第3夜:正子
「それで、契約というのは、具体的にどうすれば…?」
「簡単だよ。私が書類を用意するから、署名と印鑑を頼む」
「えっ」
思った以上に契約方法がまともだったので面食らった。
そして昨日と同じく魂の状態の俺は、印鑑など所持していない。
「あの、今持って…」
「冗談だ」
俺は椅子から転げ落ちそうになった。
「まぁ、とりあえずコーヒーでも飲め」
言いながら、ナハトが指を弾く。タイミングを見計らっていたのか、それを受けてハプリーさんがカウンターから出てくると、カップに入ったコーヒーをテーブルに置いた。
「はぁ…」
言いながらそのコーヒーに手を伸ばそうとしたのだが、目の前の光景に硬直した。
ハプリーさんが、ナハトの前にナイフを置いていたからだ。
白いナプキンが敷かれ、その上に置かれたナイフ。
まるで高級な洋食店でステーキが出る前に食器が置かれるみたいなのだが、当然ステーキも、それどころかフォーク等他の食器も置かれる様子はない。
「あの、それは…?」
俺の問いに、ナハトはただ頷いた。
そして、そのナイフを手に取ると。
彼女は左手の親指の腹をナイフで切り裂いていた。
「何してるんです!?」
「落ち着け、契約に必要なことだ」
そう言うと、彼女は親指から滴った血を、コーヒーの中に一滴入れる。
そして、コーヒーの傍に置いてあったティースプーンで中身をかき混ぜると、ナプキンで親指を拭った。
「…もしかして」
「汚いと思うだろうが、我慢してくれ」
そう言うと、ナハトは俺の前にそのコーヒーを置く。
どうやら、彼女の血が混じったこのコーヒーを飲むことが契約の儀式らしいと、俺は理解した。そして彼女は言う。
「言っておく。これは君と私の対等な契約だ。君が切りたいと思えば、いつでも切れる。そこに何の制約も無い。だから、いつでも逃げていい」
「…逃げませんよ」
射貫くような真剣なナハトの眼に、俺はそう答えた。そして恐る恐る、そのカップを持つ。
ナハトは肩を竦めた。
「…たった二晩の付き合いなのに、君はお人好しだな」
その言葉に、ただ頷く。
そして俺は、ナハトの血が入ったコーヒーに口をつけた。
一瞥すると、ナハトは依然として俺の様子を見つめている。口をつけるだけで十分なのか分からない。
結局、俺はそのコーヒーを飲み干していた。
その瞬間、目の前の光景が変わったのに気づく。
薄暗い部屋。目の前に一人の女性が立っていた。
黒髪で、青白い肌。暗い色の服で、俺より背が少し高い。
髪や肌の色が違う。しかし、その顔は紛れもなく、ナハトだった。
その手には何か長柄のものが握られているが、部屋の暗さのせいで見えにくい。
目を凝らして、分かった。それは漆黒の大鎌だ。
その刃の先端からは、赤い液体――恐らく血が、滴っていた。
彼女は、俺から見て真横を向いていた。
その表情からは感情が読み取れず、その眼はまるで、憔悴しているように見える。
彼女が見ているものを見て、絶句した。
そこには、血塗れで倒れている女性と、幼い少女の姿があった。
気が付くと、また俺はカフェの中にいた。
椅子に座って、手には今しがた飲んでいたカップがある。
目の前に、元の肌と髪色をしたナハトがいて、俺を見つめていた。
「…見えたか?」
「…今のは」
ナハトは僅かに俯くと、言う。
「過去の私だ」
「あれは…一体」
俺の言葉に、彼女は首を横に振ると、言った。
「ともかく、これで契約成立だ」
正直、今見たモノについて聞きたくて仕方なかった。
しかし、今は時間がない。ソラや有明さんのことが最優先だ。
俺はそう考え直して、押し黙る。
やがて、彼女は立ち上がると、カフェの奥の方に歩を進めた。
「どこに行くんです?」
「君の相手は武装してるだろう。丸腰じゃ不利だ。何か無いかと思ってね」
