三話

 東鼎会の本拠地が夜中に焼き討ちに遭った――この知らせは驚くべき速さで広まり、巳の刻にはその真偽を確かめに来た者が玉染の街に集まり始めていた。そして、彼らは街に入った瞬間に求めていた答えを肌で感じ取った。

 焼け跡に収まりきらなかった煙と死の臭いが街の中にまで流れてきており、何が焼けたとも知れぬ灰がひらひらと宙を舞っていた。住民たちは門戸を閉ざし、商人たちも店を閉めたまま、まるで街そのもやが死んでしまったような有様だ。どうしても外出せざるを得なかった数少ない住人だけが口と鼻を布で覆い、人目を避けるようにそそくさと通りを急いでいた。

 実際に砦に向かった者は、見る影もなく焼き払われた広大な更地を目の当たりにした。首を落とされた魏龍影がぽつんと跪いている以外に死体は見えず、しかし空気には決して一人分ではない血肉の焦げた臭いがこびりついている。それはまさしく死の焦土だった。

 しかし、そんな死の街と化した玉染に、一人だけ口元も覆わずに溌溂とした顔をさらし続ける娘がいた。身軽な装束に身を包み、腰には細身の長剣を佩き、背筋をすらりと伸ばした姿はともすれば少年に見えるほど凛としている。

 彼女は名を柳洛水りゅうらくすいと言った。柳洛水は迷いのない足取りでつかつかと通りを歩き、とある宿屋に入っていった。食事処になっている一階は他の店と同様にうらぶれて、勘定台に店員がいる以外には誰も見当たらない。娘は軽く会釈して勘定台を通り過ぎ、入口からは見えない一番奥の席に向かった。

「師父」

 柳洛水が拱手して一礼すると、薄暗い席に座っていた老爺がわずかに顔を上げた。

「どうであった」

「焼け跡を見てきましたが、陰の気が強くて長居ができる状態ではありませんでした。その上砦から流れ出た陰の気が街全体に影響を与えています。適切な対処をしなければ、玉染全体が悪鬼や妖怪の住処になってしまうやもしれません」

 柳洛水の答えに老爺は深く頷く。彼女はさらに言葉を続けた。

「実は、焼け跡から灰を少し持ってきたのですが、ご覧になりますか」

 老爺は片方の眉を吊り上げ、灰を見せるよう言った。柳洛水は懐に手を入れて小さな巾着と手巾を取り出すと、手巾を広げた上に巾着の中身をあけた。漆黒の灰がぱらぱらと落ち、途端に周囲の空気が重くなる。老爺は指を二本立てて剣指を作り、灰の上をさっと走らせた。

 途端に皺の奥に隠れた双眸がかっと開かれた。老爺はすっくと立ち上がると、勘定台で固まっている男に向かって一言尋ねた。

「このあたりで赤い剣を持った者を見たか。鞘は赤、剣身は赤銅色で、柄には鳳凰の首を模した彫り物がされておる」

 その気迫に気圧されたのか昨夜の記憶に怯えているのか、店員は途端に震えだし、つっかえながらある男を見たと答えた。

「へ、へえ、欧陽おうようの大旦那、それが昨夜、魏の旦那のとこで火事があってすぐのころ、黒い服の男がこの道をばーっと走っていったんですよ。一人で大声で叫びながら、抜き身の剣を持ってて……あっし窓から見てたんですが、そいつの剣、今思い返したら、たしかに大爺の言われたとおりの剣でした、ええ、ええ、」



 二人は宿を出ると、男の言った方向に向かって歩き始めた。表通りから裏道に入り、老爺が時折立ち止まっては残っている陰の気を確認する。そうして歩くこと半刻余り、街はずれまで来たところで二人は立ち止まった。目の前にあるのはうち捨てられた廃屋で、扉が傾いて外れかけている。

「ここにその男がおるはずだ」

 老爺は静かに言うと、今にも外れそうな戸板を思いきり叩いた。中からの返事はなく、代わりに柳洛水の剣がガチャンと音を立てる。老爺が彼女に目をやると、柳洛水は何もしていませんと両手を振った。

「……やはり感じておるのか」

 老爺は呟くと、もう一度扉を強く叩いた。

「どういうことですか?」

 柳洛水が首をかしげる。老爺は柳洛水の手の中で小刻みに震えている剣を指し、

「東鼎会を滅ぼした得物は五行神剣が一、五行の火に属する鳳炎剣だ。お前の持つ碧清剣へきせいけんもまた五行神剣が一、それも火の相克である『水』に属する」

 と答えた

「まさか! 五行神剣があれほど強い邪気を発するなんて、聞いたことがありません」

「だからこそ、儂らはこの者をよく見極めねばならぬのだ」

 目を丸くする柳洛水に老爺が告げる。

 老爺はその間も扉を叩き続け、ついに蝶番を壊してしまった。戸板がゆっくりと向こう側に倒れていく中、ぽっかり空いた暗がりで人影が動く。男は武器を持っているらしく、淡い日の光を反射して赤銅色がちらちら閃いている。柳洛水が腰の剣に手をかけ、にわかに緊張が高まる中、老爺は人影を見据えて静かに口を開いた。

「休んでいるところを申し訳ない。力の加減を見誤ってしもうた」

 落ち着いた、しかし底知れぬ威圧感をかもし出す声に、その人物は疲れの見える声で答えた。

「誰だ。何の用だ」

「儂は欧陽梁おうようりょうと申す。東鼎会が殲滅されたとの知らせを聞き、弟子と共に急ぎ玉染まで参ったのだが……貴公が鳳炎剣でもって、魏龍影らを一掃された御仁かな」

 欧陽梁は淡々と語りかける。人影は少し間を置いたのち「そうです」と答え、日の差す場所に進み出た。

 人影の正体は穆哨だった。穆哨は憔悴しきった眼差しを欧陽梁たちに向けると、鳳炎剣を背中に回して軽く頭を下げた。

「俺は穆哨と言います。……お見苦しい格好で申し訳ございません」

 そう言った穆哨は乾いた血とすすでどろどろに汚れていた。黒い衣は所々焦げて穴があき、足元は灰で真っ黒だ。足は当然のごとく真っ黒だ――柳洛水は驚きと訝しみの入り混じった目を穆哨に向けたが、欧陽梁は顔色を変えず、なぜ夜討ちをかけたのかと問うた。

「両親の仇を討つためです。最近になってようやく、連中が両親を殺したことを知ったので」

 穆哨が答える。

「ご両親の名は何という」

 欧陽梁が再度尋ねる。穆哨は唾を飲み込むと、かすかに震える声で答えた。

「父は穆鋭、母は欧陽楓といいます」

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