クラスメイトの彼女 18

 僕は突然に目を覚ました。


 しかしそれは、目覚まし時計で駆り立てられるものでもなければ、物音、もしくは寝心地の悪さで誘因されたものでもなかった。

 

 透き通る湖面へとゆっくりと浮上するような、静かで滑らかで、少しひんやりとした印象の、でも心地の良い目覚めだった。


 けだるさなど微塵も無く、心も身体も軽くなったような、とても安らかな心地だった。


 こんなに心地のよい寝起きは、いつ以来だろうか。


 変な話かもしれないけれど、しばらくボーとして、僕は寝ていたんだ! というのを後から実感した。そうだ、僕は寝ていたから、起きたんだ。


 ここは僕の家でもなければ朝でもない。無論普通のことじゃない。それは僕の寝姿からも察せられた。柔らかな背もたれに寄りかかり上半身は起こしたまま、脚を気ままに投げ出している。体全体はふんわりとした複数のクッションに包まれていた。そう、僕はソファーで寝ていたのだ。


 さて、ここは一体どこだろうか? またも見知らぬ部屋だ。保健室でもないし、どこかの家の、おそらくリビングらしくて、大柄な人でも寝そべることが出来そうな大きなソファーだった。


 知らない匂い。でも、ほのかに甘い爽やかないい匂い。知らない部屋にいるのにもかかわらず、不思議と僕は嫌な気分はしなかった。


 リビング、そしてカウンターキッチン。丸いテーブルの上に花瓶が一つあり、花が生けてあった。なんという花かは僕には分からない。この花の匂いなのだろうか?


 そんなことを考えながら、僕はクッションをかき分け体を起こし、そのままソファーに座り込んで、そしてまたボーとしてしまうのだった。


 誰もいない様子だ。さて、どうするか? きっと、保健室で目を覚ました時と同じように、僕は突然に寝てしまったのかも知れない。眠ってしまう前の記憶はと言うと──、学校だ。学校で授業を受けていた。そして中村と駄弁っていた? 昼ご飯をたべて、 授業が終了し、下校? 帰宅した? あれ? 中村と下校したのか? 一つ一つ思考をめぐらし、記憶を手繰り寄せる。


 中村が僕に言っていたこと──!


 プリントと課題を届ける。そうだ僕は! ならばここは、彼女の!?


 そう思った刹那、背後に誰かいる! と何かがピンと来て、僕はそのまま反射的に振り返っていた。


「目を覚ましたのね」

 僕が振り返ると、すぐさまそう言った顔はややキョトンとしていた。

「あっ、あっ──」

 その顔を目にした途端、僕の心に思考や感情、想いや言葉が、吹き出すように入り乱れて、上手く声を発せられなかった。

「あ、あの──」

 言いたかったこと、伝えたかったこと、色々な想いが多すぎて──。でも、良かった! 会えた! 無事に逢えたんだ! その顔が見たかったんだ。とにかくは、良かった。僕は脳裏で叫んでいた「杜乃さんっ!」


「大丈夫そう?」

 彼女は僕の顔を覗き込むようにして言った。僕はとにかく顔を縦に振った。


 杜乃さんを一目見て、吹き出した想いと共に、僕は思い出したのだった。


 すべてを。


 そう、きっとそれは、これまでのすべてだ。僕がここに来るまでの記憶と、そして、僕の意識の中であったこと。夢の中の記憶。の戦いの記憶。彼女と一匹と僕との、悪夢世界の記憶だ。


「どう? もう大丈夫? 突然クラクラとして倒れるから。貧血とかよくあるの? でも今までそんなこと一度も無かったわ、学校では。気分は悪くない?」


「うん。大丈夫だよ。ありがとう。ここまで杜乃さんが運んでくれたんだ」

「そう」

「ごめんなさい。僕もよく分からなくて、その──」


 僕は今日の帰りに杜乃さんへ課題や連絡事項のプリントを届けようとしたのだ。担任に自分が届けるとお使いを買って出て、住所を聞いて、そして呼び鈴を鳴らして、玄関が開いて、杜乃さんの顔を見た途端に、軽い耳鳴りがしたかと思うと──、


