第4夜:正子

その夜、俺は昼間の顛末をナハトに伝えていた。

ナハトは前夜の戦いの負傷が治っていないようで、左腕と右足には包帯が巻かれ、ギプスで固定されている。歩行には松葉杖を使っていた。

顔の左側も包帯で覆われており、今は右目だけで彼女は俺を見ている。


「ということで、ソラを埋葬できました」

俺がその言葉で話を締めくくると、ナハトは頷く。

「じゃあ、これで君の依頼は解決か」

「えぇ、ありがとうございました」

俺の言葉に、ナハトは少し満足そうに微笑むと、キセルから煙を吸った。

「しかしこの一件、まさかホログが関わってたとはな。文字通り骨が折れたよ」

そう言うと、彼女は傍にある椅子の上へ視線を向ける。


そこには、昨夜彼女が布でグルグル巻きにした、ホログの首が乗っていた。


「ホログは…どうなるんです?」

俺もその首に視線を向けて尋ねる。正直、あまり見ていたくないものだったが。

「然るべき者に渡すさ」

「然るべき者…」

「あぁ。いずれ君にも紹介できるかもな」

頷きながらそう答えるナハト。

ホログの首は黙ったまま、微動だにしない。意識を向けないようにするのは骨が折れそうだったが、俺は話題を変えることにした。


「それで、有明さんは…」

「彼女は今夜はまだ、ここには来てないよ」

その返答に、俄然もう彼女に会えないのかもしれないという思いが強くなっていく。

しかし、ナハトはそんな俺を見て、薄く微笑んだ。

「そう世界の終わりみたいな顔をするな。今はまだ、時間が必要なんだろう」

「彼女、学校も休んでたんです」

「最後の別れを、覚悟してるんだろう」

言いながら右手でキセルの煙を吸うと、ナハトは尚も言った。

「私見だが、きっとあの娘は立ち直るさ。君の前に現れるかどうかは分からないが」

「どうして分かるんです?」

俺の問いに、ナハトは少し黙った後、口を開く。

「…勘だ」

その返答に、俺は崩れ落ちそうになった。

とはいえ、昨夜から来ていないのではナハトでもどうしようもないということなのだろう。

彼女の見立てとはいえ依然不安なことには変わりないが、これ以上この話をしても埒が明かないような気がした。


気にしていた話が終わったので、俺はナハトが身体に巻いている包帯の方に視線を向ける。どうやら、昨日の戦いでの負傷は一夜で治るというわけにはいかないらしい。

「あの…その包帯って」

「ここの備蓄さ」

カフェなのに包帯やギプスまで備蓄があるのか。俺はハプリーさんを一瞥したが、それで彼から何か反応があるわけもなかった。

「この負傷については気にするな。しばらく大人しくして、定期的に食事を取ってれば治るさ」

俺が何度か彼女の包帯を見たからだろう。ナハトは薄く微笑みながらそう言った。

それを聞いて、俺は以前に疑問に思ったことを口に出していた。

「ナハトさん、食事ってどうしてるんです?」

そもそも、俺には彼女が人間なのかすら分かっていない。以前にコーヒーを一緒に飲んだが、そもそも彼女は俺と同じように食事で栄養を取っているんだろうか。そんな疑問が頭をかすめたのだ。

