第拾伍夜 オルゴールのぜんまいが切れる時

 今年の二月に自ら物しておきながら、改めて読み返すと事実とも虚構とも分き兼ねる部分の多い、恐らくその二つを綯い交ぜにしたアマルガムであったのだろう一つ前の随想にて「この随想録を今年は動かして行きたいと思っている」だとか「『宛名のない手紙』はこの随想録にて専ら認めていくことにしたい」だとか壮語した気宇軒昂もどこへやら、その後は無音のままに気付けば時しも一年の締め括りの日を迎えているのだから敵わない。


 この一年のうちに、随想録に終ぞ一篇だに新稿を加えること叶わなんだ(そして他の書き物も低調であった)その因の那辺に在るか覓めるとして、例えば今年上半期に自らに誡めて「箝口」を強いた反動か、twitter 改め Xにて時の随に呟くコトバの弥増してこれに甘んじてしまっただとか、恐らくそれに相関して、長考した何事かを言葉に転写するという営みを怠ってしまっただとか――かかる知的「体力」の要る営みは、年経るごとに困難を伴うようになっていくようだ――、或いはまた下半期の北海道旅行の後に身体を病んで、手術、静養に時を費やしてしまった(うえに未だその只中に在る)ことで生活に必要最小限の営み以外はどうにも億劫になってしまっただとか、大晦日に際してそうやって様々に回顧と総括は出来ようものの、いずれにもせよ頭を擡げる所感の中に、私にとってのこの一年が何とも不如意な年となってしまったという漠たる恨みがそれなりの部分を占めていることだけは疑いない。


 それ故にこそ、直線的で不可逆的な時間が、「暦法」の優しい詐術によって綰ねられた円環の結節点の如く我々の前に現れるこの年末年始のひと時に、暦の「反復」に仮託して自らも再び生まれ直し、新しい自分として生き直せるかのような、そんな心機を新たにする切っ掛けを与えてくれる「虚構」の作用を我々は称揚すべきだし、それに感謝すべきなのかも知れないとも思わずにはいない。


 ところで今日は日曜日だから、私は午後七時半に祖母に電話を掛けることになっている。つまり今日の夜は祖母と電話でする年内の「話し納め」ということになる。


 八年前に祖父が亡くなってから、祖母の気が少しでも紛れればと思ったのが恐らく直接の動機だったろう、私は毎週日曜の夜、祖母と電話でお喋りすることを習慣として自らに課すようになっていた。一年程それが続いたものの、毎週だとそんなに話すこともないから、と隔週日曜のペースに落としつつ、それが今に続いている。

 日曜に予定のあって電話の出来ない時は、予め祖母にその旨を伝えておいて翌日に電話を掛ける、といった具合に、兎に角このペースは不思議とただの一度として崩れたことがない。今日はその「電話の日」という訳だ。

 話す内容はお互いの近況、家族親族のこと、季節の風物や草木や花のこと、天気のこと、世情のこと、料理のことなど、指して急を要するわけでもない、取り留めのないものが殆どで、けれども通話は一時間なり二時間なりとそれなりの長さに亘る。私のお喋り好きは祖母の影響も受けているやも知れない。


 私は幼少期を祖父母の家に過ごした。母方の祖父母だから苗字は違うけれど、二人にとっては初孫ということもあって、私は随分と甘やかされて育った。人生の大きな局面を迎える折ごとに物心両面から惜しみない援助を受けてきたし、恥ずかしながら今以て私は祖母から年に幾度もお小遣いを頂戴している不肖の孫だ。「もういいのに……」などとしおらしく一度目は辞するものの、「いつまであげられるか分からないから」と言われると二度目はしないという、半ば儀礼的な「お芝居」をお互い承知の上で延々と繰り返している。そういったことも多少なりと、隔週日曜の電話を自らに課する理由となっているのかも知れない(小遣い欲しさとは酷い孫だ、もしや振り込め詐欺より悪質なのでは……?)。


 この十一月に祖母の米寿を祝う食事会があった。曾祖父母(祖母の父母)の米寿の折にはホテルや親族の経営するお店に百人以上が集って賑やかにお祝いしたものの、今回は祖母の家で私たち家族と叔父家族だけで祝うこぢんまりしたものとなった。テーブルに並ぶご馳走の中に人数分、年毎に松茸を送ってくれていた京都の知人も既に鬼籍に入っていることをぼやきながら祖母の拵えた得意の土瓶蒸しも場を占めていた。自らが饗されるはずの日にも祖母は逆に我々を饗してくれる、祖母はいつもそうだ。矍鑠としている。