追いかけようとする俺に、ナハトの声が響いた。
「これから彼らと対峙する。今のうちに覚悟を決めておけ」
これで本当に俺も、この夜界で自由に動けるようになったんだろうか。
まだ全然、そんな実感は湧かなかった。
「いいか、私がホログと君の猫を引き付ける。その間に、君はあの契約者と話をつけろ」
「ホログとソラの両方をナハトさんが相手にするんですか?」
「当たり前だろう。他にいないんだから」
ナハトの言葉に、俺はカウンターの奥にいるハプリーさんを指差す。
しかし、彼女は首を振った。
「この場所と同じく彼も中立だ。だからこそまだ奴らはここに攻め入って来ない」
そういうものなのか。つまり、こちら側の戦力はナハトさんと、正式に契約したばかりの俺だけということになる。
やはり、こちらが圧倒的に不利だ。そう考えたのだが、ナハトは釘を刺すように俺に言った。
「私のことより自分の心配をしろ。正式に契約して初めて戦うんだ、しかも相手は今の君と同等の能力を持った相手で、恐らく殺す気で来るだろう」
彼女の言葉に、俺は生唾を飲み込む。
そんな俺に、若干気まずそうにナハトは、細長い鉄パイプを俺に差し出した。
「こんなものしか無かった。あの刀相手にこれだと心許ないが」
「いえ、これでも十分です」
「…アイツがいれば良かったんだが、こういう時に限って居ないんだよな」
「あいつ?」
「いや、こっちの話だ。それより、これから先に戦いに集中しよう」
俺は、その言葉と共にナハトから差し出された鉄パイプを、覚悟を持って受け取った。
ナハトは出入り口を一瞥しながら言う。
「さっき君は外を見た。だから奴らにも君がここに居ることは知れている。君と私が正式に契約することも考慮に入れているだろう」
言われてみれば、さっき外を一瞬見た際に、有明さんと目が合ったような気がした。
ということは、俺達の動きを奴らは読んでくるのではないか。そうなると、有明さんを説得するのも難しくなるだろう。
俺は鉄パイプを握りしめて、ナハトと共にそちらへ向かった。
まだ不安は尽きない。そりゃそうだ、初めての実戦でタイマンなんて状況なんだから。
そう考えると、有明さんを説得する以外に勝ち目が薄いように思えてきた。
「俺…勝てると思いますか」
「命を張る必要はあるが…まぁ難しく考えるな」
言いながら、ナハトは僅かに微笑む。
「この世界では、イメージが大事だ」
「イメージ?」
彼女は頷いた。
「魂だけの状態の君が肉体の枷を外したなら、どう動くかは頭の中のイメージで決まる。逆に言えば、イメージの力さえ強ければ、実戦経験の差なんて幾らでも覆せるさ」
彼女の言葉に、俺は多少元気づけられていた。
日頃やってるゲームの中のキャラクターの動き。それをイメージすれば、俺にも芽は出てくるかもしれない。
懸命に、俺は日頃応馬と攻略法を教え合っていた、あのゲームの内容を思い返した。
ゲームの中のキャラクターの動き。あの縦横無尽な動きを思い出せ、そして、それを自分で行う様をイメージしろ、と。
「そろそろいいな?」
「…はい」
そしてナハトは、出入り口のドアを開けた。
カフェの店舗、その前にあるストーンヘンジのようなオブジェ。
応馬曰く――暗闇広場。
そこがナハトと初めて会った場所だった。
そのオブジェのある広場の中央。
巨大な赤黒い塊と化したソラと、それより大分小さいが、それでも俺に比べれば十分に大柄なホログ。そして、俺より背が低い有明さん。その三者が、そこで待っていた。
彼らが、俺とナハトに鋭い敵意を向けてくるのが分かる。それでも全く怯む様子も無く、ナハトは彼らの前へと歩いて行った。
「待たせたな」
ホログは応えない。ただ、その片腕を、こちらへ掲げた。何かを受け取ろうとするかのように。
その動作に対して、ナハトはおもむろに帽子を脱いだ。
