第二夜 贄

夕方の図書室。

西日が差し込む中で、私は本を読んでいた。

日は暖かく、窓から入る風が心地良かった。

ふと視線を上げると、向かいの椅子にも人が座っている。

私と同じ制服を着た女学生で、顔見知りだった。


「ねぇ、凪ちゃんは、どんな大人になりたかった?」


そう問いかけられて、私は答えに詰まり――



「気が付いたか」


さっきダスクと名乗った男の声に、顔を上げる。いつのまにか眠ってしまっていたらしい。

少し可笑しくなってしまった。もう私は死んでいるらしいのに、死んだ後でも眠りこんでしまうだなんて。

周囲を見回すと、私を運んでいた『神』は停止していた。

ダスクは先程までとは違い、視線を下方に向けている。


「ここが最初の目的地だ」


私は恐る恐る、藁の手の上から眼下を見下ろした。

そこは高い塀で囲まれた、刑務所だった。



「入るぞ」

そう言うと、彼は私に再び手を差し出す。もうここまで来たら逆らう意味も無い。そう思い、私はその手を取った。


瞬間、浮遊感が全身を包み、気が付くと私は薄暗い廊下に立っていた。


手を取った時のまま、傍にはダスクがいる。彼は私の手を離すと、廊下を歩き出した。廊下には左右に鉄製のドアがあり、窓が据え付けてあるようだけど全て閉じている。

ここは刑務所の中で、きっと扉の先には囚人がいるのだろう。そう思い、先を行くダスクの後について行った。


「ここだ」


言うが早いが、私の返事を待たずにドアの一つが開け放たれる。恐る恐る、ダスクの後から私もドアの先を見た。



そこには、床に座り込んだ老人がいた。

その老人は白い和服のようなものを上下に着ていて、頭髪も髭も酷く伸びている。顔には皴が刻まれ、相当な年齢であることが見て取れた。

老人は目を瞑り、何か言葉を囁いている。静まり返っていたけれど、何を言っているのかは分からなかった。

もう意識が曖昧なのだろうか。瘦せこけたその老人の姿に、自然とそう思ってしまう。

ダスクは開けたドアの先から、先程私にやったように両手で四角を作り、そこを通して老人を見た。


「あぁ、やはり……最高だ」


呟くようにそう言うと、彼は室内へ入って行った。私にも入るように手で促しながら。


「ナギ、紹介しよう。彼は、ある新興宗教の教祖として崇められていた」

「新興宗教……?」


ダスクの言葉が耳に入ったのか、老人は目を開けた。そして視線を上げて、ダスクの顔を見つめる。

呻き声のようなものを上げながら、老人はダスクに向かって手を伸ばす。しかし、彼の立っている場所は老人より少し離れており、手は届かなかった。

そんな老人の様子を意に介さず、ダスクは淡々と言葉を発していく。


「多数の信者を強引な方法で取り込んでは、自分の思い通りに行動させ、遂には信者に破壊行為を起こさせた。多数の死者を出した結果、彼は信徒ともども捕まり、死刑を宣告された身だ」


ダスクの説明に、記憶の引っかかりを覚える。改めて老人の顔を見ると、確かにテレビのニュースで観たような気がした。とはいえ、記憶に微かに残る顔と比べて、酷く年老いて衰弱しているが。


「そして執行を待つことなく、この夜界に来た」


老人は尚も手を伸ばす。まるで、助けを求めるかのように。やつれたその顔は、見れば見るほど気の毒になりそうなくらいだった。

よく見ると、その老人の首元に布が見える。ベッドのシーツから切り取ったような細い布。それを纏めて縄にしたもののように見える。


直感した。この老人は、自殺したのだ。


私の中で、やっと話の整理ができてきた。最初に会った時にダスクは、この世界が死者や少数の住人、それに眠っている間に身体から出た魂のいる世界だと言ったのだ。となるとダスクがその住人であり、私や目の前の老人は死者ということになるのだろうか。

死んだ自覚が無い以上、正直私自身は一番最後でありたいと思うのだが。


「あぁ、そうですよ。貴方を助けに来た」


そう言って、ダスクは老人に近づいた。床に膝をつくと、差し伸べられた片手を、両手で握りしめる。

そんなダスクの行為に驚いて、私は声を上げていた。


「一体、何を……?」

「言ったろ、収穫だ」


そう言うと、ダスクはその口元に笑みを浮かべる。


「自身の行為を全く反省せず、放蕩の限りを尽くし、多くの人間に崇められ、そして多くの人間を不幸にした。恨みを買い、疑いを抱かれても、多くの危機を貴方は逃げ切った。最期まで報いを受けぬまま、自らに都合のいい最期を迎えた」


その時、私は気づいた。老人の背後に、私達を運んできた『神』の、紙に覆われた顔がゆっくりと出てきている。壁など無いかのように。


「そうだな?貴方は偉大な教祖だ」

「おぉ……おおぉ……!!」


一際強く、老人が声を発する。表情で分かった。ダスクの言葉に、老人は歓喜している。まるで、まだ大勢の人々に崇められていた頃のように。

でも私はその老人より、彼の背後に浮かぶ『神』の顔に注目せざるを得なかった。

巨大な紙に覆われた顔。後ろの壁一面を覆うかのようなその顔の口元部分に、亀裂が走る。

急速にその亀裂が大きくなっていき、そして私は理解した。

口だ。あの亀裂は、『神』の口なのだ。

やがてその大きく開かれた口、その奥から暗闇が顔を覗かせた。暗闇の中に、白い歯が上下に無数に見える。その奥の喉の部分は、やはり黒い闇が続いていた。


(食べるんだ……あのお爺さんを)


そう思ったし、実際そうだったのだが、その過程は私の想像を超えていた。


「怒り、恨み、後悔。そんな穢れを抱かぬまま熟れ、腐った魂こそ……贄に丁度良い」

「お……おぁ!?」


老人が、やっと自分の後ろの『神』に気が付いた。いや、気づかされたのだ。私も、息を呑んで見守るしかなかった。

『神』の口の中。その『歯』が動き出したのだ。それは歯ではなかった。


それは、無数の人間達だった。髪も目も無い、真っ白な肌をした人間。その白い人間達が動き出し、無数の腕を伸ばして老人の手足を、身体を掴んでいた。


「ぁ……ああぁ……!!」


振りほどこうとしても、もう老人にそんな力は無いらしい。白い人間達は老人の身体を掴むと、そのまま『神』の口の中へと運んでいく。

それでも老人はもがいて、私達に手を伸ばしていた。


「貴方は極上の糧となった。感謝する」


まるで餞別のようにそう言葉を投げ、ダスクは老人に背を向けた。

私は、老人が『神』の口の中へ、その奥の暗闇へ連れて行かれる光景から、目を逸らすことができなかった。



やがて、また私とダスクは、『神』の手の上で夜空を運ばれている。


「一体……あれは、何なの」

「収穫だ。思った通り、今日は当たりだった」

「人間を、この神様に食べさせるってこと?」


私の問いにダスクは頷く。


「僕にも目的がある。そのためには、コイツに力をつけさせなくちゃならない」

「それが、収穫」

「そうだ」


肯定して私の顔を見ると、ダスクは先程老人に向けたような笑みを、その口元に浮かべた。


「僕が満足する真相だったなら、君も食わせるかもな」

「え」


ダスクの言葉に、私は放心していた。

絶叫しながら『神』に食べられた、あの老人の表情が、声が頭にリフレインする。

頬に吹き付ける風の感触が、一際冷たくなったような気がした。

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