第4話 古いサインボール

『隠れ居酒屋 凛 』

表通りから裏路地に入り、突き当たりにある知る人ぞ知る。

その名のごとく、隠れ居酒屋なのである。


『いらっしゃいませ。』


男「一人なんですが。」

マスター「こちらにどうぞ。」

男「あ、ウーロン茶ありますか?」

マスター「はい。ウーロン茶ですね。」

男「すいません。居酒屋なのにウーロン茶だなんて。」

マスター「いえいえ。お酒を飲まなくても気軽に来て欲しいと思ってますので。」

男「落ち着いたお店ですね。」

マスター「はい。お待たせっ!」

男「ありがとうございます。」

マスター「初めてですよね。」

男「はい。あ、わかりますか?」

マスター「はい。本日はご来店ありがとうございます。」

男「昔、父がここによく来ていて。」

マスター「あー、そうだったんですね。」

男「もう、10年以上前になるかな。」

マスター「結構前ですね。」

男「父は10年前から、故郷の田舎で母と二人で暮らしてまして。」

マスター「じゃあ。ご両親とは別に住んでいるんですか?」

男「ええ。僕は会社がこっちなので。」

マスター「そうなんですね。」

男「実は今日ここに来たのは…」

マスター「なにか訳でも?」

男「父は昔から誰のかわからない野球のサインボールを持ち歩いていて。」

マスター「サインボールを?」

男「ええ。肌身離さず。それが…」

マスター「もしかして。」

男「10年前に田舎に帰る前の日に、何処かでなくしてしまって。」

マスター「そうだったんですね。」

男「父は病気でもう長くないんです。」

マスター「そうでしたか。」

男「そんな父が最近そのボールの事ばかり言ってるらしく。」

マスター「お父様って、アメリカの野球チームの帽子かぶってました?」

男「はい。飲みに行く時はいつも。」

マスター「もしかして、お父様って、ダンさんって呼ばれてました?」

男「はい!?なぜ?」

マスター「ダンさんは当時、よくお仲間といらしてましたから。」

男「ありがとうございます。そんな昔の事を覚えててくれて。」

マスター「そうですか。ダンさんの息子さんなんですね。」

男「はい。ようじっていいます。」

マスター「ようじさんはそのボールを探しにここに来たんですね。」

ようじ「そうなんです。何か覚えてる事とかありますか?」

マスター「うーん。たしか、いつもグラスの横に置いてましたね。」

ようじ「なくしたような事は?」

マスター「とくになかったと思います。」

ようじ「そうですか。」

マスター「そのボール、当時でもかなり古く感じましたね。」

ようじ「かなり古いボールだと思います。」

マスター「大切なものなんですね。」

ようじ「ええ。あれがなくなってから父は、元気がなかったみたいです。」

マスター「見つかるといいですね」

ようじ「10年経ってますからねー。」

マスター「そうですね。」

ようじ「でも、ボール探しだけじゃなく、父が通ってたこの店に僕も来ているって事も嬉しいですよ。」

マスター「では、是非また。」

ようじ「はい。また来ます。お会計を。」

マスター「ありがとうございます。」

ようじ「じゃあ、また来ますね。」

マスター「ありがとうございました。またのご来店お待ちしております。」


サインボールを探し続けるようじ。

当然見つかる訳もなく。

今日は霧が出てるので探すのはやめ。

歩いていると見覚えのある裏路地へ。


…あっ、あの店だ。


マスター「いらっしゃいませ。」

ようじ「こんばんは。」

マスター「どうぞこちらに。」

ようじ「ウーロン茶を。」

マスター「かしこまりました。」

ようじ「やっぱり見つからないです。」

マスター「そうですか。」

ようじ「もう、諦めたほうが…」

マスター「はい。ウーロン茶です。」


ガラガラ


マスター「いらっしゃいませ。」

男「一人なんだけど。」

マスター「こちらにどうぞ。」

男「お隣失礼します。」

ようじ「あ、はい。」

男「ビールを。」

マスター「はい。かしこまりました。」

男「マスター。わかる?俺だよ、俺。」

マスター「あっ!お久しぶりです。ケンジさんじゃないですか?」

ケンジ「10年くらい経つか。あれから…」


カタン


マスター「松前漬け。サービスです。」

ケンジ「サンキュー!マスター。」

マスター「あっ、ケンジさん!」

ケンジ「どうした?マスター。」

マスター「ダンさん。覚えてますよね。」

