第3夜:東雲

ソラの巨躯。その足の下に、ナハトの長い白髪が見える。

よく見れば頭も、それに片腕も見えた。微動だにしない。

俺は、その光景に現実感を抱けなかった。

「…嘘でしょ…?」

オブジェの上にいるせいで、その光景が小さく感じられる。まるで、元の猫の大きさに戻ったソラが、虫を踏んでいるかのようだった。

その傍らにいるホログが、こちらに顔を向けている。


ホログは片手に、ナハトがいつも被っていた、あの帽子を持っていた。

その帽子に片手を入れると、先程ナハトがやってみせたように、あの黒い大鎌が取り出される。

勝ち誇ったように、ホログは黒い大鎌を頭上に掲げた。


「 死 の 力、 我 ガ 手 に 」


夜の闇の中で、ピエロの仮面をつけた大男が、黒い大鎌を振り上げる。

その光景は、まさに悪夢としか言いようのないものだった。


そんなホログの近くに有明さんが着地する。

ホログは彼女に顔を向けると、俺の方を指さした。

その動作だけで分かった。俺の命を奪えと、命じているのだ。それを理解した瞬間、凄まじい寒気に襲われた。

しかし、有明さんは首を振る。

「もう彼は動けません」

彼女もまた、いつのまにか仮面を被り直していた。そのせいで表情は見えない。

やはり、説得は意味を成さなかったのか。彼女が俺を殺すのを拒否したので安堵していたが、未だにホログに傅く様子を見て、俺の中に絶望感が広がっていた。


しかしホログは、その手に持った黒い大鎌を掲げたまま、俺から目を離そうとしなかった。


そして一歩ずつ、緩慢な動作で俺の方に歩いてくる。

俺の命で、その死神の力を試すつもりなのか。それを理解して、先程の安堵感は消し飛んだ。

奴は地上にいて、俺はオブジェの上にいるが、奴がその気になれば、ここまで跳躍できるだろう。

俺は何か言葉を言おうとした。

だが、出てこない。あまりの事態に、口の中がカラカラに乾いたような感覚。

そうしている間に、ホログは俺のいるオブジェの近くまで歩いてきていた。

跳躍するつもりだろう。少し、その身体を屈ませた時。


「…聞き、たいんだがな、ホログ」


ソラの足の下、辛うじて見える白髪。その辺りから、声が聞こえた。

ホログと有明さんが、そちらへ顔を向ける。

ソラに潰されたままナハトは、顔をこちらにむけた。その角度まで向けるのに精一杯の様子だ。俺の位置では、その声も懸命に耳を澄ませてやっと聞こえるくらいの声量だった。


「私達は…生者の病を治すことなど、できない」


その言葉に、有明さんの身体が一瞬ピクリと動く。

尚も、ナハトの言葉が紡がれた。


「だが…お前の契約者は、お前が、病を治せるものと…信じている」


尚も、ホログは黙ったままだ。だが掲げていた大鎌を下ろし、その顔はナハトの方に向けたままだった。

「お前の言う、治すというのは…」


「その力でことだろ?」


「刈り取る…!?」

自然と、俺はそう呟いていた。普通に考えれば、彼女の言葉の、意味するところは。


「私達にとっては、生も死も、救済と同義だものな」


少し苦しそうに、そう言葉を紡ぐナハト。その言葉の意味は分からない。

しかし、ホログはその言葉に、特に反応しなかった。

それで疑念が大きくなったのだろう。有明さんは、視線をナハトからホログへと移している。

緊張した様子で、彼女は言葉を紡ぎだした。

「ホログ…貴方は約束した。私の母を、治すと」

詰め寄るように、有明さんはホログの方へ歩を進める。

「貴方の望みは叶った」


「だから、もう一度約束して。私の望みを叶えると。私の母を生かすと」


彼女の言葉に、しかしホログは答えなかった。

顔を向けすらしない。

「ホログ!!」

遂に、有明さんが声を荒げる。


「 死 ヲ 」


瞬間、ホログの手にあった黒い大鎌が、有明さんの胴に薙ぎ払われていた。

「有明さん!!」



その瞬間、目の前で起きた光景は、俺の理解を越えていた。

黒い大鎌の刃が、有明さんの胴を薙いだと思った瞬間。