「前に言ったろ」

「え?」

ナハトは、俺の額を指さした。


「君の感情だよ」


「俺の…感情」

ナハトは頷く。そして、キセルの先を俺に向けた。

「良いタイミングだから、報酬を貰うとしよう」


その瞬間、俺の頭から煙のようなものが出て、彼女のキセルへと吸い込まれていく。


それは死者が構成していた黒い煙ではなく、昨日俺が負傷した時に傷口から出た赤い煙でもない。金色に光る煙だった。


そんな光景を呆然と数秒眺めていたが、やがて煙が途絶えて、彼女はキセルから口を離す。


「ん、良い味」

少しリラックスした様子で彼女は言う。

そして何か考えている様だったが、やがて言った。

「やはり、これだけじゃ骨折が治るまでには至らないか。足だけでも治れば仕事が再開できたんだが」

「どういうことです?」

俺の問いに、少し残念そうに彼女が言う。

「今のが、私の食事だよ。それで傷の治りが早くなる」

俺は、息を呑んでいた。

「あの、じゃあその傷は…」

「うん。もう君の分の報酬はもう貰ったから、あとは自然治癒を待つしかないね」

自然治癒。今のが彼女の食事なら、自然治癒とはどうするのだろう。

そんな俺の疑問を察したのだろう。彼女は話を続けた。

「言ったろ。生者の負の感情のエネルギーが、死者に力を与えると。同時に、正の感情…喜びとかそういったものも、少しずつこの夜界に入ってくるんだ」

「それを…?」

俺の言葉に、彼女は頷いた。

「それで少しずつ治すしかないな」

「それは…治るのにどれくらいかかるんです?」

元はと言えば、俺が頼んだことが発端で彼女が受けた傷だ。俺は、少し責任を感じていた。

「そうだな…数十年くらいか」

「そんなに…!?」

あまりの長さに、俺は驚愕する。彼女は頷くと、言った。

「もう一つの手段を使えば、短期間で治癒できるがね」

「もう一つの手段…ですか?」

そう尋ねる俺に、しかし彼女は答えなかった。

代わりにその目が意味深に俺を見つめ、俺は否応無く緊張させられる。

その時。



「いやはや、此度は災難でしたねぇ、ナハト様」

急に入口の方から声が響き、俺とナハトが同時にそちらを振り返る。

それは若い男の声だった。


そこにいたのは、黒いタキシードを着た長身の男。

黒く丸い鍔の帽子を目深に被り、そしてその顔前面にはマスクを着けている。

そのマスクもまた真っ黒で、口元に鳥の嘴のようなものが付いていた。

確か、昔ヨーロッパで疫病が流行った時に医者が付けていたものじゃなかったか。俺はネットで見た記憶のある、その画像を思い浮かべていた。


「やっと来たか。もう一日早く来てくれれば丁度良かったんだがな」

若干呆れた声で、ナハトがそう言葉を紡ぐ。

「久方ぶりでございます、ナハト様。そしてお初にお目にかかります、新顔のお方」

「あ、はい、どうも」

その男は、胸に手を当てて恭しく頭を下げた。

俺も思わず頭を下げる。

「彼はキルケゴール。情報屋で、武器商人だ」

予想外の単語が出てきて、俺はその男をまじまじと見てしまった。

男は頭を上げると、俺とナハトのいる席に近づいていく。

「ホログは今こんな状態だが…お前に引き渡せばいいか?」

そう言いながら、彼女は傍らの椅子の上に置かれたホログの首に視線を向けた。

どうやら、先程彼女が言っていた『然るべき者』とは、この人のことらしい。

「えぇ、本日の訪問の目的の一つは、彼を引き取ることですから」

「じゃ、商売にも来たわけだな」

すると、彼は大げさな身振りで首を振った。

