時の辻(一)

「新撰組であるッ――」


 甲高い大音声が、天井を鋭く突く。


「何ッ」

「誰だッ」


 二階から男たちのどよめきと狼狽する物音がして、右往左往する様がうかがえた。

 仁王立ちでいる近藤の後ろに、若き壮士が三人。

 いずれも大柄で逞しい体躯。肩から首元にかけて筋骨が盛りあがる。

 頭には黒々とした鉢金を乗せ、鎖帷子の着こみで身を膨らます。

 そして、揃いの羽織。浅葱色のだんだら染めだ。

 実のところ、新八はこの羽織があまり好きではない。浅葱色など貧乏くさい田舎侍が着るものだからだ。羽織をあつらえた当時、予算の都合と芹沢の酔狂でこうなったが、歌舞伎の忠臣蔵にあやかったものである。

 だが赤穂浪士とて、ここまで無茶な討ち入りはしなかったであろうか。大石蔵之助は綿密な計画をもって実行に及んだもの。

 この捕り物が終わったころ、隊士たちの羽織は何色になっているだろうか。

 季節はずれの真っ赤な彼岸花を咲かし散らすのは、はたしてこちらか向こうか。双方が交錯する死線は、すぐそこまできている。

 存外、緊張や恐怖などといったものはない。なのに体がブルブルッと震えた。武者震いというやつである。

 幼いころ、はじめて立った撃剣仕合を思いだす。振り向けば祈るようにこちらを見守る父と母の顔があり、「やってきたことを存分に発揮せよ」とうなずく師の顔が見えた。

 新八の心はあのころのまま、今日もペロリと舌なめずりをさす。


「この足音、二十――いや、三十はいるな」


 まず応じたのは隣に立つ藤堂平助。


「はい、抜刀する音もいくつか。ひどく慌てているようで」


 さらに隣の沖田総司は、鼻を鳴らしてほくそ笑み、待ちきれぬ様子で鯉口を引きよせた。


「心にやましいことがあると、人は余計に慌てるもの。すなわち、あれなるはやましき心根の奴ら。だから遠慮なく片っ端から斬り捨てましょう」


 さっきから三人は燭台のうえで煌煌と揺れる灯りをさけ、暗がりに目を置いている。これは暗い屋内にいち早く順応するため備えているのだ。

 暗闇における戦闘では、目の順応が遅れると命取りになる。当たり前のこととして、人は夜暗のなかでは昼のように見えない。見えないから敵の数と位置がわからない。わからないから混乱し、一度崩れれば建て直しがきかなくなる。

