選択・後編



「シェーナさん!!」


 荒い息のまま、今や見慣れた──懐かしさすら感じる一人の少女のもとへと、駆け寄る。

 床に座り込んだまま茫然自失している少女の近くには、一度だけ会ったことのある敵兵が倒れていた。


 正確には、転がって、いる。

 生命力は、微塵も感じられない。

 事切れてから、少し経っていると予測された。


「シェーナさん……」


 こういう時、どうするべきなのだろう。

 これまで人の血を見すぎたのだろうか。慣れてしまった錆びた鉄の臭いは、無臭も同然だった。


 人の亡骸。

 傍で佇む人の虚ろな表情。


 僕は、一体どうすれば……?


「──あ、の」


 目の前に佇む少女は、自分にとってかけがえのない人になっていて。

 だから、なのだろうか。

 彼女にかける言葉は、何一つ見当たらない。


 今まで僕は、どうやってきたのだろう。

 もし僕がシェーナさんだったなら……

 シェーナさんだったなら……


 だった、なら?


「な、にも、ない──」


 自らが呟いた言葉に吐き気を覚えて、アズロは硬い床に崩れ落ちた。


 両足に、力が入らない。

 ぐらつく脚力。

 それに、頭が……割れそうだ。


 ああ、僕は、何を──。

 シェーナさんが苦しい時に、こんな……

 苦しい……苦しい、ときに……


 苦しい──


 苦しい、って、何だ……?


「──う……あ……う、っうぁあぁぁぁあああ!!」


 絶叫──なのだろうか。


 もはや自らが発している声すら、わからない。


 喉が、痛い。


 痛みを感じたのは、いつぶりだろう……?


 頭が、気が、おかしくなりそうだ。


 そう……そうだ。

 僕は。


「悲しく、ない。苦しくも、ない。僕がシェーナさんだったら、この状況でただ笑ってる」


 呻くように吐き出すと、ふいに、あたたかなものが頬に触れた。


「シェーナ……さん?」


 先ほどまで虚ろな表情だった彼女の表情は、元の冷静さを取り戻している。

 むしろ、冷静というよりは──


「バカズロ!」


「へ? アホじゃなくて今度はバカズロ?」


「そうだよアホバカズロっ! ばか! ばか! 気付かないの!?」


「え?」


 シェーナの瞳からは、彼女らしからぬ、大粒の涙が止めどなく溢れていた。

 感情をむき出しにしたシェーナの眼差しは、まっすぐにアズロを射抜く。


「泣いてるのは、アズロだよ」


「な……に?」


「だから、あんたはその両目から涙が流れてるのに気付かないわけ? 笑ってる場合? 私が泣いてどうするのよ! 私はね、確かにすっっっごく痛いし悲しいわ。だけど、虚ろになったとき、そばに誰か来てくれたのはわかったの。徐々に意識が鮮明になってくさなか、あの絶叫よ? 助けに来てくれたのはじわっとしたし有り難いけど、そこであんたが悲鳴上げてどうすんの!! 私の虚無なんて吹っ飛んだじゃない!! もう、いーかげん気付きなさい。どれだけ自分が辛いのか、ね」


 シェーナは自らの涙はそのままに、ただ静かに流れ続けていたアズロの涙を拭った。

 先の戦闘で傷だらけの両手で、そっと。


「……僕が、つらい?」


 呟いたアズロの両肩を、シェーナはぎゅっと抱き締める。

 きつくきつく、離さぬように。


「私のことは、守らなくていいの。だって、私は、その逆だから」


「へ? なに……なんれすか?」


 もはやぐずぐずでうまく発音できていないアズロの頭を、ポンポンと手のひらで軽く叩く。


「私はね、アズロが見せてくれた空が好き。アズロと過ごす、他愛ない時間が好き。すっごい力を持ってる師団長のアズロにはびっくりしたけど怖くないし……それにね。私は、アズロが弱々しくても、嫌いじゃないよ。嫌いだったら、今そばにいないもの」


「──ん、と?」


「弱っちくてもいいのよ、自分を誇りなさい! それだけいろんな気持ちを感じられるようになったのよ、アズロは。……ってこれ、昔私がシエラ姉さんから聞いたのの受け売りだけど。つまり、弱さは強さなの。だからね、信じなさい!」