 僕はあの暗い教室のある闇の世界に居た。モノクロの世界、黒い校舎、暗黒の空間。夢魔と呼ばれる影、悪夢の世界に。

 

 そこで僕は、彼女と出逢い、


 そして僕は、彼女に想いを告白した──、

 

 記憶が明瞭になり、冷静になってみると、途端に恥ずかしくなった。あの世界にいれば、それが当然だと思ったし、伝えずにはいられなかった。なんと言うか、心の中に意識として僕も彼女も居たわけだからか、馬鹿正直というのか、素直にそうできたのかも知れない。しかし、僕なんかが、よくも堂々とあんなこと言えたもんだ。


 もう恥ずかしくて杜乃さんを正視できない。けれど、彼女の首に巻かれた包帯が目に付いた。


「その包帯、やっぱり、あの──」

「た、大したことは無いわ。ちょっと引っ掻いただけで」

 杜乃さんは誤魔化そうとしているのだろうか? まさか、覚えていない? いや、僕が夢の中のことを覚えているとは考えていないのか?

「あの時のでしょ? そういう事はよくあるの? その、戦いの──」

「あっ、えっ?!」

 杜乃さんはややハッとした表情を見せた。やはり、僕が覚えているとは思っていなかったのだ。でも、知っていることをすべて正直に言おうと思う。それに、何が現実で何が夢で、またその夢が事実として──、ややこしいけど、確かめなければならない。

「つまり、その、夢の、悪夢の中での、彼女の、戦いの時の傷でしょ? その怪我は」

 こう言うと、杜乃さんは目を見開いて固まった。

 僕が覚えているはずはないと踏んでいたのだ。

 

 しかし、自分でこう、さも事情を知った風に言っておきながら、改めて考えると、一体どういう原理だというのか? 彼女が夢の中に現れて、それは現実の彼女でもあって、では現実の彼女はその間どうなっているのか? さっぱり分からない。


「そ、そうね。陽野君、覚えているのね。悪夢の中の出来事を」

 杜乃さんはとても真剣な顔をしていた。

「うん」

「全部を覚えている? 私のことも、ネコのことも、暗い校舎や夢魔の姿も」

「全部を覚えているよ。杜乃さんの呼び名も、そして悪夢のコアを破壊したことも。だから僕は、何も失わず、今こうしていられるといことも」

「そう──」

 とだけ言って、杜乃さんはさりげなくキッチンの方へ行き、小さく咳払いをした。いつも冷静な杜乃さんが、どこかぎこちない様子だった。でも、そんな彼女の様子を目にして、馬鹿みたいだけど、重要なのはそこじゃないはずだと頭では分かっていても、僕は更に恥ずかしさを覚えた。


 告白なんかよりも、僕はもっと大事なことを知ってしまったんだ。


 彼女の正体、というのが正しいのか、彼女が陰ながらやっていたこと。彼女が夜な夜な、悪夢に魘される人々の、その悪夢と戦って、人々を悪夢から救ってきたのだ。


 ネコさんは、魔法少女と言っていた。


「陽野君、何か飲む? プリントを届けてくれたんだよね、ありがとう。お茶か、コーヒーか、炭酸とかジュースとかはないんだけど、あ、課題はそれなりに量があるわね、そう、ココアもあるかな、うん、問題はないわ──」

「うん」

 言っていることがやや支離滅裂というか、こんな杜乃さんを見るのは初めてだけど、僕も恥ずかしくて「うん」しか言えない。そしてそんな貴重な杜乃さんの様子をしっかり正視できないのが、もどかしい。


「えーと、どっち? 課題? じゃなくて、お茶? コーヒー? どっちがいいの?」

「あっ、えーと、その、そういえば、ネコさんはここにいないのかな? ネコさんにもお礼を──」

「あっ、あれは気まぐれだから、現れたり消えたり、校舎裏にはよく現れるわ」

「そ、そうなんだ」

「そのうち現れるわ、おそらく陽野君に会いたがっていると思う、おそらく──」

 そう言って杜乃さんがコーヒー豆の袋を開けようとした時、


「あの個体は今は居ない」

 

 と、突然そういう声が聞こえた。聞こえたというより、頭に直接そう聞こえた?!