「そうしたいのは山々なのですが、本日は別の要件で」

「…何?」

ナハトの声のトーンが下がるのが分かる。そんなに、彼が商売以外でここに来るのは珍しいのだろうか。


「我が主が、貴方にお会いしたいと」


ナハトは目を見開いた。

「…今?」

「えぇ、今」

彼女の問いに、キルケゴールと呼ばれた男が鸚鵡返しに答える。

どうやら、俺はまた訳のわからない出来事に巻き込まれようとしているらしい。

ナハトは松葉杖を使って立ち上がりながら、言った。

「そうか。じゃあ一つ頼まれてくれるか。いつも通り、席を作ってくれ」

「勿論ですとも」

そう答えると、キルケゴールは手早くカフェの中にあるテーブルと椅子を移動させ、1対1の席を中央に設けた。

あんな見た目をして、そういう動作は普通にやるんだな。そんなことを思っていたせいで、俺は手助けしそびれてしまった。

「君は私の後ろに立っていろ。それと…」

席の一つの横に立ちながら、ナハトは真剣な目で俺を見る。


「何を聞いても、決して反応するな」


そのトーンが、昨夜ホログと相対していた時と同じくらい真剣だったので、俺の背筋に緊張が伝わっていた。

「わ、分かりました」

そうしている間に、ハプリーさんが二杯のコーヒーを持ってきて、ナハトの前とその向かいに置いていく。

それを見届けると、キルケゴールが告げた。

「では、準備ができましたので、お招き致します」

「頼む」

これから来る人物とは、どういう人なのだろう。俺は依然続く緊張に身体を強張らせる。

そしてキルケゴールはカフェの入り口の横に立つと、高らかに宣言した。


「それでは、レディの訪問となります」


カフェの入り口が開く。


そこに現れたのは、黄色と白のドレスを着た貴婦人だった。

そのドレスはかつてのヨーロッパの社交界を思わせるような綺麗なもので。

被っている橙色の帽子は鍔が広く、鳥の羽飾りが付いている。


その帽子から覗く顔を見た時、俺は声を上げそうになった。


ドレスと帽子を纏って歩いてくるのは、骸骨だった。


学校の理科室に置いてあるような標本。そんなのでしか見たことがないような人間の骨。

それが、ドレスを纏い帽子を被って、ひとりでに動いている。

やがてその骸骨は、ナハトのいる席に近づいてきた。


「久しぶりねぇ、ナハト」


それは不思議な声だった。少女の無邪気な声のようで、成熟した女性の艶やかな声のようで、齢を重ねた老婆の深みのある声のようにも聞こえる。


その声が骸骨の口から聞こえてきて、俺は奇妙な感覚に陥っていた。


「ええ、お久しぶりです、レディ」

俺からはナハトの表情は見えない。だが、俺に対する時とは違い敬語だったものの、彼女の口調はいつも通りだった。

そして、レディと呼ばれた骸骨の女性とナハトは設けられた席に向かい合って座る。



「ホログと諍いがあったそうね、大丈夫?」

骸骨なせいで、どこを見ているのか分からない。しかし、恐らくその目は、ギプスで固定されたナハトの腕か、包帯の巻かれたナハトの片目を見ているのだろうと思った。

ナハトは右手でコーヒーを取り、一口啜ると言う。

「えぇ、見た目ほど大したことはありません。じきに治りますよ」

先程は治癒するのに数十年かかると言っていたのだが、ひょっとして虚勢なのだろうか。そう思うと、益々俺は責任感に苛まれてきていた。

そんな俺の胸中を他所に、ナハトが再び言葉を紡ぐ。

「ところで…」

その瞬間、彼女の声のトーンが、急に低くなったのに俺は気づいた。


