令和六年(2024)

第拾陸夜 掌上の小さな美術館

「この日光東照宮と姫路城のを下さい」

 

 初めて一人で行ったその店で、意を決して発した言葉を一言一句違わずに覚えているのだから、恐らくその瞬間は終生、忘れることはないのだろう。

 小学五年生だった私はその店で売られているものについて未だ十分な知識の無いまま、また買い方もよく解ってはいなかった――正しくはアルファベットと数字を組み合わせた商品番号を伝える――からこそ余計に、その時のただただ「欲しい」という切実さの記憶だけが、欲しいものをある程度は容易に手に入れること叶うのと引き換えに、然程に欲しいものも無くなってしまった今に際立って思い返されるのに違いない。

 歴史に興味を持ち始めた時分だったこともあって、天下人に所縁のこの二つの国宝建造物の名をその時の私は已に知っていた。日光東照宮陽明門が第二次の、姫路城は第一次の国宝シリーズをそれぞれ構成する、そういう「二枚」を、その時は僅かに四枚しか収められていなかった私の「美術館」もといストックブックに迎え入れた時の昂奮は筆端に尽くしがたい(ように記憶されている)……その日を皮切りにほぼ毎週に亘って通い出した店のことを私は「古切手屋さん」――コギッテヤサンでもフルギッテヤサンでもなくフル“キッテ”ヤサン――と呼んだ。


 切手に限らず、これに類する古銭・コインやトレーディングカード、また本の全集や栞、テーブルウェア、特定のデザイナーのインテリアなどの蒐集癖を私は、或いはその年端々々でその時々の意の赴くままに、或いは今に至るまで拗らせてきた自認がある(バタイユの言う「非生産的消費」であるところの〈蕩尽〉であると思えば些かの気安めにもなるだろうか)。

 蒐集とは即ち所有への欲望の為さしむるところ、夙に指摘されるように近代における一種の病理であると嗤うことも出来ようものの、畢竟「欲しいものは欲しい」という、クオリアのレベルで間違いようのない極めてプリミティヴな欲望の感覚は押し留めようにも如何ともし難いものだし、仕事ではない余暇活動としての、私のここ数年の「語彙蒐集」も、経済活動=「お買い物」でないだけで、その心性は定めしこれと根蔕を同じうするものに違いない。


 毎週金曜日の習い事の帰りに寄り道した「古切手屋さん」は、大型商業施設の三階の一角で初老のご夫妻が営む店だった。切手の他にコインや金券、テレフォンカードなども扱っていたように記憶している。こういう業種のお店を正式には何と名指すのかは今以て判り兼ねるものの、とにかくこの「古切手屋さん」には小学五年生から、習い事の教室が中学部になって別処に通い出すまでのおよそ二年弱、概ね一人でほぼ毎週、それ以外にも時々は友人と連れ立って本当に足繁く通ったものだった。そのせいで幾人かの友人を「こちら」へ引き込んでしまったこと、そして彼らが間もなく急速に「こちら」への関心を喪って離脱していったことに、幾許か自責の念を抱かないではなかった。ともあれ、週に一度そこに通うことは、何かあって通えない週などあればどうにも居心地の悪さというか、そわそわした感覚が去らないくらいには習慣化していたように思われる。


 そうして私の切手蒐集は本格的に始まった。小さな掌に収まる「美術館」こと切手のストックブックは件の「国宝」二枚を迎え入れてからも暫くは、店に通う度にバラで買い求める第一次・第二次の「国宝シリーズ」の古切手と平行して、新発行の記念切手や特殊切手、シリーズ切手を収めていくことに終始していた。

 新発行の切手は自宅近くの郵便局で買い求めていた。窓口に私を見留むるや、白いワイシャツにアームバンド――この名称は母が教えてくれた――を付け、シャープな銀縁の眼鏡を掛けた、恐らくそこまで年嵩とは思われない些か無愛想な男性局員が窓口で「これですか?」と声を掛けて新発行の切手を指差してくれるようになるのに、然程の時は掛からなかった。新しい切手が出る度にそれぞれ二枚ずつバラ買いしていく小学生(こと私)の顔をいつしか覚えてくれていたのだろう。

 中学校に上がる頃には交友関係や登下校の順路など、狭小ながらに私の生活圏も様変わりしてしまったので、別の街の郵便局で切手を買うことも多くなって、この局員と顔を合わせる機会は殆どなくなってしまったものの、あの能面のような表情から発せられた「これですか?」の声掛けが小学生の私にとってどれほど心強く嬉しかったことか。この二年にも満たない束の間の「習慣」が、見ず知らずの大人――これは後述する「古切手屋さん」のご夫妻も含めて――に顔を覚えて貰えることへの快感、少年心にも「顔馴染みになる」ということの心地よさを教えてくれたのかも知れない(私は贔屓してくれる人、店に今なお滅法弱い、お手軽な人間である)。


 蒐集の進むうち、私は特定の切手の図案や形状を好もしく思ったり珍しがったりするようになってゆく。すでに完結していた国宝シリーズの他にも、毎年春に発行される切手趣味週間の切手と、秋に発行される国際文通週間の切手が殊に気に入りで、それは図案に浮世絵や絵巻、屏風絵など日本の絵画が採用されていたからだった。これらの切手が、図案そのものの美しさも然ることながら、他の切手に比しても横長で少し大きめであったこともあって私の小さなストックブックの頁を一気に華やがせてくれたことも大きい。

 また形状という点では、今はもう無くなってしまったけれど、切手の自動販売機で購入できた「コイル切手」が思い出深い。かつて大きめの郵便局には切手の自販機が設置されていたことご記憶の向きもあるだろうか。購入できたのが普通切手のみであったとはいえ、自販機で買えるそれ、コイル切手の形状は“普通”ではなかった。通常の切手は目打ちに沿って切り離す際に四辺に鋸刃のようなギザギザが生ずるのに対して、コイル切手はこのギザギザが上下にのみあって左右にこれなくフラットであることを特徴とする。自販機ではこのコイル状に巻かれた切手が必要な分だけ“ベロ出し”したように出てくる仕様となっていたから、上下にだけギザギザの残る一風変わったその形状が普通切手を“普通”でないものにするようで面白く、窓口業務の終わった郵便局の脇に設置された自販機の前で友人達とワクワクしながら、使う当ての無い数十円の切手をただただ買って遊んでいたあの時空間は何とも名指すことの出来ない、夕暮れの仄闇と相俟った独特な雰囲気を醸していた。

 切手の自販機は廃止されて久しいけれど、それは言わずもがなコンビニで昼夜問わず普通切手を買えるようになって需要の低下したから、という以上に、恐らく廃止の時期から推して郵政民営化が決定的な機運となったに違いない。効率化、省力化の波に押されて一つの文化が消えてしまった、などというと無責任で感傷的に過ぎるだろうか。


……などと取り留めなく縷述するうちに「あしひきの山どりの尾のしだり尾の」ように、眠られぬ夜の漫筆も長引きそうな気配の漂うて来てしまった。徹夜明けで崩れた生活リズムを修整するためにも、語り切れなかったことはこれの後篇として後日を期したい(宜しければお付き合いの程を)。そして早く眠ろう。


謝辞:

先だってのアンケートにご投票下さった諸氏にこちらでも改めまして御礼申し上げます。

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眠られぬ夜に綴る随想録 工藤行人 @k-yukito

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