最終夜 夜界の太陽

ついさっきの出来事なのにもう、うまく思い出せない。夢の記憶のように。


ただ、胸が痛んだことを覚えている。

まるで燃えるように、焦燥が心臓に早鐘を打たせていたことを覚えている。


具体的に何があったのか、誰とどんな言葉を交わしたのか、それは思い出せない。

けれど、彼女と言葉を交わしたことだけは憶えている。

彼女と、彼女が引き合わせてくれた――かつて『神』と呼ばれた存在。多くの人間の魂の中で、小さく怯えていた、そんな存在も。


たしか、私はこう言った。


「もし、まだ思い残したことがあるならさ」


景にも、その存在にも伝わるように。精一杯、私は考えた。言うべき言葉を。


「私も付き合うよ」


そう言って抱き締めた、ような気がする。『神』がそれを望んだことが、分かったからかもしれない。



「それで今の君がある、というわけか」


ダスクの眼に、炎が灯ったのが分かった。

気が付くと、彼の学ランの右の袖口から出ている筈の右手が見えなかった。夜闇に紛れて見え辛かったが、どうやら彼は黒い刀のようなものを持っていた。


「僕を消すと、そう言ったな」

「……うん」

「なら僕は……君の変化を見極めよう……!!」


次の瞬間、ダスクが私の目の前に現れ、右手の刃を薙ぎ払ったのが見えた。

しかしその瞬間、彼は目を見開いて跳び退いた。


「随分……無茶なことをする」

「あれ……」


切られたと思った。私の頭と胴が、次の瞬間には泣き別れるだろう、と。

けれど。

彼の刃が食い込んだ筈の私の首。その切り口からは、血ではなく白い火が噴出していた。やがて火が消えると、私の首は切られることなく繋がっている。


「……何これ」

「魂を消費してる」


ダスクの眉間に皴が寄っている。


「その火が何なのか、分かっているのか。『神』が取り込んだ、ヒトの魂だぞ!!」


その言葉で私も理解した。先程から頭の中に響く、色々な人の声。私の中に、『神』が取り込んだ魂があり、ダスクの攻撃をその魂が代わりに受けたのだろう。

そして、多分そのせいなんだろうけど、私の思考は浮ついていた。身体の調子も、さっきまで風邪をひいていたように重く感じられていたのが、酷く軽い。地面を蹴ったら浮き上がってしまいそうなくらい。


