令和五年(2023)

第拾肆夜 宛名のない手紙から、字のないハガキへ

 今年初めての随想をこのような「告白」とするのは何とも、私の知る私らしい……ここ最近の私は心裡に「独り相撲」を繰り返して精神を無用に波立てて消耗していたようで、その影響が期せずしてtwitter上に晶出してしまい、そのことに漸く気付いて自己嫌悪と自省とに落ち込みつつ、はしなくもその「独り相撲」に捲き込む仕儀となってしまった諸方からの、それでもなお温かいお心遣いに支えられて、今は漸く波も凪いできたように思われる。


 静態であるはずの書き言葉に即時性が伴うとどうなるか。ツイートという書き言葉の持つ性質について私の認識が浅はかであったことは疑いない。そういった「即時的な書き言葉」を用いたコミュニケーションの醍醐味を感じるのは良かったにしても、これを使いこなすには矢張り言葉を馭する相応の能力を要するようで、思うにそれは反射神経に近いもののような気がしており、これに私が不得手であることはこれまでにも幾度かツイートしたことがあって、私自身とて正気とも諧謔とも付かないでいたものの、今回はそのことを改めて痛感させられた。

 水を溶剤にして濃度を調整するという一手間のなく、ただただ原色のまま己がカンヴァスに撒き散らした水彩の奇怪に、その私自身が得も言われぬ戦きを覚えることになろうとは……そしてこれは断じて酒気の為せる業ではなく、私自身の本性の卑しさから生じた当然の帰結であったろう。


 私の中で心の整理が付くまで、文字による表現をtwitter上で行うことを控えようと思う。アカウントに鍵を掛けている今とて、ツイートは謂わば「宛名のない手紙」として意図せざる思わぬ性質を帯び、「顔」の朧気な相手に届いてしまう可能性は否めない。言葉の野放図な滑走は、不特定多数の読者に対してでなく、その言葉の向かう先が誰であるか、その「顔」がイメージできるだけでだいぶ抑えられるだろう(twitterにおいては恐らくDMだけがこれを可能とするに違いない。DMをメインとして誼を通じて下さる方もいらっしゃるので、「宛名のある手紙」としてこちらでの遣り取りだけは今まで通り継続したい)。

 いつかまた「即時的な書き言葉」を屈託なく操れる日の来るまで(来ないかも知れない?)私はtwitterを「字のないハガキ」として、つまり画像投稿、リツイート、諸氏のツイートへのリアクションなど、言葉を用うることなしにあのツールでどこまでコミュニケーションが可能か、実践して考えてみたいと思うに至った。今までとは形式こそ変われど、希わくは諸方には今後ともご交誼を、そしてまた、この判断に酒気は一切作用していないこと附言するをお聴し願いたい。


 その代わりにこの随想録を今年は動かして行きたいと思っている。元々「眠られぬ夜」に何事か書き付けるべきだったのはこちらの方だったはずだのに、いつしかその存在を忘れ、更新も随分と滞って埃を被ってしまった。「眠られぬ夜」に物するツイートでなしに随想録を今こそ再び動かすべき時機と見定めた次第、随分と身勝手なことと、諸方には呆れられるかもしれないけれど……。


 その端緒として、ちょっとした「告白」をというと大仰な、しかし私にとって忘られぬ後悔の思い出をお話しさせて戴こうと思う。今なら書き切れるような気がする。


 実はtwitterでの「言葉」に纏わる深い後悔は今回が初めてではなく、二度目となる。何故に私は、実は関係の無かったらしい諸方まで無闇に捲き込んでしまう滑稽な「独り相撲」に取り組む醜態をお見せしてしまったのか……様々な要素はあろうところ、確実にその一つになっていると思われる、これまでごく限られた方としか共有していなかった、おおよそ一年半前に溯る後悔がある。


