第27話「DJ君」

 師匠の話に集中してもらうために、これまで敢えて語ってこなかった僕の相棒の話を少ししよう。彼は僕にとって、師匠に勝るとも劣らないくらいに大切な存在だった。一介の相場師にすぎなかった僕が、沢山の人間に支援して貰えたのは、間違いなく彼の存在があったからである。


 僕の相方は、彼のファンが起こした、「ある事件」をきっかけに心を壊し、今はどこで何をしているのかも分からない。彼の本名を記すことに大した意味はないし、今となっては許可の取りようもないから、今はただDJ君と呼ぶことにしよう(何故、そんな名前なのかは、後にきっとわかるはずだ)。


 彼は僕以上のオタクだった。男の娘漫画が大好きだった。『ファミリーコンプリートプラス』という、男の娘漫画の傑作を世に知らしめるためだけに、二人で相場を作ったこともある。その漫画を熟読しないと、僕らが次に仕掛ける銘柄が分からない。そういう仕組みだった。


 その相場は大失敗して、当時八千人くらいいたフォロワーの約半数を退場に追い込み、沢山のアンチを生み出すことになったのだが、それはまあ、別の話だ。


 彼は三次元の女性にはまったく関心を示さず、毎日毎日、マンガと文章だけを書いて暮らしていた。絵の方は大したことなかったが、文章の方はずば抜けていた。何よりも素晴らしいことは、彼がこちらが企図としているものを素早く理解し、作品に仕立て上げる才能を持っていたことだ。これは僕には嬉しい誤算だった。


 彼の家庭環境は劣悪だった。幼い頃の大半を施設の中で過ごし、親からの愛情は全くと言っていいほど受けていない。だが彼は、僕と違って変にネジくれたところもなく、いつもニコニコとしていた。ないのが当たり前の奴は、逆境に強い。初期設定がハードな方が、まっとうな人間に育つのは、この世界ではよくあることだ。



 伊集院アケミとして第二の人生を送り始め、少し生活も安定しだした頃、僕はある小説投稿サイトで彼を見つけた。そして、直ぐに連絡を取った。何故かと言えば、彼の文才もさることながら、作品を読んで、『彼はきっと、僕と同じ施設で育ったに違いないという確信』があったからだ。


 猫と妄想の少女に振り回される日々を送る主人公が、自分の過去を振り返るシーンを見て、「コイツは間違いなく僕の後輩だ。少なくとも、あの施設の関係者だ」と僕は思った。そして、その確信は正しかった。僕は彼の作品を褒めちぎり、彼の最初の支援者となった。


 他人から才能を見出されることの喜びは、僕自身が良く知ってる。僕もまた、師匠である剣乃さんに見いだされ、自ら相場を作り出した人間だからだ。才能のある奴は沢山いる。それを見抜ける人間も結構いる。だがそこから一歩進んで、自分の身代みのしろを削る奴はほとんどいない。僕はそれをやってきたから、何とか今まで生きてこられた。


 だが、もし彼に文才がなかったとしても、どこかで人生が交差したならば、僕は彼の事を好きになっていただろう。彼が自分の愛する作品について語る時の熱量は、かつての自分を見るようで心地よかった。

 

 あの施設の話を少し語ろう。「ない」のが当たり前の僕らの人生の中で、唯一ふんだんに与えられたのがマンガ雑誌だった。少年誌が質・両ともに最も充実していた時代の、ジャンプ・サンデー・マガジン・チャンピオンが、僕らの育った施設には全て揃っていたのだ。施設の職員にマンガ好きが沢山いて、彼らが自腹で購入したものを施設に寄贈していたである。


「僕が居た頃には、隔週誌の少年ビッグまで置いてあったんですよ」と、後に彼は、笑いながら語っていた。少年ビッグというのは、新谷かおるの『エリア88』や、あだち充の『みゆき』を連載して人気を博していた青年誌で、ヤングサンデー前身となる雑誌だ。こんなところで育って、オタクにならない方がおかしい。


