悪名の衣(五)

 上座には左から近藤、芹沢、新見が座している。

 芹沢が盃を高々とかかげると、広間をうめつくした百有余名の隊士たちが稲穂のように盃を上げて応じた。実のところ隊士ばかりではない。土方が「タダ酒が飲めるから朋輩を連れてきてもよい」と動員させたのだ。


「さて今日は、水口藩候からの招待であるから遠慮は要らぬが、いつものような喧嘩口論はいっさいあいならぬ。よいかッ、屹度いっさいあいならぬからな」

「「応ッ」」

「ご一同、ますます尽忠報国の志を世に示し、壬生浪士組の名を轟かせようではないか。――乾杯」

「「乾杯ッ」」


 やはり芹沢は、荒ぶる壮士たちをまとめるのが上手い。

 隊士たちも日頃から芹沢を先生と呼び、畏怖半分、心から慕っている。

 新八のとなりに座る土方が苦笑いを浮かべた。


「芹沢隊長も人が悪い。いっさいあいならぬと二度も言いやがった」

「ハハ、言いましたね。遠慮なくやれと」

「それにしても、見ろよ新八。さっきから芸妓はあのとおり働いているというのに、角屋の仲居がひとりもおらぬのはどうしたものだろう」

「なるほど、これはけしからぬ次第。やはり後ろめたい心があるからでしょうよ」

「さもあらん」


 ここ島原の角屋は、以前から長州藩急進攘夷派の者たちが、しばしば京坂の過激志士たちとの会合に利用している。

 本来ならば壬生浪士組が御用検めで問い質すために踏みこむところであるが、水口藩の立て札を表に掲げているので手出しが出来なかった。主人の角屋徳右衛門も口裏を合わせ「水口藩士の皆様でございますれば、お差支えがあっては一大事」などと恫喝をこめて応じてくる。とどのつまり、坂東武者を下に見て舐めくさっておるのだ。

 ゆえに壬生浪士組の者たちは、常々面白からず思っていた。

 酌を勧めながら新八が小声で訊ねる。


「土方さん、会津は何をつかんでいるのですか。近藤さんから聞いていませんか」

「それはこっちが訊きたかった。芹沢隊長はお前に何も言っていないのか」

「いいえ、さっぱり。体よくはぐらかされてしまいました」

「こっちもだ。ということは、局長の三人も詳しく知らされていないのかもしれねぇな」

「大樹様が攘夷実行を帝に誓いをお示しして以来、ますます京坂の志士らが騒がしい。公武一和を唱える薩摩の信用も地に堕ちた今、禁裏は長州の言いなり。芹沢隊長によるところ、公卿のなかには私兵を持とうとする画策もあるのだとか。尊王とは名目ばかりで、むしろ帝をないがしろにして利しているのは誰か。けしからんことです」

「うむ、危ういな。これだけ熱がたまってくるとそのうちどこかで爆ぜるだろうよ。だからこそ角屋は今おさえておかなければならない。会津はそう判断したか」

「然様、そう思います」


 今の壬生浪士組は、大きく二つに分けられる。近藤の下に寄ってくる天然理心流を中心とした一派と、芹沢配下の神道無念流の一派だ。

 近藤が浪士組に参加した一番の動機は、ここで活躍をして天然理心流の名を世に知らしめ後世に残すことだ。ゆえに山南敬助や藤堂平助といった一刀流の者たちは、少し肩身が狭く、両者の中間を漂ってもいる。

 いつしか両派閥の細々とした擦り合わせを、土方と新八の間でするようになってきた。

 さて二人が長く話し込んでいるあいだ、いよいよ隊士たちが出来上がりはじめている。

 芸妓をつかまえて「帯を解け」と難題を吹きかける者、口角に泡と飛ばして激論する者などが方々にあらわれてくる。刀を下に置いてきたから抜刀する者はなかったが、取っ組み合いの喧嘩もはじまった。

