第19話 【黒騎士】

 エダンが逃走を図った夜から一週間が経つ。

 あの逃走事件は、砦内ではまるでなかったものとして扱われていた。

 

 ただ西宿舎から、何人か志願兵の数が減った――。


 それだけの事として処理され、誰もそれを言及しなかった。


 そして毎日を偵察と訓練の反復で、ある程度、そんな生活にも慣れてきた頃。

 今日も偵察に出る準備をしていた僕たちに、急な召集がかかった。


「今すぐ全志願兵、及び正規兵は直ちに練兵場へ集まるよに! 繰り返す! 砦内の全員、今すぐ練兵場に集まるんだ!」


 朝の起床時間でもないのに、鉦鼓を叩きながら大声を上げる召集の声を聞いて、僕たちは何事かと首を傾げる。


「最近はやっと仕事にも慣れてきたってのに、落ち着く暇がねぇなぁまったく」


 隣で文句を言うエダンが、自分の得物を腰のベルトに突っ込む。

 彼の言う通りここ一週間、偵察でたまに魔物と遭遇してもすぐ対処できて、それなりにいい感じになってきたのは僕も思っていた。

 なにより、魔力の渦があれ以降一度も発生してないのが幸いしていた。


「つべこべ言ってないで、早く行くわよ」


 先に支度を済ませたイリスが部屋を出て行く。

 僕たちも、彼女の後を追って練兵場へと向かった。


「こんな一堂に集まるのは久しぶりな感じだな……」


 練兵場に出ると、これまで役割のせいでバラバラに動いていた各宿舎の志願兵たちが全員集まっていた。

 それを感慨深そうに見渡していたエダンが、何かを発見して驚きの声を上げる。


「おっ、豚将軍が出てるぞ? どうなってるんだぁこりゃ?」


 壇上に並び立つ帝国軍の幹部たちの中に、砦について初日以降一度も姿を見せなかったこの砦の指揮官、グスタフ将軍の姿があった。


「あの男も出しゃばってきたってことは、今から何かありそうね……」


 イリスもまた、眉間に皺を寄せてそう言ってくる。

 ……でも彼女の場合、初日には砦になかったはずだが。


「姫さんって、豚将軍のこと知ってるのか?」


 僕の疑問を代わりにエダンが聞くと、イリスは軽くため息をついて話した。


「まあね。私がこの砦に来た日に、あの男の執務室に連れて行かれたわ。……嫌な男だった」


 あまりいい印象がないのか、そう話すイリスの眉間の皺が更に深くなる。

 僕たちがそう雑談している間に、帝国兵たちは志願兵たちを整列させて動き回っていた。


「列に並べ! 間隔を合わせろ! ……そこ! ちゃんと背を伸ばせ! ……そうだ!」

「おいおい、本当に何が始まるってんだ?」

「いきなりだな……」


 今まで召集がかかっても、こんな整列させる作業などさせたことはなかった。 

 まるで正規の軍隊が閲兵式でもするかのような雰囲気に、エダンも僕も首を傾げるしかない。

 そしてそんな僕の予想は、あながち間違ってもいなかった。


「今日は帝都から、この第7砦に大事な賓客が来る。くれくれも失礼な言動は慎むように!」


 なんとか整列が終わり、形だけなら精錬された一つの軍隊のようになると、グスタフ将軍がそんな事を言ってきた。


「なんだよ、お偉いさんの出迎え要員かよ……お上のやってることはどこ行っても変わらねぇな」


 ため息と共にそう愚痴を零すエダンの言葉が終わるのと同時に、練兵場の外から複数の蹄の音と、馬の鳴き声が聞こえてきた。


「お、お待ちくださいっ! ま、まだ報告が……っ」

「構わない。我が直接確かめれば済むことだ」


 そして聞こえてくる焦った帝国兵の声と、女性の低い声。

 静止を求める帝国兵たちを跳ね除けて、一つの集団が練兵場の中に入ってくる。


「あ、あれは…………ッ!」


 練兵場にいる全ての者の視線が現れた謎の集団に集中する。僕もまた、それを見て目を見開いて驚愕した。


 ……それは黒光りの全身を覆う鎧を身にまとう集団だった。

 一見ここにいる帝国兵たちと武装が似ているが、明らかに重装甲の鎧を身に纏った者たちの中に、僕も知っている人物が先頭を歩いていた。


「あの、女……っ!?」


 呻き声のような言葉が口から漏れる。

 数百の兵士たちの中を悠然と歩く、長い赤髪の女。

 彼女が歩く方向には、自然と波が引くように道が出来上がる。


 ……前に僕がいた食料プラント。そこにいきなりやって来て、プラントに住む人たちを皆殺しにした帝国軍の女騎士、あの時の女に違いなかった。


「なんで、あの女が……ッ」


 頭が困惑する。なぜあの女がこんな辺境まで出てきたのか。知らずのうちに握り締めた拳が汗ばむ。

 そしてふいに横目に見えたイリスの顔は……まるで今にも斬りかかりそうな殺気だった目で、その帝国軍の女を睨んでいた。


「皆の者よく聞けいッ! この方は我々レシド帝国第10師団の師団長、ラバル・デュラント閣下であらせられる! ……閣下、こちらに」


 壇上に上がってきた、その赤髪の女……ラバルというその女に、グスタフ将軍が恭しく頭を下げて、彼女を壇上の中央へと案内する。


 それにしても、第10師団の師団長……? 

