時の辻(二)

 本日、急きょ昼から花魁道中があるとの噂を聞きつけ、どこからともなく沿道に押し寄せてきた人人また人。

 その光景を見た新八は、クラリと眩暈を覚えた。

 隣を歩く島田が、大きな身を丸めて心配そうに顔色をうかがう。


「新さん、大丈夫ですか」

「あ、あァ大丈夫だ。なにやら色々と思い出してしまった」

「わかります。ちょうど池田屋のときもこんな具合でした。つい数年前のことなのに、ずいぶん遠く感じられるもの」

「うむ……」

「――それにしても、中村にはただただ呆れるほかなく。斯様に阿呆なことをよく思いついたもので」

「ハハ、そうだな。あれは果てしない阿呆だ」


 品川楼に流連して二日目。

 隊士たちは朝から飯がわりに酒を飲み、飽きもせず女たちと騒いでいたが、ふと小亀が、


「近ごろは不景気なお話ばかりで、遊びにこられる旦那衆もちらほら。郭で待つだけのわっちらは、ただ気が塞ぐのであります」


と憂いげに漏らした。小亀の気を引きたくて仕方がない中村は、腕組みをして知恵をしぼり、奇妙な一計を思いつく。


「よしッ。では向こうから来ぬなら、こちらから出て行ってみてはどうか。景気よく華やかに門外の花魁道中と行こうではないか」

「え……それは、あまりにも慣わしやぶりにござりんす」

「フフン。古い慣わしなど、破るためにあるのだ」


 善は急げ、決めてからはやたらと早かった。

 中村は自ら大門の役人と談判し、口八丁手八丁で同意をとりつけてきてしまったから皆が驚いた。

 折からのどさくさで上からの監視が緩くなっていることに加え、役人自身も世相に思うところがあったのだろう。むしろ乗り気で、


「ほう、さすがは上方で名を轟かせた新選組の皆様。それは面白そうですな。近ごろ皆の気が沈んでおりますから、どうか盛大にやってみてください。協力致します」


と言ってくれたもの。

 花魁たちは日ごろ、郭の門外へ出ることはなく、狭い界隈に押し込められて過ごしているのが常だから、行き先がすぐ近くとはいえ諸手をあげてキャッキャと喜んだ。彼女たちは張りきって鼻息を荒げ、腕まくりで化粧を施し、お気に入りの衣装をひっぱりだす。

 隊士たちは待ちくたびれていたが一刻もして、仮宅のなかから十人もぞろぞろと出てきた。こうなると花魁道中というよりも花魁行列である。

 品川楼の仮宅がある深川洲崎は、かつて遠浅の海があったところを人工的に埋め立てた区画だ。ゆえに通りの道幅は比較的広く、よそよりも長くまっすぐ走る。なかでも南北に貫く大門通りは、北側は吉原へつづき、南は平たく凪いだ海をのぞむ目抜き通りだ。

 江戸開府二百六十年のなかでも前代未聞の花魁行列は、大門通りを占拠して行われた。花魁は高下駄をまわし引きずりながら、しゃらりしゃらりと優雅にねり歩く。

 沿道に集まった町人たちは、武家の参勤道中よりもはるかに煌びやかで艶やかな行列を前にして、惚れぼれと溜め息を漏らすばかりだった。


「いよッ、小亀太夫」

「あっぱれ、紅梅太夫ッ」

「佳紫久太夫、日本一ッ」


 ほうぼうから元気な掛け声が飛びかい、おひねりを投げてくる者まで出る。

 それでも花魁たちは愛想ひとつもさしのべずに顎を高くツンと上げ、辺り一面に花のような甘い残香を漂わせながらゆっくりと通り過ぎてゆく。うららかな初春に突として咲いた花園を見物し、人々は存分に酔いしれた。

 ところで花魁とは、言わずと知れた高級遊女のことであるが、当世の庶民には到底手が届かぬ高嶺の花だった。

 男の目には欲望と憧れの象徴に映るが、女にとってみれば化粧や衣装など、流行の最先端をゆく生きた図譜であり、美の定義だ。

 庶民たちは、彼女らを後世で言うところのアイドルやトップモデルのように見たのだろう。いつの世も大同小異、人とはそうした存在を作りたくなってしまう習性があるに違いない。

