三話

 気持ち悪い。

 ひどい頭痛と吐き気で起き上がれない。そしてここがどこだかわからない。

 昨日飲んだのはせいぜいコップ一杯。それだけでこんなに気分が悪くなる。もう二度と酒なんか飲むか、と自分に誓いながら、飛んだ記憶を探る。隊長が刀がカッコいいと言って、俺が何か返したところまでは確実に覚えている。そのあとがあやふやだ。

 ゆっくり頭を傾けて部屋を見渡した。机と椅子、本棚。俺がいるのは昨日片づけていた部屋らしい。

 頭痛を無理やり無視して、布団から抜け出す。白いカーテンを透かして日の光が差し込んでいた。ふと時間が気になって、時計を探したが、どこにもなかった。

 ふらふらと部屋を出ると、ちょうど黒狐が階段を上ってきた。

「よう。顔面蒼白だぞ。二日酔いか」

 黒狐はへらへらと笑った。

「おかげさまで」

 喋ると自分の声が頭にガンガンと響いた。

「マジで酒に弱いタイプじゃねぇか。俺の話が面白くなって来るところで寝やがって」

 そう言って黒狐は何かを投げて寄越した。慌てて受けとめたそれは、茶色い錠剤だった。一瞬、ヤバイ物かと思ったが、黒狐が「二日酔いにめっちゃ効くんだよ、ソレ。あ、一気に二つ飲んだら死ぬぞ」と言った。

 「それから、風呂沸いてるから入らねぇか? 朝風呂はいいぞ~」

「どうも……あ、でも俺これ以外の服持ってない」

 すると黒狐は腕を組んで、

「俺がピッタリのサイズを用意してやろう」

と自信満々に答えた。用意って、どこから? と疑問の目線を送ったが、黒狐は背を向けて階段を下り始めていた。

 俺は改めて廊下を見回す。森に向かってベランダが突き出ている。朝……もほとんど過ぎて昼の明るさであった。昨日の夜とは違って、とても明るい。

 俺は風呂に向かった。昨日隊長が消えていった廊下の奥に黒狐がいた。そこが風呂らしい。いたって普通である。洗濯機がゴウゴウと回っていた。

「脱衣場は普通に見えるだろう」

 黒狐は見透かしたように言った。

「五右衛門風呂って言ったらわかるか。シャワー無いんだよ。湯船から湯使えよ。あとお前専用バスタオル置いとく」

 そして彼は猫背で去っていった。俺はちょっとわくわくしながら服を脱いで、ガラリと引き戸を開けた。もうもうと湯気が漏れてくるのが懐かしい気がした。一昔前の雰囲気が漂う風呂場 。割れたせっけんと、二つのシャンプーが並んでいる。一つには「獣人用」と書かれていた。たぶん狼のだろう。

 念入りに頭と体を洗ってさっぱりすると、おそるおそる湯船に浸かった。意外にぬるかった。でも、久しぶりに風呂に入った俺にはちょうどよいぬるさである。

「はぁ~……」

 思わず声が漏れる。どうやら今まで緊張していたようだった。いっきにほどけていく。日光と冷たいすきま風が混ざりあって、さわやかな空気を作り出していた。

 目を閉じてゆっくりと考える。もう隊員になったも同然なんだろう。ならそれでいい。でも、そのうち隊員として仕事をしなければならない。それはなんとなく嫌だ。だけど、しないわけにはいかない。それが、家のある生活が送れることの条件だから。