「このタイミングで貴方が訪問したということは…ですよね?」


その言葉の意味は、当然ながら理解できなかった。

しかし、その話は深刻なものであると、俺は直感していた。

そしてレディと呼ばれた骸骨は、すました声で答える。

「相変わらず、あなたは単刀直入ね。そういう所、好きよ」

「…話して戴けます?」

やはりナハトの声のトーンは低いままで、対するレディは自分のコーヒーを手に取る。


その瞬間、俺は驚愕していた。


カップを持ったと思った瞬間、レディはもう、骸骨ではなくなっていたからだ。


皴の刻まれた、色の白い老人がそこにはいた。まるで午後の昼下がりの茶会の場であるかのように、穏やかな顔で。

その瞳は青く、髪は年齢相応の白髪だ。

その老人は、肌の色と相まってナハトと奇妙なコントラストを描いているように見える。

そうしてコーヒーを一口飲むと、彼女は言葉を紡ぎ始めた。


「私はね、広い空を眺めるのが好きなの。だから、建物に遮られた狭い景色は息が詰まっちゃうわ」


「だからその日、私はね、大きな川の畔にいたの」


川。ただそれだけを聞いて、俺は背筋に冷たいものを感じた。

まるでここから先に、俺が聞いてはいけない内容があるみたいで。

そんな俺のことなど露知らず、彼女は言葉を紡ぎ続ける。

歌うように。


「近くに大きな木があった。その根元でね、見つけたのよ」


「その子は、きっと長い長い旅を生きたのでしょうね。満足そうな顔で、そこにいたわ」


「だからね、思ったの。この子の死を、もっと意味のあるものにしてあげたいって」


もうその時点で、俺の思考に動揺が走っていた。


先程のナハトの、『そういうことですよね?』という問い。


今話された内容。


川、木、旅、死。


俺は、黙っていられなくなっていた。

「まさか…あなたが…ソラを!!」


その瞬間に、ナハトが片手を上げる。俺を制するように。

同時に、一瞬だけ彼女は、その片方の目で俺を見ていた。その目に、今まで見られなかった感情――焦りが宿っているように感じられ、俺は口を閉ざすしかなくなる。

「…失礼。それで…その子の魂を、ホログに?」

レディは、ゆっくりと頷いた。


つまり、彼女が息絶えたばかりのソラの魂を、ホログに渡したというのか。

俺は、ホログこそ諸悪の根源だと思っていた。

それなのに、まさか元凶は、目の前の得体の知れない存在だったなんて。


「ということは…私が死の力を持ってると、ホログに伝えたのも」

今度は頷く代わりに、レディは笑顔を浮かべた。満面の笑顔を。

それを確認するとナハトは、コーヒーに口を付ける。

カップを置いた際に、小さな陶器の衝突音が、辺りに木霊した。

「…それだけじゃない。でしょう?」

これまでと変わらぬ冷静な声で、ナハトが囁くようにそう言葉を紡ぐ。

表情が分かるようになったレディが、少し微笑みながらナハトを見つめた。


「今度は、あなたから聞かせて、ナハト?」


そう言われて、彼女は再びコーヒーを一口啜る。

そうして深く息を吐くと、言葉を紡ぎ始めた。


「一つ。生者と契約するには勧誘が必要だが、ホログの言語能力では難しい」


「二つ。あの娘の持っていた刀…アレは恐らく、キルケゴールの商品でしょう」


「三つ。あの娘がホログを攻撃できたこと。あの場面なら力を振るうまでもなく、契約を切るだけであの娘の魂は夜界から肉体に戻った筈だ。ホログの身体の状態を考えれば、そうした方がリスクが少なかった筈。しかし、そんなそぶりは見られなかった」