 だからこそ、こうして花魁を引き連れて歩くことは、男にとって威勢の誇示につながる。

 時代の寵児、我ら新撰組。ここにありッ――という具合だ。

 新撰組の面々も花魁に負けじと胸を張り、肩で風をきって勇ましく並び歩く。

 新八は若い隊士らに「いいか、千鳥足で歩いたら切腹ものだぞ、足を踏ん張って歩け」と戒めた。

 行き先となる名代の料理屋洲崎楼までわずか一丁の道のりだが、噂が噂をよび、すでに数千の人が沿道にたまっている。


「いよッ、新撰組」

「西国の田舎者なんか蹴散らしてやれッ」

「頼んだぞッ」


 歌舞伎役者さながらの掛け声が降ってくる。

 新八は内心照れくさくて仕方なかったが、極力躊躇いを表に出さないようにして、いかめしく大股に歩いた。

 やがて洲崎楼に着いてからは、ふたたび大酒宴となる。

 江戸ならではの名物と趣向をこらした料理が、惜しげもなく次々と膳にのって運ばれてきた。侍だ、花魁だと名乗ってこそいるが、食べ盛りの若い男女にすぎない。まるで天下をとったつもりになって、遠慮なしに片っ端から「美味かな、美味かな」と平らげた。

 久々に衆目を浴びる晴れやかな舞台に立ち、花魁たちはいまだ興奮さめやらぬ様子でいて、嬉しそうに酒を飲んでいる。かたや若い隊士たちは下心もかくさず「ほれ飲め、もっと飲め」と、身持ちが固いお目当ての花魁を酔いつぶそうと躍起になっていた。

 新八はといえば、引きつづき佳紫久が隣に寄り添い、なにからなにまで接待をしてくれている。佳紫久という人は、とても細やかな気遣いができる女子だ。昨夜は曇った表情をしていた彼女も頬を高潮させ、出会って以来一番の愛らしい笑顔を輝かす。


「こんなに賑やかで、皆の顔が明るくなったのは久しぶりのこと。実はここだけのお話ですが、このところ女同士の喧嘩が絶えなくて辟易としておりました。まことにありがとうございます」

「なるほど、皆が明るいのはそういうことであったか。いやはやまさか阿呆中村の思いつきが、ここまで喜ばれようとは思ってもみなかった。お前たちが楽しいのであれば今日はそれでよい。もしかすると奴めは、剣術よりもこうした才覚があったものか」

「ウフフ、そうかも知れませんね。愉快なお方です」

「しかし、気むずかしい佳紫久とは相性がよくなかった」

「もう、それは言わないでくださいませ」


 佳紫久は頬を丸く膨らませる。

 すぐにたおやかな所作で重厚な着物を滑らかにさばき、酌をしてくれたのちは、しみじみと新八の着物に見入っていた。

 まるで、いつか遠い昔を懐かしむかのような表情にも見える。


「なァ、この着物。俺などが借りてよかったものか」

「はい、もちろんです。私が新さまへご迷惑をお掛けしたのですから。それにしてもよくお似合いです」

「どうやらこの着物と袴の持ち主は、俺と同じぐらいの体格であったようだな」

「ええ、はい。おっしゃる通りにて……」


 今朝がた目が覚めると、枕元に上等な着物と袴が用意されてあった。

 聞けば佳紫久が持っていたものであるという。

 これはおそらく思い出の逸品なのであろう。父親か、あるいは昔の好い人が着ていたものかも知れない。だが江戸育ちの新八は、察しはしても「これは誰のものか」とあえて訊ねもしない。

 何度も遠慮をしたが、どうしてもと譲らないのでとうとう折れた。佳紫久は新八に着付けてくれた後、目を潤ませてこちらを見上げていた。

 不意に、佳紫久が呟く。


「あら、こちらにもあったのですね。なんと、美しいですこと」


 彼女が見やった先をたどってみると、中庭の軒下に咲く早梅が一本あった。まだ若い木であろう。

 東向きの中庭には、二日前に降った雪がまだうっすらと残っていて、紅色との対比が見ごとだ。咲いている花は、まだひとつふたつとまばらだが、むしろそれがよい。

 柄にもなく新八は、盃を舐めつつ、歌一首を思いだして口ずさむ。


「雪霜に 色よく花の魁けて 散りても後に匂ふ梅が香――」


 佳紫久は深く聞きいった様子でしばし間を置き、何度か頷く。


「風流でお洒落なお歌。魁と咲きかけてをかけているのですね。散り消えてもなお、梅の香りが漂っているような余韻を感じさせます。でもどこか儚げ。時が過ぎ季節がうつろおうとも忘れられたくないという哀しみ、孤独な願いが奥底にある。それでも望みを見つけだそうと抗う強き心も混在している。――もしかすると、辞世の句。新さま、ですか」

「ハハ、まさか。俺は歌など嗜まぬ。察しの通り、別なあるお方によるものだ」

「ご同志ですか」

「然様、先に逝った仲間がかつて歌ったもの」

「そうですか……。きっとそのお方は、繊細な情緒の機微をお持ちであられたのでしょう。そうでなければ出てこない歌です」

「なるほど、言うとおりかも知れぬ」


 佳紫久は早梅を見つめたまま、考えごとをしている風でいて、唇に小さな白い指を添えた。


「でも、そのお歌のお気持ち。私にもわかります」

「うむ、そうか……」


 座敷のなかは相変わらず大盛況で騒がしい。

 しかし、新八と佳紫久の二人だけは、静かな別世界にあった。

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