「何を?」


「バカズロ。それはあんたが見つけるのよ。……私はね、さっきあんたがかけつけてくれた時、見つけたわ」


 きょとんとしたままのアズロに、シェーナは深いため息をついた。


「……気付きなさいよ」


「え? な、何? あ! そうか、そうだよね。助けに来たのに助けられちゃったし、もっと鍛練して、より強くあれるように、ってことか!」


「──どう考察したらそんな珍回答になるの」


「はい?」


「……なんでもないわ。そう、私を守りたいなら、強くなることね。でもそれは、力じゃなくて、芯のほう。……あなたが私にくれたもの、それを、信じて」


 微笑んで照れたように涙を拭い、立ち上がったシェーナにつられて、アズロもゆっくりと立ち上がった。

 足元はまだぐらつくけれど、何か、何かが、変わった気がする。


 荒野のような、しかし風ひとつ無い、ただ静かな凪のような心に、何かが、投じられた気がした。


 アラマンダを喪ったときに感じたものと似て非なる、何か。


 何か、灯るものだ。


「わかったの?」


「──なんとなく。それから、ごめん。あと、ありがとう」


「アズロって、アズロと向き合うと片言になるのね」


「う……」


「──ねえ、守らなくていいけど、守ってくれる?」


 いたずらっ子のように問いかけたシェーナに、アズロはゆっくりと頷いた。


「はい。──必ず」




***




「……シェーナさん、僕は……僕が、わからない」


 ルーアンの前に立ったまま、両手を組んで目を閉じたアズロは、何に祈るのだろうか。

 シェーナはその横で小さく、安らかに、とだけ呟き、バルコニーの遥か彼方を見やる。


「そうだね……私も、色々、わからない。自分は何者なのか、この意思は、私のものなのか、って。だけど、私は、私なんだと思うの」


「シェーナさんは、シェーナさん……僕は、アズロ、か」


「うん、たぶん、それでいいんじゃないかな。少なくとも、今は」


「今は……。……そうだね。うん、それに──」


 言いかけて、唐突な──耳をつんざくような轟音と、目映い光に警戒を強めた。

 少し前に上空の暗雲から降り注ぎ続けていた刃の威力は増していたはずなのに、音とともに、雨が止む。


 しん、と静まりかえった辺りに、薄く淡い日差しが降り注いでいた。

 雲間から大地を照らすその光は、再び徐々に薄れてゆく。


 細い、細い光。


「……」


 アズロは、ふとシェーナの表情を窺う。

 シェーナがその視線を訝しげにしているのを感じ、一人安堵した。


 今は──まだ。


(ありがとう、ごめんなさい……急ぎます)