「だとすれば、あの娘の契約相手はホログじゃない。貴方の差し金ですよね、レディ」


淡々と述べられた、ナハトの言葉。

その内容に、俺は先程に続いて驚愕する。

そして言われたレディの反応は、満足そうな微笑みだったのだ。



言葉を紡ごうとするが、出てこない。

先程の殺気の籠ったナハトの眼と、この場に漂う緊張感のせいだ。

今までの話を総合すると、今仲良くコーヒーを飲んでいる相手は、ソラの件の全ての元凶ではないか。


「理由を、お聞かせ願えますか」


やはり、ナハトの声は冷静だった。そのトーンは普通に戻り、むしろ今までより凛として聞こえる。

「そうねぇ…」


その瞬間、俺の背筋に再び衝撃が走った。


言葉を紡いだ『レディ』の容姿が、また変化していたからだ。


その顔には皴が無くなり、髪も金色に色づいて、背筋も伸びている。


その容姿は、20代くらいの女性になっていた。


「私はね、ナハト。あなたが、昔の自分を思い出してほしかったのよ」

「昔の…私?」

そこで初めて、ナハトの声に少し戸惑いの色が混じる。

「そう、まだ死の力を持っていた頃の、あなたにね」

ナハトの表情は分からないが、レディは彼女を見て、微笑んだ。

そして、歌うように言葉を紡ぎ始める。


「昔のあなたは、愚かで、破滅的で、冷酷で、自己中心的だった。今と比べるべくもない」


「けれど、その魂は――キラキラと、輝いていたわ」


「その輝きを、取り戻してほしかったのよ」


そう言われたナハトは、そこで初めていつものキセルを取り出していた。

ゆっくりと煙を吸い込み、吐き出す。たっぷり時間をかけて。

そして、彼女は言った。

「貴方の動機は、理解しました。ですが…それに生者を利用するのは、勝手が過ぎるのでは?」

ナハトの言葉に、レディはニッコリと満面の笑みを浮かべる。

「そうね。でも…あなたは私の意図とは違う形で、期待に応えてくれた」


そう言うと彼女は、ナハトではなく俺に視線を向けていた。


「この先、あなた達がこの夜界をどう生きるのか。楽しみにしてるわね」

そして、彼女はコーヒーを一気に飲み干す。

そうして、気品のある仕草で立ち上がった。



「久々に、会えて嬉しかったわ、ナハト」

「私もです、レディ」

まるで親友との会話であるかのように、二人とも柔らかな口調でそう言葉を交わす。

俺は正直、ここまで驚愕してばかりで、思考するのも疲れてしまっていた。

そうして、レディは踵を返し、カフェの出入り口へと歩いていく。

しかし、その途中で立ち止まると、カウンターの奥にいるハプリーさんに笑顔を向けていた。

「ウィル、あなたも元気そうで嬉しいわ」

彼女の言葉にも、ハプリーさんは短く頷くのみだ。

それでもその反応で満足だったのか、レディはそのまま歩きだし、カフェのドアを開けた。


「それじゃ、また会いましょう、ナハト」


そう別れの言葉を告げ、ドレスの裾を持ち上げてお辞儀する。

その姿は、10代の少女だった。


そうしてレディは姿を消した。

それを見送ったキルケゴールも、そのままドアを開けて言う。

「それでは私もこの辺で。次こそ、商売のために伺うとしましょう」


いつの間にかその片腕に、ホログの首を抱えていた。


しかしそれを気に留める様子も無く、普段通りの口調でナハトは応える。

「あぁ、早めに来てくれると助かる」

その言葉を受けて、来た時と同じように恭しく礼をすると、キルケゴールもまた退店していったのだった。



「あ~…疲れた…」

力無く椅子の背もたれに寄りかかり、そんな言葉を吐くナハト。

俺も同じだ。自然と一番近くの椅子に座り込んでいた。

今の会話について聞きたいことが山ほどある。しかし、ありすぎて何から聞けばいいか分からない。

「何…何なんですか…あの人…」

「…彼女は」

明らかに疲れた様子で残りのコーヒーに口を付けながら、ナハトは言った。

「私やホログともまた違う存在だ。どうやら、私達では彼女を一定の時間軸で認識することができないらしい」

言っていることがさっぱり分からない。ただ、普通の人間でないということは分かった。

ナハトは尚も説明を続ける。

「彼女の名前は誰も知らない。ただ、人々は彼女をこう呼ぶ」


「『̩̩幻の女ファントム・レディ』と」


「あの…あの人が、ソラを」

「気にするな…と言っても無理だろうが、ああいう人なんだ。気紛れに姿を見せ、気紛れに事を起こし、気紛れに誰かに肩入れして、気紛れに誰かを陥れる。それが今回は、私とホログだった。それだけの話だよ」

自分の顔の血の気が引くのが分かった。

それじゃ、ソラが巻き込まれたのは、単なる気紛れによるものだっていうのか。

「まるで…天災みたいじゃないですか」

「その通り、天災みたいなものさ」

そう言うと、ナハトは俺に顔を向ける。酷く疲れた顔で、彼女は力無く笑みを見せた。

「けどね、傍迷惑な存在ってだけじゃないのさ」

「どういうことです?」

俺の問いに、彼女は言う。

「考えてもみろ。彼女が君の猫を見つけなければ、君は飼い猫が見つからないまま、家族とのわだかまりも解けず、友人の悩みを知ることもないまま、普通の日常を送っただろう」