 

 知らない声、大人でも子供でもない、不思議な声。


 きっとそっちだと思われる方を見てみると、リビングに入るドアが開いていて、その先の廊下から、真っ白な猫がひたひたとこちらに向かって歩いていた。


 猫!? 真っ白な? この白猫が言ったのか?!


「あっ、猫だ」

 

 でも──、あれ?


 杜乃さんは黙ったままだった。杜乃さんも聞こえたのかな? きっと聞こえたはずだ、この感じ、悪夢の中でネコさんと会話した感じに似ている。でも、この猫は真っ白で──、


「猫飼ってるの?」

 僕はとりあえず杜乃さんに聞いてみることにした。が、彼女は静かに首を横に振った。

「飼っていないわ。知らない野良猫よ。どこから入ってきたのかしら?」

「どこからでも無い。しかし、どこからでも来れる」

 白猫が返事をした?! 確かに白猫が答えたんだ。口は動かしていないけど、僕には声が聞こえる。

「泥棒猫ね」

「泥棒ではない。なにも盗んでいない。盗む必要も無い」

「冗談よ。でもあなたも同じ猫の姿なのね」

「この姿はそなたの意識が決定している。そなたの深層心理が望む姿で、我々は像を結ぶ」

 白猫はひょいとテーブルの上にあがり、花瓶の横にちょこんと座った。話しているけど、動きは猫そのものだった。


「あの、ネコさんみたいな存在は、他にも沢山いるんですか?」

「悪夢が存在するように、我々も存在する」

 白猫は僕の問いかけにも特段の反応もなく、すんなりと答えてくれた。

「ってことは、人によって、その、夢使いっていうの? 魔法少女? 夢の中で戦う人が、他にもいっぱいいて、そしてそれぞれの人によって、姿が違うってことですか?」

「そうだ。彼女にとっての私は猫の姿をしている。人によってはネズミだったり犬だったり、鳩だったり、昆虫もいるだろう。生物でなくてもよい。無機物もありうる」

「無機物? みんな社会に溶け込んでいるんですか?」

「わざわざ社会に溶け込む必要は無い。ところで君も私の声が聞こえるというのは事実だな。確認した」

 白猫は僕の方をじっと見てそう言った。

「杜乃さんは、猫が好きだから、猫になったのかな?」

「特に猫が好きってわけでは無いわ。動物はみんな好きよ。犬も、鳥も、虫も」

「深層心理の意思は、自覚されないものも多々あるものだ」

「そう。まあ別にいいけど」

「ふふっ」

 何となく納得していない様子の杜乃さんだった。僕はちょっと笑ってしまった。言葉を話す猫、正確には言葉を発するのではなく、言葉が直接頭の中に届いて会話出来ているって感じだけど、そんな不思議な猫と杜乃さんのやり取りが、とても可愛らしく感じられた。


「で、何故あなたがここに現れたの? ネコはどうしたの?」

「あの個体は上位次元の理に呼ばれている。君たちの言葉で分かりやすく表現すると、謹慎だ。その代わりとして私が来た。当分の間、私がそなたのコンダクターとなる」

「──そう」

 杜乃さんは静かにそう言って、それ以上何も訊かなかったけど、

「ネコさんの何がいけないのですか? 少なくとも、僕は救われた」

「確かにそうだ。しかし、君は夢使いではなく、そして我々の波動を受け取る力を得た。これは想定外の事態でもある。それ以前に、君や彼女を不用意に危険に晒した。この結果はあの個体、ネコと呼ばれる個体の結果である」

