第20話 【折り合い】

 ラバルが視察に訪れてから5日が経った。

 その日は偵察の仕事もなく、僕らを含めた志願兵たちは、練兵場で気ままに体を動かしていた。


「はっ、はっ、はっ、はっ」


 僕はハンマーを振り回していた手を止め、すぐ隣で一糸乱れず素振りをしているイリスを見る。


 あのラバルが砦に訪れた日以来、イリスはいつもに増して鍛錬に集中するようになっていた。

 いったい、二人の間に何があったのか……少し気になるところではある。


「はあ~~~~……しんどいなぁ。よくやるよなーお前らは」


 少し離れた場所で、自分なりに体を動かしていたエダンが、ため息をつきながら地面に座り込む。

 ルシはというと、ずっと弓の練習をしていた手を休めて、支給された矢の手入れをしていた。


「それにしても……随分と、雰囲気が変わったな」


 練兵場を軽く見渡して、僕はそんな感想を口にする。


 未だに座り込んで駄弁っているだけの連中も中にはいるが、粗雑なりにも武器を持って体を動かしている志願兵の数が目に見えて増えてきていた。


 そして全体的な場の空気も……いつもと変わらないように見えて、どこかピリピリとした緊張感が伝わってくる。


「そりゃな。オレたち偵察隊を見てれば、嫌でもそう思えてくるだろうよ」


 エダンが皮肉を込めてそう話す。

 なんだかんだ言っても、西宿舎の方が今までで一番欠員が多い。

 それを傍目で見ていれば、他の宿舎の連中も、自分の身は自分で守る必要性を否が応でも感じてしまうんだろ。


「それに何より……もうすぐ紅月の日だからな。みんな不安なんだよ」


 エダンの言う通り、僕たちがこの砦に配属されてから、もうそろそろ一ヶ月になる。


 誰も口には出さないが、毎晩見える赤い月の満月が段々近づいてきて、三つの月の中から赤い月が一番前に出てくるのに、あと何日もかからない――。

 ……それを、砦にいる全員が知っていた。


 その時、練兵場の外――もっと言えば砦の外から、狼の遠吠えのような音が聞こえてきた。


「えっ、なんだ……? こんなところに狼か?」


 エダンが首を傾げてそうつぶやく。

 複数の個体から同時に出てくるその遠吠えに、練兵場の志願兵たちも、動かしていた手を止めて声がした方へと振り返る。


「いや……なんか、違う」


 続いて聞こえてくる遠吠えに、僕は首を横に振った。


 山育ちの僕には実際に狼を見る機会も、特に遠吠えに関しては、それこそ飽きるほど聞いてきたからわかる。

 あの声は狼の遠吠えより断然低く、何かが喉に詰まったような不気味な印象のものだった。


「ちょっと見てくる」


 そう言い残して、僕は練兵場から出て外壁を方に向かう。

 そこには歩哨に立っている北宿舎の志願兵たちが、険しい顔で遠くの一点を見つめていた。


「あぁ? ……お前は確か、イリスのとこのヤツだな? 何しに来た」


 確か名前はセルゲイ……だったか。

 城壁の上で、例の北宿舎の代表格の男が僕に話しかけてきた。


「ちょっとな。今の音が気になって見に来た」


 別に名乗る必要もないだろ。僕がそう話すと、セルゲイは顎をしゃくって城壁の外を示した。


「あれだ。さっきからこの辺りをうろついていたが、急に鳴き出しやがった……うるさくてしょうがねぇ」

「あれは……」


 城壁の上から見える岩場の間に、群れをなした野良犬のような集団が見えた。


 一見して狼のようなそれは、しかし距離的に考えても狼より格段に大きく、一つの個体が人間の成人男性を遥かに上回る体躯だった。


 そしてなにより……遠くからでもよく見える長く鋭いその牙は、口の外にまで抜き出して、上下の牙が互いに交差していた。


「あれは魔犬まけんだ。普段は死者の森の方にいるんだが……紅月の日が近いせいか、ここまで出しゃばりやがった」


 その醜悪な生き物を見て顔をしかめている僕に、セルゲイがそう説明する。

 ありえない角度に口を開いて、立て続けに遠吠えを上げるその魔犬まけんという存在を見ながら、僕は彼に聞き返した。


「詳しいんだな」


 正直、普通の人が魔物の種類を知る機会なんて少ない。

 そもそも、アジール大陸内では魔物の絶対数が少ない上に、そのほとんどが温和で人に害をなさない種類ばかりだ。

 むしろ、熊や狼みたいな肉食動物の方が脅威の対象となる。


「まあな、俺は元々冒険者だったからな。お前さんも見ただろ? フォルザの壁の内側にあるあの街を。そこを拠点に活動したさ」

「……そうか」 


 だから魔物に詳しかったのか。

 そんな冒険者が、なんで志願兵となってフォルザの壁の外に連れてこられたのか……少し気にはなったが、僕は口を噤むことした。


 ――キャアアアアアア――ッ!!