そして、片手でその帽子を持つと、その中に手を入れる。
次の瞬間、帽子の中から、明らかにそこに入りそうもないほど長柄の、漆黒の鎌が出てくる。
「…!?」
俺は絶句した。帽子の中からそんなものが出てきたというのもそうだが、それだけではない。
それは紛れもなく、俺がナハトと契約した際に垣間見た、過去の彼女が持っていた鎌だったか。
ナハトはそれをホログに見せつけるように掲げると、言う。
「お前の欲しいのは、これだな?」
「 まサ、しク 」
まるで歓声のようにホログがそう声を上げ、その腕を差し出す。初めて見るその禍々しい漆黒の大鎌に、俺は圧倒されていた。
ナハトは、再びその大鎌を帽子に収めると、言う。
「私がこれを持ってると…誰から聞いた」
ホログはやはり答えない。初めから、こちらの質問に付き合う気は無いのだろう。
それを察したのか、ため息をついて大げさに肩を竦めると、ナハトは言った。
「誰が、お前に渡すものか」
そう宣言したナハトの眼には、今まで見たことがないほどの殺気が籠っている。
体格差は歴然なのに、ナハトの剣幕はホログの放つプレッシャーにも、負けていないように思えた。
そして、ナハトがそう宣言した途端に、ホログの俺達に対しての敵意が強まった気がした。
ホログだけでなく、有明さんと、そしてソラも。
特にソラは、その真っ赤な両目を大きく見開いて、俺とナハトを凝視している。
有明さんは、ピエロの仮面の奥から真っ直ぐ俺のことを見ていた。ナハトではなく、俺を。
よくよく見ると、ホログの仮面は笑ってるが、有明さんの被る仮面は泣いているデザインだ。そんなどうでもいいことに今更気づいていた。
その瞬間、ホログがその指先を俺達に向けた。
途端に、ソラが巨大な前足を振りかぶり、俺とナハトのいる場所へと叩きつけてくる。
俺とナハトは別々の方向へ散開した。
俺は、ナハトから渡された長い鉄パイプを持ったまま走る。ナハトに言われたことを思い出しながら。
契約した身体を実感するために、まず最初にすべきことを。
そして、俺は地面を思いきり強く、蹴った。
ナハトがやったみたいに、人の運動神経を遥かに超えた高さへ、跳ぶ。
いつか、跳ぶのではなく飛べるようになるんだろうか。そんなことを考えながら。
これまで感じたことのない浮遊感と共に、地面がどんどん遠くなる。直後に俺は、オブジェの上へと着地していた。
かつてナハトが座っていた、あのオブジェの上へと。
「できた…!!」
「そう、東君も契約したんだ」
その言葉に目を向けると、俺の数メートル先に有明さんが着地していた。
望み通りの展開ではある。だがそれは、ナハトの助太刀を期待せず、自分で状況を打開しなければならないことが確定したということだ。
眼下では、ホログとソラがナハトを追いかけている。ソラが一歩一歩地面を踏みしめる度に、地面が振動するような音が響き渡っていた。
ナハトは追われながらも、様々な色の蝶をその周囲に発生させて、ホログとソラを引き付けている。
有明さんを説得するには、ホログから引き離す必要があった。俺とナハトが離れれば、ホログはナハトを狙うだろう。だが、ホログはナハトと契約した俺も警戒している筈だ。そうなると、俺を追うのは有明さんになる可能性が高いと踏んでいた。
そして、ナハトもこの展開を予想していたからこそ、さっきの指示を俺に言ってくれたんだろう。
「それで…君も、私と戦う覚悟をしてきたんだよね?」
「…いいや」
立ち上がりながら、俺は有明さんと相対する。有明さんは、俺の持っている鉄パイプを指差した。
「そんなもの持ってるのに?」
「…有明さんだって刀持ってるでしょ」
「じゃあ遠慮はいらないね」
その瞬間、有明さんが刀を抜き、一気に俺との距離を詰めてきた。
振られた刀を、鉄パイプで受ける。