もう一度、考えてみた。あの人が言っていたことを。


もし、私が夜界に来て、『こう』なることが運命だったのだとしたら。たった今宣言したことも、それに繋がるのだろうか。

そう思いながら、ダスクを見た。私を殺せるか考えてるんだろうか、観察するように私を見つめている。

さっきも言ったけど、改めて言語化することにした。


「ダスク、貴方は私に、夜界を案内してくれた」

「……何?」

「色んな人に、会わせてくれた」

「何が言いたい」

「貴方が居なければ、今の私は無かった。それは、感謝してる」


「でも……景の魂を手にかけたことは、絶対許さない」


ここに居る意味。私はそれを信じてみることにした。

スキップするような感覚で、行きたい場所を見て、そこに行くまでの自分の動きを、イメージする。

足を上げた。


次の瞬間、私はダスクの向こうに着地していた。

振り向くと、ダスクが目を見開いて私の方を振り返っている。


「もう覚えたのか、夜界での動き方を」


私を見てそう言ったダスクの右手が、白い火に包まれていた。


「危うく僕が死ぬ所だった。もう油断しない」


通過する一瞬、ダスクの胸に白い炎を当てたと思ったのだが、防がれていたらしい。

彼が右手を振ると、あっさり火は消えてしまう。やはり、生半可な力では、彼を超えるのは無理らしい。

私は右手を広げ、その5つの指先に火を浮かび上がらせた。


「そうか、やはり僕を消そうというのだな。僕が犠牲にしてきた魂を以て」

「それが、弔いだよ。せめてもの」


次の瞬間、ダスクと私の両方が地面を蹴る。


やがて、夜景が見えるくらいに私の身体は空まで移動していた。

気配を感じ、振り返る。それと同時に、白い炎を拡散させるように振るった。

ダスクは黒い刃を振り、私が放出した炎を捌いている。

目を合わせたまま、お互い地面に着地した。


「……いい加減聞かせてよ。貴方の目的って?」


言いながら、私はまた地面を蹴った。スキップするように。

気が付くとまた、心臓が早鐘を打っている。どうやら、存外私は夜界を満喫しているらしい。

目の前を跳んでいるダスクは、反対に苛ついているのが表情で分かった。


「お前に、話す意味など無い」


正直、にべもないその答えは、少し悲しかった。せめて聞きたかったから。

そこでふと、頭に浮かぶ。


眼は、人体のレンズだったっけ。


「いい加減、終わらせよう。ナギ!」

「……そうだね、ダスク!」


私は、右掌に白い炎を発生させた。今までで一番大きな炎を。

それを、思い切りダスクに向かって振り下ろす。


白炎は、巨大な火の玉となって、ダスクを直撃した。


振り返る。思った通り、ダスクはそこに居た。炎が直撃する寸前に離脱して、私の背後へと回っていたのだ。

そして、私の胸にその刃を突き立てた。


「それは無理だって……知ってたでしょ?」


だから私は、左掌に発生させた炎を、彼の胸に叩きつけた。思い切り。至近距離から。



「結局……友達には、会えたか?」

「……多分ね」


私の胸から、剣が引き抜かれる。

その傷口からは白い火しか出ない。やはり私は、死ねなくなったようだった。

目の前には、片膝をついたダスクが居る。


「元々……僕の力の大半も『神』に喰わせていた。だからナギ、最初から君の勝ちだった」

「……言い訳?」

「手厳しいな」


そう言うと、彼は顔を上げて私を見た。その表情は初めて会った頃と同様に、いやそれ以上にすっきりした顔に見える。

私も彼の目線に合わせて膝を下ろす。そうして、彼の瞳を見た。



何かが見える。何かの光景が。

火に包まれる町。荒野を歩く青年。彼はボロボロで所々が破けた学ランを着ていた。

やがて倒れて、息を引き取る。

夜になり、ダスクの遺体は闇の広がる荒野に朽ちたまま。

闇の中から、何かが現れる。まるでそこだけに色が付いたかのような、絢爛豪華な衣装の貴婦人、といった服装だった。

それを、骨が纏っていた。骸骨としか形容できないモノが。


「さぁ、帳を下ろしましょう。ようこそ、私の庭へ」


息を引き取った筈のダスクが、顔を上げる。

その骸骨を見るダスクの眼に、憎しみの炎が宿っていた。



「そっか……夜界って、そういう所だったのか」

「!お前、僕の記憶を……!!」


ダスクが私のしたことを理解して、片目を手で覆う。けどもう遅い。

それを理解したのか、彼は諦めたように目を伏せた。


「視たなら、分かるだろう。彼女から逃れる術は無い。たとえ今の君であっても」

「あの人から自由になるために、『神』を育ててたの?」

「そんな所だ。だが……所詮無駄だったかもな」


そう話している間に、私の炎がダスクの身体を包みつつあった。もう時間が無いことも、互いに分かっていた。

ダスクが微笑みながら言う。


「君がこれから、どうするかは知る由も無いが……」

「それは、これから考えるよ」

「『神』を取り込んだ君は、夜界に縛られた。君の中の魂が尽きるまで、死者の国に行くこともできないだろう」


負け惜しみだと分かってたのだろう。そう言ったダスクの口元には、自嘲するような笑みが浮かんでいた。


「じゃ、きっといつかは退屈になるね」

「そうでもないさ。夜界に秩序は無い。じきに『彼女』も来るだろうし、君の持つ魂を狙う者も、きっと出てくる」


遂にほぼ全身を白い火に包まれたダスクだが、その口調に焦りはない。しかし、次に交わした言葉が最後だった。


「でもまぁ、まずは朝を待ってみろ」

「朝?」

「夜界とは、夜に現世と繋がりが深くなるからそう呼ばれるが、朝も昼もあるのさ。生きた人間は決して認識できないが、確かにそこにちゃんとある」


「夜界を照らす太陽は、とびきり格別だぞ?」


そうしてダスクは、今まで浮かべたことがないほどの満面の笑みで、私を送り出した。


「君の、死した後の人生に幸あれ、だ」


白い火が燃え付き、後には何も残りはしなかった。



私は、自分が飛び降りた学校の屋上へと昇っていた。ここなら、街が見下ろせる。

死んだ後の一夜。たった一夜なのに、もう何年も過ぎてしまったかのように思える。

教祖の囚われた刑務所。サラリーマンの立っていた路上。あの人の居たマンション。ここから、全部見えた。


「……綺麗」


町と、それを照らす星々。私は茫然とそれを眺め、一抹の寂しさと解放感を感じている。多分、私が死んだ一夜ももう終わるだろう。段々と空が白み始めているのが分かった。

ダスクの最期の言葉を思い返し、私は振り返る。

この先、私はどうするだろう。どうなるだろう。人の秩序の無い世界で、無数の魂に守られていても、生きていけるだろうか。

分からない。きっと経験が足りないから、考える必要がでてくるだろう。そんなことを思いながら、私は『夜界の太陽』を見上げた。


「……確かに格別、だね」


町を照らしつつあるその太陽は、漆黒に覆われ、その不気味な光を地上に投げかけていた。

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