 俺は十数えて、風呂場を出た。いつのまにかバスタオルとジャージ、下着が用意されていた。新品らしきそれを着て、リビングに行った。

「ったく……誰も来ねぇ……」

 寂しそうに独り言を呟く黒狐がソファで寝ていた。

「隊長とかは?」

 俺が言うと、黒狐がだるそうに起き上がった。

「まだ寝てんの。……アイツ、昨日四本も瓶を開けたんだぞ」

「へ……? 四……?」

 ありえない数字である。

「それでほろ酔い程度とか、もう体おかしいんじゃね? 俺なんか一本半で限界なのに」

 一本半もなかなかである。コップ一杯の俺に比べたら。

「あー、暇だわ。朝飯どうするよ」

「どうするって、特に俺は何もできないけど」

「じゃあ隊長が起きてくるまで待つか」

 俺は思わず「え?」と言った。

「俺の飯不味いから隊長に作ってもらわにゃならんよ」

 黒狐はクックッと笑いながら言った。

 そのとき、ソファの影からひょっこりと何かが顔を出した。

「うわ!?」

「ん? ロス、お前いたのか」

 ロスと呼ばれたのは、白い服を着せられている、茶色の大きな犬である。俺が昔飼っていた犬に若干似ていて、かわいい。ロスはかなり大きい。そして、だいぶ変わっていた。口の端が、黒い糸で何か紋様を描くように縫われている。同じように、身体中あちこちがそんなふうに縫われていた。俺は戸惑いつつ、

「なんで、こんなつぎはぎみたいになってるんだ?」

と、黒狐にきいた。黒狐はロスの頭を撫でながら「まあ、長い話になるんだけどな、ちょうどいいから話すか」

と答えた。

「ロス、人になれ」

 黒狐が命令すると、ロスの姿が揺らいで、人間に変わった。

「うええ!? すげえ! 何これ、魔術?」

 俺は興奮で目を丸くした。

「そうともいえる」

 ロスが口を開いた。口の端の紋様は変わらずある。隊長より少し低めの身長の、子供のような見た目だ。

「喋る……!」

「お前、神話とか読んだことあるか?」

 黒狐は眼鏡をくいっとあげた。

「無いけど、じいさんがよく話してくれた」

「ノース神が世界を創った、ってやつか?」

「それと、龍王国のやつ」

 世界的に広く信仰されているノース教の神話は、よく国語や社会の教材に使われる。特にここ龍国では、ノース教信者が多いため、その傾向が強い。だから、ノース神話は子供でも知っている。しかし、龍国の神話は、ほとんどの人間が知らない。俺の周りも、知っているのは身内以外にはいなかった。

「龍国神話を知っているのか。なら、不思議に思わなかったか? 『龍王国を創ったのは龍神』って、ノース神話と合わないだろう。この世に存在する神はノースだけなのにな」

「いや、何にも? ただの神話だし、俺もそんなに熱狂的信者だったわけでもねぇし」

「まぁ、だろうな。じゃあ、俺が今から言うのはただの神話と思って聞いとけ。ただし、全部事実だからな」

 俺は矛盾に眉をひそめたが、取り合えず耳を貸すことにした。

「『神』ってのは、存在する。でも、ノース神も、ネベス神も、この世界にはいない。世間が信じこんでるのは全部まがいものだ。神は万能ではないし、人間の願いを聞くわけでもない。

 人間界の近くに、魔物界がある。この二つは、簡単に行き来はできないが、繋がっている。その二つのバランスが崩れないようにうまく繋げて、この二つを支配するのが『神』だ。人間と魔物の世界で、魔法エネルギーを調整したり、自然を管理したり……」

「ちょっと待ってくれ」

 俺は息切れしそうになって、呼び止めた。

「魔物って何だよ。物語に出てくるやつか? だいたい、世界を支配とか、繋げるとか、俺たちはその神に動かされてるってことか? ありえない」

「だから神話だと思えと言っただろう」

 黒狐は俺の質問を遮った。

「ありえないことが当たり前に起こる、そんな話を無条件に信じるのが神話だ」

「そんなこと言ったって、いきなりじゃ無理だ」

 黒狐は頷いた。しかし眼鏡の奥には軽蔑が浮かんでいた。

「珍しく龍国神話を知っていると思ったら、質問ばっかで意外にアホなんだな。人間に化けた悪魔が人を食べました、って話を見聞したことがないのか」

「はあ、あるけど」

 悪魔と呼ばれる、人喰いの生物がごく稀に警察に捕まったりする。本当に存在するか疑いたくなるが、実際警察がまじめに悪魔がどうのこうのと語っていたりするから、いるのはいると思っていた。