見えた。昨日目覚める直前に、いきなり遭遇して刀を振られた時は全く見えなかったのだが、今はその刀の軌道が見えて、鉄パイプで防御できた。
これが『契約』した効果なのかと、改めて実感する。
続けざまに振られる刀を、間髪入れずに鉄パイプで受けた。やはり、速過ぎて見えないということはない。
甲高い音と共に火花が散り、夜闇を一瞬だけ明るく照らした。
俺は間合いを開けてじりじりと相手の挙動を観察しながら、考える。
有明さんも契約者なのは一緒だ。そして経験はあちらの方が上だろう。今はこうして凌げているが、向こうも状況を打開しようと考えているに違いない。
「有明さん」
「何?」
呼びかけてみると、意外にも言葉が返ってきた。
「こうして君が俺と戦ってるのは、やっぱり…夕方に話してたことのため?」
「当たり前でしょ」
にべもない返事。確かに当たり前だ。何でホログと契約したのかを聞いて、ちゃんと彼女は答えを返したんだから。それが今の戦いの動機にもなってるのは当たり前だった。
俺は地面を蹴って有明さんから遠のいた。危うくオブジェから落ちそうになるが、体勢を崩さずに済んだのは運が良かった。
足元に向けた視線が、自然と下の光景の方へ向く。
下では、ナハトが発生させて飛ばした蝶を、ホログが発生させた青い炎が撃ち落としていた。
そして、ソラが恐るべき速さでナハトへと駆け寄り、再び前足を叩きつけている。
その振動が、こちらにも響いてきた。
その光景はまるで、猫が小さな虫を前足で潰しているかのようだ。
ナハトは、昨夜見たのと同じ素早さでそれを避けると、また蝶を発生させている。
「気になる?」
すぐ傍で声がして、背筋が凍った。
いつのまにか距離を詰めた有明さんが、刀を振り下ろしてくる。
「うおっ!?」
かろうじて、鉄パイプでその一撃を受け止めた。
が、少し遅かった。振り下ろされた刀の切っ先が、俺の左肩に食い込む。
血は出なかった。代わりに、肩の傷口から赤い煙のようなものが出てくる。
まるで、水中で出血しているかのように、本来血である筈のものが赤い煙となって、空中に溶けていた。
「な、何…これ…」
「あぁ、傷つくの初めてなんだ」
刀を引いて、俺を見つめる有明さん。その眼が、仮面に空いた穴から覗く。
「私達は今、魂だけの存在だから、肉体のように血は出ないの。代わりに、傷を負ったら生命力が煙みたいに傷口から出ていく」
「生命力…これが…!?」
彼女の説明に、俺は自分の傷から出てくる煙を呆然と眺めた。
「とはいえ、肉体にできた傷みたいに、浅い傷なら時間と共に治る。ただし、失った生命力は、肉体からしか補給できないけどね」
「補給…?」
「そう、つまり…肉体に戻らなきゃ、回復できないってこと!」
言いながら、再び有明さんが刀を振り下ろしてくる。
俺はそれを、再度懸命に受け止めた。だが、左肩の傷のせいか、左腕が先程より力が出ない。
「うっ…」
「自分の命がかかってるってこと、やっと理解できた?」
囁くように、彼女が言葉を紡いだ。
「手出ししないって約束してくれるなら、今ならまだ…見逃してあげる」
その言葉は、その声は、今まで聞いた中で、一番優しく聞こえた。
「ふざけんな…!!」
俺は、そんな有明さんを睨みつける。
「俺は…俺は!!ナハトを見捨てない!ソラも、俺が自分で連れて帰る!!」
「そう、それが君の答え」
その瞬間に、俺は全力を出して鉄パイプを押した。
押し切られそうになった有明さんが地面を蹴り、俺との距離を取る。
その間、その眼は氷のような冷静さで俺を見据えていた。
「じゃあ、もういい」
そう紡いだ言葉。それが、僅かに震えているように聞こえたのは、俺の希望的観測だろうか。
その仮面から覗く眼が哀しそうに見えたのは、俺の楽観的な見方だろうか。