 プラントで見た時も、偉い立場の人間だと思ってはいたが、どうやら僕の想像以上に偉い人物らしい。


「おいおいマジかよ……第10師団っていうと、帝国師団の中でも虎の子、エリート中のエリート、最っ高の精鋭部隊じゃねぇかよ……!」


 驚きで目玉が飛び出そうな勢いで壇上を見上げ、エダンが興奮した声でそう呟く。


「……そうなのか?」

「お前、そんなことも知らないの? 第10師団っつたら、他の国でも超有名なんだぞ?」


 信じられないといった顔で見てくるエダンに、僕は壇上に視線を戻して話した。


「あの女は……」

「あぁ。オレも始めて見たが、あれが戦闘狂で悪名高いラバル元帥に違いねぇ! 噂じゃ、皇帝からも絶対的な信頼を得ているとか。……とにかく飛ぶ鳥も落とす、帝国でも三本の指に入る実力者だよ」


 ……そんなにすごい人だったのか。

 今さらだが、そんな人間に自分が鍬とはいえ刃を向けたことに、背筋が凍る思いだった。

 そしてなにより今でも疑問なのは、あの時なぜ、あの女が僕を殺さなかったのか……その理由がわからない。


「戦闘好きで、敵の生き血を啜るとか、とんでもない噂がついてるからどんなイカれた女かと思えば……へへっ、すげぇ美人じゃないか。まあ、うちの姫さんとは全然ベクトルが違うけどな」


 そんなくだらない冗談を言ってくるエダンと違い、練兵場内にはざわめきが広がり始めていた。

 それもそのはず――。

 グスタフの案内を無視して、その赤髪の女……ラバルは、じっと射抜くような鋭い視線で練兵場を見回していた。


「あ、あの……ラバル閣下……?」


 戸惑うグスタフに対し、ラバルはやっとその小太りの男に視線を向けて言ってきた。


「将軍、これはなんの茶番だ?」

「……はっ? な、何のことでしょ……?」


 その冷ややかな声と感情を排した目に、一瞬怯みながらもなんとか聞き返すグスタフ。

 彼のその慌て様が滑稽ではあったが、僕には十分に理解できる反応でもあった。 


 ……あの視線の先に真正面で立ったことがない者は、決して理解できない威圧感とでもいうべきか。

 それは生物として、自分より上位種――捕食者を前にした時に出てくる、生き物としての自然な反応だった。


 ――パンッ!!