 そのとき急に聞こえてきた、女の甲高い悲鳴のような叫び声。

 しかし鼓膜が切り裂かれそうなその声は、地上ではなく頭の上……空の方から聞こえてきた。


「な、なんだっ!?」


 慌てて空を見上げると、一瞬夜になったかと思うほど大きな何か太陽を遮って通り過ぎていた。

 僕たちがいる場所がその何かによって陰って暗くなる。そして少し遅れて突風が押し寄せてきて、なんとか体勢を保つのに苦労する。


 その強風がやっと収まって、僕が再び空を見上げると、もうそれは遠くの空を旋回していた。


「ワイバーンか……急に出てきやがって、びびらせるんじゃねぇよ、ケッ!」


 セルゲイが悪態をつきながら唾を吐き出す。


 それにしてもあれがワイバーン……。


 噂で名前くらいは知っていたが、思っていたよりも断然大きく、僕の中のイメージとしては、伝説の存在であるドラゴンに近い印象だった。

 そんな危険な存在が、砦に接近していたという実感よりも、その雄大さに思わず目を奪われてしまう。


 ……段々遠く離れていくそれを、僕はしばらくの間、呆然と見つめていた。






 ##########


 そして翌日。

 僕たちが偵察から戻ってきた頃にはもう日が暮れて、周りの景色は全てオレンジ色に染まり、陰には深い闇が広がり始めていた。

 砦の周辺をうろついていた魔犬の件もあって、偵察隊はいつもより緊張した状態で任務に当たっていたが、幸い何事もなく砦に戻ってくることができた。


 そして夕食の後。

 軽く風に当たるために外へ出た僕は、練兵場の横にある、倉庫の裏でうごめく複数の人影を見かける。


「くふふっ……こんくらい、いいだろ別に。なぁ~?」


 聞こえてきた、脂ぎった男の声。

 その物陰には、数名の男が一人の女相手に、欲望まる出しの顔をして迫っていた。


「またか……」


 こう言ってはなんだが、娯楽のないこの砦で、男と女が絡み合うことはよく見る光景の一つだった。

 特に女性の数が圧倒的に少ないことから、ああやって一人の女相手に複数の男という構図も珍しくはない。


「このっ……ッ。離して! 今すぐ退きなさいよ……っ」


 だから見なかったことにして通りすぎようとしていた僕に、すっかり聞き慣れた女の嫌がる声が聞こえてきた。


「あれは……」


 倉庫裏に視線を戻すと、その陰った暗がりの中にいたのは、志願兵たちではなく、帝国兵の服装をした男の三人と……その男たちが取り囲む壁際には、イリスが立っていた。


「げへへ、なに嫌がってるんだよぉ……? そうツンケンしないで、俺たちとどっぷり楽しもうぜぇ?」


 下品に笑いながら、徐々にイリスに迫る帝国兵たち。


 ……だが、いくら帝国兵とはいえ、怖いもの知らずにもほどがある。

 次の瞬間には、彼ら全員一瞬で叩きのめされるだろ。


 僕はため息をついて、静かに帝国兵たちの冥福を祈った。


「あ、いててててっ!? お前っ、は、離せ!?」


 そして案の定、イリスの腕を掴もうとした帝国兵の男は、逆に関節を極められて苦悶の声を上げてきた。


「ふん。この腕、永遠に使えなくしてやってもいいわよ?」


 残虐な笑みを浮かべ、更に関節を押さえる手に力を入れるイリス。

 だが横にいた他の帝国兵が、相変わらずニヤニヤした顔のまま、彼女に言ってきた。


「おいおい、いいのか? 我々正規兵に手を上げたとなれば、当然上にも報告しなければならねぇ。そうなれば、帝都にいるお前のご家族にも迷惑がかかると思うがなぁ、コスタの元・王女さんよ?」