その大鎌は、無数の黒い蝶となって分解した。


黒い蝶は、一斉に空へと羽ばたき、そして消える。

突然手に持っていたものが消失して、ホログは周囲を見回した。

斬られたと思ったのだろう、有明さんは身体を後ろへ退いていた。


「フ…フフ…アッハッハッハ!!」


笑い声がその場に響く。それが誰のものであるか、一瞬分からなかった。

だがそれが、ソラの足元から聞こえてくることに気づき、その声の主を理解した。

「ナハト…さん?」


ソラに踏み潰されているナハトが、笑っている。


ホログは、そんなナハトに顔を向けた。

それが分かったのだろう、ナハトはソラの力に抗い、片腕を地面について、かろうじて顔を上げていた。

「この手品は…お前に見せたこと無かったな」

ナハトへ顔を向けて黙ったままのホログ。それに対して、ナハトは言った。


?」


ホログが、その場に立ったままナハトを見つめている。その身体は震えていた。小刻みに。

驚愕、苛立ち、憤怒。俺でも、そんな感情が読み取れるような震え方だ。


そして――有明さんは、そんな隙を見逃さなかった。


彼女が地面を蹴り、刀を抜きながらホログに迫る。

日本刀の切っ先がホログに届いたと思った瞬間。


ホログの巨大な腕が振るわれ、彼女の日本刀を弾き飛ばしていた。


「っ…!?」

今度は有明さんの方が驚愕する番で、その瞬間、ホログの腕が彼女の首を掴み、身体ごと宙吊りにしていた。

その拍子に彼女の被っていた仮面が外れて、地面に落ちる。

薄暗闇の中で、カランカランと軽快な音が辺りに響き渡った。

「か…はっ…」

「 最 早 汝 ハ 不 要 」


ホログの腕の力はどんどん強まっているようで、苦悶の表情をした有明さんの顔から、血の気が引いていく。


その光景を見た瞬間、俺も頭に血が上っていた。


それは腹の傷の痛みなど気にならないほどで、俺はその場に転がっていた鉄パイプを掴んで、オブジェから跳ぶ。

そしてそのまま、ホログの身体に一撃を叩き込もうとした。

だが、それも読まれていたらしい。鉄パイプがホログに入ると思った瞬間、奴のもう片手が鉄パイプを掴んでいた。

ギリギリと鈍い音がしたと思った瞬間、鉄パイプが粘土のようにグニャリと曲がっていく。それを、地面に足を着いた俺は、信じられない思いで見つめていた。

ホログの仮面が、俺の顔に向けられている。

俺は今度こそ、死んだと思った。


その瞬間、気づいた。ホログの胸の辺りに蝶が飛んでいる。


青でも赤でもない。橙色の蝶が。


!!」


その瞬間、閃光と轟音と共に、俺の身体は衝撃に包まれていた。



気が付くと、俺は自分が地面に横たわっていることに気づいた。

顔を上げる。横から呻き声が聞こえたので、まずそちらを見た。

有明さんが、俺と同じように仰向けに倒れている。ホログの拘束から逃れられていることにまず安堵した。


次に周りを見た。

ソラはその場から動いていない。巨大な身体で、まず視界に入ったので分かった。

しかし、その眼は先程の赤色から、元の黄色に変わっている。

その視線は空中を彷徨っていた。よく見ると、何匹かの青い蝶が、ソラの眼前をヒラヒラと飛んでいる。

それでソラの足元に視線を移して、気づいた。


ナハトは、ソラの足元から抜け出していた。片膝をついていて、髪が乱れて顔の左側が見えないが、とにかく無事だ。


左腕を右手で庇っていて、やはり負傷が深刻なようだった。

そこまで理解して、俺はホログの姿を探す。そして周りを見回して、驚愕した。


ホログの身体は、あちこちに散らばっていた。


左腕がまず俺の近くに鉄パイプと共に転がっていて驚愕し、両足も千切れてあちこちに転がっている。その断面は血の代わりに、黒い煙に包まれていた。

上半身を探すと、それはナハトの近くだった。

一体何がどうなったのか。身体が衝撃に包まれる寸前に聞こえた声を思い返す。

あの声は、ナハトのものだった。

ということは、ナハトなら今の状況を知っているのだろうか。とりあえず俺は立ち上がると、近くで倒れている有明さんの方へ行った。