「リアルで嫌なことがあった時には、いつも漫画やアニメに救われていたんです」と、彼は僕に何度も言った。相場の世界で金を掴むことで、クソみたいな現実に復讐を果たそうとしてた僕とは違い、彼は本気で二次元のキャラや物語を愛し、現実そのものを忌避していた。


 彼は物心つく前から施設で育ち、親の愛情をまともに受けられなかった。だからこそ、彼は物語の世界に没頭しmいつしか、自分もそういった作品を作りたいと願ったのだ。


 彼は施設を出てからも、最低限の生活費を稼ぐためのバイト以外はずっと部屋に引きこもって、ただひたすらに己の剣を磨き続けてきたという。僕ですら、剣乃さんや土佐波さんの愛情は受けていたというのに、彼は誰からも愛されず、またそのことに全く拘泥していなかった。彼は、物語さえ紡いでいられれば、それで幸せな人間だったからである。

 

 僕は、僕と同じ場所で幼少期を過ごした、一回り近く歳下の彼を、既に悟りを開いてしまった聖人君子か何かように感じていた。まあ、その聖人君子の趣味嗜好には、前述のようにかなり偏りはあったのだけれど、それでも僕は、一種の尊敬の念を、DJ君に対して感じていたのだ。


 K監督の一件以来、僕は他人を信用することに恐怖を感じていた。だが、彼だけはどうしても手放したくないと思った。彼も僕も、決して真っ当な環境で育ってきた人間ではない。僕に至っては、堅気ですらない。いつお上に身柄を拘束されても、なんら不思議ではない人間だ。


 悩んで悩んで悩み抜いた結果、パトロンと創作者のような関係ではなく、お互いがお互いの強みを生かし、共に作品を作る相棒パートナーとしてなら、うまくやれるのではないかと思った。僕が意を決してその気持ちを伝えた時、「家賃と飯代を払ってくれるなら、喜んで」と、彼は答えた。


 それからひと月もしないうちに、彼は僕の東京の家に引っ越してきた。彼に飯を食わせる事くらいの事は、僕にはたやすいことだった。僕らは、これから何をすべきかを、何度も真剣に語り合った。


 当時の僕は、堅気に戻った赤瀬川さんのシノギを手伝いながら、東京と仙台の二重生活をして暮らしていた。まだ相場に復帰していないにもかかわらず、僕がDJ君を支援できたのはそういう訳だ。僕とDJ君と、赤瀬川さん拾ってきた猫の全力さんは、真っ当な親に育てられることなく親から見捨てられた、いわば似た者同士だった。


 彼との契約は、僕の人生において、最高の取引ディールだったといっても過言じゃないだろう。彼の文才は、僕の強烈な武器となる自信が元々あった。そして僕は、赤瀬川さんの支援を受け、相場の世界に復帰することを決意する。DJ君と全力さんが居る今なら、金を稼ぐ事以上の意味を、相場の中に見出せるんじゃないかと思ったからだ。


 僕らは入念にキャラを作り上げ、【全力三階建て】という名前で、Twitter界・株クラスタにデビューした。『煽り屋で、非リアで、ちょっとポエマーな元仕手筋(猫)』という設定だった。僕ら三人を足して、そのまま割らないくらいの、ちょっと濃いめのキャラだった。


 相場の話や煽りは僕が、非リアの部分はDJ君が担当し、ポエムやオタクな雑談は二人で自由に書いた。当時、まだ一歳にも満たなかった全力さんの写真を多数投稿し、表向きには、全力さんがしゃべっているように演じた。


 猫の全力さんの可愛さと、二人のポエムのおかげで、全力三階建てはちょっとリリカルなネット仕手筋として人気を博した。小さめの株なら、自分たちの力で簡単に動かせるようになり、それが更に僕らのファンを増やしていったのだ。


(続く)

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