幕末新撰組(一)

 隊士が順調に増えて形が整ってきた壬生浪士組に、ひどく困ったことが起きた。

 またしても新見だ。

 何をしたかといえば、勝手な金策である。

 去る五月のこと。新見は水戸浪士二人とともに、遊ぶ金子ほしさに京市中にある万屋から八両を借用した。

 万屋は水戸藩がよくつかう旅篭であったが、ちゃんと返済してもらえるのか不安になった万屋が、新家粂太郎の署名がはいった借用書をたずさえ水戸藩へ照会したところ、「それは京都守護職預りである壬生浪士組にいる新家のことだ。会津藩へ行ってくれ」ということになり、会津の公用人経由で発覚した。

 これは非常にまずい。隊の禁令に「勝手に金策いたすこと」とあるから、会津にも隊士にも示しがつかなくなってしまう。寄せあつめた隊士らが方々で金を借りてくるようにでもなれば、それこそ収拾がつかなくなる。

 芹沢、近藤、土方、新八は寄り集まり、頭を悩ませていた。

 近藤が芹沢に問う。


「これは困ったことになりました。芹沢先生、どういたしましょうか。酒癖が悪いとはいえ、しらふのときには尊王攘夷の志は誰よりも篤く、至って真面目で有能なお方です。新見さんほどの人材を失っては皇国の損失と存じまする」

「うむ、然り」


 皆の目が芹沢に注がれた。今回の件はどちらかといえば芹沢ら水戸者たちの事案という色が濃い。


「がああァッ……新見め。金が要るならこちらに言ってくれたらよかったものを、よりによって水戸の定宿から借りるとは、なんと迂闊な。会津公用人に知れてしまった以上、ただでは済ませられぬではないか」


 新八がおそるおそる呟く。


「――切腹、ですか」


 四人の間にしばらく沈黙が漂ったが、芹沢が鉄扇で己の膝をトンとたたいた。


「よろしい。某に腹案がござる。屹度、隊にも会津にも迷惑をかけぬ方向で処理いたすゆえ、どうかお任せくだされ」


 後日、隊の屯所に張り紙がでた。


 新見錦、勝手な金策ならびに市中での横暴な振る舞いにより切腹――


 実際は切腹などしていないが、京市中の座敷でみごと一人腹を切ったということにして、会津藩にも届け出た。さいわい、すっかり信じ込んでくれている。この秘密を知っているのは、先の四人だけだ。

 では新見の身柄がどこへ消えたのかといえば、芹沢が強引に水戸藩へ引き取らせたのだ。水戸藩家中のこととなれば、さすがに会津藩も手が及ばない範疇となるので、露見するおそれも低い。

 この処置に土方と新八は舌を巻いた。


「なァ、新八。いったい芹沢隊長はどうやって水戸藩の公用人を動かしたのだ。すげえな」

「さァ、さっぱり」

「相当な上のほうとつながりがなければ、到底できないことだ。やはりあの人は底が知れない」

「然様、同感です」


 なんのことはない、芹沢は武田耕雲斎に相談をもちかけたのだ。さらに耕雲斎の向こうがわには、一橋慶喜もいる。

 折も折、長州藩が五月に外国船へ砲撃を開始して攘夷実行の先がけとなったが、それを褒め称える勅諚とともに、公卿の正親町公董おおぎまちきんただが攘夷実行の様子を視察する。新家は公董に随行する親兵として身辺に仕えることになった。

 水戸藩と壬生浪士組にとっては長州藩の動向も把握できるし、新家を生かすこともできる。一石二鳥となるから苦肉の策のわりには上出来であった。ともあれ、会津藩に知られては一大事となるは必定。新見には金輪際変名をつかわず、新家粂太郎として活動をするよう芹沢が口を酸っぱくして言いわたした。

 まだ薄暗い早暁。芹沢と新八は、


「ありがとうございまする。芹沢先生の御恩に報いるため、精一杯勤める所存」


と深々と頭をさげる新家を見送った。

 その帰り道。新八はつねづね疑問に思っていたが、訊ねにくかった話題を芹沢にぶつけてみることにした。


「芹沢隊長、ひとつ込み入ったことを訊いてもよろしいでしょうか」

「なんと他人行儀な。これから壬生浪士組は我ら神道無念流がまとめてゆくことになろう。となれば永倉氏こそが頼りだ。なんなりと遠慮なく問うてくれればよかろう。――あ、ただしお梅のことはご勘弁願いたい」

「ハハハ、それはもちろん承知いたしております。お梅さんとは仲がよろしいようで、皆が微笑ましく見ておりますよ。違います、尊王攘夷について、水戸藩と長州藩の関係についてです」