 ましてや階上の攘夷浪士たちは、捕縛されることはおろか、顔を見られるわけにいかない。とにかく逃げようと考えるであろう。

 討ち入った新撰組は、近藤をふくめわずか十名であるが勝算は十分にある。何はさておき援軍が到着するまで極力時間を稼ぎ、奴らをここに留まらせることが役割となる。

 一同、スラリと抜刀する。

 近藤が厳しい声音で檄をとばした。


「さて各々がた、ここが我らの正念場。いまさら何を恐れようぞ。屹度奮われよッ」

「「応ッ」」


 屋内外にある隊士らの野太い雄叫びを聞き、階上の者たちが「散れ、散れッ」と混乱する気配があった。

 近藤は三白眼を刮と見ひらき、急峻な狭い階段を一気に駆けあがる。上から斬りかかってきた刀を流し、わざと大振りな太刀筋を宙に描いた。

 奴らは「おお……」とどよめいて、一歩下がる。狭い廊下で進退もままならずひしめきあった。

 好都合とばかりに近藤は二階へゆっくりと踏みいれ、青眼に構えてズイと迫る。そして鼓膜をつんざかんばかりの気合いを発し、躊躇なく前に進んで追いたてた。

 奴らはまだ状況を飲みこめていない。どこから逃げるべきか、はたまた応戦するべきか、態度を決めかねた様子でいる。

 蜂の巣をつついたかのように、二階から侍たちの影があふれ落ちてきた。

 新八は平助と総司に声をかける。


「くるぞ。同士討ちや梁と柱には気をつけろ」

「「承知」」


 広くもない建物のなか、どこに逃げ道などあろうものか。出口を求めて降りてきた者たちを、新撰組屈指の剣士三人が出迎える。

 すでに表口と裏口は、谷万太郎や原田左之助らが槍先をつきたてて塞ぐ。残された逃亡経路は窓以外にないが、外で武田観柳斎らが囲って待ち構えている。

 もはや逃げ道なしと悟った侍たちは、次々と抜刀して剣を構え、ジリジリと三人に迫ってきた。

 さっそく沖田が、うち一人と二合三合して、朝飯前にあっさりと斬りすてる。

 斬られた者の悲鳴が号砲となり、各所で激しい斬りあいが幕をあけた。

 地鳴りのような足音。

 刀と刀が交錯して爆ぜる音。

 気合、怒号、断末魔。

 こぢんまりとした池田屋のなか、三十有余名の混戦死闘が建物を震わす。

 つくづく広々とした板間における稽古など、稽古のための稽古であると思い知らされる。足場には段差もあれば、血だまりで滑るところもある。

 しかも屋内は薄暗がり。間合いはとても読みづらく、頭上には低い天井もある、梁と柱もある。周囲を動きまわる味方の刀もある。前だけを見ていると、横と後ろから斬りつけられる。

 土台、打ち刀という武器は、双方の長さに大差がない。我が当たれば彼も当たる。なればこそ本身の斬りあいでは、太刀筋の下に入る勇気が求められるが、着こみを装着している新撰組の面々は余計に深く踏みこむことができた。加えて狭い屋内は一対一の状況を作りだし、新撰組の数的不利を助けてもいた。

 新八はどんどん追い回して手当たり次第に斬りつける。

 敵は、大上段に振りかぶって「鋭ッ――」と斬りおろしてきたが、それを引き外し、膝が床につくほど深くもぐりこむ。内から外へ小さな弧を描いて胴を抜いた。腹にパックリと口が開いて腸が垂れ、「うッ」と蹲ったところにとどめを刺す。

 つぎの敵を求め、こんどは縁側へまわりこみ、逃げようとする者を一刀で斬り捨てた。

 いっぽうで近藤の甲高い気合が定期的に響く。いつの間にか階下へおりてきて、沖田とともに多数の敵をうけおっていた。

 どうしたことか、平助が見当たらない。


「平助、どこにいる」


 新八は薄暗い屋内に探索眼をすばやく巡らすうち、土間で頭から血を流し、敵に囲まれる平助を見つけて青ざめた。


「おのれッ――」


 一直線に駆け抜けて割ってはいる。敵の小手に斬りつけたが、あちらもなかなかの腕前。隙なく新八の太刀筋を引き外し、即座に斬りかえしてきた。

 これはできる者。

 舌なめずりをしてニヤリと嗤う。

 幼いころから新八は、強い者をまえにすると笑みが出る。なぜかは知れない。「無礼であるから止めよ」と師からよく注意されたものだ。

 それにしても、この侍の強き太刀筋、沈なる重い構え。よもや神道無念流の同門ではないかと頭をよぎったが、今はそんな悠長なことを構っていられない。たがいの荒れた息が顔にかかるほど接近し、刀身に手を添えて鍔迫り合いを拮抗さす。新八は敵の血走った目を眼前に見た。双方から肘鉄と足絡みをくりだすが、どちらも崩れぬままでいる。

 敵の切っ先は何度も新八の胸元をかすめ、羽織をボロボロに斬り裂いた。新八の剣も届いているが、いまだ決定打となるものが入っていない。思いがけず面白い相手を見つけたが、これ以上手こずっていれば味方が不利になってしまう。

