第二十一話 そして、宵闇。

 日の暮れた闇が覆う旧礼拝堂の中。

 キイチとスカラの戦闘は続いていた。スカラの攻撃の方がわずかに速く、わずかに重い。短い時間なら大した差ではなかったが、時間が経過するほどこの差がキイチを苦しめる。いつの間にか瀕死に追い込まれていた。スカラは嘲笑する。


「だから言ったろ。無駄だって」


 座り込み、動けなくなったキイチはひねり出すように言った。


「エリカに……触るな……」


 スカラは足先でキイチの首を持ち上げる。


「安心しろよ。エリカを苦しませたりしない。でもお前は別だ」


 キイチから距離を取りながらゴキゴキと首を鳴らす。


「お前の目の前でエリカを殺す。トドメを刺すのはその後だ」


 キイチは顔を歪めることしかできなかった。唇を噛む力すらもうない。十字架を恐れる吸血鬼だというのに(もっともキイチは十字架を克服しているが)、神に祈りさえした。どうかエリカだけは無事に逃がしてくださいと。キイチの祈りが儚く煙のように消えた時、スカラの足元に、ぽつぽつと水滴が落ちてきた。


「雨……?」


 なんとなしに上を向いたスカラを水流が飲み込んだ。雨と呼ぶにはあまりに荒々しく、しかし滝と呼ぶにはあまりにも弱弱しい、一瞬の水流だった。


「なんだ?」


 スカラはびしょぬれの髪をかき上げ、再び上を見る。屋根の上にはバケツを手にしたエリカがいた。エリカがスカラにバケツの水をぶちまけたのだ。スカラはエリカの姿を見ると、大口を開けて笑った。ひとしきり笑うと、冷たい瞳で言い放つ。


「吸血鬼は流れる水を恐れる。でも俺はそんなもの怖くな、い……?」


 スカラは自らの右手をみた。小刻みに震えている。筋肉が、全身がこわばっていく。


「エリ、カ……?」


 スカラからはバケツしか見えなかった。しかしエリカの手にはバケツの他に、深く澄んだ海色のバラ、人類にとって最悪の毒草オーシャンローズが握られていたのである。


「ぎ、あ、あ」


 スカラは目から血を流し、全身を痙攣させながら、それでもよたよたとキイチの方に向かう。


「こ、ろ、す」


 キイチの半歩手前でスカラは倒れた。キイチはただ茫然とするしかない。


「何が、どうなって……?」


 キイチは傷を抑えてせき込み、気絶した。


「キイチ君!はやく人を、っ?!」


 屋根の上、エリカの首筋にツルギが手刀を打ち込む。


「なるほど。最悪の効力を持つが人にしか効かない毒、ね。半吸血鬼には有効だったか」


 嘲るようにツルギは笑う。


「弱点はあるが、キイチをここまで追いつめた。スカラ・アルカード、使えるな」


 夕闇の中、ツルギの双眸はあやしく光っていた。




 医務室。

 ベッドの上でエリカは目を覚ました。ベッドわきの椅子にかけたキイチはエリカを見つめている。


「キイチ……君?」

「よお」


 エリカはベッドから跳ね起きた。


「キイチ君!大丈夫なの?けがは?」

「だっ、大丈夫だよ!」


 エリカに顔や体を触られ、キイチはうろたえる。吸血鬼の治癒能力は高く、ほとんどの傷がもう治っていた。ほっとした顔のエリカに、キイチは真剣な表情で告げる。


「……ありがとう。エリカがいなかったら俺は多分殺されてた」


 キイチは思い起こす。己の無様な戦いを。覚醒状態だったにも関わらず競り負けたことを。うつむいて動かなくなったキイチにエリカが声をかける。


「キイチ君?」

「エリカ!」

「は、はい!」


 バッと顔を上げてエリカの手を取る。


「俺は思いあがってた。自分と渡り合える奴なんかいないって。負けるはずないって」


 キイチの真っ直ぐな視線をエリカも真摯に受け止める。


「鍛えなおしだな」

「大丈夫よ。あなたはきっともっと強くなるわ」


 エリカが笑いかける。キイチはキョトンとしながら言葉を返す。


「なぜ?」

「私がついてるもの」


 キイチは吹き出す。その様子にエリカは少しだけむくれた。


「間違いないな」


 キイチはむくれたエリカの機嫌を取るように言う。しかし本心だった。エリカがいるから強くなれると、キイチは信じていた。




 夜。旧礼拝堂の影。

 シイナはツルギに詰め寄った。


「どういうことです!二人には手を出さないって、そういってましたよね!」

「何かおかしいか?俺は手を下してない」


 シイナは唇を噛む。


「そう怒るなよ。目的達成を祝おうぜ」

「目的?」


 シイナはツルギを睨む。


「交換条件であるエリカ嬢暗殺に失敗させ、スカラを仲間に引き込むこと。そして」


 ツルギは蛇のように目を細めた。


「今回は大枚はたいて君以外の変身術師を雇い、君がご学友と確実に共にいる時間に活動させた。どういうことか、賢い君ならわかるだろ?」


 シイナは絶句する。


「私を……容疑者から外すため」

「そう。今回は君のためのショウだったわけだ」


 ツルギは片手でシイナのあごを小さく持ち上げた。


「これからも頼むぜ?子猫ちゃん」


 シイナの頬を一筋の涙がつたう。月は雲に隠れ、あたりは真っ暗闇に包まれていた。

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