四話

 柳洛水は「欧陽楓」の名にはっとして師の顔を見上げた。穆哨も名前を出してから気が付いたのか、考え込むように眉をひそめて首をかしげた。

「もしや母は欧陽梁様と血縁関係にあったのですか」

 欧陽梁は険しい顔のまま穆哨をじっと見つめていたが、やがてため息とともに呟いた。

「……あの子も分からないことがあると、決まって眉根を寄せて首を傾けたものよ。いかにも欧陽楓は儂の娘、我が欧陽家の唯一の子女にして儂が最初に教えた弟子じゃ」

 それを聞いた途端、穆哨は雷に打たれたような心地がした。天涯孤独だと聞かされ、自分でもそう信じていたというのに、今になって現れた祖父が英雄とあがめられている老剣客だったとは。それもかつての穆哨にとっては魏龍影と並ぶ敵であり、天界に昇っていなければ確実に刃を交えていただろう男だ。

 両親の死に目を見せられたときも驚いたが、それにも勝るほどの衝撃を穆哨は覚えた。床が回っているような錯覚すら覚える中、頭の片隅で黒い気配が首をもたげるのを穆哨は感じた。呂啼舟も驚いたのだろう、しかし今回は静観すると決めているのか何も言ってこない。

「では……では、欧陽梁様は俺の外祖父で、柳先輩は俺の師叔ということですか」

 何とか言葉をひねり出したが、それすらも自分の声でないようだった。欧陽梁が重々しく頷いたのも、そのあとに続いた言葉も、全てが現実離れして感じられる。

「左様。楓児は三十年ほど前にぱたりと姿を消したきり、どこを探しても見つからなかったのだ……覚悟もしていたが、やはり先に逝っておったか。だが、夫婦の契りを結んで子を産んでいたとは思ってもみなかった。其方の年頃を見るに幼いうちに別れたのだろうが、あやつに子がいたと知っていれば急ぎ迎えて我が関山派に名を加えたものを」

 穆哨はあいまいに頷くにとどめ、何も答えなかった。

 東鼎会の一兵卒だった穆鋭は鳳炎剣を盗み出し、欧陽楓とともに三年間逃亡していが、その間に二人が一度も欧陽梁を訪ねなかったのは明らかだ。今の欧陽梁の言葉から察すると二人は駆け落ち同然で夫婦になったようだが、そのせいで戻りづらかったのだろうか。

「……俺は、幼い頃にある人に拾われ、その人に剣術を教えてもらって育ちました。それ以前のことは何も覚えていないのです」

 穆哨は慎重に言葉を選びながら話し始めた。孔麗鱗と欧陽梁の関係を鑑みると、蛇眼幇で育ったことは口が裂けても言えない。ましてや両親の死について教えたのが悪鬼になり果てた元天仙だと打ち明けるなどもってのほかだ。

「捨て子同然で拾われたことは小さいうちから聞かされていましたから、この先両親と会うことはなく、二人のことも知りようがないのだとずっと思っていました。ですが、最近になって……ある道士が教えてくれたのです。東鼎会の穆鋭という男とその妻の欧陽楓が魏龍影から逃げており、その中で林氷伶に追いつかれて殺されたことを。その道士によると、穆鋭は魏龍影の元から鳳炎剣を盗み出し、あちこちを逃げ回っていたそうです。なぜ穆鋭が鳳炎剣を盗み出したのかは俺も分からないのですが、二人が夫婦となり、俺が生まれたのも逃亡生活の中でのことだったと聞きました」

「余計な男に関わりおって」

 欧陽梁はかぶりを振って呟いた。

「あやつはどうしようもないほど頑固で、こうだと思ったことは絶対に曲げなかった。その穆鋭という男も大方あやつに説き伏せられたのであろう――もっとも、それで魏龍影に対して謀反を起こしたということは、そやつも正しい心を持っていたのであろうが。だが問題はそこではない。誰と一緒であれ、あやつは儂の元に帰ってくるべきだったのだ。さすれば其方が苦境を強いられることもなく、儂が与えた蒼天斬が失われることもなかったであろうに」

「その道士も、彼女の死後に蒼天斬がどうなったのかは知らないと言っていました」

「……全く、あやつときたら」

 欧陽梁は低い声で文句を言ったが、すぐにため息をついてかぶりを振った。柳洛水も穆哨も、欧陽梁もやはり親なのだと思わずにはいられなかった。



 その夜、穆哨の夢に呂啼舟が現れた。

 いつもなら勝手に話しかけてくる呂啼舟だが、この夜はなぜか穆哨を見つめたままじっと押し黙っている。穆哨が耐えかねて何の用だと尋ねると、呂啼舟は無表情のまま口を開いた。

「まさかお前が欧陽梁の血を引いていたとは」

「俺だって知らなかった。きっと師父も知らなかったんだろう」

 穆哨は手短に答えてから、眠気がすっかり消えてしまっていることに気が付いた。目を開け、破れた壁の穴を睨みながら別室から聞こえてくる二人分の微かな寝息に耳をすませる。ため息とともに寝返りを打つと、呂啼舟がすぐ隣に横たわってまばたきもせずに彼を見つめていた。

 穆哨はびくりと肩を震わせたが、呂啼舟はお構いなしに口を開いた。

「運命とはかくも無慈悲なものか。誰もが過去を悔やみ、因果を恨む」

「よく言うな。誰よりも因果を恨んでいるくせに」

 そうは言い返したものの、穆哨もあのとき何かが違っていればと思わずにはいられなかった。

 もしも欧陽楓と穆鋭が欧陽梁の元に逃げ込むことを選んでいれば。あるいは、もしも欧陽梁が娘の行方を早くに突き止めて、孤児となった穆哨を見つけていれば、悪逆非道の毒蛇女の手先として狼藉三昧の日々を送ることはなかったのだろう。

 あるいは、もしも彼を拾ったのが楊夏珪でなかったら。もしも市井の平凡な夫婦に拾われていたら、今頃江湖とも五行神剣とも無縁の暮らしを送っていたのかもしれない。

 他人を恨むには当時の彼は幼すぎたし、流れに飲まれただけの子どもが一体何を悔やめるというのだろう。魏龍影と林氷伶は討ち取ったが、だから何だというのだろうか――自身に悪党としての人生を歩ませた全員を恨み、一人ひとりに復讐していけばいいのだろうか?

 しかし、それは間違いだということを、怨念の塊を抱えた頭が何よりもはっきり感じている。呂啼舟のように何もかもを恨み続けることなど、穆哨にはできなかった。

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