いずれにしても、ここからだ。俺は、更に言葉を紡ごうとして。
これまで以上のスピードで距離を詰めてきた有明さんの動きに、反応できなかった。
「っ!!?」
かろうじてその振り下ろしをかわせたのは奇跡だろう。
だが、その結果、体勢が完璧に崩れていた。
その動作を予測していたのか、彼女は刀を構え直し、その刃を突き出す。
かわしきれず、彼女の刀の切っ先が、俺の腹に突き入れられた。
経験のない体験。現実感が無いまま、呆然とそれを認識した瞬間。
「ごほっ!!」
口から、咳のように赤い煙が吐き出された。これも生命力だろう。
同時に、いきなり腹を焼かれるような激痛が走った。自分の意志とは無関係に、口から呻き声のようなものが出てきてしまう。
瞬間的に、様々な思考が、頭の中で錯綜した。
これは俺、本当に死んだかな。魂の状態で死んだら、肉体も死ぬと、ナハトは言っていた。
もしそうなったら。
朝になって、目覚まし時計は鳴りっぱなしのまま。
俺の様子を見に来たお袋は、もう起きることのない俺を、見ることになるんだろう。
お袋。母親。そうだ、目の前にいる有明さんは、その母親のために戦ってる。
そんな有明さんに呼びかけられるのは、今しかない。
自然に鉄パイプを離し、有明さんの手を俺は掴んでいた。
密着してる今なら、ホログに聞かれずに話ができる。
「きっ…聞いて…有明、さん」
「!」
顔は見ることができないが、彼女が驚くのが分かった。
「ホログに…病気を治す力なんか、無い」
「…何を、今更」
「聞いて…!」
俺の必死の呼びかけに、有明さんが言葉を返そうとしている。だが俺はその前に、ナハトとの会話を思い出しながら、その内容を話し始めた。
「背中を押すような情報だけ教えるよ」
「…えっ…?」
俺のリアクションを気に留めず、ナハトは言った。
「脳腫瘍にしろ何にしろ…私にもホログにも、病気を治すなんて都合の良い力は無い」
「そ…そうなん…ですか」
何となく、この夜界の住人であろうナハトと、彼女と同じような存在らしいホログが、現世の人間の病気を治すなんてことができるというのが、若干腑に落ちなかったのは確かだ。
だが、こうもはっきり言われると、有明さんが気の毒になってくる。
「確かに、有明さんもホログが治してくれる保証は無い…って言ってました」
「それでも、ホログは彼女の母親を、元気にはしたんだろうさ。一時的に」
「…どういうことです?」
俺の問いに、ナハトは言う。
「さっきも言ったが、私とホログは、君のいる現世…その人々の魂と、生命力だけは感知できる」
「そしてその生命力を、ある程度操作できる」
「生命力の…操作って…!?」
その言葉に、あまり良い予感はしなかった。
「恐らくホログは、君の友人の母親に、どこかから入手した生命力を与えて、延命させたんだろう」
「どこかからって…一体どこから?」
俺の問いに、ナハトは考えるように言う。
「君の周囲、この町のどこかで…老人や赤ん坊が弱ったり突然死したってニュースはあったりする?」
「え?そんなニュース…」
あった。
ここ数日、親父とお袋が話していた。最近、近所の高齢者が突然亡くなったり入院したというニュースが立て続けに起き、二人が『この所多い』と話していた。
それを、今になって俺は思い出していた。
「あ、あります…!!」
「じゃ、それだろう。毎夜何人かの人間から、ある程度の生命力を奪い取ったな」
「そんな、事が…」
ナハトは頷いた。
「とはいえ、奪うことができる生命力はほんの少しだ。体力のある若者であれば、寝ている間にいつもより疲れていた、というような現象で済む。だが体力の無い赤ん坊や老人、病人には、それが命取りとなる場合もある。起床できずに死ぬ者も出てくるだろう」
「じゃあ…それじゃあ…」
俺の言葉に、ナハトは頷いた。