 それだから、まだ自ら買い物にも病院にも、方々に行くことの出来、一人暮らしの日々にも算段して掃除や料理も怠らず、毎週一回は教会に行って、電話口ではいつも快活で、しかしそんな祖母とていつかはいなくなってしまう、その時は着実に近付いているという動かしがたい未来が信じられなくなる。私の心の宿痾である「不幸の予習」が始まる。一体、現在の幸せというものは、これと引き較べる形で未来に約束された不幸を際立たせるためのスパイスなのではないか、とすら思われてしまう。

 

 祖母の家に遊びに行った時に寝床としている二階の和室には、私が寝しなに本を読んだり書き物をしたりすることを知っていてくれる祖母が、文机と、もう処分してしまった祖父の机に置かれていた、年季の入った電気スタンドとを必ず用意してくれていて、それだけだと寂しいからとブロック折り紙の二羽の白鳥をその上に遊ばせてくれている。

 私はある時、本に挟んであった栞にメッセージを書き付けて祖母に謝意を伝えようと思い立ち、爾来、「いつもありがとう」とか「また来ます」とか書いて日付を添え、訪う度毎に机の上に残しておくようになった。けれども「長生きしてね」と書いたこと、また口頭でも祖母にそのように伝えたことはこれまで只の一度としてなかった。この言葉は当然にもその人が死と隣り合わせであることを強く意識させる不吉さを伴うようで、とはいえそれでも実際の「年齢」という数字によって表現される儼然たる「老い」の事実を認めたくなくて、使うのを厭うているだけやも知れない。だから、これからする電話も「次に電話する時まで元気でね。良いお年を」と言い合って終えるに違いない。いつかこの営みも終わりを迎えるというのに。それだけは慥かなことだ。


 印象的な思い出がある。私が中学生の時分であったか、祖母が私の妹にだけプレゼントを持ってきたことがあった。それは蓋を開けるとオルゴールが曲を奏でる宝石箱で、母が少女時代に使っていたもののお下がりだった。「祖母に育てられた」という経緯もあって、当時の(或いは今も?)私は祖母が無条件に妹よりも私を贔屓してくれることに優越感を持っていたから、この時のことはどうにも腑に落ちず、言い知れぬ不満さえ感じたものだった。


 実家にまだ残されている妹の部屋でそのオルゴールの音色――ヴォルフ=フェラーリの「マドンナの宝石」――に耳を傾けていると、当初は軽やかに奏でられる美しい音も漸うその歩みを緩やかにし、やがて音を途切れ途切れに、一つ一つ絞り出すようになって、そしていつしか事切れるのだということを否応にも意識してしまう。ぜんまいはいつか切れる。それはいつなのか、まだ大丈夫だ、まだ大丈夫だ、そうやってハラハラしながら最後の音を俟つしかないのだろうか。

 

 翻って、暦は誰かがぜんまいを巻き直さずとも宛ら〈永久機関〉のように、人事に関せず巡り続ける。けれどもその円環構造とて実は幻で、気付けば時はまた直線的で不可逆的な姿に戻っている。そのことに思い至る時、いつかも書いたかも知れない、私は時という名の列車のその最後尾で進行方向とは逆向きになって、後景に退いていく人々に只管に手を振り続けるしかない、それが人生のように思えてしまう。視圏が過去にばかり偏重して未来へと向いていない。これこそ私が “Laudator Temporis Acti” 即ち「往にし時の褒讃者」を自称してしまう所以なのだろう……などと、大晦日には相応ぬ内容となってしまったこと、久し振りの随想だというのに誠に申し訳なく、ここまでご高覧下さった諸氏には伏してお詫び申し上げる次第である。


 眠られぬ夜を過ごすその前にセヴラックの“Les Caresses de grand'maman”を聴きながら、次の章句を最後に引いておきたい。幾許か罪滅ぼしになっていますように……一切他力。良いお年を(と、唐突なこの擱筆には定めしデウス・エクス・マキナも吃驚だろう)。


 ❖ ◇ ❖ ◇ ❖

 

我々はとても大切な人を死によって失います。それでも彼らの記憶を持ち続けることはできる。これこそが記憶の持つ強力な要素だと思うのです。それは死に対する慰めなのです。それは誰にも奪うことができないものなのです。


【カズオ・イシグロ「記憶とは、死に対する部分的な勝利なのです」(福岡伸一『動的平衡ダイアローグ――世界観のパラダイムシフト』〔木楽社、2014〕所収)】

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