 心の中で、もう居ないであろう誰かに囁いて、シェーナに向かって微笑む。


「──今が、好機みたいだね。シェーナさん、司令塔はどこかわかりますか?」


「たぶん、こっち」


 まっすぐに、シェーナは少し先の通路の、今の衝撃で崩れかかった細い階段を指差す。

 アズロは首肯し、シェーナの後ろに回った。


「後衛は任せて」

「助かるわ、私は前方優位なの」


 少しだけ早い調子の会話。

 階段をかけ上がる足音は、無音だった。


 消された足音が、階上へと、ふたつ──





***





「──大丈夫か!」


 赤い色にまみれた少年を抱き抱え、ジェイはその身体が温かいことに安堵した。


 ヴァルドとセレスの国境では、先ほどまで、ヴァルド軍の猛攻と、天上からの刃の雨がセレス軍を追い詰めていた。

 ジェイが駆けつけた時は、かろうじて結界が保たれていた程度。

 力を使い果たし、敵陣を向いたまま仲間を庇うような態勢のまま冷たくなっている能力者が数名。

 結界が敗れた時に備え、臨戦体制が敷かれ始めていた。


 最前衛のレストの身体がぐらつき、倒れかけた瞬間、ジェイの馬は真横に並んでいた。

 打って出るか、と覚悟した時に、それは起こったのだ。


 天上からの刃の雨が止み、容赦なく身を切り裂く刃の恐怖が去ったと思ったら、敵陣の兵が全て眠りについた。

 糸が、切れたように、だ。


「──おかしい、ですよね。何か」


「こら、レスト、喋ったら──ってお前それ全部返り血か」


「はい、すみません。能力が切れただけです。ご心配おかけしました」


 ゆっくりと立ち上がったレストは、目を擦りながら、自らを支えていたのが王だと気づいて後ずさる。


「なっ……な、し、シグルズ様……!?」


「途中で変装して来たんだ。今はイグニスと呼べ。幸い、義勇兵に見られて気付かれていない」


 にやりと笑って不敵に笑んだ自らの王に、レストは唖然とした。

 最前衛まで駆けつける王など、どこにいる?

 しかも、一人で──。


「……いつか、義父さん──アズロ師団長が言っていました。あの王は、信頼に足る……むしろ、心配な王だと」


「ほう?」


「……なんとなく、わかった気がしました」


 苦笑いしたレストの頭を、ジェイはわしゃわしゃと撫でる。

 粗雑なその振る舞いが、彼の自然体なのだと、ふと気がついた。


「イグニスさん、アズロ──義父さんは、誰なのですか?」


 年が離れた親友のようにも見えるアズロとシグルズ王の関係は、何かもっと深い絆でつながっている気がしてならなかった。

 けれどそれを問うと、決まってアズロは口にしたのだ。

 時が来たら、と。


 アズロという育ての親と、数年しか接してはいない。

 しかし、その間、アズロは変わらなかった。

 身長も、顔つきも、何もかも。

 そして、それに気づいたころ、彼は遠い任地に赴いて──。


「答えが、欲しいか?」


 ジェイは面白そうに尋ね、レストは何度も頷く。


「ならば、生き延びることだ。生きろよレスト。お前たちを、もう死なせやしない」


 ジェイは、少しかがんでレストの目を見て、強く強く、言葉を紡いだ。


「死なせやしない、絶対に」




***





「あそこに──リゲルが居るのか」


 倒れても倒れても立ち上がってくる敵を薙ぎ倒しながら、近づきつつあるヴァルド城を眺めて呟いたエナは、急に彼らが起き上がらなくなったことに首を傾げる。

 そういえば、痛みも忘れるほど浴び続けた刃の雨も止んでいる。

 いったい、どうしたというのだろう。


「──リゲル」


 急に拓けた視界に、エナは歩みを緩めた。

 なぜだか、右足がなかなか前に出ない。


 覚悟は、決めてきたはずだ。

 私は、彼を切ってでも止めると。


 しかし、この体たらくは何だ?


 これではまるで、私がまだ──。


「……」


 一度、後方を振り返る。

 そこには、自分の意思に同調してヴァルドから脱してきてくれた少数の一般兵と、セレス軍が自分にあてがってくれた部隊たちが、身を刻まれながらも必死で立ち上がろうとしている光景があった。


 一時の将の私に、彼らは命を預けている。

 それは何故だ?