「な、なにを……ッ」


 その帝国兵の言葉に、相手を拘束していたイリスの手が一瞬だけ緩む。

 その隙に、捕まっていた帝国兵が、イリスの手を振り解いて抜け出してきた。


「くっそ、酷い目にあったぜ。くくっ……でも、あの噂は本当だったようだな。親族と部下を人質に取られて、ここフォルザの壁に志願してきた王女さまの噂さはよ?」


 肩をほぐしながら、その帝国兵はまた卑劣な顔に戻ってそう言ってくる。


 ――それは、明らかに自分が優位に立っていると思う人間特有の、相手を見下すときの顔だった。


「……脅しのつもり?」


 唇を噛んで男たちを睨むイリスは、気丈にそう言い返す。

 反面、帝国兵の男たちは下品な笑みを浮かべて、更に彼女を壁際に追いつめてきた。


「いやいや、脅しなんてとんでもない~。俺たちは、王女様ともうちょっと仲良くなりたいだけですよぉ……」

「そうそう、それにもうすぐ紅月の日だ。その前にタノシイ思い出でも作ろうや」


 そう言ってイリスの髪や肩に手を伸ばしてくる男たち。

 だがイリスはさっきとは違い、歯を食いしばって悔しそうな表情をしながらも、一切の抵抗をしなかった。

 それで彼女が大人しくなったことを確信した男たちは、彼女の豊満な胸へと手を伸ばしてくる。


「…………くっ」


 それを視線をそらすでもなく、悔しそうに睨みつけているイリスの目尻に溜まった涙が、夕陽を反射してわずかに光る。


 ――それを見て、僕は思わず走り出した。


「クホッ!?」


 鼻の下を伸ばして、無防備に背中を晒していた一人に体当たりする。

 体躯の大きい僕に比べて小柄なその男は、衝突の勢いに飛ばされ、そのまま地面を転んだ。


「な、なんだっ貴様!? どこから出てきた!?」

「ガ、ガルムっ!?」


 ――驚く帝国兵たちとイリス。

 僕は奇声を上げなら、横にいた男の首を掴んで持ち上げる。


「うわああああっ!?」


 自分でも、なんでこんなに興奮しているのかわからない。

 だが怒りに任せて持ち上げた男を壁に投げつけると、もう一人の男が横から僕の腹を軍靴をはいた足で蹴り上げてきた。


「くっ……ああぁぁぁぁっ!!!」


 ずっしりとした痛みが腹部に走るが、倒れるほどの衝撃でもない。

 僕は気合の声を出してなんとか持ちこたえ、その帝国兵の足を掴んでそのまま転倒させた。


「貴様ぁ、死にてぇのか!? 斬り刻んでやる!!」


 そして最初に倒れた帝国兵の男が、腰から剣を抜いて立ち上がってくる。

 ……そういや、僕の武器は部屋に置いてきたままだった。まあ、それがあったところで、帝国兵に勝てるとも思えないが。

 

 ――そんな事を考えなら僕は、自分に迫る刃の尖った切っ先を……どこか他人事のように眺めていた。


「そこまでよ」


 だが帝国兵の剣が僕の胸を貫く前に、横から伸びてきたもう一つの剣がそれを弾き返す。

 夕陽を鈍く照らす剣身のそれは、イリスがいつも持ち歩いている彼女の剣だった。


「それ以上やるなら、私も黙ってないわよ」

「ふざけるなッ! この大男、我々正規兵に手を上げてきたんだぞ! こんな明らかな謀反行為を、見逃せるわけないだろ!」


 いきり立つ帝国兵たちに、イリスがすっと剣を構えて言い放つ。


「なら仕方ないわ。……よく言うようね? 目撃者がなければ暗殺だと。つまり目撃者ごと皆殺しにすれば、それも暗殺ってことになるのかしらね?」


 挑発的な笑みを浮かべて男たちを見るイリスに、彼らの固唾を飲み込む音が聞こえてくる。


「…………ちっ。お前ら、行くぞ!」


 しばらくの沈黙の後、帝国兵たちがその場から立ち去る。

 それでやっと緊張の糸が切れた僕は、なんとか震える足を動かして壁を背にしてもたれかかった。


「はあ――……」


 肺に溜めていた息をすべて吐き出す。心が落ち着くにつれ、蹴られた腹にも痛みを感じるようになる。

 そうして立ち尽くしている僕にイリスが言ってきた。


「い、一応……礼を言っておくわ。ありがとう」


 どこか照れくさそうに話した彼女が、今度は不思議そうな顔になって僕に聞いてくる。


「でもガルム……あなた、私のこと嫌ってるでしょ? なんで助けに入ったの?」


 ――なんで助けた、か。


 それは自分でも不思議だった。

 考えるより先に体が動いて、それからは無我夢中だった。

 ……はっきり言って、僕が彼女を助ける理由なんて何もない。


「……ああ、僕はお前が嫌いだ。そして、あいつらのことも赦せない……それだけだ」


 考えてやっと出てきた答え……だがそれが、正直な僕の気持ちでもあった。


 僕の話を聞いて、呆れたような顔で小さく笑うイリス。

 そんな彼女の笑顔に、急にいたたまれない気持ちになった僕は、それを誤魔化すようにその場を後にした。

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