 「その方」とは別の小説投稿サイトで、作者と読者として恐らくお互いの名前を知り合っている程度の関係だった。だから、その方がカクヨムでも拙文を読みに来てくれて、初めて寄せてくれたコメントには驚愕したものだった。今からもう四年程前のこと。

 それはいきなり、拙文における修飾の過多や語彙の濫費を戒めるべきだという忠告から始まっていた。当初はかなり面食らったものの、どうやらその方が極めて真剣に拙文を読み込んでくれているらしいことが分かったので、当時、年末の慌ただしさに筆を執る時間のなかった私は、数日後に真剣に返信をするから是非それを読んで欲しい、という旨だけ伝えて年を踰えた。

 その方からは「楽しみにしている」という半ば挑発的とも思える返事を受け取った。もしかすると、私と「口論」したかったのかも知れない。けれども私は、私の持つ語彙の質とそれの運用の仕方とが噛み合っていないことへの苛立ちをその方が感じているらしいことが分かったので、読みようによっては無礼で、不器用な、しかしその分だけ包み隠すことのない真率で真摯なコメントの発する熱に動かされて、私の語彙世界、言葉に対する私のスタンスを相当の字数を費やして返信として認めた。

 その方からの再返信は、今になって思い出しても頬の緩むのを止めがたい、「可愛らしい」ものだった。もう再び読むことの叶わないその再返信には、冒頭に「ぶったまげました」という、直截にして意想外な言葉、巧みな文章を物するその方に対して私が抱いていたイメージを嬉しい意味で裏切る言葉が綴られており、まさかこういった形で「議論」が出来るとは思わなかった、と書かれていた。私はその方のことが一気に好きになった。

 

 そこから私とその方との本格的な交誼は始まった。その方と私との間には、例えば文法的な立場、規範文法と記述文法のどちらを重んずるか、「美文」の定義について、内容が先か語彙が先か、といったところに相容れないスタンスの違いこそあれ、それでも〈作品―コメント〉の遣り取りを通じた謂わば互酬のような形で、緊張感に満ちつつも相手への礼を尽くした、結果的には「心地良い」遣り取りが暫く断続することになる。

 

 言葉を操る卓越した技術、例えば独特にしてしかし的確な文彩修辞や、音読して顕現するまさしく音楽と呼ぶに相応しい言葉のリスム、流れ、その背後に仄見える相当の読書量に裏打ちされたであろう学識、そして何よりその美学……その方の齎す驚嘆の連続に私はたじろいだ。その方は必ずしも多作というわけではなかったけれど、私がその方との遣り取りに、自分でもおかしくなったのではないかと思う程にのめり込んでいったのは、作品とコメントとを問わず、読み始めるや早々に見せ付けられてしまうその方の天資、羨むばかりの才能と関われている実感、悦びのせいであったに相違ない。本当に、読者諸氏にも一度で良いからその方の文章を読んで欲しかった。直ぐに「違い」が分かるはずだから……。


 その方の物される文章を、作品のみならず近況ノート、その方が他の作者に寄せたコメントの数々、果ては外部のブログに至るまで食い入るように読み漁った。理性ではどうにも抗いようのない、それはもう魔性と表する外ない強い磁力だった。その方への返信を認める時間に事欠いて、時には仕事中に返信を書いていたことすらあるくらいだった。それを私をして為さしむる程に、その方の言葉には力があった。心の底に沈んだ澱を舞い立てるような、ソワソワを通り越してゾクゾクするような、恐怖と快楽とが背中合わせになったような感触、それを惹起する言葉の連なり、それを生み出す才能……明晰な理路は時として冷感を伴うことのままある中で、その方の言葉にはそこに書き付けられた「意味」の何たるかという以上に、文学への熱と、現代日本文学に喪われて久しい、正統派の文学としての慥かな質感があった(と言うと怒られるだろうか)。私にはその方が、まさしく選ばれた「天才」に思われた。


