇をいつまでも嘆かなくていいのだと思えてくる。

 しかし、風天巧の視線に気付いた穆哨は風天巧をむっと睨みつけると、ぶっきらぼうに

「何を笑っている」

 と言った。

「何も。楊殿が君を育ててくれたことに感謝していただけだよ。今の私たちになれたのは彼女の貢献によるところが一番大きいのだろうと思ってね」

 風天巧がさらりと答えると、楊夏珪は首をかしげ、穆哨は「何を言う!」といきり立った。

「ははあ、さては恥ずかしいのだな? さっきはあれほど熱心に口説いてくれて、その上せ……」

「もういい!」

 穆哨は今まで出したこともないほどの大声で叫ぶと、風天巧を思いきり突き飛ばした。首から上が燃えているのかと錯覚するほどに顔が熱い。きっと目も当てられないほど赤くなっているのだろうと穆哨は思った。その上風天巧がわざとらしくくずおれてぱちりと片目を瞑ってみせたものだから、穆哨はたまらなず踵を返して部屋を出ようとした。

「穆哨」

 戸惑いつつも楊夏珪が鋭く呼び止める。穆哨はぴたりと立ち止まってから、この幼い頃に染みついた癖に密かに悪態をついた。

「この場にいるからにはどこにも行かせぬ。事はお前にも関係があるのだから、ひとまず落ち着きなさい」

「……はい。醜態をお許しください、師父」

 穆哨は呻くように答えると、踵を返して空いている椅子に縮こまった。

 楊夏珪は任木蘭に軽く頷くと、欧陽梁を見据えて言った。

「弟子がお騒がせして申し訳ございません。どこまで話しましたかな」

「穆様に憑りついている悪鬼を鎮静するために、私の持つ碧清剣と『水』の功体が必要というところまででしたわ」

 答えたのは柳洛水の方だった。欧陽梁は考え込むように息を吐いただけで何も答えない。

「柳姑娘はどう考えているのかしら?」

 任木蘭が尋ねると、柳洛水は師をちらりと見てから遠慮がちに答えた。

「私は手伝えることがあるなら喜んでお手伝いいたしますわ」

「では一体何が気がかりなのだね?」

 風天巧が聞くと、柳洛水は

「全てが収束したら、剣はどうなるのでしょう?」

 と尋ね返した。

「それは自分の剣がこれからも使えるのかという意味かね?」

「それもあります。ですが一番は……」

「一番は、碧清剣は儂が弟子に貸し与えているだけということじゃ」

 柳洛水を遮った欧陽梁に皆の視線が集まる。欧陽梁は皺の奥から一同——特に風天巧を睨めつけると、低い声で言った。

「五行神剣を正しき者の手に委ね、悪の手から守ることが儂の務めじゃ。柳洛水は水の功体を持っておる上に、実力も義侠心も門弟の中では群を抜いておる。それ故に彼女を儂の直接の弟子として碧清剣を守らせることにしたのだ。此度のことで彼女が変な気を起こし、碧清剣ごと姿を消すようなことが万にひとつでもあるのなら、儂らはここで暇を告げねばならぬ」

 風天巧は扇子を閉じるとあごに当てた。欧陽梁にとっても唯一の肉親である穆哨を救うためだというのにいやに消極的だし、任木蘭たちがそのことを言い忘れているとも思えない。

「穆哨は貴方の孫だと伺いました。ご令嬢とその夫が世を去って久しい今、残された孫への助力を惜しむというのは賢明でないと存じますが」

 風天巧が考えあぐねている間に楊夏珪が問うた。

「助力を惜しんでおるわけではない。穆哨は我が関山派にて面倒を見、鳳炎剣を持つ者として不足のないようにするつもりじゃ。件の悪鬼とやらも儂らで対処できよう」

 この言葉に穆哨たちは一様に眉をひそめた。特に任木蘭は、魏凰を東鼎会から連れ出したときに呂啼舟の邪気を借りた鳳炎剣の威力と恐ろしさを目の当たりにしている。楊夏珪と風天巧は直接現場を見たわけではなかったが、それでもことの重大さは身に染みて感じていた。

 そして穆哨は、なぜ欧陽梁に関山に誘われたのかを始めて理解した――穆哨が三十年という時を経てようやく見つけた孫だからではなく、彼が鳳炎剣の使い手だからだ。呂啼舟の感覚が混ざっていたために当時は半ば夢の中のような気分でいたが、あれだけの人数を焼き尽くした事実は後になってから重くのしかかってきた。

 誰を倒すにしてもあんなやり方は御免だと、今なら声を大にして言える――しかし欧陽梁には穆哨が鳳炎剣でもって江湖にのさばる巨悪を倒したことしか見えていないらしい。悪鬼に対処するというのも、風天巧たちがやろうとしているように彼を誅することではなさそうだ。

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