「そして、この夜界のことだって、知ることもなかった」


「そ…そんなの、結果論じゃ」

俺の言葉に、彼女は頷く。

「勿論、一歩間違えば君は死に、私はホログにやられていた。だから、今の状況は間違いなく…私達自身で掴んだものなんだよ」

その言葉に、俺はやっと自分のやったことが無意味じゃなかったのだと、実感できた気がした。

「…俺達で、掴んだ」

「まぁ、傍迷惑なのは変わらないがね」

そう言いながら、ナハトは苦笑した。



「で、話の続きなんだが」

「は、はい」

改めて、俺はナハトの向かいの席に座る。

先程レディと呼ばれた存在が座っていた席だったので少し警戒したが、椅子自体には何ら変化は見られない。ナハトも何も言わなかったので座った。

ちなみに空になったカップは、俺が座る前にハプリーさんが回収していった。


「君、私の仕事を手伝ってくれる気は無い?」


少し言い辛そうに、彼女が俺の眼を見て言う。

「手伝い…ですか?」

俺の言葉に、ナハトは頷いた。

「契約はもう済んでるから、面倒な手続きは必要無い。そして私の仕事を君が手伝ってくれれば、報酬が入るのも早くなる」

「報酬…それって…」

ナハトは頷きながら、自分の片目に巻かれた包帯を指さした。

「先程私が君から受け取ったのと同じものだよ。アレが定期的に得られれば、私の傷の治りも早くなる」

その言葉に、俺は先程の彼女が言った言葉を思い返す。

自然治癒では、治るのに数十年かかるのだという。


ナハトが傷を負ったのは、元はと言えばソラに踏み潰されたからで、それはそもそも俺が彼女にソラの捜索を依頼したのが原因だ。

報酬を払ったとはいえ、それを考えないわけにはいかなかった。包帯を巻いたナハトの姿を最初見た時、痛々しい姿だと思ってしまったのもある。

しかし、彼女の仕事を手伝うということは、今回みたいに命がかかった状況になる可能性もまたあるのではないだろうか。


「あの…」

「何だい?」

俺が考えを纏めるのを待っていたらしく、彼女は質問に応じる。

「ナハトさんは足を怪我してるってことは、今までみたいに自由に動けないってことですよね」

「そうだ。だからこそ君に手伝ってほしい」

緊張と共に、俺は尋ねた。

「それじゃ…俺が一人で夜界を歩かなければならない時も」

「まぁあるだろうね。でも、可能な限りサポートするよ」

サポート。それがどんなものなのか、俺はあまり想像ができなかった。

それでも、無いよりはマシなのだろう。

しかし、今回の一件みたいなことに、また巻き込まれる可能性はあるのではないか。

それを考えると、俺は迷ってしまっていた。


「ま、今この場で答えを出せとは言わないさ」

不意にナハトがそう言ったので、俺は彼女を見た。

ナハトは俺を見ながら、片手の人差し指を自分の米神に向けている。

「私に会いたければ、就寝する前に念じてくれ。そしたら、私が君の魂を呼び出す」

片手を下ろし、彼女は言葉を続けた。

「それに、1、2度手伝ってから決めるのでもいいし、一時期だけというのでもいい。その辺は君が決めてくれていいよ」

その言葉に、俺の気持ちも少し楽になっていた。

とはいえ、曖昧なままの状態というのも個人的に気に入らないというのもある。

決めるなら、早めに決めておこうと俺は決心していた。



「じゃ、今宵はそろそろお開きかな」

ナハトの言葉に、俺は頷こうとして、やめた。

一つだけ、聞きたいことがあったのだ。

「あの、一つ…いいですか?」

ナハトは俺を見て頷く。


「昔の…ナハトさんって…」


レディと呼ばれた存在の言葉。それに、ナハトと契約した時に垣間見えた光景。

正直、彼女の過去を聞かずにはいられなかったのだ。

しかし、そこから先の言葉が続かなかった。どう聞けばいいのか、どう切り出せばいいのか。


当のナハトは、その言葉に頷いた。

その顔には、聞かれることが分かっていたような、苦い表情が浮かんでいた。

「…そりゃ気になるよな。元々君の猫が巻き込まれたのだって、私の過去が原因みたいなものだったしな」

そう言うとナハトは片手を額に当てて、しばし黙る。

その重苦しい空気に、思わず俺は言葉を紡いでいた。

「あの、無理に話してほしいってわけでは」

「いや、話すべきだろう。さっきの手伝いの話だって、まず先にこれを話すところから始めるべきだっただろうし」

そう言って一泊を置き、彼女は言った。

「しかし…どう話すかな。どこから話せばいいか、正直頭の中で纏まらないんだ」

言ってから再び、彼女は俺を見た。


「だからまず結果だけ言おう。私は、『死神の力』を使って、死ぬべきでない者を殺した」


「だから生きることも死ぬことも許されず、この夜界にいる」


その言葉に、俺は息を呑んでいた。

「それって…」

「あぁ、私も元は君と同じ、現世で生きる普通の人間だった。もう大昔の話だが」

彼女の言葉に、しかし俺は驚かなかった。

契約の際に垣間見えた光景から、何となくそうなんじゃないかと思っていたからだ。

「いずれ、詳しく説明するよ。ただ、今は頭が纏まらないから、またの機会に」

「…分かりました」


彼女がかつて何をしたのか。

俺には想像もつかないことだった。

ただ、少なくとも今のナハトが信用できる人間であるとは、ソラの一件で分かっている。

だからこそ、彼女が説明してくれるというなら、それを待とうと決めていた。


そうして、その夜は終わりを告げた。

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