 けれども、そういった若き穎才との「共犯」関係にあることに私が愉楽を覚えて随分と経った頃、その方は忽然と私の前から姿を消してしまった。後に分かったのは、明晰さの裏返しとしてのその方の過酷な物言いが、別の方との交誼に軋轢を生ずること屡々であったようで、その度にアカウントを作っては消し、作っては消しを繰り返していたらしいことだった。

 私も一度、唐突に失礼を詫びられたことがあって、どうやら私とその方との遣り取りを読んでいた別の方(この方こそ作家というより「文学者」と名指したい、ご無沙汰を重ねつつも今なお私と繋がっていて下さる御仁)に指摘されたのだという。そうして謝罪して来るところそれすらも好もしく思えた。言ってみれば「好きになった方が負け」ということだろう。

 だからこそでもあろうか、初めての「失踪」に当面して、私の銷沈は思いのほか深いものとなった。何より、二人して共に築いていたつもりの「言語的構築物」が一夜にして灰燼に帰する……とは生温い、兇暴なまでに余燼も残さず綺麗さっぱり、何の前触れもなく、いや「私に何の断りもなく」消え去ってしまったのだから!(こう書くと些かキモいですね)

 

 その方のアカウントが復活しているのに気づいた時、私は欣喜雀躍した。忘れもしない、二〇一九年の五月のことだ。その日の東京は雨が降っていて、私は人との待ち合わせで時間を潰す間、職場から持たされて程ない公私兼用の、使い慣れないipadでいの一番に近況ノートで「おかえりなさい」と復帰を寿いだ。そして、また以前のような遣り取りが少しく続いたものの、そのアカウントまでも何も告げずに再び消えてしまい、私はもうその方とは関わるまいと心に決めた。


 そして三たび、その方のアカウントは復活した。これが私にとって、現状、その方との最後の関わりを持ったアカウントになった。

 その方はある時期から、ことによっては私と交誼を持つ前からかもしれない、架空の同人誌とそこに集う四~五人の同人、つまり複数の人格を仮構してテーマや文体を使い分けるという離れ業で様々な文学的実験を行っていた。気になって仕方がなかったものの以前の経緯もあったことだから、私は作品のフォローや応援ボタンなどのリアクションを一切行わず、ただただその方の物する作品や近況ノートを注意深く黙って読む日々が続いた。あちらもあちらで、私へのアプローチ、拙文へのフォローやリアクションは皆無となっていた。

 とはいえ、私がその方の文章に逐一目を通していることを、その方自身も気取っていたろうし、私も拙文がその方に読まれていることを知っていた。そして無言のまま、お互いがお互いの文章やツイート(但しその方はtwitterのアカウントを持ちながらもツイートは一切していなかった)を読み合っていること、お互いがお互いを読み合っていることに気付いていることも、お互いに気付いていたように思われる。何という屈折した「コミュニケーション」であったことか。この極めて奇妙な「信頼」関係を土台とした文筆を、当時の私たちは続けていたとでもいうのだろうか。


 そして東京五輪の開催期間中、これまたしても唐突に、決定的な破滅はやって来た。恐らくその方は私の現実世界における職種についてはご存じなかったろうと思われるものの、ある日の近況ノートだったか、そこで恐らくわくらばに、私の職種(というよりも分野?)を酷く愚弄する言辞を目にしてしまったこと、そしてその時、もし私がその方を宛名とした「手紙」を、言葉を、その近況ノートへのコメントとして送っていたのなら避けられたかも知れなかったのに、私がこれにtwitterで応じてしまったことが、一気に破滅の道を進む動力となってしまったのだと思われてならない。別の結末とて有り得たかも知れないというのに。

 

 カクヨムではお互いに無関心を装って潜伏しておりながらも、私はこの時、まだ鍵アカとする前の私のtwitterをその方がチェックしているとの確信があったので、その方以外には含意の気取られないであろう形で、その時分の猛暑の最中に目にした「咲かずに落ちた蕾」に言及する形で、韜晦というか譬喩というか、兎も角も多分に厭味なツイートをしてしまった。それは直接に宛名こそしないものの、twitter上においてその方に対して、私が初めて明確な無礼を認識してなお、それでも理性的判断の下で送った悪意の言葉であったと今は認められる。