「悪魔は元々、この人間界にいた生き物じゃねぇ。魔物界のモノだ。全ての魔物が人間を食べるわけではないが、人間界に来て人間を食べるのは悪魔と呼ばれる」

「なるほど。でも、人間界と魔物界は簡単に行き来できないんじゃ?」

「そうだ」

 そう言うと、黒狐はロスに「戻っていいぞ」と声をかけた。

「厳密にいうと、条件がいるんだ。俺も詳しくは知らねぇがな。魔物の中でも、人間の姿を持つものだけが人間界に来れるとか。ロスみたいにな」

「ロスは魔物なのか。えっと……魔物っていろんな姿を持っているってこと?」

「ああ、その話を忘れていたな。ロスのほうがそこはよく知ってるんじゃねぇの」

 黒狐はロスに振った。犬の姿に戻ったロスが再び口を開いた。

「オイラたちには、身分があるんだ。ざっくり強さとかで決まる。魔物界にも、人間界と同じく、食物連鎖がある。その下のほうに位置するような身分の、弱い魔物は姿が一つしかない」

「じゃあ、ロスは上のほうの身分を持っているんだ」

「そう。持っている姿の数でも身分が決まる。多く姿を持っているから身分が高い。とは言え、オイラも何にだって化けられるわけじゃないんだ。二つだけ。それに、オイラみたいに二つ以上の姿を持つ魔物のほうが少ない」

「魔物界の身分って、どういう意味を持つの?」

 身分が低ければ、上の身分から虐げられるイメージがある。

「身分の高いものが、低いものを喰らう。それだけ」

 ロスは短く答えた。

「でも、人間界に来たら、魔物は食べるものが無くなる。人間界の物質と魔物界の物質は似て非なるモノだから、こっちの食べ物を食べてもあんまり意味がないんだ」

「魔物は人間界のものを食べても、ほとんど栄養として吸収できないってことだ」

 黒狐が口を挟んだ。

「でも一つだけ、食べて意味のあるものが人間だ」

 俺はゾッとした。

「ロスは……」

 言いかけると、「オイラは悪魔じゃない」とすぐに否定された。

「使い魔は主人からエネルギーをもらってるから、まっずい人肉を食べなくて済む」

「使い魔?」

「魔術師が契約して、使役する魔物。オイラは今、黒狐と契約している」

 驚いて、俺は黒狐を見た。黒狐はフッと笑って、指を鳴らした。すると、その手から黒い炎がめらめらと燃え上がった。

「これがいわゆる魔術だ。見たことあるか」

 俺は炎に目を奪われた。不気味な色が、まるで獲物を探しているようにゆらゆらと動く。

「どんな生き物でも少しは魔力を持っている。体力と一緒だ。それを並みより多く持っていて、なおかつコントロールできて、こうやって使うことが出来る人間を魔術師とかって呼んだりする。今じゃ戦争の影響でかなり減ってしまったみたいだが」

 黒狐は少し残念そうな顔をした。

「みんなそれぞれに属性がある。火、水、気、それから『陰』と『陽』。ゲームとかによくあるだろう。俺は火と陰の二つを持っている」

「二つ持っているのが普通?」

「いんや。これも大抵は一つだ。ごくごくまれにオール属性とかもいる」

 黒狐は黒い炎を消した。俺はなんとなくわかってきた。

「魔力で魔術を発動させるのが一般的だがな、地下に流れる魔法エネルギー脈を使う方法もある。これもそれなりの魔力を持ってないといけない。エネルギー脈を使えば、遠距離発動ができる」

「神ってのはそのエネルギー脈を調整してんだな!」

「そう。魔法エネルギーは人間界と魔物界を循環するように流れている。だから、人間界と魔物界は繋げておく必要があるんだ。だがな、二つの世界が混ざると、どえらいことになる。神は世界に秩序を与えているんだ」