 「よし、次の一刀で決める――」と腹をくくり、間合いをあけて刀を下段に置いた。

 奴は「気後れして引いたか、好機ッ」と見て小手を狙ってくる。

 が、これは新八の望むところ。ほかならぬ誘いだった。

 指先の繊細な操作をもって切っ先を絡め、刀身をすり上げてやると、敵は万歳をして刀を梁にひっかけた。


「鋭ッ――」


 新八は刀を回し、左頬から首筋にかけて深く斬りさげる。刃が迸る手応えがあった。

 彼岸花のごとく、六方へパッと噴きだした血飛沫は、夜闇にあってもなお赤く見えた。天井と壁と床を洗う。敵は「ウッ」と呻き声を漏らしその場に倒れたが、まだ立ち上がらんとして緩慢に動いていたところに、新八は敬意をこめて渾身の止めをつきたてた。

 しかし、足元の土間が漆塗であったので、勢いあまって刀がポキリと折れてしまう。


「しまった」


 すぐに別の敵があらわれた。横から斬りつけてきたので肝を冷やしたが、新八は梁に刺さっていた刀を取って面打ちで応戦し、危機を脱した。

 ところがふと、手がヌルリとベタついたのに気付く。何ごとかと思い手元に目を凝らせば、親指の付け根肉を斬りとられていた。まったく痛くないから奇妙だ。


「いかぬ、冷静であれ――」


 己に言い聞かせ、フッと短く深呼吸する。

 汗と血肉の脂っこい悪臭が、べっとりと屋内にたちこめている。これは霧散した魂の臭い。世を動かさんとする血気の壮士たちが、命から発する情熱の香りだ。

 そうこうするうち、沖田が喘息の発作をおこして動けなくなったため、平助ともども担ぎだす。しばらく屋内は新八と近藤だけになっていたが、原田、井上源三郎、武田観柳斎らが飛びこんできた。

 がむしゃらに刀を振るううち、いつしか土方ら二十四人の隊士たちと、会津と桑名の兵が池田屋周辺を二重三重に取り囲んでいた。

 時が経つにつれ、しだいに喧騒が収束してゆく。とうとう最後まで、新八は肉片と皮膚と手足が転がる血の海に立っていた。

 結句、斬り捨て七人。

 捕縛二十三人。自刃で果てた者もある。

 あとから知ったことであるが、なんと長州の者ばかりでなく、土佐、肥後、松山などなど、西国諸藩の急進攘夷派の藩士らが多数含まれていた。

 かたや新撰組に死者はない。

 屯所への報復に備えつつ、事態が収まったことを確認してから、一同は近藤を先頭に明け方の通りを二列でゆく。

 新八は返り血で全身を真っ赤に染めぬいていたので、台に横たわって担がれる平助がその姿を見て笑った。


「流石はがむしゃ者のガムシンさん。徹頭徹尾立ちきりとは、いやはや驚きました。いったい何人を斬ったのですか。頭からつま先まで真っ赤ですよ」

「はてわからぬ。前に立つ剣士と懸命に果たしあったまでのこと。さりとて、お主はうっかり者だな。修羅場で鉢金を外す者があるか」

「申し訳ございませぬ。頭が蒸れてきて、どうにも痒くてしかたがなかったもので。掻いていたらそこを狙われました」

「ハハハ、呆れた奴め」

「ガムシンさんには感謝してもし尽くしませぬ」

「なんの、気にするな」


 新八はあらためて周りを見渡す。

 隊士たちは浅葱色の制服をまとい、誇らしげに胸を張って悠々と歩いている。

 沿道には人人また人。見物の衆がどこまでもつづいていた。

 数千、いや数万はいるだろうか。

 ある者は慄き、ある者は眉をひそめ、またある者は「新撰組、日本一ッ」と拍手喝采を送ってくれる。

 時はつい三年半ほど前。

 元治元年六月六日早暁。

 あとにも先にも、最も爽快至極な京師の朝だった。 

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