四話

 陳青はかぶりを振ると、様子を見てきますと言って広間を出てしまった。しばらくすると広間は完全に沈黙に包まれた。鳥の声だけが遠くに聞こえる中、天仙たちは何も言わず、ただじっと目の前の青年に注目している。穆哨は真っ白になりかけた頭で彼らの顔を見回した——音清弦の彼を見る目は相変わらず冷淡で、宋靖も獲物を見定めるように穆哨を凝視している。その一方で、邱明憐は穆哨に笑いかけ、風天巧は大丈夫だというふうに頷いた。彼らが何をもって穆哨の意志を問うのかは全く分からなかったが、少なくとも風天巧と邱明憐は味方になってくれるように思える。

 その一方で、悪い展開に繋がり得る要因も山ほど思い浮かんだ。もとより穆哨は孔麗鱗という、江湖きっての悪女に従うごろつきの一人なのだ。盗み、殺し、放火に拷問と犯した罪は数え切れず、それらを非難されることは目に見えている。もしもそれが原因で仙境に留まることをはなから拒否されてしまったら——そうなった場合、風天巧たちの助け船は果たしてどこまで通用するだろうか。

「そう案ずるな。私がいるだろう」

 風天巧の声で穆哨ははっと我に返った。

「そら、残る二人のお出ましだぞ。もしかするとお前が一番会いたい相手かもしれぬな……剣茫星辰の如く、江湖を歩き千の友とう。剣辰千朋、杜辰としん莫千朋ばくせんほうだ」

 穆哨を安心させようとしているのか、風天巧はもったいぶって講釈の一節を唱えると、細い指をひらりと入り口に向けて振った。

 入り口を振り返り、まず目に入ったのはどこか疲れた様子の陳青だった。続いて広間に現れたのは黒髪をひっつめ、眉間にしわを寄せた中年風情の男と、彼と肩を組む髷も衣服も崩れ放題の長身の男だ。下座に座る穆哨を認めた二人は、席に着くよう促した陳青をまるっきり無視して穆哨の方に歩み寄った。

「お前が穆哨だな?」

 だらしのない方が口を開いた。穆哨を指さした手には瓢箪が握られており、動きに合わせてちゃぷんと音を立てている。男は昼間だというのに酒臭く、瓢箪からも芳醇な匂いが漂っている。

 そういえば、講釈の中の莫千朋は大酒飲みの刀客だったはずだ。ふと思い至って男の背中を見るとやはり刀を背負っていて、小さな玉を連ねた飾りが軽快な音を立てて揺れていた。

「徐風玦の奴が前口上はしてくれたから、我々は手短に行くぞ。私は莫千朋、それからこっちは」

「杜辰だ」

「仙境にようこそ、小兄弟」

 莫千朋は最後にそう言うとぱちりと片目を瞑ってみせた。間髪入れずに陳青の咳払いが響き、杜辰は思い出したように莫千朋の脇腹を小突く。二人が風天巧の隣に座ると陳青も邱明憐の隣に腰を下ろし、居並ぶ天仙たちをぐるりと見回した。

「さて、天仙の皆様。お集りいただいたのは他でもない、この穆哨殿を新たに天仙として仙境に迎えるかどうかを論じるためです。結論がどうであれ、皆様にはその証人として——」

「私は賛成だ」

 口を挟んだのは莫千朋だった。陳青が不服そうに睨みつけると、莫千朋はおどけたように手を上げて抗議する。

「なんだ? ここまで来たということは、すでに覚悟は決まっているということだろ?」

「私も異論はない。ここにいるということが彼の覚悟の何よりの証拠だ」

 杜辰も淡々と述べると、先を話せと陳青に頷いた。陳青はため息を飲み込んで笑顔を浮かべると、

「——その証人として、彼の身分を保証することを誓っていただきます」

 とやっとのことで話を締めくくった。

「剣辰千朋のお二方は賛成を表明されましたが、他の方は如何でしょう?」

「私からも異論はないよ。彼は信用に足る男だ」

「同じく。私も彼を天仙に推すわ」

 風天巧と邱明憐も声を揃える。陳青は二人に頷くと、未だ発言のない音清弦と宋靖を見た。

「如何でしょう、天靖開陽将、天音清楽? 賛成が四票ですが」

 音清弦の氷のような双眸がちらりと動く。その口が出した結論は、穆哨の予想したとおり「否」だった。

「出自に穢れが多すぎる。このような不浄の者を天界に迎え入れることは危険が大きいのではないか?」

「一理ある」

 宋靖が音清弦の言に頷いた。

「聞くところでは彼の師伯は五行神剣を手中に収めて人界を支配しようと目論んでおり、彼自身もそれに付き従っているとか。此度の天界入りが彼女らの策でないと言い切れるのであれば、この宋靖、もろ手を挙げて彼を歓迎しよう」