「あ、有明さん、大丈夫…?」

「う、うぅ…」

言いながら彼女の様子を見ようとして、再度驚愕した。


俺と同じように、苦しそうに身体を上げた有明さんの首を、ホログの千切れた右腕がまだ掴んでいた。

「ひっ…!!?」

それに気づいた有明さんが、驚愕して首からホログの腕をむしり取る。

やはりその腕の断面も、黒い煙で覆われていた。

驚いたまま彼女は、取ったホログの腕を明後日の方向へ投げ捨てる。

俺は改めて、ナハトの方へ呼びかけた。

「ど、どうなってるんです…?」

ナハトはいつも通りの様子で、答える。

「橙色の蝶は、私の意思で爆破できるんだ。昨日、地面の下に仕込んで河川敷の土手を吹っ飛ばしたみたいにね」

「俺達のすぐ近くだったんですけど!?」

「だから君らを巻き込まないよう、爆発の角度も調整した」

無茶なことをしたものだ。

俺は次に、身体を起こした有明さんに近づいて、手を差し伸べた。

有明さんは少し躊躇した様子だったが、俺の手を掴んで立ち上がってくれる。

そして、二人でナハトと、ホログの上半身に近づいた。

「ホログは、死んだんですか」

「いいや」

ナハトは首を振る。そして、ホログの上半身に視線を向けた。

「お前も私も、この夜界で死ぬことはできない。そうだよな、ホログ」

「 ナ ハト 」

途切れ途切れに、ホログの仮面の奥から声が聞こえる。

ナハトは、その仮面を掴んだ。


仮面が取れ、露になったホログの顔は、毛が一本も無く、皴で覆われた老人の顔だった。


その顔は、張り付いたような笑顔の表情で固まっている。


上半身どころか首から先が無く、やはり断面は黒い煙で覆われていた。

その姿に、思わず俺も有明さんも後ずさる。

「一体…ホログって何なんですか」

ナハトは依然ホログに視線を向けたまま、言葉を紡いだ。

「満足に話せなかった時点でおかしいと思ってたが…身体がほぼ無かったんだな、お前」

仮面の取れたホログもまた、視線をナハトに向けている。

しかし、黙ったままだ。ナハトは、今度は俺に向けて言った。

「この世界じゃイメージが大事と言ったろう。意志だけで、中身の無い身体を動かしてたんだ」

あれだけ凶暴に暴れていた身体に、中身が無かった。その事実に、俺はゾッとした。

ナハトは再びホログに視線を向けて言う。

「死神の力を狙ったのはそれが理由か。生者のエネルギーであれば、自分の肉体を修復できるからな」

「 死の 力 」

か細い声で、ホログがそう言った。

ナハトはそれに対して、薄く笑みを浮かべる。


「残念だがな、もう私はアレを持ってない」


「え?」

俺の発した声に、ナハトは頷いた。

「確かに、持っていたことは事実だ。その頃の情報が出回ってお前の元に届いたんだろうが…今はもう私の手元に無い」

横にいる有明さんも、驚愕の表情でナハトを見つめている。

「一度手に入れたから、さっきみたいに形と質感の再現ができたんだ。ホログがもう少し長く持ってたら露呈してたけどね」

「いや、あの、それって…」

俺は抗議じみた眼でナハトを見た。ホログと俺と有明さんの視線に、ナハトは若干すまなそうな表情で微笑する。

「分かった分かった、謝るよ」

そう言ってから、ホログに対して彼女は言った。

「でもお前は、私が無いって言っても信用しなかったろう。違うか?」

やはりホログは黙ったまま、だと思った瞬間。


「 お 前 モ 道 連 レ だ 」


その瞬間、言葉と共にホログが視線を、ナハトから移した。

ソラの方へ。

途端に、ソラの眼が空中の青い蝶から、俺達の方へ向けられる。

その眼は黄色から、赤色へ点滅していた。

「最後の悪足掻きか、ホログ…!!」

焦った声でナハトがホログを睨みつける。そして彼女は、ホログの上半身を覆っていた黒い布を取ると、その頭を覆うように巻き付けた。

その間もホログは、唸るように笑い声を上げていた。


ソラが覆い被さるように、俺達に近づいてくる。

巨大な身体が月の光を覆い、夜の闇が俺達を覆っていく。