「カハっ!?」


 練兵場に響く打撃音と悲鳴で、周りが一気に静まり返る。

 ……ラバルが手の甲でグスタフの片頬をぶったのだ。そして打たれた衝撃でグスタフはその場に倒れる。


 たかが頬をぶたれたくらいだと思うかもしれないが……そうじゃない。

 鉄製のガントレットをはめ込んだ彼女の手は、ただ殴るだけでも相当な衝撃を相手に与えるだろ。

 実際に倒れたグスタフ将軍の口から血が流れて、口の中を切っていることは明らかだった。


「な、何を……クハッ!?」


 抗議しながら立ち上がろうとするグスタフを、ラバルが再び蹴り飛ばす。その信じ難い光景に、僕たちは唖然としてそれを見つめていた。


「ケホケホケホ……っ。い、いったい何をっ。いくらあなたが師団長でも、我々は第4師団所属ですぞ!? こんな勝手が……っ」


 咳き込みながら抗議するグスタフの言葉を遮って、その女……ラバルが低い声で言ってきた。


「将軍、我は皇帝陛下から視察の任を受けてここに来たのだ。この意味、わかるか?」


 その虫けらを見るような視線を浴びて、グスタフが怯えた表情のまま言い返す。


「し、知ってます。だからこうして……!」

「壁を守護する最前線である砦に勤める兵に、こんな無駄なことをさせているとは……我は、こんなことを見る為にここまで来たわけではないぞ」


 ラバルは整列されている僕たちを一度見て、またグスタフの方に視線を戻す。

 別に睨みつけているわけでもないのに、再び視線を浴びたグスタフ将軍はビクッと体を震わせた。


「そ、それは……ッ」


 目を逸らして口ごもるグスタフ将軍に、ラバルが静かな声で言ってきた。


「申せ。誰が貴様に視察の日程を漏らした?」


 そう話すラバルが、腰に携えた剣を軽く鳴らす。

 それだけで、グスタフ将軍は冷や汗を垂れ流しながら自白してきた。


「だ、第4師団の……第13区画の担当官殿に聞いて……ッ!」


 震える体でそう言ってくるグスタフに、ラバルは薄く笑みを浮かべて振り返る。


「ふむ。……キール」


 そして連れてきた副官と思わしき騎士の名前を呼ぶと、ひとりの男の騎士が頷きながら答える。


「はっ。今すぐフォルザの壁に向かい、13区画の関係者全員を処刑致します」


 さも当たり前のように、とんでもないことを言ってきたその男騎士に、ラバルは頷きながら話した。


「首はすべて、城門の上に吊るせ」

「はっ」


 ラバルの言葉に敬礼で返事をしたその男騎士は、急ぎ足で練兵場を出て行く。

 そしてすぐ馬の蹄の音が聞こえて、それがどんどん遠く離れていく。


「さて……」


 今もわなわなと怯えているグスタフを一度見て、ラバルが僕たち志願兵の方へ視線を向けてきた。


「聞いた通りだ。貴君らはすぐ自分の持ち場に戻れ。そして役目を果たせ、時間を無駄にするなよ」


 低く、声を張っているわけでもないのに、ラバルの声は練兵場によく浸透するように響く。

 そんな彼女の言葉に、僕たちは他の帝国兵たちに断りを入れるまでもなく、それぞれ解散して練兵場を後にする。


 ……誰の指示を優先するかは、さっきのやり取りだけでもう明らかだった。


「ふうぅぅぅ……。見てるだけだってのに、息が止まりそうになったぜ」


 横でエダンが大きく息を吐き出しながらそう言ってきた。


「噂通りすっげーおっかねぇ女だなありゃ。早く戻ろうぜ、ガルム」

「あ、ああ……そうだな」


 エダンが宿舎の方に振り返って、こっちを手招きしてくる。

 僕はそれに生返事を返しながら、もう一度壇上の方を見上げた。

 

 ――そして壇上から降りてくるラバルと……それに近づくイリスを発見した。


「あ、あいつ、何を……っ」


 全員が練兵場から出て行く中、一人だけその流れに逆行して勇み足で歩くイリスの姿に、僕もまた人混みをかき分けて彼女に近寄る。


「お、おいっ、何のつもりだ……ッ!」


 そして僕がイリスの腕を掴むのと、イリスがラバルに向けて声を張り上げたのは、ほぼ同じ時だった。


「ラバル――――っ!!!」


 イリスの怒声が練兵場に響く。

 歩いていた志願兵たちが、何事かと足を止めてこっちに振り返る。

 ラバルもまた、僕たちの方に視線を向けてきた。


「ほう……コスタの姫君か。フォルザの壁に志願したことは聞いていたが、まさかここにいたのはな」


 初めて感情を表に出して、面白そうにこっちを見てくるラバルに、イリスもまた滅多に見れない興奮した顔で言い放つ。


「よくもぬけぬけと……ッ!」


 一気に自分の剣の柄を掴むイリスを、僕は慌てて引き止める。


「おいっ、何をする!? 落ち着け……ッ!」


 いくらなんでも、帝国の元帥相手に軽々しく剣なんか抜いたら、ただでは済まないことくらい……僕でもわかる。


「は、離して! 離しなさい……ッ!」


 そんな僕の手を振り解こうと暴れるイリスに向け、ラバルは口の端を吊り上げて笑う。


「剣を抜くか? 我は一向に構わないぞ? ……再び、地面に這い蹲らせてやろう」

「く……っ!」


 一瞬、殺意を漲らせて獰猛に嗤うラバルに、イリスが歯を食いしばる。


 ……それよりも、イリスはラバルと戦ったことがあるのか? 


 それにあの口ぶり……僕から見たらイリスも相当に常人離れしているが、ラバルというあの女は、いったいどれぐらい強いというんだ……っ。


「おや、そこの後ろ男……まさか、貴様もここにいるとはな」


 そしてラバルは、イリスを止めている僕を、その時になって初めて認識したような顔でそう言ってきた。


 ――そんな彼女と、ほんのわずかな時間、互いの視線が交わる。


 それだけで、僕は金縛りにでもあったように、彼女から目を逸らすこともできず、その場に固まってしまう。


「えっ、ガルム……あなた」


 僕を知っているかのようなラバルの反応に、イリスもまた、戸惑いの顔でこっちを見てくる。

 だが僕に……それに返事をするほどの余裕はなかった。


「フフッ、つまらない視察と思っていたが気が変わった。また顔を出してやる」


 そんな僕とイリスを交互に見て、ラバルはさも面白そうに笑う。

 そしてすれ違いざまに、挑発的な声色で言ってきた。


「精々生き延びてみせろ。まずは、次の紅月の日を乗り越えなければ話にならんがな」


 そう言い残して遠ざかるラバルの後ろ姿を、僕とイリス二人は、しばらく無言で見つめていた……。

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