 ──私が、誓ったからだ。


「私は、どこにも属さぬ。私は、私が守りたいものを、貫く。だから──許せ、リゲル」


 エナは拳を握りしめ、静まり返ったヴァルド城へと駆けた。

 背後の部隊を意識することを忘れない。

 隊列は保ったまま、何が起きても対処できるように。


 焦りはしない。

 今のこの部隊とともに往き、もしリゲルにたどり着いたなら。

 その時は……


 その時は。


「愛している……今も変わらず。なあ、お前も、そうだろう?」


 誰にともなく囁いて、口元を引き締めた。





***





「いたっ、いたたっ、ちょ、降りすぎ降りすぎ!」


 頭上からの刃の雨に涙目になってきたイシオスに、隣に並んだ特務兵が微笑む。


「部隊長、それ言っちゃダメです。貴方が降らせてる暗器の雨の数のが多いんですから」


「……確かに。ちょっと投げ過ぎたか?」


「いえ、的確です。急所を外して命中している。しかし、よく起き上がって来ますよね」


 刃の雨を弾きながら、自らを取り囲む血だらけの兵の群れに応戦し続けた。


「──死んでも、おかしくない傷なんだけどな」


「ええ……」


 会話が途切れた刹那、上空からの雨がぴたりと止んで──。


「え、え、重っ、なんだこれ」


 兵たちが倒れ込むように、自分にのしかかってくる。

 しかも、乱戦状態だったから、四方八方からの将棋倒しだ。


「よっ、と──」


 素早く跳躍すると、雪崩れた人垣の頂点に飛び乗り、一人一人を引き剥がして地面に寝かせる。

 重なったままでは、呼吸すら危ういだろう。


「部隊長、こちらはどうしますー?」


 眠りではなく、完全に「眠りについた」敵兵たちの扱いを問うた部下に、イシオスは一呼吸置いてから、返事をした。


「お前たち休んでないだろ? 今は葬らなくていいから、少しでも身体を休めておいてくれ。まだあちらさんから何が来るか判らない。……埋葬は、全て片付いた後だ。待ってくれるさ、彼らも」





***





 敵兵は、未だセレス王城には到達していない。

 きっと、国境のレストたち結界部隊が頑張ってくれているのだろう。


「あの馬鹿王は、国境に着いたかしらね?」


 頭上から降る刃の雨を一つ残らず槍で弾きながら、ルーチェは城内を振り返った。


 セレス城の天井は強固だ。

 王よりの言伝として、軍議会に誘導を託し、セレス城を一時的に一般解放して民を安全な城内各所や軍部官舎に退避させてはある。

 さらにルーチェ独自の結界も施してあるため、当面は安全だろう。


 隊列を保たせたまま、出陣態勢の一部隊は一階大広間に。

 いざというときすぐ動きがとれるよう、精鋭兵は退避させた民が集まる各所に配備してある。


「──」


 ふと、耳許のイヤリングから何か聴こえた気がして、ルーチェはそれに手を伸ばし──


 パリン、と。

 触れた瞬間に小さく音を立てて割れたイヤリングの破片を、じっと見つめた。


 見上げれば、頭上から降り続けていた刃の雨が、静かになっている。


「──シア?」


 守り人同士を繋ぐ意思伝達のイヤリング。

 普段なら、語りかければすぐに聞きあきた朗らかな声が返ってくる、色々面倒くさいイヤリングだ。


 しかし、今回は、応答が無い。


 かすかに風の吹く音だけが、響いていた。


「……シア? エイシア?」


 数度、意思伝達を試みる。


 応答は──無かった。


「──」


 嘘で、あってほしい。


 けれど、長年の腐れ縁の同級生のことは、嫌でも知らされた。

 このイヤリングには、互いの生存確認の機能もあるからだ。


 ルーチェは、無言で槍を地面に突き立てる。

 天地を結ぶように立てられたその槍の前に跪き、両手を組んだ。


「あんたが、守ろうとしたものたちのために──今だけ、祈ってあげるわ。……みんな、無事でいなさい」


 瞳は凛と槍を見据え、一筋の涙だけが、静かに地に沈む。


(ねえルーチェ、大好きだよ)


 何度も聞き飽きたあの言葉の真意を、尋ねたことは無かった。

 否、気付いて黙っていた。


(だからね、幸せでいてね)


 痛々しい笑みは、互いの想いの違いを知っているから。

 優しい呼応は、優しい距離を生んでいた。


「あんたがいないと、つまらなくなるわ。あんたにかけられる面倒事に馴染み過ぎたのかしらね。……ねえ、シア。次に生まれて来る時は──」





***





 目の前で、身体より一回り大きな力導器機りきどうききが制御を離れ、軋み始めてゆく。

 錆びて元の色が解らないそれは、自分のようにも思えた。


「──早いな」


 リゲルは、ぽつりと呟く。


 元々、この機械は暴走させる予定だった。

 しかし、計算は大幅に狂ってしまっている。


 力導器機には様々な種類があるが、現在リゲルが操っている一器機は、このセレスに残され稼働させられる唯一の──

 そして、扱いの厄介さゆえに破壊されず残っていたものだった。


 この機械は、人の想いを喰らって力を導く。

 ルーアンの身体を媒体にし、散ったヴァルド異能者たちの「苦痛」を喰わせ機体に伝導させて、セレス・ヴァルドの異能者の乱戦の場に照準を定めた後、広範囲を更地にする兵器に仕立てる算段だった。