その前足が、俺達に叩きつけようと、振り上げられた。

刹那に、覚悟を決める。


俺は、ソラを見つけるために夜界に来た。


ホログの陰謀、有明さんの説得。色々なことがあったが、間違い無く、最初はそれが切っ掛けだったのだ。


だから、俺が全力を振り絞るのは今だ。


ここで俺が動かなきゃ、今まで夜界に関わってきた意味が無い。


「ソラ!!」

俺は、ナハトと有明さんの前に、盾になるように立ちはだかった。

「目を覚ませ!!」


「お袋と妹が、家で待ってる!だから…帰ろう!!」


ソラは、前足を振り上げたままだ。その眼は未だに赤と黄色に点滅している。

大きな口が開かれ、その口の中から、凄まじい唸り声が聞こえた。


ふと、その唸り声で思い出した。



まだ小学校にも上がっていない頃だったか。

親に連れられ、家から少し歩いた所にある公園に行ったことがあった。

その公園は山に近く、色々な昆虫や爬虫類がいたのだ。

ソラも一緒だった。

何も考えずソラと一緒にそこら中を駆け回った。一日中。

薄暗くなった頃、木々の生えている場所で、長い枝が落ちているのを発見した。

もっと遊びたいと思っていた俺は、その枝を手に取ったのだ。

薄暗かったから、枝だと思った。


手に持った時に、それが違うものだと気づいた。


生暖かい感触。べたつくような。ザラザラとした。

次の瞬間、枝――のように見えた蛇が牙をむいて、俺の腕に噛みついていた。

俺は悲鳴を上げた。

気が付けば、ソラが俺に噛みついた蛇に、その爪を立てていた。

唸り声と共に。


その後の顛末はよく覚えていない。


その蛇は毒を持たない温厚な種類だったのだろう。俺がたまたまその身体を持ち上げてしまったから、驚いて噛みついたのだ。

ソラと蛇の戦いは、ソラが蛇を追い払って終わったのだろう。

それから、泣き叫ぶ俺を親が発見して、連れ帰ったのだと思う。

記憶はあやふやだが、それ以来俺は、蛇が苦手だ。



「ごめん。思い出せなくて」

気が付けば、涙が頬を流れていた。

結局、お礼を言えないまま、ソラは逝ってしまったのだ。

「俺を守ってくれて、ありがとう」


眼の色が、黄色に変わる。


その瞬間、巨大だったソラの身体が、煙が拡散するように薄れ始めた。


「君の猫が、ホログの支配を破ったんだ。魂に注入されていた負の感情が、ぶつける相手を失って霧消していく」

ナハトの言葉が後ろから耳に届く。

俺は、消えていくソラを、ずっと見つめていた。



ソラが消えてからも、俺はその場に佇んでいた。色々な感情が湧いてきて、懸命に整理していたのだ。

「それで、君はどうする」

不意に背後からそんな言葉が聞こえ、そちらに視線を向ける。

ナハトが、有明さんに声をかけていた。

黒い布が巻き付けられたホログの頭は、彼女が片手に抱えている。

当の有明さんは、ただ無言で俯いている。

俺は彼女に声をかけようとして、再び腹の激痛に苛まれ、呻き声が出た。

「大丈夫か」

そんな俺に気づいたナハトが近づいてくる。

「結構な深手だ。診せてみろ」

「俺のことより…彼女を」

そう言いながら、有明さんに視線を向けた。

俺は腹を刺されただけだ。それも大事ではあるのだが、しかし彼女はホログに裏切られたことで、自分の母親を救う術が無くなったのだ。平静でいられるわけがない。

そんなことを考えていると、ナハトがホッとしたような声で言った。

「刺されたのは脇腹だな。幸い、魂が消失するほどじゃない」

「えっ…!?」

その言葉に驚いて、俺は視線を自分の傷口に移す。

確かに、赤い煙が出ているのは、脇腹の傷だった。

あの時、腹の真ん中を刺されたと思ったのだ。だが、彼女が刺したのは脇腹だった。

俺は、彼女に視線を向ける。そうしながら、傍らのナハトに向けて言葉を紡いだ。

「ナハトさん…あの…彼女の、お袋さんは…」

「無駄な期待はするな」

その言葉に、思わず視線をナハトの方に向ける。

彼女は俺の方を見ながら、首を振った。

そうしてナハトもまた、有明さんの方へ視線を向ける。

