第3話 すれ違いの居酒屋

『隠れ居酒屋 凛 』

表通りから裏路地に入り、突き当たりにある知る人ぞ知る。

その名のごとく、隠れ居酒屋なのである。

今日もまた。


『いらっしゃいませ。』


女「一人なんですが。」

マスター「こちらにどうぞ。」

女「生グレープフルーツサワーを。」

マスター「かしこまりました。」

女「表通りからチラッとお店が見えて。」

マスター「目立たない所にありますから、みなさん最初はそんな感じのきっかけでいらっしゃるんですよ。」

女「ここなら一人で来やすいかも。」

マスター「はい。お待たせしました。」

女「あ〜っ、おいしー。」

マスター「お仕事帰りですか?」

女「ええ。帰っても一人なので。たまにこうして何処かに立ち寄って。」

マスター「この店もたまに立ち寄るひとつになっていただけたら嬉しいです。」

女「うん。ここって名前通り、隠れ家って感じでいいかもっ。」

マスター「場所が場所ですからね。」

女「だからいいんですよ。私みたいな中年独身女には最高です。」

マスター「中年だなんて。まだまだお若いじゃないですか。」

女「あらっ!?お上手ですねっ!」

マスター「お世辞じゃなくて。」

女「ありがとう。でも私はもう…」

マスター「なんか訳がありそうですね。」

女「もう10年も経ったのね。あれから。」

マスター「10年は長いようですが、あっという間ですね。」

女「その頃付き合ってた人がいたんです。」

マスター「その方とは?」

女「彼の転勤がニューヨークに決まって。」

マスター「それは遠いですね。」

女「ええ、行ったきりになるだろうって。」

マスター「それで彼は行ってしまった。」

女「私、迷って。返事欲しいって言われて待ち合わせの場所に行こうとしたけど。」

マスター「もしかして。」

女「私、ギリギリまで迷って、行かなかったの。そのお店に。」

マスター「なぜ行かなかったんですか?」

女「探したんだけど見つからなくて。多分、彼は一人で行くためにウソを言ったの。」

マスター「その店なかったんですか?」

女「はい。場所はこの辺で、お店の名前はたしか…凛。」

マスター「ありますよ。そのお店!」

女「うそっ!探したのよっ。あの日。」

マスター「ここですよ。そのお店は。」

女「えっ!?隠れ居酒屋ですよね。ここ。」

マスター「隠れ居酒屋 凛 ですよ。」

女「そんなっ!!」

マスター「ごめんなさい。こんな場所にあるから、あなたが見つけられなかったんです。」

女「いえっ。そういう運命だったのよ。」

マスター「運命…ですか。」

女「あの日、私はついてくつもりでここに来たの。でも会えなかった。それが運命。」

マスター「その後は?」

女「彼の部屋に行った時はもういなくて。彼の引越し先も知らなくて、それっきり…」

マスター「今からでも。」

女「もういいのよ。」

マスター「あなたは今でも一人なのは、その彼の事が。」

女「そうかもしれない。でも今更。」

マスター「霧の日に。」

女「霧の日?」

マスター「はい。霧の日この店では変わった事が起こるんです。」

女「変わった事?」

マスター「その人の想いが届くと言うか、そういう事が。」

女「あらっ。なんかロマンチックねっ!」

マスター「もしよければ。」

女「そうね。私は霧の日の常連にでもなりましょうか。」

マスター「うん。そういうノリで来ていただければもしかしたら。」

女「うん。なんかおもしろいかも。あっ、私、まさみっていいます。」

マスター「まさみさん。また、いつでもお待ちしてますね。」

女「霧の日の女って感じでっ!」

マスター「普通の日もお待ちしてますよ。」

女「そうね。また来るわっ。お会計。」

マスター「はい。ありがとうございます。」

女「じゃ、マスターまた来ます。」

マスター「ありがとうございました。またのご来店お待ちしております。」


それからまさみはよく訪れた。

とくに霧の日には必ず。

そして今日も霧が出る。


マスター「いらっしゃいませ。」

まさみ「こんばんは!」

マスター「お待ちしてましたよ。」

まさみ「ええっ!霧の日の女ですからっ!」

マスター「ホント、僕があんな事言ったばかりに…」

まさみ「でも、霧の日の話信じてますよ。」

マスター「えっ?」

まさみ「前回来た時に居た人たち、たまたま会話聞こえて。それから信じてます。」

マスター「ええ。あのような事が霧の日にはよくあって。」

