五話

 穆哨は目を見開いた。今の話の流れでは、風天巧が五行神剣を人間に渡して争いを始めさせたということになるではないか。長きにわたる戦乱を経て蛇眼幇と東鼎会が争っているのも、二者を抑えようと正道が機を伺っているのも——そして穆哨が鳳炎剣を盗んで争いの鍵となったことも、全ては風天巧に起因するというのか?

 だが、穆哨の戸惑いが天仙たちに伝わることはなかった。穆哨が口を開いて何か聞く前に、風天巧が言い返したのだ。

「もちろん忘れていないとも。だが進展は進展だ。まさか鳳炎剣だけを天界に戻し、穆哨は人界に追い返そうなどとは言うまいな?」

「その通りだ。道を外れた者は仙境にいらぬ」

 音清弦が切り捨てる。その言葉に風天巧はとうとうカッとなり、音清弦に食ってかかってしまった。

「その理論でいくと私も仙境には入れないはずだぞ? 人界に五行神剣をばらまいて争いを引き起こしたとき、たしかお前はこう言わなかったか? 天仙としての道に反した者は追放されて然るべきだ、と」

「その話はもう済んだことじゃない。風天巧が事を収めるために人界に降りて、神剣を全て天界に持ち帰るということであなたも同意したでしょう?」

 邱明憐が素早く割って入ったが、彼女が言い終わるが早いが音清弦がダンと机を叩いて声を張り上げた。

「その結果がこれではないか! たしかに一振りは戻ってきた。だがなぜ反派の輩が一緒なのだ。混沌に与する者がなぜ神剣を扱える? 其奴の修為がここまで上がったことが計略でないとなぜ言い切れる? まさか仙境が正邪の別を忘れたわけでもあるまい、なのにこれは一体どういうことなのだ?」

「左様。それに其方らは鳳炎剣に斬られたのは悪人だけだと言うが、その下手人もまた悪人ではないか。これでどうして彼が天界で悪事を為さぬと言い切れるのだ?」

 そこに宋靖も加わり、議論はみるみるうちに紛糾した。風天巧と邱明憐、音清弦と宋靖が組に分かれて火花を散らし、陳青はそのただ中でどうにか場を取りなそうとしている。莫千朋と杜辰は顔を見合わせて肩をすくめ、今や完全に取り残された穆哨に向かってすまないなと謝った。

「俺たちも色々あったんだよ」

 莫千朋はそう言いながらどさくさに紛れて穆哨の隣に移動した。

「風天巧の奴、一体何をしたんです? 五行神剣を人界にばらまいたって……」

 穆哨が尋ねると、莫千朋について来た杜辰がため息混じりに答える。

「かつて道を踏み外し、地界の邪気に毒された天仙がいた。その鎮圧のために徐風玦——風天巧は、五行神剣と破軍神穹はぐんしんきゅうという二種類の神器を作り上げ、これによって堕落した天仙は誅された。

 だが問題はそれからだ。まず誅仙の戦いの後、破軍神穹は宋靖が保管することになったのだが、五行神剣の方は蔵の奥深くで眠るのみになってしまった。知っていると思うが徐風玦は至高の武器が使い手もなく飾られているのを何よりも嫌う。奴はそれで相当機嫌を損ねていたのだが、その堕落した天仙というのが徐風玦と……仲で、しかも其奴を誅したときに我々もまずいことをやってしまったものだから、徐風玦は我らに失望し、自暴自棄になっていた。そしてある日、奴は無断で神剣を持って人界に降りたのだ——あとのことは知ってのとおりだ」

 杜辰が語り終えると、莫千朋がため息をつきながら瓢箪の栓を抜いた。

「あのときは、さすがに悪いことをしちまったよ。だからあいつが捕らえられて仙境に戻されたとき、俺たち二人と明憐でなんとか追放を免れさせたんだ。知ってるか、穆哨? 俺らの持ってる仙骨は、創神の意向ひとつで封印させられるんだよ。そして仙骨が封印されたら当然仙境からは追放される。もし俺たちがかばっていなかったら、あいつは今頃ただの人間として人界で一生を終えていたところだ」

 莫千朋はかぶりを振ると、瓢箪の酒をぐいとあおった。

 穆哨は議論の真っ只中の風天巧を見やった。今の話を聞いてようやく、風天巧が仙境に戻ることに消極的な理由が分かったように思えた——同時に、莫千朋たちが穆哨と風天巧に肩入れしている理由も。風天巧の認める使い手が天仙になって彼と並び立つよう尽力すること、それがきっと彼らにとっての罪滅ぼしなのだ。