「つまり反対ということですかな、開陽将」

 風天巧が尋ねると、宋靖は首を横に振った。

「否。私も賛成ではある」

「では、何が気になっておられるのでしょう?」

 邱明憐が問うと、宋靖は「経歴だ」と即座に答えた。

「道を外れた者となり、人界に混乱をもたらしてきた経歴は大いに考慮すべき点ではないか? 私が賛成と言ったのは、此奴の身を仙境に置かせることについてだ。ここに住まわせ、修行をさせて立場を見定める」

 ……やはりか。穆哨は胸の内で呟いた。やはり、反派の剣客という身分は彼らにとっては大きな不安要素なのだ。

「つまり、穆哨殿の人界での行いは天界の一員となるに相応しくないと」

 陳青が言葉をまとめた。

「たしかに、悪行を重ねてきた者が天仙の地位を得たという前例はありません。この点に関して、賛成の皆様は如何お考えですか?」

「天界に迎えたいと創神様がお考えなんだろ? だったら我々が反対することはないというだけのことさ。創神様が無害だと思われたってことは、きっと無害なんだろう」

 莫千朋が言う。

「それに、本当に性根のねじくれた奴なら、鳳炎剣の力に目が眩んで自分が江湖の頂点に立とうとするのではないか? だが穆哨は鳳炎剣を持って天界に入ることを了承した。これが何よりの証拠だ」

「鳳炎剣の刃にかかって無辜が死んでいないのなら、私はそれで十分だと思うが」

 杜辰が続けて述べ、今度は風天巧に向かって問うた。

「どうなのだ、徐風玦? 我々の中ではお前が彼を一番知っているはずだ」

「……その名は使わないでもらえるかな」

 風天巧がやや顔を引きつらせて笑う。穆哨が首をかしげていると、風天巧はなんでもないというふうにため息をついた。

「まあいい。穆哨のことだが、たしかに彼が鳳炎剣で斬ったのは東鼎会の連中だけだ。彼はむしろ東鼎会と蛇眼幇の争いに無辜が巻き込まれることを懸念していたよ」

「同じ穴の狢だ」

 音清弦がすかさず反論した。

「東鼎会も蛇眼幇も人界の秩序を乱し、神剣を悪しきことにのみ使おうとする。これを同族と言わずして何と言う? 鳳炎剣で無辜は殺していないと言うが、他の剣ではどうなのだ? その手で悪虐の業を重ねてきたのであれば、どう言い逃れしようとも同じことだ。違うか」

「心がどうであれ、悪しき行いを重ねてきたものは邪の誘惑を受けやすい。ましてやすでに二心を抱えているやもしれぬと言うのに、貴様はそれを無視するつもりか? 徐風玦」

 追い討ちをかけるように言った宋靖に、風天巧は違う違うと首を振る。

「孔麗鱗も楊夏珪も——穆哨の師伯と師父だが、彼女らは我々が仙境に入ったことは知らない。なにしろ二人には何も言わずに発ったのだからね。そうだろう、穆哨?」

「その通りだ」

 風天巧の言葉を穆哨はすかさず肯定した。だが、次の言葉を発しようと口を開いた矢先、音清弦がそれを遮った。

「何だと? つまりお前も奴らに与しているというのか、天玦神巧!」

「人界に散らばった五行神剣を探していたら、鳳炎剣を持った穆哨が私の懐にたまたま転がり込んできたのだ。聞けば孔麗鱗の覇業のために東鼎会から盗み出してきたと言う。孔麗鱗の目をかいくぐって穆哨と鳳炎剣を手元に置くには形だけでも服従の姿勢を見せねばならかったのだ。だから少しばかり置き土産をしてきたのさ、私がしたのはそれだけだよ」

 風天巧は流れるように追及を逃れると、扇子を開いてもてあそび始めた。

「今彼女の手元にあるのは鳳炎剣のなりをしたガラクタだ。五行神剣を天界に戻す、その第一歩が成し遂げられたのだから、もっと寛容になってもらいたいものだね」

「成し遂げたも何も、自分の尻拭いを自分でしているだけではないか」

 音清弦はピシャリと言い放つと、一際険しい目で風天巧を睨んだ。

「誰が五行神剣を持ち出して人界にばらまいたか、忘れたとは言わせんぞ」

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