 土方と新八は目を合わせてうなずく。


「そろそろ頃合いだな」

「はい」


 上座を見ると、芹沢と近藤が無言でうなずいた。

 新見はといえば、例によって眼を据わらせて険悪な雰囲気で隊士らを睨めまわしている。

 芹沢は傍らに置いてあった鉄扇を手にとり、高々と振りかざし、いきなり目の前の膳に叩きつけて真っ二つに割った。

 隊士一同は一斉に上座を見て「芹沢隊長を怒らせてしまった」と怯え、絶句する。

 雷鳴のように建物をふるわす大音声が奔った。


「主人はいないか、これへ出ろッ」


 もちろん出てくるはずがない。

 土方と新八は、


「そうだ、出てこいッ」

「我らを接待せぬとはけしからん奴めッ」


とわざとらしく叫んだ。

 すると酔っ払った隊士たちは、


「我らの隊長を無視するとは、許せぬ」

「それッ、出てくるまで建物を壊してやれ」


と続いた。

 豪華な絵がほどこされた襖は破られ、美しい食器や膳はことごとく割られる。

 芸妓たちは身の危険を感じて直ちに逃げだした。

 ここぞとばかりに暴れだしたのは新見だ。隊士たちを使って梯子段の欄干をメリメリと引き剥がし、帳場にならべてある大酒樽を片っ端から割ってしまったから大変だ。黄金色の清酒で大洪水となる。

 さらに暴徒となった一行は流し場へなだれこみ、ところ狭しと山に積んである瀬戸物食器類を欄干をつかって木っ端微塵にしてしまう。何が目出度いのか知れないが、「鋭、鋭、応ッ――、鋭、鋭、応ッ――」と勝鬨をあげた。

 嵐が吹き荒れる広間の上座で、芹沢と近藤は悠長に談笑しつつ酌をさしあっている。土方と新八は黙ってそれを眺めた。

 壊すものが無くなってきたのか、酔っ払った隊士たちが外へ流れ出はじめた。

 島原の者たちは呆気にとられて遠巻きに見物している。

 土方は愉快げに楼下の混乱を見わたした。


「あァあァ、これではしばらく店を開けないな。他の店主たちや志士らしき者らもこちらを見ている。十分だろう」

「ええ」


 新八が合図を送ると、芹沢がたちあがって梯子を降りてゆく。逃げ遅れた風呂番の老爺を捕まえて申し付けた。


「壬生浪士組局長、芹沢と申す。角屋徳右衛門、武士を侮るとは不届き千万。不埒によって七日間謹慎を申し付けると然様に申せ。よいなッ」

「は、はは――ッ」


 調子づいて暴れている者は芹沢に鉄扇で強かに打ちつけられ、蜘蛛の子を散らすように角屋から逃げて行く。あっという間に店のなかが静かになった。

 ふたたび芹沢が梯子をのしのしと上ってきて、広間に残った近藤と土方と新八に向かって破顔一笑させた。


「いやいや、大変大変。これでは七日どころか半月は開けないであろうか。やれやれ、新見の奴め、飲みすぎだ。酒まみれで隊士たちに担がれて行った。情けない」


 近藤が酌を勧めると、芹沢が断る。


「いや、もう酒は結構。近藤氏もあとで下へ行ってみるとよかろう。肌から酒が入ってくるようだった。あれではまるで酒風呂」

「ずいぶんと派手にやりましたが大丈夫でしょうか」

「なんの、派手なぐらいで丁度よかろう。悪名とは伝わるのが早いもの。やるときはひどければひどいほうがよい。京で有名な角屋となればなおさらのこと。これで不逞の輩は壬生浪士組を恐れ、それに与する京の店主たちは利用を断るようになるであろう。たしかに一軒ずつまわるよりも、こちらのほうが手っ取り早いといえばその通りだった」

「京の方々から壬生浪士組が嫌われるのではないでしょうか」

「なァに、そのかわり我らが金子を落とせばよいだけのこと。今後は近藤氏にも女どもが群がってきて忙しくなるであろうよ。悪名の衣は、派手ならば派手なほうがよい。ガッハッハ」 


 芹沢は股立ちをとっていた袴をなおしながら土方と新八に声をかける。


「いや、御両所。此度は大変ご苦労であられた。隊士全員を集めた土方氏のお手並みは見事というほかない。水口藩を相手にまわした永倉君の交渉も勇ましかった。これで壬生浪士組は使えると会津で評判が上がり、不逞の輩を手先につかう諸藩も控えるに違いない。さっそく町奉行へ次第を伝えにまいるによって一足おさきをいたす。お三方はごゆっくりなされるがよろしい」


 いやはや、さすがは水戸で尊攘志士らをまとめてきただけの将器だ。

 近藤と土方、新八は、芹沢の豪胆さと細かな気遣い、時流を的確に読む達観に唸るばかりだった。

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