「さっきも言った通り、私もホログも、人の命を救うことはできないんだ」

「…何となく、そうかもしれないって、思ってた」

俯いたまま、有明さんがそう呟く。

「そんな都合の良い話なんて、あるわけないって、分かってた」

その声が、震えている。


「でも。でも、ね…」


「信じ、たかったの」


その目から、涙が溢れた。

「…有明さん」

俺の立場じゃ、今の彼女の気持ちを推し量るなんてできない。

かける言葉が見つからないまま、俺は彼女を見つめることしかできなかった。



もう、結構な時間が過ぎている。

空が段々明るくなってきていることに、俺はそこで漸く気づいた。

もう少しで、夜界が消える。

「なぁ」

ナハトが有明さんに、再度声をかけた。

彼女が、涙で濡れた顔をナハトの方に向ける。

「もし…どうしても気持ちの整理がつかなければ、またここに来るといい」

その声は、今まで聞いた中で一番、柔らかく聞こえた。

「悩み、迷い、未練。そういったものを聞くのが、私の仕事だから」

そして彼女は。

「だから、気が向いたら、ここへ来るといい」


俺に初めてやったように、有明さんへ、手を差し伸べた。


「私は、いつでも待ってるよ」

その言葉に、有明さんは呆気に取られたような表情をすると、少しだけ微笑んだ。

「…ありがとう」


ナハトの手を、彼女が取る。

その瞬間、朝日が顔を出し。俺の記憶はここで途切れた。



「…痛つつ…」

呻き声と共に、俺は意識を取り戻した。

そのほぼ直後のタイミングで、目覚まし時計がけたたましい音を響かせる。

それを止めると、俺は身体の異変を実感した。

異様な疲労感。身体がだるい。これが夜界での戦いで、魂の状態で負傷した結果なのか。

そう思った途端に、脇腹がずきりと傷んだ。

パジャマをめくると、丁度有明さんに刺された箇所が、痣になっていた。


階段を降りて、洗面所に行く。

パジャマの上だけ脱いで、他に身体に傷が無いか確かめた。

脇腹の痣と、肩口にミミズ腫れのような跡がある。ここも、有明さんの持っていた日本刀が食い込んだ箇所だった。

疲労感に、不自然な傷。これが契約者として戦い、負傷した痕。

俺はそれを指でなぞって、実感していた。



その後は、何の変哲もない一日だった。

家族と朝食を食べ、家を出る。親父もお袋もいつも通りで、妹はまだ不機嫌だ。

学校で応馬とゲームの話題で盛り上がり、授業を受けた。


有明さんはその日、欠席していた。


昨日の夜界での、あの最後のやりとりを思い出す。

有明さんとはもう、会えないのかも。何となく、ぼんやりとそう思い、時間が過ぎるごとにその思いが大きくなっていた。授業の内容はあまり頭に入らなかった。



学校が終わり、家に帰らず一直線に、ある場所へ向かった。

河川敷のある、大きな川へ。

ナハトと共に足取りを追い、一度は見つけた場所。

あそこにきっと、いるのだろう。


夕暮れ時。秋口で、まだ本格的に日照時間が短くなる前の時期。それが幸いした。

ポツンとそこに、一本だけ生えた木。

誰も気づかなかったらしい。川に面したその木の根元に、ソラは眠るように死んでいた。

涼しくなってたから、奇跡的にまだ腐ってない。

俺は、周囲の土や砂、飛び回る蠅を払いのけながら、ソラの遺体を両手で抱いて、持ち上げた。

酷く軽かった。

そのまま俺は、家路に向かった。


帰宅して、お袋に知らせた。先に帰っていた妹がすぐ飛び出してきた。

庭に穴を掘り、そこに埋めた。

二人で祈った。

「おかえり…ソラ」

か細い声で、妹が祈りながら、そう呟く。

俺も、ずっと祈っていた。


その日はそうして終わった。


これできっと、解決と言えるのだろう。そう思っていた。


その夜、俺は思い知ることになる。


自分がまだ思慮の足らない、ガキだったってことと。


夜界の、恐ろしさを。

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