 その方の反応は実に早かった。「天才」は一枚も二枚も上手だった。ツイートの含意を直ぐさま読み取って「抗弁」と称する文章をカクヨムに投稿してきた。私を名指さずに、けれども「君」と語りかけてくるそれを読んで私は、その方が私の言葉をまだ信じてくれていたこと、そしてその信頼を、厭味な譬喩によって裏切ってしまったこと、そして何よりお互いが信じたはずの「文学」を支える「言葉」を、私が暗い気持ちで悪用したことに失望されたこと、そういったことに気付かされた。そうやって美事に私の愚かな目論見を見抜く一方で、その方はこれまで以上に深い、現実世界における自身の苦悩をもその「抗弁」に書き付けていた。あれは私に助けなり励ましなりの言葉を求めていたのだろうか、分からない。ただ私の目には、その方(の文章)はそれまでの遣り取りでは感じたことのないくらいにかそけく映じた。もしかしたら、友情ではないけれども、友情に近いようなものが、下層植生のように私とその方との地平に育まれて続いていたのだろうか。


 私は「抗弁」を読み終わるや、これまでの私がなべて返信に用いていた言葉の調子(敬体など)を棄て、常体で、またしても長文の返事を認めた。そこに、弱っているその方への追い打ちの言葉がなかったかと問われれば、答えは否となるだろう。さはさりながら、一方で弱っているその方への叱咤の方が絶対に強かったはずなのだ。不幸な巡り逢いの形ではあったものの、また接点を持つことが出来た悦びと、暗い目論見を容易く見破られた悔しさと、私の下劣な品性を自覚させられた恨みと、その方の、眼も眩むばかりの才能への、尽きせぬ憧れと、今以て筆端に尽くし難い感情の数々が坩堝で混じり合ってドロドロになったような……そんな返事を、しかし私は「抗弁」へのコメントとしてでも、ツイートとしてでもなく、A4用紙に紙出力してそれを画像としてtwitterに投稿するという、今にして思えば意味不明な形でその方に送った。この段階では、その方が私のtwitterを見ていることは已に確定していたから。

 いや、意味不明ではなかったと言い直したい。私は卑怯だった。他者に対して物言う時の平生の敬体を棄て、堅い常体の「手紙」を私が認めるなど我慢ならなかったのだろう。何よりデジタルな不特定多数の読者の目に触れる形で、豹変した私の言葉が残ることが恐ろしかったのかも知れない。それは自身の低俗な品性をこれ以上となしに、事果せてなお未来の私に突き付けてくる「呪い」となったに違いないからだ。

 だから、嘗ては敬意すら抱き、それの潰えて後もその才能に嫉視を禁じ得なかったその方に対して、私は画像などという姑息な手段を用いてしまった。その疚しさに気付いていた証拠に、私はせめてもの罪滅ぼしでもするつもりだったのだろう、ワープロソフトで打ち込んで出力したそのA4原稿の末尾に、私が現実生活で用いている花押に擬した直筆の拙いサインを添えた。これは疚しさの中にせめてもの真心だけは何とか刻印しようという悪足掻きだったろうか。

 

 これに対するその方からの返信は「抗弁」の次に投稿されていた。先述の通り、折しも東京五輪の開催期間中、躍動する若い肉体を目の当たりにしていたのであろうその方は、彼らの齎す圧倒的な感動と比較する形で、文学の与える感動の矮小さに言及し「私は文学を否定する。そんなものは私の人生の何の役にも立たないからだ」と言い切って私への返事を締め括っていた。