「他者の生命力を吸い取って…君の友人の母親は、延命させられてる」
宣告するようにそう言うと、ナハトは言葉を継ぐ。
「だが、それも無茶な処置だ。本来死ぬ運命にある人間を、生命力だけで無理矢理延命させようなんて、いずれ限界が来る。そして時間と共に、必要な生命力も増大していくだろう」
「それは…つまり…」
俺の言葉に、目を瞑って彼女は言った。
「いずれ君の友人は、大勢の人間を犠牲しなければならなくなる。それでも延命できる時間は、極僅かだ」
「…嘘」
その声は、明らかに動揺していた。
握っている彼女の手も、僅かに震えている。
「有明さんは、それでいいの?君の母親は、そんなことを」
「っ!!」
多分、俺が言おうとしたことは彼女に伝わっただろう。月並みな台詞だ。
しかし、だからこそ彼女は激高した。
力任せに刀を引き抜かれ、俺は腹の激痛が倍増するのを感じる。
「ごほっ…」
駄目だ、立っていられない。
危うく落ちるところだったが、バランスを崩す前に片膝をつく。
視界が霞む。腹の辺りから、嫌になるくらい多量の赤い煙が噴き出しているのが分かった。
そして、目の前に刀の切っ先。
「私が…あなたの話を信じると思う?」
「…有明さんは、ホログを信じるの?」
俺はホログの姿を思い浮かべながら、言った。
正直、あの男に有明さんが契約し、協力しているというのが、納得できなかったのだ。
有明さん自身も、ホログが約束を守る確証はないと言っていた。
ひょっとして、彼女もホログを信用してはいないんじゃないかと思ったのだ。
「それは…」
予想通り、彼女は言葉を濁していた。
とはいえ、正直言葉を発するのさえ辛い。腹の傷は、今まで感じたことのない痛みとなっている。
けれど、ここで何も言わないわけには行かなかった。
「一つ、言わせて」
「…何」
全力を振り絞り、顔を上げる。
目の前には、月光に照らされた有明さんの顔があった。
片手に刀を持ち、片手には仮面。彼女は、その顔から仮面を取って、俺を見ていた。
だから、俺も彼女の顔を真剣に見つめて、言葉を紡ぐ。
「たとえ親しい人のためでも…やっちゃいけないことはあると思う」
言葉を発する度に、腹に激痛が走る。それでも、俺は言葉を紡いだ。
脳裏に、あの図書室で話した彼女の表情が甦る。その言葉が。
「それに…有明さん、あの図書室で言ったよ」
「…何を」
「誰も、死ぬのを見たくないって。俺も同じ気持ちだ」
彼女の瞳が揺らぐ。明らかに、動揺していた。
俺は傷口を押さえながら、やっとのことで立ち上がる。
「だからさ…俺、君に間違ってほしくないんだよ」
目の前に日本刀の刃があるが、構っていられない。
彼女の話を聞いてから、ずっと考えていた。俺に、何ができるかを。
「俺の親は今も元気だ。だから君の気持ちを分かってあげたいけど、俺じゃ分かってあげられない」
俺の結論を。
「でも…今の君の選択が、間違ってるってことだけは、分かる」
有明さんは、俺のことを黙って見つめている。
けれど、次の瞬間には、再びあのピエロの仮面を顔に被っていた。
「私は…」
「 死 を 」
下の方から、急に声が聞こえた。
ホログの声だ。
そちらを見ると、ホログが俺と有明さんに視線を向けていた。
その傍らには、ソラの巨体が佇んでいる。
その時、気づいてしまった。
「 ソ れ デ 全 て 終 わ ル 」
俺の認識を裏打ちするように、ホログがそう言葉を紡ぐ。
ホログの近くにいるソラ。その巨大な前足が踏みしめる地面。その辺りに、白髪が見えた。
ナハトの、特徴的な長い白髪が。
「ナハトさん…嘘でしょ…?」
ソラの巨大な前足は、ナハトの身体を踏み潰していた。
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