第二十話 かつて誰かが祈った場所
イル・アンヴァン学院、旧礼拝堂。
屋根はところどころ崩れて日が差し、その屋根をなおすためであろう大きなはしごがかけられたままになっている。エリカとシドゥラ……シドゥラに変身したスカラは、今にも外れそうな扉を開いた。エリカがまず足を踏み入れ、スカラが続く。スカラは後ろ手にそっと扉を閉め、口を開く。
「素敵だね」
「そうかしら」
どうでもよさそうにエリカは答えた。スカラは目を細める。
「きっとここでたくさんの人間が祈ったんだ」
エリカはそっと備え付けられた椅子をなでる。
「……私は祈るの、あんまり好きじゃないのよね」
「そうなの?」
スカラは首を傾げた。
「私の祈りは届いたためしがないもの」
スカラの瞳にはエリカしか映っていない。華奢な肩、流れる黒髪。今すぐに抱きしめたいという衝動をなんとか抑え、スカラはつぶやく。
「こうしてると本当にシドゥラになったみたいだな……」
その言葉にエリカは振り向き、笑う。
「何言ってるの。あなたはあなたじゃない」
スカラは目を丸くする。
「驚いたな。昔同じこと言われたよ」
「へえ」
スカラもエリカも、柔らかく笑んでいる。
「そういえばよく似てるよ。俺にそう言った人と、エリカ」
「そうなんだ。その人、今はどうしてるの?」
スカラは窓から外を見た。
「死んだ」
ビクッとしてエリカは目を伏せる。
「ごめんなさい。私……」
「いいんだ」
沈黙が礼拝堂にこだまする。太陽に雲がかかり、スカラの顔に影が差した。
「……俺はね、吸血鬼が大嫌いなんだ」
それまでと違う冷たい声音に、エリカはどもった。
「きゅ、急にどうしたの?あんまり大っぴらに言ってはダメよ?」
スカラはくすくす笑う。
「エリカは優しいね、それにかわいい」
「それはどうも……」
エリカはなんとなくスカラと距離をとった。
「俺は人間に対しては友好的なんだ」
「そりゃあ、人間だものね」
再びスカラは笑う、今度は狂ったように。
「君は俺が殺す、最初で最後の人間だ」
「な、なに言ってるの?」
エリカはなんとかスカラの表情を見ようとした。しかし見えない。
「ごめんねエリカ。君を殺すことが、俺が自由になる条件なんだ」
「何言ってるのよ……」
スカラから目を離さないままエリカは後ずさる、出口とは反対方向に。スカラは顔を上げ、エリカを見た。
「俺はスカラ・アルカード。短い間だったけど、君のこと好きだったよ」
スカラは一瞬にしてエリカとの距離を詰めると、片手でエリカの首を締め上げる。
「や、やめ」
その瞬間、バタンという扉の開く音が礼拝堂に響いた。疾風の勢いで入ってきたキイチがスカラの手を思い切り蹴り上げ、叫ぶ。
「貴様ァ!」
スカラの手から離されたエリカは座り込み、げほげほとせき込んだ。スカラとエリカの間に入ったキイチは、スカラから目を離さないまま言う。
「立てるか」
スカラは蹴り上げられた手をひらひらと振った。
「はやいな。やっぱり吸血鬼に身代わりをさせるなんて無意味だったんだよ」
「エリカ、逃げ」
逃げろ、そう言い終わらないうちにスカラがキイチを蹴りつける。
「逃がさねえよ。お前もエリカも」
「キイチ君!」
キイチは首を狙って入れられた蹴りを腕でガードしていた。それでも蹴りの勢いは止まらず、キイチは吹き飛ぶ。飛ばされた先で、しかしきれいに着地したキイチは大声で言った。
「逃げろ!」
「でも」
「逃がさねえって言ってんだろ!」
エリカにしていたのとは打って変わった激しい口調でスカラは叫ぶ。キイチは舌打ちをすると、深紅に光る瞳にスカラを捕らえた。
「スカラ・アルカード、貴様を捕縛する」
「やれるもんならやってみろよ。吸血鬼風情が」
スカラは踏み込み、キイチが構えかけた拳銃を手刀で払いのける。拳銃は宙に舞う。
「遅えんだよ吸血鬼!」
嘲笑の混じったスカラの罵倒をキイチは鋭い眼光で返す。スカラはキイチに長刀を使わせまいと距離を詰め、拳や蹴りを叩きこむ。キイチはそれをかわし、そして同じように体術でスカラを攻撃する。瞬きの間に攻守が入れ替わる。拳や足がぶつかり合う音が響く。二人の動きは均衡していた。しかし、スカラのトリッキーな動きにキイチは翻弄される。一瞬の隙もスカラは見逃さない。キイチの腹にスカラの蹴りがまともに入った。
「キイチ君!」
再びキイチは吹き飛んだ。無様に体を地に打ち付け、むせる。それでも何とか言葉を紡ぐ。
「逃げろって……言ってんだろ!」
エリカはやっと状況が飲み込めた。自分がここにいても、足でまといにしかならないということが。ぎゅっと唇を引き結んだあと、外へと駆け出す。スカラはそれを横目で見送る。攻撃を打ち合う間に、いつの間にかスカラは礼拝堂の奥へと導かれ、エリカが逃げるための道筋ができていた。
「ははっ。逃げたところで何も変わらないよ。お前を殺してエリカも殺す」
「させねーよ」
キイチは構え、真っ直ぐスカラを見る。スカラは不愉快そうに顔をしかめた。
「っとにさあ……嫌いなんだよなあ。大嫌いなんだよ。お前ら吸血鬼がさあ!」
「奇遇だな。俺もお前が大嫌いだよ」
ゆっくりとキイチとの距離を詰める。スカラは無表情に告げた。
「だから殺す。絶滅させる。この世から」
キイチは舌打ちをすると、勢いよく踏み込んだ。スカラも同時に踏み込む。再び組み合うキイチとスカラ。二人の体はどんどん傷だらけになっていく。杭弾が使えないこの状況では、必然的に消耗戦になる。キイチはどんどん追い詰められていった。スカラの攻撃の方がわずかに速く、そしてわずかに重かったのである。
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