 そう──広範囲、でよかったのだ。

 リゲルが目論んだことは、一般能力者を生かして異能者の大半を葬ること。

 どちらかをどちらかに完全に従属させ、威力によって、乱れつつある世界の秩序を維持に導くために……

 ……選んだのだ。

 脅威の高いほうの……異能力を持つ者たちの戦意を九割削ぐ……支配による平和を。


 だが、このままでは、広範囲どころか──


「くっ……!」


 両腕で機体を抱きしめるように、安定を図る。

 計算外が過ぎた。


 苦痛だけでない……断末魔に込められた感情たちの中には、正反対のものが多数あった。

 苦痛とそれらが反響し、力が逆流し始めている──


 怒り、無念、苦痛、悲しみ。

 正常に流れるその思念に、ぶつかる想いは──


「──感謝に……憐れみ……いとおしさ……愛──?」


 何故、命を断たれて感謝が生まれる?

 何故、愛がこだまする?


 何故──


「っ! 頼むから、逆流するな……!! 私を恨んでくれ! 何故お前たちは、愛を注ぐ……!?」


 イタイ──


 ──ダイジョウブ


 クルシイ──


 ──アタタカイ


 ニクイ──


 ──アリガトウ




 ぶつかって、ぶつかって。


 弾けては、器機にひびを創る二つの思念──想いの、呼応。




「──がっ……!」


 リゲルの身体は弾き飛び、石壁へと打ち付けられる。

 凄まじい衝撃は、じわりじわりと、部屋もろとも、リゲルの肉体を圧迫し──


「うぉおぉおおお!!」


 力を振り絞って機体に両手を伸ばしたリゲルは、照準を真逆に──


 リゲル自身に、動かした。




 ぬるりとした何かが、部屋に飛散する。




 こんな状態で意識があるのは、自らが地の民の末裔だからだろうか。


 いくぶんかは、生命力が強いとは聞いていたが……それが……




(これは……私が招いた光景だ)




 四方八方に飛散したのは、自らの臓物だ。


 しかし、何故かまだ息がある。

 身体は動かないというのに、意識が、生きている。




 動くのは……


 残っているのは、何だ?




「──」




 声は、既に失ったらしい。


 狭まった視界が、大破寸前の機体を映している。




 あれは……


 あの部品が、外れたら……




 力導器機りきどうききの核のうつわの固定が外れると、機体は制御を失うと伝え聞いていた。

 しかし核は内部中央にあるため、十中八九外れないと。

 だが今、その器は風圧にさらされて露出している。

 硝子細工のような透明な器が、数刻で破壊されるのは明白だった。




「──」




 一本の、指が、動いた。




 そして、それは白に近い肌色の手に、きつく握られる。




「──どうすればいい!?」


 息を切らして階段を駆け上がり、惨状を目の当たりにした、蒼い髪の人間の言葉。


 指は、あっけなくもぎれて、静かに人間の手のひらに収まった。

 皮でつながっていただけだと気付いた時には、指は──リゲルは、事切れて、いた。


「アズロ!」


 真横から、シェーナが叫ぶ。

 シェーナの張った風の結界が、風圧を防いでいる。


「シェーナさん、下がって! だめだ、これはもう抑えられない。だから──」


 アズロは、シェーナを階段の最上段から、両手で突き落とした。


「着地力が残っているうちに、逃げて! 大丈夫、僕一人なら、これを制御できる」


 口走った言葉に、アズロは我が耳を疑った。


(そうだ──僕は、これを知ってる)


 指先が手のひらに触れたあの瞬間、何かがアズロの中で弾けていた。

 それは、表層まで滲んできている──。


「──アディ」


 ささやいたアズロの表情が、険しくなる。


 木々の緑の瞳は、海の青へ。

 蒼い空のような髪は、淡い金色へと、筆を下ろすように塗り替えられていく。


「二度と──二度と、君を死なせない」


 語ったのは、誰なのだろう。

 わけが解らぬまま、しかし、解っていた。


 アズロは、両手をそっと機体に添える。


 風圧は、アズロを護るように張られた殻のような藍色の何かによって、無力化されている。


 ──もう、すべきことは、わかっていた。

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