ケンジ「!?あったりめーだろっ!」

マスター「こちらダンさんの息子さん。」

ケンジ「えっ!!!」

ようじ「息子のようじです。」

ケンジ「なるほどっ。確かにそっくりだ。」

ようじ「そうですかー?」

ケンジ「でっ、ダンさんは?」

ようじ「実は病気で…もう長くないんです。」

ケンジ「なんて事だっ!あのダンさんが。」

ようじ「それであるものを父の代わりに探していて。」

ケンジ「あるもの?それって!?」

ようじ「えっ!?もしかしてなんか知ってるんですかっ!!」


コロンッ


ケンジ「もしかして、これか…」

ようじ「このボール…これっ!このボールですっ!」

ケンジ「それはな、ダンさんと最後にあった日に預かったんだ。」

ようじ「父が?」

ケンジ「ああ、ダンさんそのボール入れてた袋なくして、帰るまで俺のカバンで預かってくれって。」

ようじ「そうだったんですか。」

ケンジ「でっ、その後ダンさんひどく酔っぱらって、俺もボールの事忘れてて。」

ケンジ「だが、あの日以来ダンさんに会うことはなかった…」

ようじ「故郷の田舎に帰ったんです。」

ケンジ「俺はあの日以来このボールをずっと持ち歩いてた。ダンさんにいつ会ってもいいようにさっ。」

ようじ「すいません。長い間ご迷惑おかけしてたみたいで。」

ケンジ「ダンさんの大切なものだろ。」

ようじ「はい。だから探してて。」

ケンジ「このボール、ダンさんがお父さんからもらったものなんだ。」

ようじ「おじいちゃんから?」

ケンジ「君のおじいさん特攻隊だったんだ。ボールはその時の戦友からもらったものなんだよ。」

ようじ「戦友?」

ケンジ「君のおじいさん、出撃直前に怪我して出撃出来なかったんだ。ボールは一緒に出撃する予定の戦友からもらったのさ。」

ようじ「その戦友の方は?」

ケンジ「特攻に行ったって事は…そう。わかるよね。ようじくん。」

ようじ「じゃあその人はもう…」

ケンジ「そのボールは君のおじいさんの、そしてその戦友の想いが詰まってるんだ。」

ようじ「そうだったんだ…」

ケンジ「サインボールじゃないんだ。ボールにはその戦友の名前が書いているのさ。」

マスター「ダンさんのお父さんの話なのに、すごく詳しく知ってるんですね。」

ケンジ「それは…」

ようじ「ケンジさん?」

ケンジ「その戦友って、俺の親父なんだ。」

ようじ「えーっ!?」

ケンジ「だから、ダンさんとはもともと縁があったんだよ。」

ようじ「このボール、ケンジさんが持ってたほうがいいんじゃ…」

ケンジ「きっと、ダンさんは最後に俺に会った時、このボールを俺に渡したかったんじゃないかな。」

ようじ「じゃあ、このボールはやっぱり…」

ケンジ「いやっ。これはダンさんに。」

ようじ「でも…」

ケンジ「俺は10年間持ってる事ができたから。だから、もういいんだ。」

ようじ「本当にいいんですか?」

ケンジ「ああ。ボールはダンさんから君へ受け継いでほしい。」

ようじ「えっ?はいっ。」

ケンジ「そして今度は君が子供へ、そうやって後世へ繋いでいってほしい。」

ようじ「はい。」

ケンジ「戦争を二度と起こさないように、後世へずっと。俺には子供はいないから。」

ようじ「ケンジさん…」

ケンジ「たまに飲もうな!ようじくん。」

ようじ「はいっ!是非!」

ケンジ「じゃあ、俺行くわ。」

マスター「たまには来てくださいよ。」

ケンジ「ああ。来る理由もできたしなっ。」

マスター「ありがとうございました。またお待ちしてます。」


ようじ「今日来てよかったです。」

マスター「ええ。今日は霧の日だから…」

ようじ「えっ?霧の日?」

マスター「いえっ、霧なので帰り道お気をつけて下さいね。」

ようじ「はい。マスター、また来ます。」

マスター「ええ、お待ちしてます。きっとケンジさんもまた来てくれますよ。」

ようじ「はい。ここに来る楽しみがもうひとつできました。」

マスター「それはよかった。」

ようじ「じゃあ、お会計を。」

マスター「ケンジさんがあなたの分も払って帰りましたよ。」

ようじ「…ケンジさん。」

マスター「ボール忘れないように。」

ようじ「はい。また来ますね!」

マスター「ありがとうございました。またのご来店お待ちしております。」


『いらっしゃいませ。』

今日もまた、どんな人が訪れるのか。


第5話に続く


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