UNAGI

朝山力一

今日は鰻

 慨嘆である。

 いかなる下剤もこの強情な便秘にひれ伏した。一回二錠とあるからして、それをぐっ、ぐっと飲み込めば、たちまちにぎゅるぎゅると腸が活動を始め、ナイアガラの滝のように、いや、華厳の滝のようにもりもりと——。


 かれこれ一週間である。日本男児として、これだけの期間溜め込むのは如何なものか。

 平時は、毎日快腸であった。そんな私にとって、一日の糞詰まりは不快でしかなかった。しかし、二日、三日と続くと、腹立たしさは次第に戦慄へと変わっていった。四日目の朝。沈黙する腸に、私は語り掛けた。もう駄目なのかい……。


 五日目、六日目と、薬に頼ったが効果はなかった。医者へ行くのも憚られる。中年が、便秘で診察を受けるなど。きっと付き添いの若い看護師が、憐れみをもってして私の下腹に目をやるだろう。その視線を死に際に思い出してしまいそうで、なんとも嫌である。



 七日目。うなぎが便秘にきく、という情報を入手した私は、早々に近所の魚屋へ向かった。


「大将」

「へいらっしゃい。今日は、イワシがおすすめ――」

「うなぎはあるかい」

「もちろん。活きのいいのが入ってるぜ」

「それを」

「あいよ! どうする? 焼いてくかい?」

「いや丸ごと一匹、そのままでいい」

「あいよ」

「生きたままで」

「……。珍しいことをいうもんだね。つるっとすべらして逃がすなよ」


 大将が質素なビニール袋を三枚重ね、ホースで水を注ぐ。


「はいよ! さばけなかったら、うちに持ってきな」


 うなぎが、袋の中で、するっと、からだを滑らせる。 


「いや大丈夫。このまま腹にぶち込んでやるから」


「……。お客さん、ちゃんと血抜きしないとそいつは毒もってるぜ。腹壊しても知らないからな、俺は。あとでクレームつけるなよ」


 

 心配御無用。誰も食べるとは言っていない。


 私は、帰宅し、静かに仕事にかかった。

 買ってきたうなぎは鍋へ移した。小さなヒレで、のんびりと水を掻いている。これからどこへ放り込まれるのか、こいつはまだ知らない。


 意を決して、私はズボンとパンツを脱いだ。姿勢はもちろん、四つん這いだ。

 決死の覚悟である。知覧から飛び立つ若き特攻隊員の如く、これはさすがに不謹慎か。

 

 股の間からのぞくと、鍋が見える。少し遠いようだ。両手両足をちょいちょい動かし、鍋へ近づく。こんな動きは組体操以来である。

 準備万端。

 私は息を大きく吸い込み、そして吐いた。

 ふと気がつくと、私はこの状況を俯瞰していた。下半身裸の中年男性が、四つん這いで、股の下にうなぎの入った鍋を置いている。正気の沙汰ではない。それだけに逼迫しているのだ。止むを得まい。

 鍋へ手を突っ込み、うなぎを掴む。

 拙速を尊ぶ。

 ぬめりを出し、ぬるぬると手から這い上がるうなぎの頭を、えいやっと、肛門へ導く。

「かっ……」

 絶句した。

 あいた口が塞がらぬ。生理的に。

「嗚呼っ」

 私の〇〇〇がうなぎに〇されている。初体験だ。これまでに異物を挿入したことはない。


 体長は片腕ほどであったが、意外と、するりと入った。ぬめりがよかった。活きもよかった。穴居の習性があるのかもしれない。

 大仕事を終えた私は、とりあえずパンツをはいた。ズボンも。

 腹部の違和感は、当然であろう。腹にうなぎがいる証拠である。なにやらごろごろしている気もする。久方ぶりの便通かもしれん。早速効果が表れたか。

 気分はもう日本晴れである。


 その日、いつもより寝つきが良かった。

 が、うなされ、そうして、腹が痛くて目が覚めた。脂汗が酷い。寝巻はぐっしょり濡れている。時折迫りくる腹部の激痛は、悶えるほどだ。

 腹下しのそれとは違う。常に痛い。動くと更に増す。

 明かりを点け、腹をみる。腹は動いていた。平坦な皮膚に凸が生じ、そして、引っ込む。それを繰り返している。

 私は、腹からエイリアンが生まれてくる様子を想像した。それは腹を突き破り、奇声を上げる。きしゃあああああ。


 慌てて、私は、スマホを手に取った。

「火事ですか? 救急ですか?」

「はやく、嗚呼、うなぎが、うなぎが腹を破ってくるんです」

「はぁ?」

「は、はやく!」

「救急ですね? 落ち着いてください。大丈夫です」

「ああ……、うなぎが」

「すぐに救急隊員が向かいます。大丈夫です。今いる場所は、わかりますか?」

「い、家に」

「ご自宅ですね。何区ですか?」

「江東区大島――」


 

 目が覚めると、病院のベッドだった。

 救急車を呼び、駆けつけた男性に、うなぎが! うなぎがぁあ、と喚いたのをよく覚えている。その後は、記憶が曖昧である。あまりの激痛に、気を失っていたのかもしれない。


 ナースコールを押す。

 現れたのは二人の女性だった。医師と看護師のようだ。

「ご気分はどうですか?」

「ああ、ええ。ちょっとぼんやりします」

「薬が効いてるんでしょうね」

「私はどうなったんですか?」

「それはこちらが伺いたいです。お腹を開けてみたら、うなぎが出てきました。そのうなぎが、腸を突き破ったみたいです」

「ああ、なるほど」

「どうしてうなぎを?」

「……便秘だったもので」

「それでうなぎを肛門から?」

「はい」

「真田さん。うなぎを腸に入れても便秘は解消しませんよ。医師に相談するべきでした」

「ええそうなんですけど。便秘というのが、どうも、気恥ずかしくて」

「私達はあなたの糞まみれになったうなぎを取り上げました。病院ではちょっとした有名人です。本来なら、ネットニュースになるくらい奇天烈な出来事ですよ」

「えっ」

「『便秘 うなぎ』で検索してみてください。いいですか、二度と、こんな真似はしないように」

「あっ、はい」


 怒られてしまった。便秘の相談をするよりも情けないことではなかろうか。

 大事は小事により起こると云うが、私の場合は、ちっぽけなプライドが、惨事を招いた。看護師への妄想など捨て、医者にかかればよかったのだ。そうすればきっと、こうはならなかった。


 スマホを手に取り、『便秘 うなぎ』で検索した。仲間がいた。中国人らしい。歳は同じくらいか。きっと彼も、私と同じように思い詰めていたに違いない。



 

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