 これが、その方を私が追い詰めたことによる自棄っぱちの言葉、嘘であることは直ぐに分かった。嘘おっしゃい、あなたに文学を棄てることなど出来ようはずがない……けれども私はこれを読み終えて同時に、その時に初めてその方に対する失望よりも怒りの感情が先行するのをはっきりと自覚せざるを得なかった。そしてその少し後、twitterのアカウントに通知があって、例の私の厭味なツイートへのコメントとして書き込む形で、自らの信念に殉じてカクヨムのアカウントを消した旨と、「人を感動させる程の文章を書け」という趣旨の、私の文筆活動に対する、これは今なおそれに縛られているような感覚を持つという意味で「呪い」とも形容すべき叱咤を伝えてきた。以前、不遜にも私はその方にコメントの中で「自ら感動できなくなったその時こそ、今度は誰かを感動させる番が巡ってきたのだ」といった趣旨のことを得意げに書いていたことがあった。その方はそれを覚えていた。もしかすると、その言葉こそ、図らずして私がその方に掛けた「呪い」だったのかもしれないと今にして思われる。

 私はその方から受け取った最後のコメントに対して、その方とのこれまでの遣り取りには用いたことのない、礼儀を踏み外す寸前の冷たい決別の辞で応え、ツイートを消去するよう希望した。果たしてその方によるツイートは削除され、爾来、交誼は今に途絶えたまま。アカウントの復活も確認されていない(けれど……)。


 飽くまでも私の側の認識であり、私の妄想の逞しいこと折々に読者諸賢ご推察の通り、嘘はないと信ずるものの自己保身のために書き隠したこともあるし、しかも時経て定めし多分に美しく劣化していることでもあろうから、あるいは一つの創作物としてこの「告白」をお読み下さっても一向に構わない。


 ただ、当時の熱が冷めてから、私の手許に残ったあの方の文章の断片を読み返す度に、本当に都合の良い物言いであること重々承知の上で、また逢いたい、言葉を交わしたいとの思いは強くなる一方でもある。

 あの才能の燦めきと熱は私を惹き付けて止まなかった。誘蛾灯のような蔵行灯の中に揺れる蝋燭の火に蛾が近付こうとして、それでも行灯を覆う鉄の網のせいでそれの叶わず悉く跳ね返されて、それでも挫けずに幾度も幾度もその網に己の翅を打ち付けて傷付けながら、それでもその裡に灯る火に魅入られて少しでも近付こうとする……けれども、行灯を覆う鉄の網が飴細工のように融けてしまう夜があって、そうなると遂に蝋燭の火に触れること叶うた蛾はしかしその刹那、瞬く間に己が身を焼かれてしまうことになるだろう。火はそこに在るだけだのに、蛾は勝手にそれに魅入られて勝手に自らを滅ぼしていく……だのになお、恐らくその蛾は誇らしいような幸福の火の中で自らの滅びるそのことに倒錯した悦びを見出しながら、深く深く納得しているに違いない(この譬喩が、破滅の日と前後して、恰もその方と入れ替わるようにして私の眼前に顕れた新たなる火の燦めきの、今度は苛烈な熱でなしに優しい温もりを寄せてくれることへの応答にもなっていると嬉しい)。


 ツイートでの最初の厭味、これがなければどうなっていたかは最早、知る由ないものの、私による今回の「独り相撲」は畢竟するところ「好きになったものとお別れしたくない」ということ、そして、またしても喪うのではないかという懼れの為さしむるところであったこと、聡明なる諸氏はご明察下さることだろう。

 

 ここまでお読み下さった殆どの方々には、最後にうんと失礼で無責任な物言いとはなってしまうのだろうけれど、出来れば「この人は一体、何のことを話しているのだろう」と思われる読者の多いことを願って止まない。

 いずれにしても私は向後、twitterを「字のないハガキ」として用いることとし、「宛名のない手紙」はこの随想録にて専ら認めていくことにしたいと思う。

 ただ今回限り、宛名のないように見えて実は見えない宛名の確とある手紙として、この随想録の第拾肆夜を費やすことお見逃しを願いたい。


「魂の致命的な敵は、毎日の消耗である」というロマン・ロランの箴言を噛み締めながら。

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