「でも──」

「あの個体の弱点は明確となった。アレは君たち物理世界の影響を受け入れすぎた。君たちの世界の言葉で言えば、感化だ」

「それはいけないことなの?」

 杜乃さんが口を開いた。

「本質的に、良い、悪い、なんてものは存在しない。すべてにおいて、この宇宙は本来自由だ」

「どういうことですか?」

「上位次元の理においては、君たち物理世界においても、そして我々コンダクターの次元においても、行動や思考、意思は無限に自由なのだ。それは、悪夢を仕掛ける側にも言える。悪夢を仕掛けるのも、彼らの自由でもある。良いも悪いも無い」

「そう、なら、謹慎する必要なんてないはずでは?」

「本質的にはそうだ。しかしそれは最も高度な上位次元の理においてだ。我々コンダクターのレベルにおいて、その次元には、我々の統一意思もある。そこからあの個体は少々逸脱した。不測の事態が生じない内はまだいい。しかし、あの個体には弱点となり、新たな事象が生まれた」

「あなたたちコンダクターの統一意思って、なに?」

 杜乃さんは真っすぐに白猫を見つめていた。その表情はどこか、夢の中のを思い出させた。


「そなたはあの個体から聞かされていないのだろうか? 我々の統一意思は、君たち物理世界の進化を妨げないこと。そして、別次元からの干渉による破滅を回避することだ」

「別次元からの干渉が、悪夢ってことですか?」

「そう、我々はそれを回避させる。そもそも、破滅を回避したいというのは、君たちの集合意識としての総意でもある」

 杜乃さんが手に持つコーヒーの袋から、クシャッと音がして、続けて質問しようとした僕は黙った。

「悪夢を仕掛ける側がいて、少なからず被害も出ていて、で、最上位の上位次元の理は何をしているのかしら?」

「先に述べたように、良いも悪いも、本質的には無い。何が良い、何が悪い、それは宇宙にとってはすべてが相対的なものだ。最上位の理においては、創造も破壊も、全てが無限に続く宇宙の──」

「一番てっぺんにいる存在は、何があろうと静観しているって事かしら?」

 杜乃さんは白猫の言葉を遮るように言った。言い放ったともいえる。

「少々皮肉を込めた言い方をするならば、そうなる」

 そう聞いて、杜乃さんは少しだけため息をついた。腑に落ちていない、そう僕は感じた。確かに、彼女は現場で、最前線で戦っているのだから。


「でも、僕たちは破滅したくないし、だから今、ネコさん達と協力して戦っているってことですね。現実を生きる人として」

「そうだ」

 そう言って白猫は尾っぽをパタパタと振った。そういう仕草は本当に猫だった。


「しかし、君と言う存在をどうするか、我々もしばし観察することになる。しかしいずれ、理により自ずと流れは定まり、収まると推測する」

「彼も夢使いになるのかしら?」

「それは無い。本来的に」

 無い。白猫は即答した。何の迷いもなく。 

 本来的に?


「なぜ?」

「どうしてですか?」

 

 僕と杜乃さんは同時に声を発した。


「まず一つ、君は男だからだ」


 え?


「夢使いは女性しかいない、ネコも言っていたわね」


 というか、何故?


「まさか、男だと、そもそも魔法少女ということにならないからですか!?」


 間の抜けた質問だったけど、良かった。


 この僕の問いかけに、杜乃さんは少し笑ってくれた。


 その笑顔は、学校で見たいつもの杜乃さんの笑顔だった。そしてその笑顔によって僕は安堵というか、心がこの上なく落ち着くのだった。



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魔女と呼ばれるクラスのぼっちが、本当に魔法少女だった 目鏡 @meganemoe

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