 その後も天仙たちの論争は続いたが、いつまで経っても誰一人として折れる気配を見せず、陳青の心労だけが目に見えて積み上がっている。

「……流石に割って入るべきか」

 杜辰が眉をひそめると、莫千朋が「やめとけ」と返した。

「だが音清弦だけでも黙らせねば、これではいつまで経っても終わらぬぞ」

「だが大変だぞ? あの頑固者、俺たちが割り込んだら余計に怒って手がつけられなくなりそうだ」

 莫千朋はそう言って瓢箪をまた傾け、さらに杜辰に一口勧めた。躊躇なく瓢箪を受け取った杜辰に穆哨が呆気に取られていると、

「お前もどうだ?」

 と莫千朋が赤みの差した顔で問うてくる。穆哨は断ったが、杜辰は平然と一口飲んで瓢箪を莫千朋に返した。

「……結局、皆何について論じているのでしょう」

 穆哨はぽつりとこぼした。

「お前が仙境にとって益となるか害となるかだろうな。全く、仙境を荒すような奴にははなからお達しが来ないだろうに」

 莫千朋が答える。穆哨はそれを聞きながら言い争う五人をじっと見ていたが、やがて意を決して立ち上がった。莫千朋たちの制止も聞かずに上座に向かって歩いていくと、五人は一斉に動きを止めて穆哨を見た。

 穆哨は彼らをぐるりと見回すと、静かに口を開いた。

「はっきりさせてください。ごろつきの俺が鳳炎剣を持っていることがまずいのですか。それとも俺が天仙になることがまずいのですか。……それとも、風天巧の過ちが邪道の者を天界に呼び寄せたことがご不満なのですか」

「穆哨、」

 風天巧が何か言おうとしたが、穆哨はそれを遮って次の言葉を発した。

「俺のこれまでの行いが不安だと言われるなら、今ここで誓いましょう。天仙の地位を授けられたあかつきには、俺は一切の力を悪の覇業ではなく正義を成すことに使います。一切の悪行から足を洗い、神剣を持つにふさわしい剣客になってみせます」

 下座の方で莫千朋と杜辰が感嘆と称賛の声を上げる。一方で、一番激しく反対していた音清弦は当の本人がこう言ったことで完全に反論に詰まってしまった。宋靖は賛同も反対もせず、穆哨をじっと見つめている。

 ふいに訪れた沈黙の中、口を開いたのは風天巧だった。

「私が知る限り、穆哨はここ何十年の間では最高の神剣の使い手だ。実力は確かだし力に溺れることもなく、出過ぎた真似もしていない。五行神剣の作り手たるこの私、天玦神巧がそう認めているのだ、これは十分すぎる保証ではないのかね?」

 天仙たちは誰も答えない。風天巧は押し黙ったままの面々を見回すと、さらに言葉を継いだ。

「一度天仙の位を受け入れたら、その者と俗世のつながりは消滅する。今までの行いは消えずとも、穆哨が今後邪道の者たちに混じって悪行を重ねることはなくなるのだ。どうだ、ここはひとつ賭けてはみないかね? それとも、その機会すら彼にはないと言うのかね」

「無論、機会はある。だがそのためには何があろうと今の言葉が覆ることはないと誓ってもらわねばならぬ」

 宋靖が声を上げる。皆の視線が集まる中、穆哨は宋靖だけを見据え、一言一句しっかりと答えた。

「誓いましょう。私に二言はありません」

 穆哨が宣言すると、風天巧と邱明憐の顔がぱっと晴れた。宋靖も今度こそ腑に落ちたのだろう、分かったとばかりに重々しく頷いている。陳青はそれを見ると、ようやく肩の荷が降りたと言わんばかりにいそいそと金色の巻物を取り出した。

「では、皆様。この目録に、穆哨殿の名前を加えるということでよろしいですか?」

 陳青が天仙たちを見回す。今度は誰も反論の声を上げなかった。

 陳青は宋靖の傍らに移動し、巻物を長机の下座まで勢いよく広げた。号と名前がずらりと並んだ巻物はどんどん流れていき、一人分の空白が現れたところでぴたりと止まった。陳青はそれを確かめると、その空白の部分に血判を押すよう穆哨に言った。

「この血判があなたが天仙の地位を受け入れた証となります」

 穆哨は迷うことなく指の腹を噛み切った。血の滲む指先を巻物に押し付けると、そこに「穆哨」の名と「鳳琰天哨ほうえんてんしょう」の号が現れる。

 字が現れたのを認めると、陳青が両手を組んで印を結んだ。目録の字が金色の光を放ち、紙の表面が水鏡のように揺らぐ。穆哨と天仙たちが見つめる中、円形の縁に「天」の字が彫られた緑色の玉佩が迫り上がってきた。

「鳳琰天哨、どうぞお受け取りください」

 陳青の声がやけに大きく聞こえる。穆哨は目の前に浮かぶ玉佩にゆっくり手を伸ばした——夢のような、まるで現実味のない時間はしかし、手の平にひんやり冷たい玉の感触が伝わった時点で確かな現実と化す。玉佩をぐっと握り込むと光は消え、たしかな重さだけが手の中に残った。

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