「ほう、さすがは永倉氏。それはよい質問と存ずる」


 芹沢はとても感心した様子で顎をなで、鉄扇で肩をたたきながら続けた。


「――かつて桜田義挙のすぐあとのこと。水戸と長州の志士は、吉田松陰殿が水戸学を尋ねたこと、また神道無念流練兵館の人脈もあって幕府にかくれ密約を交わした」

「えッ……な、なにをいきなり。私が聞いてもよい話ですか」

「よいよい、実のところたいした内容もない約束にて。水戸と長州はいまも交流こそあるが、もはや誰もが忘れかけておる。そうした間柄だ」

「そうなのですか。それはなぜでしょうか。両藩はいずれも攘夷の先鋒たらんとする気概に溢れているように見えますが」

「然様。然様であるが、それが問題なのだ」


 日の出がのぼってきた。骨ばった芹沢の横顔が浮かびあがる。


「考えてもみられよ。水戸藩は徳川御三家。長州藩は関ヶ原で西軍の大将であったのだぞ。同じ尊王攘夷という言葉を唱えてこそいるが、東と西からでは見えている景色がまったく違う。肝心な順序が違う。ややもすれば真逆だ」

「真逆……ですか」

「うむ。それは某だけの見解でもない。水戸の者はもちろん、一橋公も早くから気付いておる」

「一橋……様」

「水戸にとっての尊王とは、徳川が征夷大将軍たるよりどころ、畢竟、幕府権威の源泉こそが帝であられる。そして我ら水戸の故郷や諸藩の郷里がある。ところが長州の尊王とは、攘夷の魁となる手柄を口実に、好機とばかりに自らが征夷大将軍にとってかわろうとする手段にせんとしている。なればこそ尊王攘夷を唱えておる――とは看る。近ごろ、倒幕という言葉をちらほら聞くようになったであろう」

「はい。京市中の志士らが口にするようになりました」

「あれこそ長州藩の真意であり、揺るがぬ証左であろうよ。奴らの最後にある目論見は、倒幕なのだ」

「なんと不遜きわまりないことを」

「然様。幕藩体制の大黒柱である幕府を倒してしまえば、諸藩が困る。皇国はふたたび、室町のときとおなじ戦国の世となってしまう。となれば喜ぶのは誰か。ほかでもない面妖な欧米諸国であろう。毛唐らはあまった武器弾薬を湿気って錆びるまえに諸藩へ売りたがっておる。そのためこれまで、執拗なまでに開国を迫ってきたのだ」


 正論である。新八は芹沢の論がいちいち腑に落ちて、目から鱗がはがれる思いがする。


「では芹沢隊長。一橋公と水戸藩御家中の方が上洛されたのは何ゆえでありましょう。何をなさっておられるのですか」


 芹沢はニヤリと満足げに笑い、無言でうなずいた。


「――何においても横浜鎖港、そして幕政改革。まずは井伊がおかした誤りを巻き戻さねばならぬ。横浜は箱根の関と江戸の真ん中にある。東海道は陸路の軍事の要。遺憾ながら、幕府にはいまだ欧米諸国に対峙できるほどの軍艦はない。つまり幕府は、横浜を開港した時点で欧米諸国に王手をかけられているのだ。何にせよ、話はそれからだ」

「なるほど、それで全て得心が行きました」

「さりとて、永倉氏は松前藩士のしかるべきお家柄の出であるから話が通じて嬉しい。朋あり遠方より来るとはまさにこのことと存ずる」

「いえいえ、そのような。私は学問のほうはからっきしでしたから……」


 新八は照れて月代を掻きながら、数ヶ月前にあった芹沢と清河の議論の応酬を思い出していた。

 あのとき芹沢は、「なぜ今なのか」と清河に何度も詰め寄った。

 そうだ、清河は長州とおなじ尊王攘夷を掲げていたのだ。ほかの港が開港となるまえに欧米諸国との戦端を開き、徳川幕府を排除して京に政権を移す目論見だったに違いない。中核にあったのはあくまで私的な野心、出世欲だ。だからこそ「今しかない」と焦っていた。

 芹沢はそれを見抜き、京都守護職である会津候へすべてを伝え、清河の謀略を未然に防いだ。

 だからこそ、壬生浪士組の今がある。

 突として芹沢は、東の空に浮かび上がらんとする朝日を鉄扇でまっすぐに示した。


「この神国、日本の国体と文化を守らねばならぬッ。日本を日本たらしめているものを守らねばならぬ。それこそが武家が武家たるゆえん、忘れてはならぬ今生の使い道である。尊王攘夷こそが神武帝からはじまった日本の歴史が求める正統な道筋であるッ――とな、ハハハ」


 やはり壬生浪士組の生みの親は芹沢だ。

 また、時の潮目にただよう豪傑壮士らを、隊長としてまとめあげられる将器も芹沢をおいて他にいない。

 かたやもう一人の局長である近藤が言う尊王攘夷は、中身が虚ろだ。よく中身を理解していない。江戸にあったころから然様であったが、単なる世間の真似ごとだ。

 それはまるで武侠小説や太平記に憧れる少年のように無邪気なもので、京で名を挙げて天然理心流を広げることしか考えていない。あれでは行かぬ。隊が分裂し、時の潮目に隊士らを溺れさせてしまう。

 新八は芹沢の横顔を見あげ、強くそう思った。

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