まさみ「私の番はなかなか来ないけどっ!」


ガラガラ


マスター「いらっしゃいませ。」

男「えっ?和食の店?」

マスター「居酒屋です。こちらへ。」

まさみ「えー!!!」

男「なっ、なんで、ここにっ!!」

まさみ「それはこっちのセリフよっ!」

マスター「まっ、せっかくなので何か飲みませんか?」

まさみ「ビールを。」

男「じゃあ僕も。」

まさみ「10年ぶりね。ナオト。」

ナオト「ああ。そうだな。」

マスター「ビールお待たせっ!」


カタン。


まさみ「これは?」

マスター「刺身の盛り合わせ。少ないですがこれはサービスです。」

ナオト「すいません。なんか。」

まさみ「ありがとう。マスター。」

ナオト「あーっ、刺身は久しぶりだな。」

マスター「日本の味ですよ。」

ナオト「元気でやってるのか?」

まさみ「ええ。それなりにね。」

ナオト「結婚は?」

まさみ「独身よ。あなたは?」

ナオト「俺もまだ独り身だよ。」

まさみ「あの日…私…」

ナオト「いいよ。もう昔の話。」

まさみ「…そうかもね…」

マスター「まさみさん。せっかく会えたのにいいんですか?」

まさみ「…」

ナオト「!?」

ナオト「いや〜、やっぱいいな日本食。」

まさみ「そうよね。普段あまり食べれないだろうしっ。」

ナオト「俺さっ、自炊しないからっ。」

まさみ「そうだったわね。いないの?そういう人とか?」

ナオト「俺、仕事忙しいから出会いとかもないし、全然いないなっ。」

まさみ「そうなんだ。」

ナオト「いつも日本食だったら、それはそれは幸せだよなぁ〜。」

まさみ「そうよね。」

ナオト「…」

マスター「まさみさん。過ぎた時間は戻らないけど、今は、これからは変えられる。」

まさみ「…でも、今更っ!あの日、私は行けなかったから…」

ナオト「いいんだ!もう。日本を離れて暮らす事は簡単じゃないから、あの日断られる事も考えてたからさ。」

まさみ「そうじゃないの!私色々考えたけど、あの日ついていくって言いたかったの!」

ナオト「でも、来なかった。店の前で1時間待ったよ。それで俺も諦めた。」

マスター「それは違います。」

ナオト「えっ?」

マスター「まさみさんは来なかったんじゃなくて、店がわからなくて来れなかった。」

ナオト「えっ!?そーだったのか!!」

まさみ「ごめん。」

ナオト「俺こそ。ごめん。」

ナオト「まさみ!?」

まさみ「なにっ?」

ナオト「今更かもしれないけど、もし、まさみさえよければ…」

まさみ「うん。喜んで。」

マスター「よかったですね。」

まさみ「ありがとう。マスター。」

ナオト「たしか、10年前に約束した店の名前って…」

マスター「隠れ居酒屋 凛 」

ナオト「あっ、そうだ!」

ナオト「でも、なぜ?」

マスター「まさみさんから聞いてます。」

ナオト「そっか。」

マスター「そして、今あなたがいるここが、隠れ居酒屋 凛 ですよっ。」

ナオト「そんな訳。だってさっき仕事帰りにたまたま霧の中歩いて見つけた店ですよ。」

まさみ「霧の中でここと繋がったのよ。私はまだ何処にも行ってない。」

ナオト「そんな事って!」

まさみ「大事なのは私たちのこれから、じゃない?」

ナオト「…そうだな。」

マスター「人生たまに変わった事がありますが、大切な事はひとつです。」

ナオト「うん。マスターの言う通り。よくわからずここにいるけど、大切な人と会う事ができた。それだけでいいかも。」

まさみ「来月にはあなたの所に行けるように準備するわねっ。」

ナオト「ああ、待ってるよ。」

マスター「扉をでたら少しの間離れますが、お二人はすぐに会えますから。」

ナオト「マスター、色々ありがとう!」

マスター「いいえ。私はなにも。」

まさみ「待っててねっ!」

ナオト「早く来いよっ。」

マスター「お気をつけて。」

ナオト「じゃあ、またっ。」

まさみ「うんっ!」

マスター「ありがとうございました。またのご来店お待ちしております。」


まさみ「マスターありがとっ!」

マスター「出発前には寄って下さいね。」

まさみ「じゃあ、また来ます。」

マスター「ありがとうございました。またのご来店お待ちしております。」


『いらっしゃいませ。』

今日もまた、どんな人たちが訪れるのか。


第4話に続く

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