「へぇえ、面倒くさいんだな」

「まあな。ちなみに言うと、神は一つじゃない。魔物のようにできることによって身分が違う。それに役割だってある。神がいる場所を、便宜上『神界』なんて呼んだりするがな、人間とか魔物の世界より遥かに味気ないゾー」

「ふうん?」

 なんでそんなことまで知ってるんだろう、と訝ったが、魔術師ならいろいろ知ってても不思議じゃないのかもしれない、と納得した。しかし、

「お前、今俺がなんでそんなことまで知ってるか不思議に思っただろう」

と黒狐が俺の目を覗きこむように言った。

「それから、俺がただの魔術師だと思ってるな。ただの魔術師なら、まず神界の様子なんて知ってるわけねぇだろ」

 黒狐は得体の知れない笑みを浮かべた。

「なんでわかった……」

「そりゃあなぁ。俺はお前ら人間が百年続けた長い戦争も、世紀の大発見の瞬間も、この目で見てきてるんだよ」

 眼鏡の奥を指して彼は言った。

「百年戦争──は四百年前だろ……。まさかお前……」

 俺は頭にじわじわと痺れが広がっていくのを感じた。

「俺は神だ」

 きっぱりと黒狐は言った。

「この大陸の人間がどれだけ時間をかけてもたどり着くことのない、世界の果ての大地を司る神、それが俺だ」

 褐色の細い目が妖しい輝きを湛えていた。俺はあ然とした。

「まぁ、かっこつけても俺はいろいろあってな、今は罰を受けてるところだ。だからお仕事もせずにこんなとこにいる」

 黒狐は自嘲するように笑った。俺は思わず言った。

「ぜんっぜん、そんな風に見えない……」

 ロスが「だろ! コイツ、かわいい女の人見たらすぐに口説こうとするんだ!」と俺の足元に寄ってきた。大の犬好きの俺は触りたくなった。

「今の俺の姿も本物じゃあない。寿命も人間みたいに短くない。一万年かそこらは生きる」

「ま、マジでか!」

「生きてる間はさっき言ったようなことを、ずっとやらんといかん。途中で飽きても、どんなことがあっても死にやしない身体だかんな。つまんねえ人生だぜ」

 でも、今は結構楽しいけどな──黒狐は少し哀しげで感傷的な、しかし喜んでいるような、そんな顔をした。

「おっはよー……」

 バタン、と扉が開く音がして、眠そうな隊長が入ってきた。

「おっせーぞ。もう昼飯の時間になっちまった」

 さっきまでの表情はどこへやら、黒狐はへらへら笑った。

「黒狐さんがまっずいのしか作れないから、イツキくんが待たされてるんでしょ」

「わかってるんなら早く起きてこい」

「じゃ……頑張って作るから、許して、ね?」

 隊長が可愛い子ぶって媚びた。それを「キモイ」と黒狐が一蹴する。隊長はがっかりしたように、尻尾をだらりと垂らしてキッチンへ向かう。そこで初めて、俺は隊長は尾だけ深い緑色だということに気づいた。

「隊長のメシ、うめーぞ」

 ロスが俺を見上げて言った。

「へえ、意外……ったら怒られそうかな。ん? ロスは食べたことあんの?」

「うん!」

 俺はロスを撫でてみた。ロスは嫌がらず、むしろ嬉しそうに俺の手に鼻を押し付けてきた。魔物と思えない。

「ねー、ちょっと。寝坊したの僕だから悪いんだけど、誰か手伝ってよ。特に黒狐さん」

「ハァア? 俺の飯不味いって言ったのてめーだろが」

と怒りながらも黒狐は手伝いに行く。二人は手よりも多く口を動かしながら、なんだかんだ一緒に食事の準備をしていた。

「確かに、楽しい、な……」

 俺が呟くと、「何か言った?」とロスが見つめてきた。

「ううん、何にも」

 仲間とふざけあったり、協力しあったりする、自由で平和な日々。例え誰かに暗い過去や、運命があっても、今は楽しくやる。

 それが、ここの日常だった。

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